fuga
【公園:雨】
趣とは生命の判定で、命とは濃淡だろうと雨に問いかける。
同じように高尚かどうかは生きることそのもので、そうでないと落第する。
諸行無常、盛者必衰で、高潔の維持は難しい。
眠りでグラデーションの波に乗り、生命の板を外した時、サピエンスは重い軽いを越えるだろうか。
フィクションが生み出した遊びは、いつしか死を取り入れるのか。
雨のずっと向こうから、呼び声が聞こえる。
【公園:晴れ】
日本の人口が一億二千万人を下回った今年、小学五年生の自分と言えば広田小学校の友だちとどんぐり公園でサッカーをしている。こんな昼間の空き地のような公園に、同い年の友だちが十人も集まるのだから、人、時間ともに紛れもない財産だなとしみじみ思う。
「おい、フー!パス!」
呼ばれたケンにパスを出す。ケンはドリブルで一人二人をかわし、裸足で狭い公園を駆け抜ける。ゴール前、勢いよく振るケンはボールを空振り、反動で頭からすてんと転んだ。そのせいでただでさえ破れまくっている体操着が、砂と汗を含んでめちゃくちゃになっている。自分たちはケンの元に集まり、みんなで一緒に大笑いする。
このどんぐり公園にはまだ木の実こそ落ちていないけれど、服装色とりどりの友達が一つに集まることで、彩り豊かな秋の味覚のようなものを感じた。
「うるさい!」
大人の甲高い声が響く。細長い公園の横腹部分と隣接するマンション二階のベランダ、四十代くらいの主婦がこっちに睨みを効かせて叫んできた。
微笑めば優しそうな顔をした主婦は背中に二歳くらいの女の子を背負っていて、その女の子は泣いている。反対に自分たちは黙り込んだ。主婦が何かぐちぐち言う間、ケンは下を向きながら自分に不満を言いたげそうにしていた。
「しゃーねーよな。校庭使えねーもん」
「ここしかサッカーできないからね。駐車場はごめんだし」
自分たち子供が遊べる広場は近くでここしかない。小学校の校庭にあった大きなすべり台も駐車場にするとかでどこかに移設するらしい。このご時世遊び場自体が貴重だ。大人の人たちには大目に見てほしい。
主婦が自室に戻り、程なくして掃除機のかかる音が聞こえてきた。主婦は子供たちにその意図を理解してもらえると思ったのだろうか。人の行動はたまに合理性を欠くのだなと昇華する。
「そろそろ僕、塾」
「塾なんてやめちゃえよ、読み書きできたらいいじゃねーか。なあ、ヨー」
ランドセルを背負おうとするヨーの服の裾を、汚れた手でケンが引っ張る。自分は勘弁してほしい。
少しずつ日が暮れて来たこともあり、ケンと自分を除く他の友だちはそれぞれ帰ってしまった。
「また破っちった」
ケンが掴んでいる擦れに擦れた体操ズボンは、右お尻を白く輝せている。
「さすがに買いなよ」
「んーまあ、まだ着れるしな」
熱く熱した公園の椅子に、自分とケンは腰掛ける。
「レアルの試合、見せてーな」
自分はスマートフォンをケンケンの顔の前に用意する。唐突ながらもこのやりとりには慣れている。だからディスプレイに反射する日光を、独特な手首の角度でしのぐ術も心得ている。
サッカーの名門、レアル・マドリードの試合ダイジェストには、日本人選手が映っている。
「俺もクボみたいに上手くなって金持ちになりてーな。フーにも好きなもの買ってやるからよ」
「ならケンのクラシコ、特等席で観せてよ。グッズも買って世界中継のカメラに向けて宣伝するから」
「みんな俺のグッズ買ってくれたら、俺大儲けだな。とーちゃん喜ぶだろうな」
ケンはにたっと笑う。この欲求は卑しいからではなくて、家庭内の経済的な事情から生まれた純粋な欲求だということを、これまでのケンとの付き合いで十分に知っている。ケンのような子供が夢に不自由にならない枠組みがあればなと思う。なのに低所得世帯から発生する子どもの貧困に対する支援例はいまだに少ない。またこの自治体に限って言えば、走り回れる公園そのものが少なく、スポーツクラブもなぜかちょっといい値段がする。だからケンのように、体操服が一張羅のままサッカー選手を夢見て裸足で走り回るしかないという、ご時世らしからぬ不足が起こってしまう。
昔、ケンに、
「弁当わけっこしようか」
と言ったところ、
「とーちゃんの作る弁当でお腹いっぱい食べるから幸せなんだ」
と言って断った。経済的な貧困は心の貧困を生むと誰かが言っていたけれど、ケンの家庭に関してはそんなことない。自分が受けた精神的な学びはむしろケンからいただいたものが大きい。
だからこそ、自分はケンにサッカー選手になってほしい。心とカネが貧困で結びつく世の中に対する豊かな活動家として。もちろん純粋にスポーツを愛する子供のままの大人として。
自分はこの後のケンのルーティンを知っている。
「そろそろ帰るね。サッカー、がんばれよ」
「オッケー。俺もうちょっと練習するわ。じゃあな」
一策講じて自分は、自室のパソコンに向かおうとケンに背を向ける。テンッとボールを蹴る音は乾杯と叩かれた牛乳瓶の音のように軽やかで気持ちがいい。
この音が翌日も夕方に鳴れば、誰かが犠牲になることはない。
【公園:晴れのち曇り】
あそぶとは何か。
あそぶを動物的な発達過程と結びつけるなら、それは発達心理学あたりから言葉を借りたら済む。
だけども言葉としてのあそぶとは、それだけの意味では収まりきらない。
あそぶには、娯楽や弄ぶなど、ある中でゆとりを持たせて楽しむという意味がある。仕切りを与えられた自由であって、その自由こそが生存的欲求を超えた高次の人間活動を支えている。サピエンスがフィクションを共有することで人類史を勝ちとったなら、あそびは人類史の産物であるフィクションの一つなのかもしれない。
つまりあそぶとは、人間として生きるためのバロメーターだ。あそびが規制されていくのならそれは、生命をも壊すきっかけになる。
だから突然どんぐり公園の入口に立てられた「サッカー禁止」の看板は、五分後にくるケンの豊かさを奪うだろうと思った。
誰かが駆け足で寄ってくる音が背後から聞こえる。知らないフリをするわけにも、これ以上看板を見られるわけにもいかなく、ただそれがケンでないことを祈ってその場に居続ける。
「どうした風雅?サッカーは?」
先に来たのがケンではなく、同じサッカー友だちのヨーだったことを知って、親に呼ばれたような安心感を感じた。
自分のことを風雅と呼ぶのは、サッカー友だちの中でヨーしかいない。誰かに風雅と呼ばれる度に、自分は自分と母親を探している。
風雅という名前は亡くなった母親がつけた。昔どうとくの時間「名前の由来を聞いてみよう」というプリントを埋めるためそれを親に渡すと、母親の字でこう返ってきた。
「名前とは指針のようなもの。あなたが生きる方向性を失いそうになった時、言葉がそれを探せるようにしよう。それでいてその言葉はあなた自身で調べるように、つまり自分の力で見つけられるようにしよう。そんな想いで、熟語がそのまま名前になる「風雅」という名前をつけました。自分の力で見つけてと願ったにも関わらず風雅にヒントを託したのは、ちょっとした親心からきたわがままです。」
プリントを渡した数日後、母親は突然交通事故で亡くなってしまった。雨の日だった。
あの時のプリントが今では遺書のように感じるものだから、学校にはいまだに提出していない。
いつしか風雅とは何かという言葉への好奇心が、自分とは何かというアイデンティティーの確立に移り、そこに母親の姿を探していた。そして同時に、生きることへの疑問にも繋がった。生きることが命への肯定なのか。そうだとしたなら母親の精神としての命も死んだと認識されるのか。
いつも、もっと分かりやすい名前をつけてくれたらいいのにと思う。風雅と調べても辞書は誰か貴族の趣を物語るだけで、生き方は何一つ教えてくれない。
そんなわけで自分でも知らない内にあらゆる書物を読み耽った結果、ご覧の通り、私「風雅」という年齢らしからぬ人格が形成された。
そんな話を唯一打ち明けた相手が、クラスで一番懇篤なヨーだった。
「その答え、一緒に探して行こう」
一緒に差し出してくれた右手は、何よりもしなやかで温かかった。
「ああ」
看板を見たヨーは自分にゆっくり頷いてみせた。自分もヨーに頷き返す。
ヨーはえんじ色、自分は黒色のランドセルを下ろした。阿吽の呼吸でその看板を二人で持ち上げる。たてつけの悪い看板は草むらの陰に移った。
長期的には看板を動かすことが、サッカーの場所を確保することに繋がらない。いつか新たな指摘が入って、公園の入口は堅く閉じられてしまう。だから一日持てばいい。その内に昨日自室で作った「サッカー少年を応援してください」のビラを、どんぐり公園周辺のマンションのポストに投函したらいい。
「よし」
ヨーは手で服をはたき、もう一度ランドセルを背負った。
何人の小学生がこんな風に事態を瞬時に飲み込み、罪を背負ってでも愛を貫くことができるのか。至純なヨーになら、自分は喜んで爪牙となろう。
はたいた服にはぼんやりと血が滲んでいた。ヨーは看板で指を切っていた。それでもヨーの目はさっきと何一つ変わらない。
「見ろよー!とーちゃんに買ってもらったんだぜ」
ボロボロの体操服に新しいスパイクを履いたケンが、ニコニコとボールを蹴りながらやってきた。硬いスパイクにKと刺繍が入っている。
「ん、ヨーまだランドセルしょってんの。はやくやろーぜ」
「ヨーちゃん、今来たばっかだからさ」
「うん」
次第に他の友だちもぞろぞろ集まり、サッカーは始まった。ヨーはいつか没収試合の笛が吹くかもしれない中で、楽しそうにボールを蹴っている。その自然さに、もしかしてヨーは注意や責任を楽観して捉えられる子なのかと錯覚する。だけどそんなことはない。ヨーは自ら新しく看板を立てた草むらに近づけていない。口うるさい主婦が住む近くにも近づけていないのだ。ヨーの育ちの良さは確実に本人を圧迫している。それでもヨーはケンのために、変わらずサッカーをしている。
サッカーをしよう。
自分は、空いた主婦が住む近くのスペースにパスを要求した。
「こら!サッカー禁止って書いてるでしょう!」
金切り声がサッカーを強引に止めた。自分とケン以外はその声に肩を竦ませる。どんぐり公園の横腹、二階に住む主婦が目を釣り上げてこちらを見ている。素直にもその目にケンは自分の目を合わせ返す。
「禁止。禁止なのにやっちゃだめでしょう!」
「そんなん書いてねーよな」
「そこに書いてるのが分からないの!」
主婦が指した公園の入口には何もない。それは草むらにある。主婦は少し驚いて、また怒り直した。
「誰がそこの看板をどけたの。名乗りなさい」
自分は一歩踏み込もうとする。
だけどもヨーは、隣にいる自分のみぞおち近くに右手を添えて、しなやかに制した。
「はい自分です。日吉風雅です」
「日吉さん、広田小学校ね、先生とお母さんに連絡するわ」
「はいすみません。みんなに内緒でやったからみんな知らなかったんです。どうしても自分が遊びたかったから」
「悪い子ね。電話するからそこで待ってなさい」
主婦がベランダから自室に戻るタイミングで、みんなを帰らせようとする。
そんなシミュレーションをヨーが怒られている前で自分に置き換える意味はない。
自分より早く名乗りを挙げたヨーは先生からの罰を約束させられた。その猶予に自分とケンたちを逃そうとした。ケンは「俺は知らねーんだからばーさんが悪い」と門違いなことを言い残ろうとしたから、自分が制した。代わりに自分が残ろうとした。生きていることが疑問の自分は、人から怒られることのダメージがはるかに緩い。けれど、結果的にヨーから言われた「ケンをよろしく」の贖宥状に甘んじることになった。
ケンは怒っていた。
「お前も止めんなよな。あのばーさんがわりーんだよ」
何も言えない。ヨーの高潔さを汚すわけにはいかない。
自分も怒りをぶつけたい。あの主婦は「うるさい」と言わず「禁止だから」と言って、理由を個人から集団に転換した。どんぐり公園は環境のお為ごかしにつくられた提供公園だった。住民が管理会社だの役所だのにしつこく連絡を入れれば、立て看板の一本は用意してくれるだろう。先に建前を作り、後に力を正義とする。それがいかにアンフェアか。禁止だからやってはいけないというのもいただけない。禁止には歴史が必要だ。民主主義国家が私欲めいた突貫工事の立て看板に強制力を持たせたらいけない。
だからといってあの主婦はヨーが庇った背景を知らない。それを加えての怒りはどうしても主婦に不公平だった。今の自分にそれを別個に分けて怒ることはとても難しい。だからぐっと堪える。
ケンの怒りが収まると、今度は悲しい顔をした。
「これからサッカー、できねーんだな」
次の日の放課後、ヨーは職員室で反省文を書かされていた。
反省文に書かれた名前がプログラムみたく自分に変えられるならいいのに、と思った。
【公園:曇り】
ヨーが反省文を書かされている間、自分たちサッカー組はロビー活動を始めた。
自分とケンたちはどんぐり公園の周りで、近隣の住人や歩行者に「練習場所のないサッカー少年に公園を!」のビラを配りつつ署名をもらう。
まだまだ秋の日照りは強く、汗でカラーコピーのビラが別の色に滲んでしまう。
ケンは昨日からずっとサッカーができないことに落ち込んでいた。けれど次第にビラ配りを楽しむ様子が垣間見れて、少し安心していた。
そろそろ休憩しようと公園の反対側にいるケンに声をかけようとする。
「邪魔」
大学生くらいの男がケンに冷たく言い放ったのを聞いた。
男がケンの横を自転車で通り過ぎていく。あわてて自分はケンに駆け寄り、背中を覆うように手を置く。ケンの表情は重力に負けている。
「あんまり気にしなくていいよ」
そんな言葉だと暗く落ち込む一方なはずだから、もう一言つけ加える。
「クリロナも昔、よく言われてたらしいし」
そう言うと、重く垂れた眉も少しずつあがってきて、
「俺クリロナと一緒なのか、じゃあきっとうまいこといくよなー」
と返ってきた。元気が少しでも湧いてよかった。それは良かったけれど、こう正面と「うまいこといくよね」なんて言われると、この活動の作戦を見直してみたくもなる。一応吟味したつもりだけれど、念のためスマートフォンのメモを確認する。それをケンも覗こうとするものだから、いつも通り手首をガチョウのように曲げて影を作る。
```
# ケンのサッカー場所保護計画
## プラン1
中学校、高校といった教育機関に運動場の利用を打診する
### 問題点
辺りに年上がいることによるケンの心理的負担
常に運動場が部活動で使用中なことから空きであるという見込みの少なさ
## プラン2
ソーシャルメディアによる呼びかけを行う
### 問題点
ソーシャルメディアを頼ることによる必要以上の影響力
## プラン3
公園でサッカーをさせてほしいというロビー活動を行う
### 問題点
即効性のなさ
「他の子供たちにも平等に公園を使ってほしい」という大義名分相手に誤解を解けるかどうかという確証性
## プラン4
PTAや教育機関に意見書を提出する
### 問題点
現時点での自分たちの社会的影響力の乏しさ
## わかったこと
どのプランを採るにも世論を身に付ける必要がある
→ プラン3が今後の戦略の拡大に適している
## 戦略
1. プラン3を実行する
目的:世論を獲得する
手法:ビラを配る、署名をもらう
蛇足:重要なのはビラの枚数ではない。子供たちが外で懇願している姿を見せ感情に語りかけるようにする
2. プラン4を実行する
目的:サッカーの場所を確保する
手法:PTAや教育機関に意見書を提出する、味方となる大人に連れてもらう、一定の指示があるという証拠である署名を提示する
蛇足:子供には感情を、大人と証拠には論理を担当してもらうことで、人を動かす
```
実行中のプラン3は予定通り。大義名分に関しても、どんぐり公園は他の子供たちが使う様子も使おうとする様子もないのが実態だ。その辺りは常にヨーと気を配って見ているつもりだから、アカウンタビリティは満たせると思う。
「何書いてるかは分かんねーけどさ、フーってすげーよな」
「そう?習ってない漢字使ってるからかな」
「おう全然わかんねー。この文字とかよ、なんて読むんだ」
ケンがディスプレイをタップする。
「だそくって言うんだよ。言葉をつけ足したりする時へりくだるために使う」
「またわかんねーの使って。急にヘビがくだるのかよ」
「へりくだる。えらい人とかに気をつかうって感じの意味」
「ん?じゃあなんで一人で見るメモに気つかってんだ」
言われてみればそうだ。心理的には見られた時の相手への警戒心と、誰かにみてほしいというエゴが表れたといったところか。それともあらかじめへりくだることによって、見返した時の自分とのスナップショットを作っているのかもしれない。帰ったら調べてみよう。
「何にやにやしてんだ。もしかして、そのだそくとかへりくだるってやつ、本当はエロいやつじゃねーよな」
「そこまで言うなら調べてみる?」
「まじ!フーのスマホ、エロの制限かかってないのかよ!」
ケンはスマートフォンをぶんどり、すけべな顔で「蛇足」と調べ出した。数秒経った後、しなびた顔をしてスマートフォンを自分に返した。
「どうだった」
「わかんねー言葉の説明に、わかんねー言葉が使われてた」
「おめでとう、一つ賢くなったじゃないか。エロの力は偉大だ」
少しずつケンは元気を取り戻してきたようで、今では表情豊かになっている。
「そういやこの前も似たようなこといってたな。だそくすいみんだっけ」
「多層睡眠か。ああやって授業合間に遊ぶのが好きでさ」
自分は仕切りのない世界に執着していた。自分が「生きている」ことで、母親が「死んでいる」ことをくっきりさせているからだった。その疲れを回数多く取ろうとすることが、多層睡眠との相性をよくした。ある日たまたまそれを知って、授業の合間で試してみた。そしたら意外にも睡眠というものは一次関数で、綺麗なグラデーションなんだと知った。そこには「起きている」と「寝ている」とが共存していた。死を睡眠に重ねることで、やわらかい母親の手にも届いた。
あるいは仕切りを否定して同一性を確保するために、生命がフィクションに過ぎないという概念に執着していた。唯一の人類である自分たちサピエンスは他人類と比較できないのだから、そんな自分たちだけが共有できる正確性とやらに、どうか神様には冷ややかに笑っていてほしかった。
「何の話してるん」
と他のサッカー友だちみんなが、それぞれ役目を終えてどんぐり公園に集まってきた。
「俺、今日からタソースイミンやるんだぜ」
「なんだそれ。なんかかっこよさそうだな、明日みんなでやろーぜ!」
「みんなでやるもんじゃないよ」
自分が学校でやっていることは、なぜかたまにクラスで流行る。「多層睡眠だ!」と言ってクラスのみんなが教室で寝ている風景はどうしてもクスッとくるだろうけれど、それをもし自分と同じ理由でやるのなら、その終末観は笑い事じゃない。
みんなが公園の前で多層睡眠について騒ぎ立てる中、ケンは一足早くお喋りをやめていて、おなじみのマンション二階を見ていた。他のみんなは遅れてそれに気づき、また怒られるだろうと高を括る。だけども、視線の先には女の子を抱いた主婦が電話をしながらこっちを向いていて、ただ変な笑みを浮かべているだけだった。いつもは分厚い窓とともに外側の遮光カーテン、内側のレースカーテンどちらも閉まっているのに、今日はなぜか遠慮なくリビングが晒されている。
「なんか、さっきのフーみたいにニヤニヤしてるぞ」
ケンケンを無視して、耳を澄まし、何とかその会話を盗もうとする。
「はい、子供たちも喜ぶと思います。…いえいえ。私にも娘がいますから…子供たちの明るい未来を想ってのことです」
主婦は電話を切ると、自分たちに一瞥を送ってようやく窓を閉めた。
「なあケン、あそこの窓ってケンが見た時から開いてたかな」
「えっ、どうだっけなー。でも窓が開く音聞こえたような気がしたから俺、振り向いたぜ」
自分たちサッカー少年を確認してから窓を開けた。ということは、みんなに会話を聞かせかったのかもしれない。
だとすると、さっきの言葉の意味はなんだ。
「子供たちの明るい未来を想って」。ビラの効果が主婦にも届き、寛大になった姿を見せたかったのだろうか。それにしては不敵な笑みをしている。
何か嫌な予感がした。
それから三週間がたった。
【公園:曇りのち雨】
学校終わりのホームルーム、プリントが配られた後、みんなで一目散に走ってどんぐり公園に向かう。着いた公園のど真ん中、そこは工事中になっていた。
みんなが呆然と立ち尽くす。
ケンの右手でぐしゃぐしゃになった学級通信『あおば』には、こう書いてあった。
「子供たちの遊び場がより豊かになるよう、移設予定の広田小学校のすべり台をどんぐり公園に設置することにしました。子供たちの未来により一層を尽くします。」残る文章とともに写っているのは、あの微笑めば優しそうな顔をした主婦の顔と、その下にあるPTA会長三沢靖子の名前。
立てつけ悪い「サッカー禁止」の看板の向こう、バリケードの奥、光が雲に覆われているどんぐり公園ほとんどのスペースに巨大なすべり台が立とうとしていた。鈍い光が余計に禍々しさを感じさせる。自分にはこのすべり台が動きかけの巨人に見えた。
大人は気づかないのだろうか。簡単に指をも切ってしまう看板の鋭さが断頭台になることを。巨人が子供を潰すことを。
「サッカーなんてどうでもいいんだ」
蕭々とした中、ケンが言い放った。表情、声、どれも不安定な状態で、どの心がケンの中で勝っているのか、まるで分からない。
ポツポツと、暗い空から雨が降り出した。
「どうでもいいわけ、ない」
言い返したのはヨーだった。相手と反対のことを言うのは、自分が聞く限りこれが初めてだった。その変則さがケンの怒りを爆発させたのかもしれない。
「俺の気持ち、お前たちにはわかんねーだろ!」
ケンケンは公園を飛び出そうとした。
公園と道路の境界線を越えた先に、一台の自動車が走るのが見える。みんなが「危ない」と言うよりも前に、ヨーはケンを引っ張った。間一髪自動車はケンの横を通り過ぎ、走り抜けていった。
一瞬、生死のグラデーションを感じた。
ゼーゼーとケンの喘鳴が公園に広がる。ケンの身体の声を聞いて、なぜか自分自身に虚しさを感じていた。ケンへの心配すら忘れてしまうくらいの大きな虚しさだった。
「どうせ俺は邪魔だ」
ケンはヨーにお礼も言わず、帰っていった。
それからどうしようもなくなって、みんなも帰っていった。
「ごめん」
最後の二人になったヨーもそう自分に言い残し、塾に向かった。
自分はずっと公園で立ち尽くすしかなかった。
あの時気づいてしまったから。自分の身体はケンよりも軽いことに。
生に対する執着の弱いことが虚しかった。喘鳴に共感で応えられなかったことが虚しかった。命は精神だと、生命は単なる判定ではないと、そう風雅なる心で騙していたのに、身体が虚しさを知ってしまった。
今まで人の名前はサンプルプログラムだと妄想することで、身体が壊れることを回避していた。名前はいつでも入れ替え可能、どんな名前でも無事機能すると信じることで、不釣り合いな言葉の重荷に逃れていた。でもそれは同時に、母親から与えられた生きる指針を否定することでもあった。命のラベルに過ぎない名前は、いつしか身体をも制御して重くのしかかっていた。いまでは名前のラベルに成り下がってしまった命が、サンプルプログラムとして動こうとしている。
名前は身体に、身体はグラデーションに堕ちた。生命を行き来する身体は勝手に命を残して、それをどう使おうか考えあぐねている。もう身体は一回限りのギフトカードになっている。どこで使おうかと逡巡し、使う時に幸福と終りを感じようとしている。
頭の中で何かが完成した。機械的に帰り道へ向かう。
着せられた衣服が、小雨に負けて墨染されていく。
【公園:雨】
移設工事はものの数日で終わって、想いの詰まったどんぐり公園の姿は、見事に変わり果てた。雨足は強くなって雷雨に変わる。
夜一人で来る公園は、暗い世界のRPGのようだった。そこには、バリケードが解かれた巨人がそびえている。
「巨人よ。雨の中、子供のいないどんぐり公園で、何を守っているんだ」
「知っているはずだろう。子供だ」
「子供を守っているなら、どうして」
「本当は知っているのだろう。お前たちが本当に守りたいのは、場所ではなく居場所だと。変わりないのだ。お前も大人も」
「そんなことない」
自分も薄々気づいている。いつしかサッカーの場所としての公園が、自分たちのための想い出のシンボルに投影されていた。それを誰よりもケンは知っていたのかもしれない。もしみんなが楽しく遊んでいる日々こそがサッカーより変えがたいと伝えたかったのなら、あの「どうでもいいんだ」の一言にどれだけの深みがあったか。
「お前一人が守りたいものも知っているぞ。卑怯よな。お前の私欲は、お前が民主主義国家に持たせてはならないと考えていた、そこにある断頭台と同じだ」
「巨人に何がわかる」
「ならば剣を振ってみろ。どの道思うままよ。子供の明るい未来を勝ちとるため、アナコンダを下らせたリンカーンに成るがよい」
耳を貸さず、そびえる相手に登りかかっていく。剣として携えているのは、遊具による事故だ。国土交通省の『都市公園における遊具の安全確保に関する指針』には「生命に危険を及ぼす、重度又は恒久的な障害をもたらす、身体の欠損を引き起こすなどのおそれのある物的ハザードは、早急に取り除く。」と書いている。
ただ遊びの途中、重力に負けてしまったらいい。
巨人の肩の上に立った。どんぐり公園の頂上、水浸しのすべり台。入口に向いた滑走台を頭の後ろにして、傾斜のついていないギリギリのところに直立する。
未必の故意に命を託すため、半ば瞑想のようにレイヤーのない多層睡眠をイメージし、目を閉じる。
無にたどり着くまでの間、思念がしばらく漏れてくる。
趣とは生命の判定で、命とは濃淡だろう。
同じように高尚かどうかは生きることそのもので、そうでないと落第するのだろう。
母親が亡くなったあの日から、皮肉にも名前は受け入れるのものではなくなっていた。書物や問答から言葉の意味を探そうと演じていたけれど、意味なんて初めから知っていたのだと思う。風雅とは自分たち東洋人の命そのものであって、風雅を肯定することが母親の命を遠く感じさせていたし、風雅を否定することが母親の寵愛した命を否定するように感じさせていたということを。自分は疲れてしまった。だからこんな未必の故意に命を預けた。それは全然、ケンやヨーのためではない。だからこそ形では高潔に、行いでは卑劣にしてバランスをとっていたのかもしれない。
身体が速度を感じる。心は思ったよりも穏やかだった。苦しんだろうと考えていた母親の交通事故は、意外にもあっけなく母親の生をさらったのかもしれない。
凄まじい勢いで頭が叩きつけられる。鈍痛に行儀悪くも悲鳴をあげてしまう。最後の最後でも高潔を維持することはできない。
そこに運悪く、立てつけ悪い鋭利な看板が身動きがとれない身体の前で倒れる。
いやだ。
命の板が外れる。看板は自分の首をはねた。
強烈な痛みの中、公園が自分の頭をどんぐりのように転がせる。感じたことのない視界の回転に気が狂いそうになりながら、身体のない自分の頭が向かった先は道路の向こう。
やめてくれ。
自動車は気づかずボールになった自分をはねて、えんじ色の血を流しながら天に昇っていく。
そうか。フィクションが生み出した遊びは、死をも取り入れるのか。
ようやく痛みが分からなくなって、意識が消えていく。
まどろみの中間で、何か声が聞こえる。
「起きろ!フー!」
寝ぼけ眼で声のする方を向く。そこには大雨の中、ケンが一枚の紙を広げていた。それが何か、自分は一瞬で把握する。
母親が遺した遺書代わりのプリント。堕ちてしまった身体なき命が持つ、最後の仕切りだった。
足元もおぼつかない立ち寝から強烈に目が覚め、母親の遺書に手を伸ばす。
その瞬間、水を弾いた鉄板に脚を掬われる。ケンの伸ばした手にも届かず、身体が銀色のレーンに命を引きずり込む。
無機質な三途の川に全身がのまれ、頭から滑走する。再び命は生から死へ一気にグラデーションする。
今度はこの速度に恐怖を感じた。
やめてくれ。
身体が落ちる中、巨人は最後に語りかけてくる。
「川に流れる枯葉よ。みる者が侘びだ寂びだを感じようとも、お前の命は元より木に依りぬ。流れに身を任せるが良い。母は侘び寂びによって亡くなったのではないの。・・・わがまま言ってごめんなさいね」
巨人であったはずの声色が、少しずつ母親になって、優しく自分に問いかけてくれている。
心の中の巨人が連れていったくれた死の誘い。彼が恐怖を疑似体験させてくれることで、自分は生きることを願った。そして生きるようにと母親の柔らかさが自分を包んだ。それははっきりと共存していた。今、自分と母親のグラデーションの両端には、どちらも二人がいるように見える。
いつしか引きずり込まれるように感じていた銀色のレーンは、自分を優しく抱えているような気がした。このまま身体ごと流れに身を任せてもいいんだと、母親の言葉によってなぜか絶対的に信じられた。身体が勢いを加速させたこの頭だって、何か柔らかい愛に包まれると。
水を含んだ土砂が削れる音。
頭の下にはえんじ色のランドセルがあった。あたりには教科書が散在してびしょ濡れになっている。
隣ではヨーがゼーゼーと喘鳴をあげていた。それでも膝に手をつかず、自分に手を差し伸べてくれている。
掴んだ手は、やっぱりしなやかで温かい。
「間に合った」
涙が出そうになったのをこらえる。二人にしっかり謝る必要がある。
「ごめん」
「これ、持ってくるの大変だったんだぞ」
とケンが出したプリントは、広げることもできないくらいにびしゃびしゃになっている。
「雨の中、探しに来てくれてありがとう。みんなのことも許してくれて」
「べつに。許してるって言ったわけじゃねー」
恥ずかしそうにしながらそっぽを向く。
「それに、あいつが言ったんだ。『一緒に風雅を探しに行こう』って」
不意打ちだった。そうか、ずっと探してくれていたのか。あの日以来かれていたはずの涙が抑えきれない。それを雨がさらっていく。
雨が降っていること、今では幸せに想う。
そんなヨーは、自分とケンをただただ見守っている。温かい目を向けるだけで特に何も言わない。
恥ずかしさを埋めるのにちょうどいいかもしれない。自分はヨーにどうしても聞きたい質問を一つしてみた。
「どうして企んでるの、気づいた?」
「毎日授業合間に寝るの、風雅にとっては遊びなはず。でも今日、寝ていなかった」
そこに「わかった!」と言ってケンが会話に割り込む。
「あそび抜きに企んでっから、からだがあそぶよう勝手に公園に向かったんだよ。なあ!」
「そうそう」とヨーが頷いてケンの機嫌をとるのを優先する。それじゃあまるで答えになっていない。
【公園】
六年生になった春、自分たちはどんぐり公園で風子ちゃんとサッカーをしている。
ロビー活動の写真は、ケン一人の姿から、自分たちみんなと風子ちゃんの笑顔に切り替わっていった。
三沢靖子が本当に求めていたのは、自分たちサッカー少年に対する憎しみではなく、娘風子の健やかな未来だった。
風子ちゃんはサッカーが好きなのに先天性で脚を悪くしていたから、しばらく安静にさせられていたらしい。だから靖子さんはサッカーをする少年が見ていられなかったのかもしれない。
靖子さんから娘を奪うのでなく、娘と共生する。
サッカーコートとして使っていたスペースは、お砂場に模して一緒に遊ぶ。
すべり台にドリブルを仕掛けるケンの上で、風子ちゃんをしっかり支えたヨーがすべり台を滑る。
共生を意識することで生まれた遊びは、剣に対する盾になっている。
あの日作ったメモの戦略2プラン4の蛇足に書いてある人を動かす論理は、靖子さんに担当してもらうことで完遂した。
たまに風子ちゃんに擦り傷を負わせてしまうと、靖子さんは怒りを爆発させて、自分たちを追いかけ回すこともある。
自分たちは捕まらないよう、どんぐり公園から全速力で逃げる。
母親には、こんな光景が風雅に見えるのだろうか。
靖子さんのあまりの怖さに、動物的生命としてすら怯える、こんな遁走であろうとも。