町の人と交流します! 6
アリシアはびっくりして、何度も目を瞬いた。
罵られることを覚悟で城から出てきたのに、待っていたのは縋りつくような町の人々の視線。
アリシアと一緒に城から出てきたジーンも驚いている。
想定外の展開にアリシアが固まっていると、真っ先に我に返ったフリーデリックがアリシアをかばうように前に出た。
「突然、アリシア……嬢に何を言い出すんだ」
フリーデリックの横顔は困惑していた。
アリシアも同じく困惑していたが、想像していた侮蔑を含んだ視線ではなく、ただ助けを求めてくる人々の視線に、強張っていた体からゆっくりと力が抜けていく。
「だって、アリシア様は昨日、クラゲに刺された男を助けたんだよ!」
子供を助けてほしいと訴えた女性が叫び、アリシアはそう言うことかと合点した。
クラゲに刺された男を助けたことで、アリシアが医療行為が行えると噂になったのだろう。十五歳の少女が営む小さな診療所しかない町では、医療行為が行える人物を切望していたのかもしれない。
「うちの子の熱が高いんだ! お願いだよ、診ておくれよ!」
「じーちゃんが昨日腰を痛めて立てなくなったんだ! アリシア様、頼むよ!」
「うちの人が数日前から胃が痛いと言うんだよ!」
「だから、アリシア……嬢に何を……」
フリーデリックが町人を止めようとするが、彼らの訴えは止まらない。
(熱……、腰に、胃痛……)
熱はどの程度高いのかはわからないが、まず頭を冷やして、クララが育てているというミントを借りよう。ミントには解熱作用もある。
腰は、もしかしたらぎっくり腰かもしれない。炎症を起こしている可能性もあるから、腰を冷やした方がいいはずだ。町に井戸があったが、井戸水は冷たいから布を濡らして、それで腰を冷やすようにしようか。
胃痛にはカモミールがいいかもしれない。これも、クララの診療所に採取したばかりのものが軒下に吊るしてあるのを見た。
考えながら、困っている人を前に不謹慎かもしれないが、アリシアは自分がわくわくしてくるのがわかった。
頼られている。人から手を貸してほしいと、今、アリシアは頼られているのだ!
今までどこにいても避けられ続け、最後には家族も使用人もみんないなくなった。使用人たちが逃げていく中、ぎりぎりまでただ一人、一緒にいてくれた年老いた執事に逃げてほしいと告げた処刑が決まった夜――、アリシアはこの世界に一人ぼっちになる覚悟を決めた。
そのアリシアが、人から必要とされている。どうしよう、すごくどきどきする!
「だから、アリシ――」
「わかりましたわ。準備をしてまいりますから、少しお待ちくださいな」
「え!?」
フリーデリックがぎょっとして振り返った。
「アリシア嬢!?」
「わたしでお役に立てるかどうかはわかりませんが、できる限りのことはさせていただきますわ!」
アリシアは紫色の瞳を宝石のようにキラキラと輝かせて、ぐっど拳を握りしめた。
☆
必要ないと言ったのに、フリーデリックはアリシアについて行くと言ってきかなかった。
アリシアも、力仕事はフリーデリックがいた方が助かるので無理に拒絶せず、彼とともに町に向かう。
城の前に来ていた人は、一足先に町に戻ってもらった。
(先にクララの診療所ね!)
ハーブや薬草をもらいたいし、できれば彼女にも手伝ってもらいたい。
前世で看護師としての経験があるとはいえ、この世界の勝手はまったく違う。そもそも氷もなければ調合された薬もない。どの程度役に立てるかわからなかったが、それでもアリシアは、自分を頼って来てくれた人にできる限りのことをしてあげたかった。
アリシアが町につくと、クララはすでに診療所の前に立って彼女を待っていた。
「アリシア様! ごめんなさい、まさか、みんながアリシア様のところに行くとは思わなくて……」
ついうっかり、昨日アリシアが処理をしたことを、みんなに話してしまったらしい。クラゲに刺された男自身も「アリシア様に助けられた!」と言い、その話が瞬く間に町の中に広まったのだという。
「マリーさんのところの男の子――ダナンくんは昨日から熱が高くて、なかなか下がらないんです。ペーニャさんのところのおじいちゃんは畑を耕していて腰を痛めたらしくて、イヴァンカさんのところの旦那さんは――」
診療所の中に入りながら、クララが順番に状況を説明してくれる。
薬草は好きに使っていいと言われたので、診療所の中から必要なものを選び、所在なさげに立ち尽くしているフリーデリックに持たせた。
「騎士団長、これと、これも。それから井戸で水を汲んできてくださいな。終わったらお湯を沸かしてほしいんですの」
「あ、お湯ならあたしが用意します!」
「ありがとうクララ。それではダナンくんだったかしら? 彼のところに先に向かいますわ。お家はどこですの?」
「あ、マリーさんの家は――」
アリシアはまず、五歳の男の子のダナンのもとへ向かった。母親であるマリーによると、熱は高いが、寒がる様子はないという。これ以上熱は上がらないだろうと判断したアリシアは、井戸の水で濡らして硬く絞った布をダナンの額にのせる。鼻が詰まって息苦しそうなので、すりつぶしたミントを胸に塗って、城から持って来た蜂蜜とシナモンを混ぜて食べさせた。
「これを、朝昼晩と#木匙__きさじ__#一杯程度ずつ食べさせてあげてくださいな。のどの痛みも落ち着きますし、じきによくなるはずですわ。それから、ミントには解熱作用がありますから、子供は少し苦手かもしれませんけど、できればお茶にして飲ませてあげてほしいんですの。熱が続くようなら、また教えてくださいな」
アリシアはマリーに蜂蜜とシナモンを混ぜたものを渡して、ダナンの頭を撫でて「すぐによくなるから、大丈夫ですわ」とにっこりと微笑み、マリーの家を出た。
「……詳しいんだな」
次にペーニャの家に向かっていると、フリーデリックが感心したように言った。
「たまたまですわ」
フリーデリックに褒められると気恥ずかしくなって、それを知られたくなくて、ツンと取り澄ましてしまうのはなぜだろう。
ペーニャの家に行く途中で井戸に寄って、フリーデリックが新しい水をくみ上げるのを待つ。
太い腕は、軽々と深い井戸の底から水をくみ上げて、木桶を水で満たしていく。
大きな手は、剣を使うせいか、皮が厚いことをアリシアは知っていた。
彼の手に、何度捕えられたことだろう。
そのたびにアリシアは数えきれないほど絶望し――、そのうちその気持ちすら失っていた。
フリーデリックのあの手が怖かったな――、ぼんやりとさほど昔でもない昔を思い出していたアリシアは、ふとあることに気がついた。
いつも容赦なくアリシアを捕えに来たフリーデリック。しかし、そういえば半年前ほどから、彼の様子が少し変だった。
アリシアは、フリーデリックに手首をつかまれるのが嫌だった。痛いからだ。だが、半年ほど前からだろうか、そう言えばフリーデリックに手首を掴まれた時に、痛みを感じなくなっていた。
アリシアは自分の細い手首を見下ろす。
もともと細かったアリシアだが、使用人がいなくなってろくなものを食べていなかったせいか、もっと細くなっていた。
(……痛くないどころか、なんだか、手をつなぐように優しかった気がするわ)
それは、気のせいだろうか?
アリシアはフリーデリックの顔を見るたびに緊張で体が強張っていたので、今まで全く気にも留めていなかったが、改めて思い出してみると妙だった。
アリシアが逃げないとわかったから手加減してくれたのだろうか。よくわからない。
「どうした? まさか、腕が痛いのか?」
水を汲み終えたフリーデリックが、手首を見つめるアリシアに気がついて、さっと顔色を変えた。
「見せてみろ! ひねったか? だから荷物は俺が全部持つと言ったのに。そんな細い腕で重たいものを持っては駄目だ。その蜂蜜の瓶もかしてみろ」
残った蜂蜜の入った壺は全然重たくない。しかし、フォークよりも重たいものを持たせては駄目だとでもいうのか、フリーデリックがアリシアから蜂蜜の入った壺を取り上げた。
アリシアはあきれてフリーデリックを見上げた。
「そんなもの、重たくありませんわ。手首なんて痛めていません」
「いいから俺が持つ。その布も……」
「この布なんて、羽のように軽いですわ!」
「いや、羽よりは絶対重いぞ。やはり俺が持つ」
水の入った桶や薬草の束、蜂蜜の壺までもっているのにアリシアの持つ布まで取り上げて、フリーデリックは満足そうに笑う。
そんなことをされては、大切にされていると勘違いをしてしまう。
フリーデリックは、ユミリーナのためにアリシアと結婚しようとしているはずなのに――、これではまるで、本当にアリシアのことが好きなのかもと思ってしまう。
フリーデリックの笑顔に、アリシアは意地を張って荷物を持つと言えなくなってしまい、
「……騎士団長は、過保護……ですわ」
ちょっぴり文句を言うように、ほんのり頬を染めてつぶやいた。
☆
アリシアが怪我や病気の人を診て回っていると、噂を聞きつけた町の人が次々と集まってきて、結局、すべて終わったころには夕方になっていた。
途中で心配したジーンが簡単な食事を持ってきてくれ、休憩は挟んだが、それでも終わったころにはアリシアはぐったりするほど疲れていた。
だが、その疲労は決して嫌なものではなく、むしろやり切ったというすがすがしさがある。
「騎士団長も、お疲れさまでした。手伝っていただき、助かりましたわ」
帰りの馬車の中でアリシアがフリーデリックに礼を言うと、彼は首を横に振り、穏やかな表情をアリシアに向けた。
「君こそ、疲れたのではないのか? 動き回ったから疲労がたまっているはずだ。帰ったら風呂に入って、ゆっくりした方がいい」
筋肉をほぐしておかないと筋肉痛になるぞと言うフリーデリックに、アリシアは思わず笑ってしまう。
すると、フリーデリックがびっくりしたように目を丸くして、頬を染めた。
突然どうしたのだろうと首を傾げれば、フリーデリックは口元を手のひらで覆い、視線を落とした。
「……君が、楽しそうでよかった」
「はい?」
「そんな風に、笑ってくれるとは……思わなかったから」
アリシアはハッと頬に手を当てた。
(やだ、なんでわたし、リラックスして笑っているの?)
この地へ来てから、フリーデリックのアリシアへの態度が変わったとはいえ、彼のそばにいるとどうしても体に力が入っていた。少なからず緊張していたのだと思う。それなのに、アリシアは今、指摘されるまで気づかないほど自然と笑っていた。
楽しかったのは、事実だ。
人から必要とされて、感謝されて、喜んでもらえて、とても嬉しかった。
受け入れられた気がして、自分が「悪徳令嬢」と呼ばれていることを忘れるほど夢中になっていた。
さっさと死んでしまいたいと思っていたのに、今日、ここへ来て、まだ生きていてよかったと思ってしまった。
(すべて……、騎士団長のおかげなのよ、ね)
まだ、フリーデリックのことは素直に信用できない。心の中にはたくさんのわだかまりがある。でも、事実は事実として受け入れなくてはならないだろう。
今日、アリシアが幸せだと思ったのは――、フリーデリックのおかげだ。
「ありがとう」
そう思えば、自然と言葉が出てきた。
ありがとう。処刑を取り下げてくれて。町に連れてきてくれて。アリシアのすることに反対しないでいてくれて。――手伝ってくれて、ありがとう。
フリーデリックと結婚するつもりはない。けれど――、今日の感謝は、あなたへ。
本当に、素敵な時間だった。
アリシアはもう一度微笑んだ。
「今日、とても楽しかったですわ。久しぶりに生きている気がしました。あなたのおかげです」
フリーデリックは顔を赤くしたまま、ゆっくりと首を横に振った。
「違う、俺は何もしていない。すべて君の行動だ。……君は本当に、優しい人だ」
「それでも、わたしはあなたに感謝したいのですわ」
フリーデリックのことは、まだ許せない。でも、彼は彼自身の役目を全うしていたのだと言うこともわかっている。
突然手のひらを返したように求婚してきたことには怒っているが――、憎んでいるわけではない。
フリーデリックが嬉しそうに破顔する。
(ああ――、どうしよう……)
フリーデリックと結婚は、しない。
結婚式の前に死ぬつもりなのも変わりない。
でも、この人のことは心の底から嫌いにはなれないと――、頬を赤く染めてはにかんだように笑うフリーデリックを見て、思った。
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