鈴花様のために悩みぬきましょう
「はぁ、どうしましょう」
私は酒屋の二楼から珀家を見張りながらため息をつきました。この酒屋は玄家が所有していて、諜報活動の拠点でもあります。玄家は他の名家に関する情報を集めるために、各家の近くにそれとなく店をもっております。
あ、申し遅れましたが私は春明、鈴花様の侍女兼護衛です。現在、鈴花様の命を受け諜報活動中なのです。鈴花様のためになると思えば、退屈な諜報活動にも身が入ります。幼少から仕えている鈴花様は利発で、努力を怠らない方。侍女としてとても誇らしいです。ただ、少々行動力がありすぎるといいますか、思い立ったら即行動という方なので、今回のような難しい指令をさらりとおっしゃります。
(これまでも色々ありましたが、それにしても難しいです)
思い返せば後宮に入ってから、鈴花様の思い付きでたくさん振り回されてきました。可愛い顔と大きな目で頼まれたら断ることができない私も悪いのですが……。いえ、今は考えないでおきましょう。ただ今回のことも、
「春明、一生のお願い! 今日一日私の身代わりになって!」
と、何度目かの一生のお願いを聞いたことから始まりました。その結果、鈴花様は宵という男を市井から見つけて来て、皇帝陛下の身代わりに仕立て上げることになったのです。その際に、宦官に扮するために玄家の質屋に流れてきた珍宝を取りに行ったのも、いい思い出です。もうあんなもの、一生持ちたくもありません。今になって、やはり切り落とすべきだったのではと思います。そうすれば、今こうして思い悩むことはなかったのですから。
(どう動くべきかしらね)
私が何に悩んでいるかというと、その宵と鈴花様についてです。なんと宵は先帝のご落胤である可能性が高く、玄家にとって有力な切り札となりました。ただ、その彼が鈴花様に想いを寄せているのです。しかも、鈴花様も嫌ではないご様子。
(顔を赤くする鈴花様は可愛かったのですけど……違う、考えないといけないのはそこではありません)
鈴花様は妃嬪。つまり、皇帝陛下の妻でございます。そのためご落胤であろうと、現段階で宵と結ばれることはできません。このまま宵が身代わりとして玉座につくか、ご落胤と認められて皇帝となれば、公にも問題はなくなりますが……。
(でも、そう簡単な話でもないのですよね……)
当の鈴花様が迷っていらっしゃるようなのです。後宮に入る時に話してくださったのですが、仮面の陛下と幼少の時に言葉を交わしたことがあるそう。その時のことを思い出しながら話す鈴花様は、和やかで可愛らしくて、きらきらとしておりました。思わず抱きしめたくなり、微笑の下で衝動を押し殺していたのです。
(尽くすと決めた仮面の皇帝か、気兼ねなく話せる宵か……どちらが鈴花様にとっていいのでしょう)
鈴花様の幸せが、私の幸せです。鈴花様の決定が、私の決定です。なので、私が鈴花様の恋路についてとやかく言うことはできませんが、つい考えてしまいます。
(陛下はまだよく分からないところが多いですし、かといって宵も掴めないところがありますし)
宵については、当主様の伝手も使って調べ上げました。鈴花様がご立腹された通り、女たらしで思ったことはすぐ口に出される、率直な人です。それは同時に気安く、よけいな気遣いがいらないいい面でもあります。鈴花様は宵と楽しそうに会話をされ、居心地がよいようです。
(ただ、宵は何かひっかるのですよね……)
はっきり言葉にできないのがもどかしいのですが、違和感があるのです。ご落胤だと明かした時にも感じたのですが、出来過ぎているというか、なのにあまりにも普通に見えるというか。人というのは矛盾をはらんだ生き物です。それが、宵は一本の筋が通り過ぎているような気もします。
(でも、中にはそういう人もいますし、考えてもわかりませんね。それよりも、今は私にできることを考えないと……)
私は珀家から目を離さず、人の流れと立ち話をしている人の口を読みながら、頭では別のことを考えます。
(一番の問題は、宵が大人しく玉座につくなら問題ないのですが、そうならない可能性なんですよね)
宵は玉座につき、皇帝となるには少し自由過ぎる気がします。それは鈴花様もですが、宮中という鳥籠の中で満足ができるような性格には思えないのです。現に市井が恋しいのか、私に諜報活動が終わったら大好物の点心を買ってくるように頼んでいますし、宵も買ってきてほしいお酒や食べ物を書き記した紙を渡してきましたし……。
(二人して、後宮から出ていく可能性が捨てられませんね……)
宵の話の節々からそういった兆候が見られて、私は頭を悩ませているのです。二人なら市井でもたくましく生きていけそうで、さらに心配です。しかも鈴花様は行動力のあるお方、一度後宮を出ると決めればさっさと夜闇に紛れて消えてしまいそうです。
(今からその可能性を考えて、空き家を押さえておきましょうか……。脱出の経路も考えておいてもいいかもしれません)
何より、そうなった場合当主様たちがどういった反応を見せるのかが未知数です。鈴花様に甘いご当主様ですから、諦めを含んだ容認をされるかもしれません。ですが、玄家の総勢力を用いて連れ戻すかもしれません。
(当主様にそれとなく、探りを入れてみましょうか。いえ、そこで感づかれては困ります)
結局答えは出ず、行動にも移せません。鈴花様にさりげなく宵や陛下について伺っても、顔を赤らめるだけで明確な返答はありませんでした。一言命じてくだされば、何でもいたしますのに。肝心のところは一人で抱え込んでしまわれるのです。
(……やはり、実行の一歩手前まで準備を進めておきましょうか。脱出経路も空き家も、審議の場で何かあった時に役立ちますものね)
私はそう結論づけて、頭の中で実際の計画を描いていきます。玄家の伝手とは別に、私個人の伝手もあります。今回はそちらを使って進めることにしましょう。
(情報も集まりましたし、そろそろ引き上げましょうか)
人の流れを観察していると、食事を持った下女と武器を携帯した男が定期的に屋敷の奥へ消えていました。すぐに戻ってこないので、見張りだと推測できます。それに掃除をしながらお喋りしている下女たちは、屋敷に誰かが匿われていることは知っているようです。これだけ分かればいいでしょう。あとは、玄家の諜報員たちと情報をすり合わせることにします。
(おいしい豆沙包子を買っていかないといけませんし)
鈴花様もここ最近のあわただしさでお疲れの様子、癒しとなるものが必要でしょう。私は他のお客に紛れて酒屋を後にし、雑踏へと溶け込んでいきます。今日の仕事はこれで終わり、後は鈴花様が豆沙包子を頬張る姿を見て、癒されましょう。
結局、この私の悩みは取り越し苦労に終わり、天地がひっくり返るような結果となったのですが、鈴花様が幸せならばそれでいいのです。鈴花様の幸せのため、私は全身全霊でお仕えすると決めているのですから。




