19 緋牡丹の妃に啖呵を切ります
「この前から不愉快なんだけど、言いたいことがあるなら面と向かって言ったらどう?」
そろそろ我慢も限界だった。鈴花は玉耀の鋭い視線を正面から受け、睨み返す。それに対して玉耀は鼻を鳴らし、豊満な胸の前で腕を組んだ。
「あら、玄妃は案外狭量なのね。私はこの梅園に感動して、その想いを笛の音に乗せただけなのに」
「それは意外ね。他の妃嬪を罵ったり、下女に当たったりするような人に花のよさが分かるなんて」
春明が仕入れた噂によれば、玉耀は高飛車でわがまま、気に食わないことがあると物や人に当たる性格だった。玉耀の小鼻が膨らみ、茶色い瞳に険しさが増す。
「それになんの関係があるの? 私の笛の技量に嫉妬したのなら、素直に言えばいいのに……あんな半端な二胡では聞き苦しくて、陛下の気も休まらないわ」
「陛下の御心を慰めるのは音だけではないわ。心遣いが大事なのよ。后妃にはそれにふさわしい教養に器量が求められるのに、そんなことも分からないの?」
「あら、后妃を一度も出したことのない玄家がそれを言うなんて」
鈴花は棘のある言葉に眉を吊り上げる。その言葉は正しく、今まで玄家から後宮に入った妃嬪は皇帝の寵愛を受けた妃はいても、后妃になった妃嬪はいなかったのだ。
「珀家も同じでしょう。それに、この大変な時に協調性も見せられないようでは、妃嬪としての格が知れているわ」
珀家が後宮入りしたのは先代からであり、寵愛を受けたかは定かではない。鈴花は一歩も引かず、何かつくところはないかと頭を回転させる。それは玉耀も同じで、その後ろに控える取り巻き立ちも一斉に鈴花に敵意を向け、圧力をかけていた。
「あら、協調性がないのは上級妃でしょ? 私たちは団結して後宮を守ろうとしているのよ。歴史の上に胡坐をかいて座っているあなたたちとは違うの」
これに背後の取り巻きたちが一斉に頷き、口々に玉耀を慕う言葉をかけ、名家を非難した。鈴花が取り巻きたちを一睨みするとざわめきは水を打ったように止まるが、胸の奥に焦りが広がる。
(ちょっと厄介ね……思ったより、取り巻きを掌握している)
鈴花は玉耀が父親の権力でも使って無理矢理下妃たちを陣営に入れたのかと思っていたが、どうも違う。互いの利益を一致させ、同じ目的のもとに集っているのだ。
(私たちと対立する気なのね)
上級妃と中級妃、下級妃とは明確な差異がある。そこを覆すには家が権力を握るか、陛下の寵を得るかだ。後宮という狭い世界だけでは、下克上をするのは難しい。だがそれは一対一を考えた場合で、今のように徒党を組めば上級妃をやり込むことはできなくはない。
(それでも、負ける気なんてないけど)
数というのは時に圧倒的な力になるが、鈴花は気を奮い立たせて口角を上げた。
「なら、せいぜい頑張りなさい。私たちが名家と呼ばれるのは、努力をして国を支え続けたからよ。たかが数代で天下を取ったようになっている、浅い家には到底辿りつけないわ」
他国の歴史を見れば、歴史ある一族が徐々に権力のみに固執し、実力が伴わなくなることはままある。だが少なくとも玄家は常に挑戦を続け、知識と技能を蓄えてきた。それが玄家の誇りであり、器用貧乏と言われようが譲れないものだ。
「余裕ぶっていられるのも今のうちよ。お父様は陛下に繋がる有力な情報を手に入れたのだから」
「それは楽しみにしてるわ」
「あなただって聞いているのでしょ? どこかの家が陛下を保護しているって」
鈴花の眉が少し上がる。その噂を流したのは鈴花だ。
「それが?」
「次に陛下のお姿を見る時は、その隣に私がいるってことよ」
勝ち誇った笑みを浮かべた玉耀からは自信が覗いており、鈴花の眉間に皺が寄る。玄家の情報網ではまだ陛下は見つかっていない。鈴花たちが知らない情報を持っているのだろうかと不安が煽られる。鈴花たちは身代わりを立てようとしているため、もし本物が見つかったなら不要となるからだ。
「妄言もほどほどになさい。后妃は張りぼての実力でどうにかなるものではないわ」
「何もかも中途半端の器用貧乏妃よりは、確かな実力があると思っているけど?」
「成り上がりの実力なんて、塵と同じよ!」
言葉に毒を含んだ応酬が続き、火花が散る。
「後でほえ面をかいても知らないから。なんたってうちは……」
そしてさらに玉耀が何かを言いかけたところで、その声は再び銅鑼の音でかき消された。先ほどよりも大きく、やはり壁の向こうから聞こえるようだ。二人は漆喰の壁を見やってから顔を戻すと、毒気が抜かれたと不服そうな顔を作る。
「まぁいいわ。后妃の座はお父様が約束してくれたのだもの。せいぜい器用貧乏らしく、せかせか動いて頑張るがいいわ」
玉耀はそう言い捨てると、踵を返して取り巻きたちと一緒に自分の宮へと戻っていった。静かになった梅園を風が通り抜け、鈴花の髪を揺らす。鈴花は肩の力を抜いて、肺の中の空気を吐き出した。
「鈴花様、珀妃の言葉が気になりますので、調べさせましょうか」
「そうね……虚勢だとは思うけど、珀家が陛下を保護した可能性は否定できないもの。お願い」
本物の皇帝が見つかったのならば、空座が続く心配はなく鈴花たちも危ない橋を渡らなくてもいい。
(本物の陛下が見つかったならいい……でも、どうやって本物だと証明するの?)
鈴花は証明ができないから、身代わりを立てようとしたのだ。胸の奥がざわつき、手先に冷たい風を感じる。踏み入れた先は底なし沼ではないのかと、言い知れぬ不安に取りつかれるのだった。