町の人と交流します! 5
クララの診療所が思ったよりも大丈夫そうで、ホッとしたアリシアだったが――、事件は次の日の朝に起こった。
ふかふかのベッドの上で心地のいい眠りの中にいたアリシアは、バタバタという足音で目を覚ました。
なんだか、今朝は妙に騒がしい。
「……まだ、朝早いじゃないの」
カーテンの隙間から若干の明かりは漏れているが、まだまだ日差しと呼べるほど強くもない。ようやく夜が明けようかという、淡い光だ。
(なんなの、いったい……)
アリシアはのろのろとベッドから這い出ると、夜着の上にショールを羽織り、部屋の扉を開けた。
「ああ! アリシア様!」
アリシアが扉を開けると、すぐ近くにいたメイドが#箒__ほうき__#をさかさまに持ったまま立ち止まった。
箒をさかさまに持って、いったい何をしているのか。
アリシアがぽかんとしていると、メイドは慌てたように、アリシアを部屋に押し込もうとした。
「アリシア様! 大丈夫です! ここは、わたしたちがなんとかいたしますから、どうぞ、安心してお休みください!」
「……はい?」
「心配なさらないでください! 先ほど旦那様もお呼びしたそうです! じきに騒ぎは収まりますわ!」
「……なんの?」
「所詮十人そこら! すぐに追い払って見せます!」
「ごめんなさい、わかるように説明していただけないかしら?」
全然話がかみ合わずに、アリシアは頭痛を覚えた。
「え……、アリシア様、気づかれたから起きてこられたのでは……」
「だから、なににですの?」
アリシアが再び問えば、メイドはさーっと顔色を青くした。
途端にメイドはおろおろしはじめると、「わ、わたしは急いでいるので!」と、走って逃げていく。
(……なんなの、いったい?)
一人部屋の前に取り残されてしまったアリシアが茫然と立ち尽くしていると、「あらあら」という声とともにジーンがあらわれた。
「アリシア様、こんなところでどうなさいましたの?」
アリシアはジーンを見てホッとした。彼女ならば事情を知っているだろう。
「ジーン、なんだか騒がしいみたいだけど、いったい何の騒ぎですの?」
ジーンは困った顔をした。
「ご説明いたしますから、まず、着替えましょう。その格好で部屋の外にいるのはよろしくありませんもの」
アリシアは自分の格好を見下ろし、それもそうだと、ジーンとともに部屋に戻る。
顔を洗い、ジーンに手伝ってもらってシンプルな黒いドレスに着替えながら、アリシアはジーンから事情を聞き出した。
「え? 町の人が押し寄せているんですの!?」
「押し寄せているというほどでは……。数にしたら十人程度ですわ」
「十人でも充分多いですわ。いったいどうして……」
ジーンはふう、と息を吐きだした。
「それが、わたくしにも理由はよく……。ただ――」
「ただ?」
ジーンは言いにくそうに口を閉ざしてから、渋々と言った様子で続けた。
「彼らは、アリシア様を出せ、と」
ああ――
アリシアはジーンの言葉を聞いて、両手で顔を覆った。
(ここでも、なの……)
ここは大丈夫だと思っていた。アリシアが王女に害をなしたという噂は、ここまでは届いていないと思っていた。
町の人たちは優しく、アリシアを温かく迎え入れてくれたと思っていたのに。
(どこにいても、結局は同じなのね)
アリシアは泣きたくなる。
きっと誰かが、アリシアの噂を知っていたのだろう。
噂が広まるのがどれほど早いか、アリシアは痛いほど知っていた。
アリシアが悪徳令嬢と呼ばれていることを知った町の人たちは、アリシアをこの地から追いやるために来たに違いない。
アリシアが顔を覆ったまま動けなくなっていると、ジーンがアリシアをぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫ですわ! フリーデリック様が人々を説得しに向かいましたもの。じきに収まります。アリシア様は何も気になさらなくて大丈夫なのですわ!」
「でも……」
アリシアはきゅっと唇をかむ。
一か月だけ、自由がほしかった。でも、こうなってしまっては、アリシアがいるとみんなに迷惑がかかる。
(やっぱり、この世界で生きていたらだめなんだわ……)
アリシアは顔をあげると、大きく深呼吸をした。
城のみんなや、フリーデリックに迷惑はかけられない。
「ジーン、町の人が来ているのは、城の門のところかしら?」
「え、ええ……、門は閉めていますから、正確には門の外ですけれど……って、まさかアリシア様、向かうつもりですか!?」
驚愕に目を見開くジーンに向かって、アリシアは一つ頷いた。
「行くわ。だって、わたしのせいだもの」
アリシアは震える手をきつく握りしめて、ジーンに向かって「大丈夫よ」と無理やり笑顔を作って見せた。
☆
――フリーデリックはイラついていた。
空がようやく白みはじめた早朝、何やら城の外が騒がしいと思って目が覚めたフリーデリックが部屋の外に出ると、ちょうど従僕が血相を変えて走ってくるところだった。
「旦那様! 大変です! 町の、町の人が門のところに押し寄せてきました!」
「なんだって!? どういうことだ!」
「それが……、アリシア様を出せと、大騒ぎなのです……」
従僕は額の汗をぬぐいながら、「もしかしたら、アリシア様の例の噂を聞きつけてこられたのかもしれません……」と告げる。
フリーデリックはチッと舌打ちをすると、一度部屋に戻り、手早く服を着替えると、ベッド脇に立てかけていた剣を取った。
「門は絶対に開けるな! それから、アリシアには絶対に知らせるな! きっと、耳にしたら落ち込んでしまう」
「わかっています! 門のところには門番たちがいます。私はほかの者たちを起こしてまいります!」
それがいいだろう。兵士でもない町人くらい、フリーデリック一人でどうとでもなるが、もしも暴れられた場合、彼では手加減ができない。
まだこちらへ引っ越してきたばかりで、使用人たちもそれほど多く雇っているわけではないが、それでも人数で太刀打ちできないとわかれば、町人も一度引いてくれるかもしれないと思ったのだ。
フリーデリックはアリシアを守るためならどんなことでもすると決めているが、できれば町の住民を傷つけたくはない。アリシアも望まないはずだ。
(とにかく、アリシアが起きてくる前に、早く追い返さなくては。アリシアはきっと傷ついてしまう)
フリーデリックは焦燥に駆られて、階段を駆け下りると、広い庭を走り抜ける。
門までたどり着けば、閉められている頑丈な鉄格子の門を挟んで、集まってきた門番や使用人と、町人とが言い合いを続けていた。
「いいから、アリシア様に会わせてくれ!」
「だめに決まっているだろう! だいたい何時だと思っているんだ!」
「俺は急いでいるんだ!」
「そうだよ! あたしも急いでいるんだよ!」
「あんたらじゃ話にならないんだ、とにかくアリシア様を呼んでくれ!」
「だから、駄目だと言っているだろう!」
フリーデリックは剣を握りしめたまま、眉を寄せた。
予想していたのとは、どうも雲行きが違いそうだ。
「……何の騒ぎなんだ?」
フリーデリックが門番たちのうしろから声をかければ、彼らの視線が一斉にフリーデリックに向かった。
「旦那様! こいつらがアリシア様を出せって」
「領主様、この人たちがアリシア様に会わせてくれないんだよ!」
「とにかく、いったん落ち着いてくれ。まず、説明を――」
「ああ! アリシア様だ!」
フリーデリックが説明を求めたそのとき、町の人の一人が声をあげた。
まさかと思って振り返ると、アリシアがちょうど城の外に出たところだった。
(どうして、アリシアが……)
起こすなと言ったのに。知らせるなと言ったのに。
フリーデリックが愕然とする中、アリシアがゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
その表情はどこか強張っていて、フリーデリックは彼女に駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られた。
しかし、フリーデリックが抱きしめようとしても、アリシアはきっと拒絶するだろう。
城へ戻れと言っても、彼女はきっと聞いてくれない。
フリーデリックはただ、彼女がこちらへ歩いてくるのを見守ることしかできないのだ。
「何の騒ぎですの?」
フリーデリックは、アリシアの語尾が微かに震えていることに気がついた。美しい紫色の瞳が、不安そうに揺れている。
彼女を抱きしめたくても抱きしめられないフリーデリックは、拳を握りしめて彼女を見つめた。
もしも――、誰かがアリシアの心を傷つけることがあったら、絶対に許さない。
そんな思いで口を引き結んでいると、町人の一人が門の鉄格子を握りしめて叫んだ。
「アリシア様! 子供が熱を出したんだ! 助けておくれよ!」
「―――は?」
フリーデリックは思わず耳を疑った。
門番や使用人も唖然とする中、アリシアが驚いたように目を丸くする。
フリーデリックは町人とアリシアを交互に見やって、もう一度言った。
「はあ?」







