騎士団長代理、来る! 2
――アリシアを今すぐ処刑してその遺体を差し出せだと!? ふざけるにもほどがあるッ!
執務室から漏れ聞こえてきたフリーデリックの怒鳴り声に、アリシアは扉を叩こうと振り上げた拳をそのまま、動作を止めた。
頭のてっぺんから冷や水をかけられたような気がする。
息をすることも忘れて凍りついたアリシアの耳に、フリーデリックの怒りの声が再び届く。
「王女に何かあるたびにすべてアリシアだ! アリシアが何をした!? 彼女はここで、ただ静かに過ごしていただけだ! それなのに……!」
「言いたいことはわかっている。少し落ち着け。――部屋の外に誰かいる」
ジョシュアの静かな声が聞こえて、アリシアはびくりと肩を揺らした。
(ど、どうしよう……)
このままだと、まるで盗み聞きをしていたように取られないだろうか。どこかに隠れた方がいいだろうか――、とアリシアがおろおろしている間に、がちゃりと目の前の扉が開いた。
「アリシア……嬢」
扉をあけたフリーデリックが、アリシアを見て愕然と目を見開いた。
「聞いていたのか……?」
問われて、アリシアは小さく頷く。
フリーデリックに中へ入るように言われて、アリシアが恐る恐る執務室に足を踏み入れれば、ソファに座っていたジョシュアと目があった。
ジョシュアは何も言わなかったが、アリシアはその榛色の瞳の中に、はじめて感情を見た気がした。
まるで、かわいそうに――と言われているようで、アリシアはいたたまれなくなる。
フリーデリックにソファを勧められて、ちょこんと腰を下ろしたアリシアは、何も言えなくて視線を落とした。
(今すぐ処刑……か)
一か月は自由があると思っていた。ここ数日、人に受け入れられる幸せに浸っていたせいか、一気に夢から現実に引き戻されたような気がして、アリシアは久しぶりに絶望感を味わった。
絶望する心などなくしたと思っていたのに――、人生を諦めていたはずなのに、ちょっと優しくされたからと言って勘違いしてしまった自分にあきれ果てる。
フリーデリックはどうするのだろうか。
先ほど怒ってくれていた。でも、アリシアを処刑しなければ、今度は彼が反逆の意思ありと疑われてしまうのではないだろうか。
ジョシュアも、それがわかっているから、アリシアに憐れむような目を向けたのだ。
(本当に、魔女狩りをやっていた中世のヨーロッパみたいな国……)
つくづく、そう思う。
アリシアは歴史がそれほど得意ではないから、詳しくは知らない。的がアリシア一人に絞られているから、何万人という犠牲者が出た中世の魔女狩りよりはよっぽどましなのかもしれないが、標的にされたアリシアはたまったものではない。
しかし、罪を裁く上での公平性と言うものがない世界では――、こういった不条理がまかり通るのだから、何を言ったところでアリシアが無罪放免になるはずもない。
ローテーブルの上には、フリーデリックが握りつぶした手紙が転がっている。
(処刑か……。遺体を持って来いって言っているみたいだけど、死んだ後の首がさらし者になるのは嫌だなぁ)
鈍く軋む心に目を背けて、アリシアは小さく笑った。
少しの間だけど、楽しかった。もう充分だと思うべきなのだろう。本当は、ここへ来たときに磔にされていたはずの運命なのだから。
フリーデリックを見れば、口を一文字に引き結んで、顔をしかめていた。
「……あなたには、嫌な思いをさせてしまいますわね」
アリシアが言えば、フリーデリックが弾かれたように顔をあげる。
「直接手を下したくないのなら、自分で毒でもあおりますわ」
だから――と言葉を続けようとしたアリシアだったが、そのあとは続けられなかった。
「ふざけるな!」
空気すらびりびりと震わせるほどの大声で、フリーデリックが怒鳴ったからだ。
フリーデリックは怒っていた。向けられた鋭い眼力にアリシアの体が強張る。この地へ来てから、フリーデリックがアリシアに向ける眼差しは穏やかで優しかったから忘れていたが、アリシアに向けられた怒りは、この人は過去最年少で騎士団長まで昇りつめた、強くて厳しい騎士だったのだと思い出させた。
アリシアはきゅっと唇をかむ。
何も――怒らなくてもいいじゃないか。フリーデリックの手を煩わせないようにと、よかれと思って提案したことなのに。
(処刑だから……、きっと自害は認められないのね)
フリーデリックに命じられたことに、アリシアが口を出したから彼は怒ったのだろう。
ここへ来てからフリーデリックは優しかったから、アリシアは自分の意見に耳を傾けてくれるかもと、驕っていたのかもしれない。
優しくされたから、アリシアはうっかり根本的なことを忘れていたのだ。
フリーデリックは、アリシアを愛しているのではなく、ユミリーナのためにアリシアと結婚しようとしていたということを――
(……ばかみたい)
ツン、とアリシアの鼻の奥が痛む。
みっともないから泣くまいと、必死で涙を押し返そうとしたのに、努力も虚しく紫色の瞳が潤みはじめれば、フリーデリックがハッとしたように息を呑んだ。
「す――、すまない! 怒鳴って悪かった!」
フリーデリックは、隣に座るアリシアの肩に手を伸ばそうとして、それを宙で止める。アリシアに触れていいのかわからずに、彼は手を伸ばしたまま急に狼狽えはじめた。
「き、君が毒を飲むなんて言うから……、ついカッとなってしまったんだ。悪かった。怖がらせてしまっただろうか? た、頼むから、泣かないでくれ……」
「そう、ですわよね……、王女に毒を盛られたっていうときに、ずいぶん不謹慎なことを言ってしまいましたわよ、ね……」
「違う! そうじゃなくて……、そうじゃなくて……!」
「わかっていますわ。処刑ですもの、わたしが勝手に死んだりしたら、だめなのですよね……」
「だから、違うんだ!」
アリシアの涙にパニックになりかけているフリーデリックは、わしゃわしゃと自分の髪をかきむしる。「違う!」「そうじゃない!」とおろおろしながら言い続けるフリーデリックに、ジョシュアがはーっと息を吐きだした。
「とにかく、二人とも落ち着いたらどうだ?」
フリーデリックはジョシュアをキッと睨みつけた。
「落ち着いてなどいられるか! 処刑なんて冗談じゃない! 俺はアリシアを守ると決めたんだ! お前はさっさと帰って、陛下にふざけるなと言ってこい!」
「え……」
アリシアは潤んだ瞳を大きく見開いた。
驚いているアリシアに、ジョシュアは彼女にあきれた目を向けた。
「君ね、何を驚いているの? さっきからフリーデリックはそう言っているでしょ。まさか、フリーデリックが、君が処刑ではなく自殺しようとしたから怒っていると思っていたの? ……君、もしかしなくても、結構天然?」
「ジョシュア! アリシア……嬢に、失礼なことを言うな!」
「フリーデリックが言わないから言ってあげたんだよ。お前たちの話が全然かみ合わないのは、お前にも充分原因がある気もするけどな」
やれやれと嘆息して、ジョシュアはフリーデリックが握りつぶした国王の手紙に手を伸ばす。
「別に、俺はお前の伝言をそのまま陛下に伝えてもいいよ。でも、そんなことをしたら、今度は反逆者扱いされるのはお前の方だと思うな。お前も、アリシア嬢も、頼むから少し冷静になってくれないか?」
何のために使者として俺がわざわざ動いたのだと思っているのだと、ジョシュアがぼやく。
「そもそもだが、今回陛下の命令を突っぱねて、可能性は低いが、何事もなくうまくいったとしよう――、それですべてが丸く収まると思うのか?」
「おさまるだろう」
「……お前は馬鹿じゃないけど、賢くもないよね。だから密かに#脳筋__のうきん__#とか言われるんだろ」
「なに!?」
ジョシュアは眼鏡をはずすと、ハンカチでレンズをふきながら続ける。
「そんなに簡単に片付くのなら、アリシア嬢はこうも何年も陛下に疑われ続けていないだろう。そもそもの問題は、陛下がアリシア嬢さえいなくなれば、王女に安寧が訪れると思っているのが問題なんだ。疑心暗鬼に捕らわれているあの陛下の考えを変えない限り、今後も同じことが何ども起こると思うよ。そのうち、日照りや嵐さえもアリシア嬢のせいにされはじめるんじゃないかとさえ思うな。すがすがしいほど、あの方は馬鹿だね」
「……おい、誰が聞いているかわからないぞ」
堂々と国王を貶めるようなことを言うジョシュアに、フリーデリックが眉を寄せる。
確かにあの国王は馬鹿だと思うが、アリシアもこうもはっきり馬鹿だと言ってしまったジョシュアに驚いた。
「なに、ここには君が信頼しているものしかいないだろう? 何かあるたびに不敬罪だと叫ぶ腰巾着の貴族連中はいないんだから、誰に聞かれたって別にいいよ」
ジョシュアは飄々と答えて、磨いた眼鏡をかけなおした。
そして、何を考えているのかわからない榛色の双眸を、静かに二人に向ける。
「ねえ。みんな馬鹿だから気にしていないんだろうけど――、ユミリーナ王女はいったい誰に狙われているんだろうね?」
その言葉は、アリシアにさえも衝撃だった。







