38 玄家の裏の顔を話します
宦官である武官たちが景雲宮に侵入した賊たちを運び出した頃には、東の空が白み始めていた。鈴花が急ぎ宮女や下女たちの無事を確認すれば、縛られたり部屋に閉じ込められたりしたものはいたが、死傷者はおらず鈴花は胸をなでおろした。
目的は宵だけだったようで、鈴花は怯える彼女たちを慰め励ます。夜が明けてから希望者には宮を移ったり、しばらく暇を取ったりしてもいいと告げたが、皆このまま景雲宮で働くと返したので、鈴花は目を丸くしつつも嬉しく思ったのだった。
そしては武官たちに宮女たちの護衛を任せ、鈴花、春明、宵の三人は被害のなかった離れへと場所を移した。鈴花の臥室は荒れ、しばらく使えそうにないため、離れの一室を私室として使うことになったのだ。それに加えて宵の無言の圧力が痛く、鈴花が「話がある」と根負けしたからでもある。
正直鈴花は睡眠不足が続き限界だが、濃いお茶を飲んで眠気を覚ました。さすがに宵をこのままにして寝るわけにもいかず、茶請けの干し杏子をつまみながらどこから話そうかと考えていると、しびれを切らした宵が口火を切った。
「……で、さすがに器用貧乏ってだけじゃ、無理だと思うんだけど?」
「妃嬪教育の一つとして、護身術を身に着けただけよ」
鈴花はなおもはぐらかそうとしてみるが、宵は「はぁ?」と低い声を出し頬杖をついた。
「護身術であんだけ的確な吹き矢できるなら、もう暗殺者にでもなっちまえ」
ごもっともな返しで、鈴花はため息をつく。
「……どーしても知りたいの?」
「俺だって危ない目にあったんだ、知る権利くらいあるだろ。この間からこそこそと、俺だけ除け者みたいで腹が立つ」
鈴花は後ろに控える春明を肩越しに振り返ると、一つ頷いた。春明は頷き返すと周囲に人気が無いかをもう一度確認し、戸口の錠を落とす。空気が変わり、宵は頬杖を止めて鈴花に向き直った。
「まぁ、今回身代わりになる上に、ご落胤疑惑もあるから……どうせ普通の生活には戻れないものね」
諦めたように告げられた言葉に、宵はつっこみを入れて問いただしたくなるが、今はそこが本命ではない。下手に口を挟まないよう干し杏子を口にいれて転がした。
鈴花は落ち着いた表情で宵に視線を合わせると、茶杯を指で包むように持ちながら話し出す。
「玄家は器用貧乏に見せているけど、もう一つの面があるのよ。鳳蓮国が出来た時、五大名家は皇帝から新たな姓を頂いたらしいわ。朱、蒼、黄、翠、玄……どれも色に由来を持ち、正装時はその色を体の一部に身に着けることになっている」
それは、歴史の中で忘れ去られたこの国の興りだ。色に関しては他の家も類する色を用いることはできるが、厳密な色が決められておりそれらは五家のみが許されている。
「玄って……玄か」
他の四家に比べ、その字は常に使うものではなく、色を連想しにくい。その隠れた意味合いが、まさに玄家そのものを象徴していた。鈴花は人差し指で茶杯の縁をなぞりながら続ける。
「えぇ、くろの玄家。そしてそれを転じて、闇の玄家が裏での呼び名だそうよ」
「……だから、皇帝を身代わりにする訓練もできたのか」
宵は察しがよく、闇が意味するものを理解したようだ。鈴花は話が早いわと頷く。
「そう。私たちが得意とするのは、諜報、暗殺、護衛……その他裏での汚れ仕事よ。仕えるのは皇帝のみ。利用するかどうかも皇帝に任されていたわ」
普段は器用貧乏らしく、様々な方面に出資して事業を拡大し朝廷でも働く。全く裏の仕事がなかった時代もあれば、戦争なので暗躍した時代もあったらしい。
「てことは、玄家の人間はみな訓練を受けてるってことか」
「基本的にはね。適性や将来の役割によって年数や身に着ける技能は違うけど、ある程度のことはできる」
宵はじっと鈴花の顔を見た後、視線を手へと落とす。
「意外と力が強いのはそのせいか」
その腕を掴んだ時、細い割には力があると思った。白くきれいな手だが、血に汚れたことがあるのだろうかと想像し、顔を曇らせる。
「まぁ、私は妃嬪かいい家に嫁ぐかを想定されていたから、身を守ったり遠距離攻撃ぐらいの暗殺術しか身に着けてないわ。あまりそっちに入り込むと、同業者に感づかれるから」
名家の娘が剣や暗器の扱いに長ければ、おのずと所作に影響が出、手の皮も厚くなる。どれだけ気を付けていても同業者は空気で分かるもので、敵に情報を渡すことになるのだ。
「ふ~ん。じゃぁ、春明は?」
「私は鈴花様の護衛が第一ですので、暗器を中心に武芸を会得しております。諜報の方が得意ですが、いつでもあなたの首を取れますので、変な気を起こされませんよう」
真顔で淡々と答える春明に対し、何気なく訊いた宵は顔を引きつらせてお茶を一口飲んだ。たしかに先ほどの春明の動きは素早く、一発で仕留めていた。絶対に敵には回さないでおこうと宵は固く誓う。
「分かってるよ……。てことは、玄家の当主も行方不明っていう兄も相当手練れってことか」
鈴花は「えぇ」と頷き、眉間に皺を寄せた。宵には一応、新たに得た情報についても春明から伝えてもらっていた。
「そうよ。父は玄家を体現した人といわれるくらい、器用貧乏で、暗殺から諜報、変装まで全て完璧にこなすわ。兄もその影の薄さを存分利用して、諜報や身代わりを得意としてる……。だから、敵に回られるとこの上なく厄介なの」
それにその二人が動いた場合、玄家の総意という場合もあるが、それならなぜ鈴花に何も伝わっていないのかという疑問は残る。つまるところ、鈴花はまったく真意が掴めていない。
「なら、この際聞いてみたらいいじゃねぇか。白黒つけないと、いつまでも悩むことになるだろ」
「……それも、そうなんだけど」
はっきりと答えない鈴花に対し、宵は「まぁいいけど」と深くは追わない。家族の関係について口を出す立場でもないし、敵の場合はまた対応を考え直せばいいだけだ。
「じゃ、皇帝はどうなの? 三年修行したってことは、自衛ぐらいできるんだろ? なんか企みがあるって考えるべきか?」
「そうなのよね……。ねぇ春明。三年身代わりとして修行したら、どれぐらいできると思う?」
それが一番気がかりなことであり、腑に落ちない点だ。鈴花はお茶を注ぐために方卓の横で、新しいお茶を淹れている春明に問いかける。
「そうですね……私が五年、鈴花様が一年でしたから……仮に変装に特化されたとすればまるっきり別人になりきることは容易いかと」
「あのお兄様も、身代わり修行を二年して恐ろしく変装が上手だったものね」
一度兄の変装を見たことがあるが、正体が明かされるまで兄だとは気づかなかった。それほど体格や声音、顔はもちろん、性格も思考も異なっていたのだ。
「人間技じゃないだろ、それ」
それに比べれば、宵が変装のために身に着けさせられた知識や所作はまだ序の口だ。
「だから、玄家にも皇帝にも気を付けないとね。さすがに今日の賊は父の差し金ではないと思うけれど、宵が皇帝候補として狙われているのは確かだから」
「どうやら敵は皇族の血を絶やしたいようですし、護衛を増やしますね」
鈴花や春明に手を出さず、保護した皇帝と噂される宵だけを狙ったため、今回の敵は皇帝を襲撃した者たちと繋がっていると考えた方がいいだろう。
「まぁ、荒くれのなかで揉まれたから剣を振り回すことくらいはできるけど……さすがにあの人数はな」
「ご安心ください。しばらくはこの離れで鈴花様もお休みになることになるので、これまで通り西の房室を宵様が、そして東の房室を鈴花様が使われます。私はその間にある部屋におりますので、何かあったらすぐに駆け付けます」
護衛として控えると安心させると当時に、宵に釘もさす。昨日宵が鈴花に気を持っていることを知らされたので、警戒は怠らない。ちなみに今三人がいるのは北の房室で、客房にしていた。
「お願い……一応、玄家から応援をもらうわ。護衛特化の侍女もいるし」
家によっては生家から侍女や下女を十数人連れて来る場合もあるので、それぐらい融通をきかせてくれるだろう。
「その侍女たちに、それとなく当主様たちの意向を探りましょう」
「そうね」
宵の疑問にも答え、話が落ち着いたところで鈴花も眠くなってきた。宵も目が半分閉じかけており、限界が近い。
「今日はもう無理ね。明日起きてからまた考えましょう」
「……ん、そうだな。さすがに明日は昼まで寝る」
宵は大きな欠伸を一つすると、「じゃ」と短く挨拶をして自室へと戻っていった。その後姿を何気なく目で追った鈴花は、一瞬枝垂桜の下に立つ皇帝が見えた気がした。
(眠すぎて……幻覚が見える)
二日連続で睡眠不足であり、鈴花は体が揺れるのを感じつつ、呆れた春明に手を引かれて臨時の臥室へと向かった。




