表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/43

結婚はお断りです! 1

 ――ああ、ついにこの日が来た。


 アリシア・フォンターニアは王都の公爵邸の自室で目を覚ました朝、横になって垂れ下がる天蓋の美しい藍色を見つめながら、静かにため息をついた。

 公爵邸の周りは兵士が取り囲み、アリシアの逃亡を警戒している。

 邸にはすでに誰一人としていなかった。

 両親はさっさと国外の親戚のところに逃げてしまったし、邸にいた使用人たちも、我先にと金目のものをくすねて逃げて行った。


 アリシアがたった一人でこうして公爵邸にいるのは、最後の彼女の我儘にすぎない。

 最後に生まれ育った邸で眠りたい。アリシアのその一言を王がかなえたのは、何も同情からではなかった。

 地下牢はもちろん城の地下にある。刑の執行を待つ罪人は、最後に何をしでかすかわからない。地下牢とはいえ、アリシアを城の中に入れたくない――、王はそう考えたのだ。

 可愛いユミリーナに近いところにアリシアを投獄し、もしも王女に何かがあっては大変だ――、そういうことである。

 だが、そのおかげでアリシアは生まれ育った邸で最後の朝を迎えることができた。


 小鳥のさえずりが微かに聞こえてくる部屋で、ベッドから降りたアリシアは、ただ一人で着替えをはじめる。

 誰の手も借りずにドレスを着るのは大変だったが、充分に細い腰はコルセットを必要としないので省略し、シュミーズの上に直接ドレスを着ることにした。

 選んだのは真っ白なドレス。前世、街のショーケースで見たことがあるウエディングドレスのような、ふんわりと軽い布をふんだんに使ったお気に入りのドレスだった。

 胸元はレースで、スカート部分は裾に行くほど広がりを見せるが、引きずるほどの長さではない。


 ドレスに着替えたアリシアは、ドレッサーの前に座り、鏡に映った自分の顔をじっと見つめた。

 ふんわりと緩く波打つ金色の髪に、アーモンド形の少し大きな紫色の目。日差しを知らないような白い肌に、唇は艶々とした薔薇色。パッとしない容姿だった前世の自分が憧れたすべてがそこにある。

 アリシアは髪に櫛を通し、薔薇の香りをつけた椿油を少量なじませると、化粧はせずに首元に真珠とダイヤモンドのネックレスをつける。


 この顔も今日で見納めかと思えば感慨深かった。

 次は幸せな転生ができるだろうか。できれば前世の記憶は失っていてほしい。覚えているからこそ、アリシアはつらかった。

 ドレッサーの前に座り込んだままのアリシアの耳に、遠くから足音が聞こえてくる。

 階段を上り、廊下をずんずんと進んでくる足音。その音は大きく、そして力強い。

 やがて足音はアリシアの部屋の前で止まり、コンコンと控えめの扉が叩かれた。

 アリシアは、唐突に扉が開けられなかったことに少し驚いた。乱暴に部屋に入ってこられて、そのまま引きずられていくのだと、心のどこかで思っていたからだ。


 アリシアは立ち上がり、部屋の扉を開けた。

 そこに立っていた背の高い男の名は、フリーデリック・ランドール。第三騎士団の団長で、今までアリシアを追い回し、何度も捕えた男だった。

 フリーデリックはきれいな青い瞳を微かに見張ったのち、静かに告げる。


「アリシア・フォンターニア公爵令嬢。同行願う」


 アリシアはそっと瞼を閉じた。

 ついに、この日が来た。


 ――アリシアは今日、十七年の生涯に幕を下ろす。




     ☆




 ガタンガタンと馬車が揺れる。

 王都から出発した黒塗りの馬車の中には、アリシアとフリーデリックの二人きりだった。

 もっと大仰に兵士たちに囲まれて向かうと思っていたアリシアは拍子抜けしたが、フリーデリックと二人きりの密室はそれなりに息苦しかったので、落ち着かない。


 馬車は王都から北――、海沿いにある小さな町へと向かう。

 町のさらに北には、昔その地を治めていた辺境伯が使っていた古城があるが、数十年前に血が途絶え、領地が王の管轄下となってからは使われていないはずだ。

 古城のすぐそばには岬があり、岬の上に鉄の十字架が立っている。アリシアは、その十字架に磔にされるのだ。


 アリシアはもちろん行ったことはないが、小説で描かれていたシーンなのでなんとなくどんなところか想像はつく。

 小説では、アリシア・フォンターニアが処刑される前まで描かれていた。実際に刑に処せられたところまで描写はされておらず、アリシアの最期を締めくくる一文として「アリシア・フォンターニア公爵令嬢は、悪徳令嬢としての生に幕を閉じた」と書かれていたのみだったが、刑の方法は知っている。

 アリシアの刑が決まったとき、王が嬉々として自らアリシアに語ったからだ。

 国王は、よほどアリシアが嫌いらしい。

 刑の内容を語ったあと、アリシアが何の反応も見せなかったため、怯えさせたかったのか、何度も「磔だ」「数日かけてじわじわと死に向かう」「死んだら野鳥に食べられる」と王が繰り返したので、嫌というほど覚えている。


 アリシアは馬車の背もたれに体を預け、そっと目を閉じた。

 馬車の帳は下ろされていて、外の様子は一向にわからない。

 フリーデリックも終始無言で、窒息しそうなほど重たい雰囲気のまま、アリシアは目的地にたどり着いた。

 先に馬車を降りたフリーデリックのあと、アリシアは馬車を降りる。

 フリーデリックが馬車を降りるアリシアに手を貸そうとしたことには驚いたが、アリシアはその手を借りずに自力で馬車を降りた。

 短い草が生えそろった大地に足を下ろす。

 岬の端に向かうにつれて草は少なくなり、先端には鉄の十字架が太陽の光を反射して冷たい鈍色(にびいろ)に輝いていた。

 潮風に当たっているからか、ところどころに赤さびがついているのが、視力のいいアリシアの目には見える。


 風が強かった。

 空は抜けるように青く、風に乗って潮の香りが届き、波が打ち寄せる音が響いている。

 左手には大きな古城。

 最期を迎える日にしては憎たらしいほどいい天気で、それを喜んでいいのか悲しんでいいのかもわからなくなるほどアリシアは疲れていた。


 フリーデリックは一言も発しない。

 さっさと刑に処せばいいのに、先ほどから動こうともしなかった。

 アリシアはフリーデリックを振り返り、諦めて自ら十字架の方へと向かっていく。

 その後ろを、フリーデリックがついてきた。

 自分から処刑されに十字架に向かうなんて滑稽だと心の中で笑いながら、アリシアはそびえたつ十字架を見上げる。


 短い人生だった。

 悲惨な人生だった。

 でも、それも今日で終わり――


 アリシアは静かにフリーデリックを振り返る。

 フリーデリックがアリシアを十字架に磔にして、アリシアはそっと舌を噛んで死ぬつもりだった。


 だが――


 予想外の言葉が耳に届いて、アリシアの思考回路は停止する。


「アリシア・フォンターニア嬢。俺と結婚してください」


 次の瞬間。

 凪いだ水面のように静かだったアリシアの心に怒りという感情が巻き起こり、フリーデリックの右頬を思い切り引っぱたいていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ