58 もう一つの玄家をお話します
春明が新しくお茶を注ぎ、場が仕切り直される。鈴花は口を開こうとする翔月に対し、手暗号で「待って」と伝えた。
「悪いんだけど春明、少し空けてくれる?」
「かしこまりました」
新しいお茶を用意したのも、話の展開を察していたからだろう。春明は軽く頭を下げると、滑るように房室から出ていった。翔月は春明に席を外させたことに驚いたようで、目を丸くしている。
「春明も知らないのか」
「……えぇ、というか、教えてないのよ。知らないことは、時に自身を守ることにもなるから」
特に春明は闇の玄家としての立場が強いため、敵に捕らわれる危険性もある。そのため、あえて情報を持たせていない場合もあるのだ。
「てことは、相当まずい情報なのか?」
「えぇ、闇の玄家と同じくらい知っている人は少ないわ」
そう聞いた翔月の顔色が変わる。闇の玄家と同様ということは、歴史の中で葬られたことだからだ。翔月は緊張した面持ちで、硬い声音を出した。
「それは、俺が聞いてもいいことか?」
「……えぇ。むしろ、皇族は知っているはずなのよ。あなたの場合は、事情が特殊だから伝える機会を逃していたのかもね」
少なくとも今までの皇族は口には出さずとも知っていたはずだ。翔月は「そうか」と小さく呟き、居住まいを正した。聞く準備はできているということなのだろう。鈴花は静かに深呼吸をして気持ちを切り替える。今からは、玄家を代表し、玄妃として皇帝に向き合うことを示すべく、口調を丁寧なものに変えた。
「陛下、前に玄の意味について話した時、歴史についても触れましたよね」
「あぁ……鳳国と蓮国が合わさった時に、色にちなんだ家名をもらったという話だろう?」
鈴花が玄妃という役割に入ったのを受け、翔月も皇帝の少し硬い口調に戻った。
翔月は皇帝として歴史は修めていたが、鳳蓮国が起こってからのものがほとんどだ。一部鳳国の末期も書物が残っているが、国の興りと蓮国については資料があまり残されていなかった。
「そうです。有力な臣は新たな名を与えられ、鳳蓮国は鳳家を皇帝として仰いでおります。……疑問に思われたことはありませんか?」
鈴花は落ち着いた声音で、淡々と語る。間が空き、翔月の眉がわずかに動いた。聡い皇帝は、すぐに鈴花の言わんとすることを汲むが黙って続きを待つ。鈴花の口から語られるのを。
「……蓮国の皇族はどうしたのか。蓮の名は鳳蓮国が建国されて以降、歴史に一度も出ることはありません」
「たしか、皇族は病に倒れたと……」
それが、鳳蓮国の民が知る蓮国の終焉なのだ。歴史書に明記されていなくとも、そういうものだと思って生きてきた。鈴花は翔月の言葉に頷きを返す。
「はい、それは正しいのです。蓮国の末期、国は地震に疫病、蝗害と悲惨なものだと伝わっております。民の半数が死に、皇族も病には抗えませんでした……。ですが、蓮国は医術に長けており、薬を開発し、その疫病を鎮めたと聞きます」
「そうなのか……」
翔月は初めて聞く蓮国の話に、神妙な顔で耳を傾ける。疫病や災害という話は、明日この国で起こらないとも限らないからだ。
「ですが、すでに皇位を継ぐ者は失われておりました。子を失い、死期を悟った皇帝は臣を説得し、交流のあった鳳国に蓮国を託したとされています」
その昔、今の鳳蓮国の領土をちょうど二分する形で鳳国と蓮国があった。歴史の中で争った時期もあったが、友好的な関係を築いていたらしい。
「……それで、国の合併なんていう異例のことができたのか」
伝え聞く他国の歴史では、分裂や独立は聞いても合併はほとんど聞かない。あるとすれば戦争での侵略や吸収だ。鳳蓮国のように争いによる血が流れない合併は、歴史に類を見なかった。
「そうでしょうね。さて、ですが皇族というのは遡ればどこまでも辿ることができます。ひょんなところに血のつながりがあることも珍しくありません。忘れられた公子が即位する、なんてこともあるのですから」
鈴花はそこまで話すと、お茶を飲んで一息をつく。翔月も茶杯に残っていたお茶を飲み干し、「そうだな」と自虐的な笑みを浮かべた。
「……察しのよい陛下なら、話の先が読めておいででしょう」
「あぁ、ということは、小鈴もなのか?」
まさか同じ扱いにされるとは思わず、鈴花は少し目を見開いた後、ふっと笑った。肩に入っていた力が抜ける。翔月の優しい、包み込むような雰囲気のおかげか、鈴花は思ったよりすんなり次の言葉を口にすることができた。
「同じ、かもしれませんね。……玄家は、元の家名を蓮と申します」
「蓮の皇族の末裔ということか」
鈴花は苦笑いを浮かべ、困ったように首を傾げた。
「とはいっても、蓮国末期の時点で継承権はなく、蓮と名も返し臣下となっておりました」
「だが、皇族が滅べば意味も出てくる。さらに国が形を変えれば、忘れ形見としても偲ばれるだろう」
翔月は的確に玄家のもう一つの面を言い当て、鈴花は驚きつつも嬉しそうに目を細めた。
「はい。今でも、蓮国ゆかりの家には伝わっているそうです」
「なるほどな……珀家も、どこからかその話を聞いたのだろう。……そうなると、珀家は皇族の血を引く者たちを消そうとしたのか」
翔月は顎に手をやり、軽く目を伏せた。何か思うところがあるらしい。
「いよいよ。珀家が先の皇位争いの裏で糸を引いていた可能性が高くなってきたな」
「あの身代わりが、そうたやすく用意できるものではないのは、見ればわかりますもの……。でも、あの右丞相がそう簡単に罪を認めるかしら」
「そこはじっくり取り調べるさ」
その取り調べは穏やかなものだけではあるまい。鈴花は血なまぐささを感じるが、動じることなく干し杏子を口の中に入れた。甘酸っぱさを感じながら、ふと審議の最中に翔月が取った行動を思い出す。
「そういえば、陛下は右丞相に何を囁いたのですか? あれほどうるさかった右丞相が、一言で怯えましたけど」
今思い出しても小気味のいい変わりようだった。好奇心を覗かせた鈴花に対し、翔月は喉の奥で笑って頬杖をつく。
「ひ、み、つ」
「気になるんですが」
「大したことではないよ。少し、鎌をかけてみただけ」
そう言って、この話はここで終わりと翔月は席を立った。追究するなということなのだろう。鈴花は見送るために立ち上がり、後をついていく。皇帝の帰殿に気づいた女官たちが、一斉に出てきて鈴花の後ろに続く。向かう先は景雲宮の門であり、外に輿があるのだろう。
(そっか……もう離れにはいないのね)
宵は消え、彼は皇帝となった。皇帝は奥殿で生活をするのだ。それに気づくと、一抹の寂しさが胸をよぎり、鈴花は戸惑いの表情を浮かべた。
(何が寂しいの?)
また皇帝の訪れを待つ日々に戻ることなのか、宵がいなくなることなのか。自問すれども答えは返ってこない。胸の内にあるのはざわめきだけ。
前をゆく広い背中に視線を向ければ、そのざわめきは大きくなる。
「小鈴」
院子を抜け、門の手前に来たところで翔月は振り返った。夕暮れの柔らかい光の中で、微笑を浮かべている。
「改めて、此度の働きに感謝する。これから忙しくなるゆえ、ゆっくり体を休めよ」
「陛下も、ご無理はなさらず」
そうして翔月は輿に乗り込み、鈴花と女官たちは一斉に頭を下げるのだった。こうして、歴史に残る一日が過ぎ、平穏な日々が戻ろうとしていた。




