騎士団長代理、来る! 1
午前中は町のクララの診療所に出向いて、クララに自分の持っている知識を伝えながら診療の手伝いをし、午後は城に戻ってジーンと他愛ない話をしながらお茶を飲む――
そんなふうにアリシアがすごしはじめて、数日がたったある日のことだった。
フリーデリックは執務室に籠って書類と睨めっこを続けているようだ。
アリシアが城にいないと、不安でそわそわして仕事が手につかないからせめて午後は戻って来てくれと言ったのはジーンだった。
「昔からお勉強よりも体を動かしていることが大好きな方でしたけれど、辺境伯の地位となったのですもの、机仕事にも慣れていただかなくてはいけませんわ」
ため息をつきながら言うジーンに、アリシアは苦笑してしまう。
アリシアはまだ一度もフリーデリックの執務室に入ったことがないが、がっしりとした体躯の彼が椅子に座って書類と向き合っているところは想像ができない。
アリシアはいまだにフリーデリックのことを騎士団長と呼んでしまっているが、彼はもう、第三騎士団の団長ではない。
このあたりの領地――ステビアーナ地方を治める辺境伯、フリーデリック・ランドール・ステビアーナ伯爵なのだ。
ジーンの言う通り、城主としての仕事に早くなれる必要があるだろう。
(ま、きっと今日は書類仕事どころじゃないんでしょうけど)
アリシアが町から戻って少しして、王都から遣いがやってきたのだ。
やってきたのは第三騎士団の騎士団長代理――フリーデリックが騎士団長だったころに副官を務めていたジョシュアだった。
赤茶色の髪に榛色の目をしたジョシュアは、一見騎士には見えないほどひょろりとした男だった。
アリシアを捕えるときに何度かフリーデリックのそばにいたが、細い銀縁眼鏡をかけた双眸は、いつ見ても何を考えているのかわからない。
ジョシュアがやって来たとき、アリシアは居間にいて、彼と顔を合わせたのだが、その榛色の瞳はただじっとアリシアを見つめただけだった。
まるで、値踏みされているようで落ち着かなかったアリシアは、早々に自室に引っ込んだのだ。
アリシアは料理長がつくってくれたベリーのタルトを口に運ぶ。
ジョシュアはいったい、何をしに来たのだろう。フリーデリックの結婚――アリシアにその意思はないが――を祝いに来たわけではないことは確かだ。どう見ても、結婚祝いに来た様子ではなかった。
では――、王都で何かあったのだろうか?
(まさか、ユミリーナに何かあったんじゃ……?)
超がつくほど狙われ体質なユミリーナ。アリシアがこの地へやってきたからと言って、それがおさまるとも思えない。
ごくん、とタルトを飲み込んだアリシアは、急に不安になってきた。
ユミリーナは、あまり人に意見を言わない、おっとりのんびりしたお人形のようなお姫様だ。
銀色の髪にアクアブルーの瞳をした、儚げな美少女。――悪徳令嬢と呼ばれてはじめてから、アリシアは一度も彼女と会っていないが、噂に聞くと、狙われることに怯えて城にこもりっきりになっているという。
(いくら何でも城の中で狙われるなんて――、あるか。食事に毒を盛られたとかで、カントリーハウスにいたのに王様に犯人扱いされたもの)
すると、また毒でも盛られたのだろうか?
そうすると経験上疑われるのは、アリシアである。
(ジョシュアとフリーデリックは執務室よね)
もちろん、予想と違うかもしれない。でも、この手の予想は嫌と言うほど当たるのだ。
アリシアは立ち上がると、ジーンにフリーデリックの執務室に行ってくると告げた。
何事もなければいい――、アリシアの心臓が、不安に軋んだ。
☆
長年副官を務めていた男の顔を見た瞬間、フリーデリックは嫌な予感がした。
ジョシュアは表情の読みにくい男であるが、同じ年の彼は、フリーデリックが騎士団に所属した十六のころから一緒にいる親しい友人の一人である。つき合いが長いだけあって、フリーデリックは、ジョシュアの無表情の中の感情を読み取ることができた。
フリーデリックは、ジョシュアがアリシアを見たときに、少し長めに瞬きをしていたのを見たのだ。
(……何かあったな)
ジョシュアはアリシアにいい感情を持っていないが、逆にそれほど悪い感情も持っていない。ほとんど無関心に近いだろう。冷静な彼は、アリシアを捕えるときも感情に左右されず、ただ淡々と任務を遂行していたにすぎない。
(俺が、アリシアと結婚したいと言ったときも止めなかった。……一生好かれない覚悟はしろと言われたが……)
そのジョシュアが、アリシアを見たときに、一瞬憐れんだようにフリーデリックには見えたのだ。
心臓が嫌な音を立てる。
国王はフリーデリックとの取引に乗じたが、今でもアリシアを疑っている。
フリーデリックは、執務室のソファに座ってジョシュアに向きなおった。
「なにがあった?」
訊ねれば、ジョシュアは銀縁の眼鏡の奥の榛色の瞳を細めた。
「ユミリーナ様に――、毒が盛られた」
フリーデリックは目を見開いた。
「またか?」
また――、そう言うほどユミリーナは何度も毒を盛られていた。フリーデリックが知る限り、これで八度目だ。
ごくりとフリーデリックは唾を飲み込む。
ユミリーナに毒が盛られるたびに、フリーデリックはアリシアを捕えた。それだけではない。王女が何者かに城の池に突き落とされたり、――果ては、風邪を引いただけでも、王に命じられてフリーデリックはアリシアを捕えに行った。
苦い記憶に、フリーデリックの眉間に深い皺が寄る。
ジョシュアに、アリシアに一生好かれない覚悟をしろと言われた。わかっている。どれだけ好きだと告げたところで、アリシアはきっと一生フリーデリックを許さないだろう。
でも――
「アリシアはずっとここにいた。ステビアーナ地方と王都は馬車で何時間もかかるほど距離がある。もし陛下がアリシアを疑っているのなら、お門違いだ」
「そんな理屈が通じるなら、アリシア嬢ははじめから疑われてなどいない。魔女だ呪いだと言われるはずがないだろう」
「魔女に呪いか……。アリシアを疑う言葉はいつもそれだ」
証拠がないと言っても呪いで片付けられる。ユミリーナのそばにいなかっただろうと言ったところで、魔女には常識は通じないと言われて、聞く耳を持たれなかった。
最初は言われるまま、国王の言い分を疑いもせずにアリシアを追いかけて捕えていたフリーデリックには怒る資格はないのかもしれない。
それでも悔しくて奥歯をかみしめていると、ジョシュアが一通の手紙を差し出した。
「陛下からだ」
見れば、封蝋は間違いなく国王の紋様。薄っぺらいその手紙を、フリーデリックは読む気にもなれなかったが、無視するわけにはいかないだろう。
「……陛下から内容は聞いているのか?」
「いや。ただ、それをお前に渡して来いとだけ」
どうせろくでもない内容だとわかっているのか、ジョシュアが小さく嘆息した。
フリーデリックは一度立ち上がり、机の上からペーパーナイフを取ると、国王の手紙の封を切る。
中に入っていた手紙は、一枚。
その短い手紙にさっと視線を走らせたフリーデリックは、読み終えるや否や、ぐしゃりと手紙を握りつぶした。
「――ふざけるな……!」
怒りを押し殺したような元上司の声に、ジョシュアがそっと瞑目する。
フリーデリックは、ダン! と目の前のローテーブルに拳をぶつけた。
「アリシアを今すぐ処刑してその遺体を差し出せだと!? ふざけるにもほどがあるッ!」







