18 緋牡丹の妃から喧嘩を買います
梅の花は色を濃くし、後宮にある梅園を歩けば香りに抱かれているような心地になる。梅園には千本以上の多種多様な梅が植えられ、見頃を迎えていた。そのため、暇を持て余した妃嬪の訪れが絶えない場所となっている。
小径を散策して梅の花を愛でたり、二胡や笛を奏でたり、亭でお茶をしたりと互いに距離を取って楽しんでいる。皇帝が不在の今、寵を争う必要もないので休戦状態だ。かといって仲良くするというわけでもなく、様子見が続いていた。
それぞれ相手を意識しつつも、遊びが被らないように注意を払う。鈴花も宵が宦官として働いている間に、梅園を訪れては花々と戯れた。まるで仙界のように美しく、芳しい香りに酔ってしまいそうだ。
(陛下と見られたならよかったのに……)
鈴花は何度そう思ったのか分からない。美しい景色を見れば自然と気持ちが昂る。その気持ちに任せて二胡を弾くのが、最近の楽しみだった。鈴花は梅園に来れば決まって梅が一望できる木陰の下で二胡を弾くため、他の妃嬪は遠慮をして楽器を奏でることはしない。一人を除いては。
(また……)
鈴花が弾き始めるなり、対抗するように竹笛の音が聞こえだす。そちらに視線を向ければやはり珀玉耀で、鈴花は眉間に皺を寄せる。悔しいがなかなかの腕前で、奏者が玉耀でなければ梅の香りと共に楽しんだだろう。だが、敵意を含んだ音色は調が異なり、不協和音が響いていた。その気持ち悪さに鈴花は弓を動かす手を止めたくなるが、引き下がるのも癪なので演奏を続ける。
互いに歩み寄りを見せない音のぶつかり合いに、他の妃嬪はせっかくの楽しい時間が台無しだと宮へ帰っていく。それがここ数日続いていた。
(あんの赤毛……喧嘩を売るなら真正面から来なさいよ!)
翠妃との言い争いに口を挟んだ日から目の敵にされたようで、事あるごとに絡んでくるのだ。鈴花は散歩も兼ねて最近は後宮内をよく歩いている。なぜか珀妃も出歩いていることが多く、すれ違いざまに嫌味を言われたり、睨みつけられたりしていた。相手にするのも馬鹿らしいので無視していたが、正直鬱陶しい。
(しかもぞろぞろと取り巻きを増やして……)
珀妃の周りには妃嬪が四人侍っていた。こちらに剣呑な瞳を向け、明らかに敵視している。珀妃は後宮入りをした直後から、下級妃たち4人を自分の陣営に入れたらしい。そして同じ中級妃である2人も珀妃側についていると春明が教えてくれた。なんでもその容姿から緋牡丹の妃だなんて言われて、ちやほやされているらしい。
(勢いがあるからって流されちゃって)
どうも徒党を組んで上級妃である名家の三人に立ち向かおうとしているそうだ。これが郭昭の言っていた後宮が抱える問題であり、皇帝が不在の中、妃嬪たちが対立する事態は避けたいらしい。
(でも、あそこまであからさまに喧嘩売られて引き下がったら、名家の名が廃るわ!)
ぽっと出の新興家に怯むようでは、名家の沽券にかかわる。
(後宮は見栄と意地のぶつかり合い……受けてたつわよ)
鈴花が弦を押さえる指を細かく動かして躍動感のある曲に変えれば、向こうも音が連なる春の嵐のような調べを奏でた。こうなると音から艶と繊細さは消え、技巧の争いとなる。競奏。気づけば二人は向かい合い、相手から視線を外さずに演奏していた。
(音が気持ち悪いし腹が立つ……!?)
苛立ちが限界に達し、次はどうしようかと考えた瞬間、鼓膜を突き破るような轟音が聞こえて手が止まる。春明は何事かと身構え、周囲を警戒していた。
「銅鑼……?」
突然割って入った音は銅鑼で余韻が響いている。銅鑼は戦場で鳴らすものであり、一瞬賊でも侵入したのかと心臓が飛び跳ねた。玉耀も驚いたのか笛の音が止まっており、二人して音がした方に顔を向ける。
(……誰もいない)
あるのは漆喰の壁で、その向こうは春山宮だ。その宮には黄家から来た妃嬪が住んでいるはずだが……。それ以降銅鑼の音が鳴ることはなく、微妙な空気が梅園に流れる。
鈴花はもうやめと二胡を片付けて立ち上がった。向こうも笛を置き、こちらへと歩いてくる。その後ろに他の妃嬪や宮女がぞろぞろとついてきた。対する鈴花のお付きは春明のみ。
両脇に梅の木が並ぶ小径を通る。玉耀は今日も派手な真紅の襦裙を身に纏い、高髻に結った髪には金の簪がこれ見よがしにささっていた。鈴花は桃の花のような優しい薄紅色の襦裙。上半分だけ耳の上に巻き上げた髪には銀歩揺が揺れている。
小石を踏む音が鳴り、互いに立ち止まった。一陣の風が吹き、梅の香りが強くなる。先に口火を切ったのは鈴花だった。




