17 身代わりに教養をつけます
宵が無事宦官となってから三日が過ぎた。宦官と言っても様々な仕事がある。後宮の管理には力仕事などの雑用に料理、掃除、庭の整備をはじめ、妃嬪の体調を見たりする医官もいる。皇帝の側付きとして世話をしたり、妃嬪に重用されれば宮の管理を任されたりもする。そして公子公主の教育も宦官の仕事だった。そのため衣食住は確保され、上手くいけば出世もできるとあって、自ら宦官に志望するものも少なくないのだ。
そんな中、宵は仕事を片付けて鈴花が住む景雲宮に戻って来た。宦官たちが住む殿舎は別にあるが、宵が偽物とバレるわけにはいかないため、景雲宮の一室を与えている。中には宦官を自分の専有として囲う妃嬪もいなくはないので、反対されることもなかった。
そして毎日仕事が終わり、日が傾いてからは身代わりになるべく教養と立ち振る舞いを教え込んでいたのである。
「あ~きつい。宦官って雑用ばっかじゃん。しかもなんか他の奴が気持ち悪い目で俺を見るし、今日なんか腰撫でられてぞわっとしたわ」
まずは休憩をしようと、景雲宮の外れにある房室で一服していた。宮女と下女は下がらせており、この場には春明を含む三人しかいない。そのため宵は宦官の高い声を止め、地声を出していた。春明は宵の茶杯にお茶を注ぎながら、険しい目を向ける。
「襲われたら一発でバレるので、何かあったら相手を気絶させてでも逃げてくださいね」
「当たり前だろ。他の宦官には極力近づかないようにしてるって」
思い出しただけでも寒気がすると宵は吐き捨て、お茶に息を吹きかけて冷ましてから飲んだ。その所作も少しずつきれいになってきている。そして茶請けに出していた干した杏子を口に入れ、不満そうな顔で春明を見返した。
「つーか、せっかくかわいい下女に声をかけようとしたら、逃げられたんだけどどういうわけ? みんな玄妃様に睨まれたくないって言うんだけど?」
それに対し、鈴花と春明は顔を見合わせると含んだ笑みを見せる。鈴花が口角を上げて宵に顔を戻し、芝居がかった声を出した。
「あら、だってあなたは私のものだもの。他の女に色目を使われたら困るわぁ」
「げ、まさか……」
「ちゃ~んと私のって明言して、後宮の中も目に付くように連れまわしたし……ね!」
最後は語尾を上げ、可愛く片目を閉じる。春明は「そのあざとさが可愛いです」と小さく拍手を送っているが、宵は額に青筋を立てていた。茶杯を握る手に力を込めているからか、中のお茶が小刻みに揺れている。
「仕事は宦官と一緒で女の子に声もかけられない。しかもバレたら即打ち首……鬼か!」
「安心しなさい。一緒に打ち首だから」
「それに身代わりにもなるんですから、さらに罪は増えますよ」
お茶を飲みながら聞きたくもない現実を告げる鈴花に、追い打ちをかける春明。
「あー、金につられて引き受けるんじゃなかった……」
そうして宵は何度目か分からない後悔の言葉を呟くのだった。
「まぁ、何もかも遅いけどね。さ、今日もたくさん覚えるわよ~」
鈴花は死なば諸共なので、宵が完璧な身代わりになれるように、なんなら皇帝になっても問題がないところまで仕上げるつもりだ。
「玄家はその昔、宦官として東宮の教育も行ったのよ。ちゃんとその内容は伝わってるわ」
玄家には先人たちの業績が記録となって残っている。その分野にどうやって参入し、業績を残したかを記すことで、知識や方法として後世が受けつがれるのだ。
「ほんと、玄家って無駄に歴史あるよな。やってないことないんじゃないの?」
「建国から支える名家よ。侮ってもらっちゃ困るわ」
鈴花はそのことを誇りに思っており、ふふっと鼻を高くする。「だから私も国のために頑張るのよ」と意気込む鈴花に対し、宵は不可解そうな表情をした。
「小鈴は国への忠義で、こんな危ないことをしてんのか?」
宵の声音は真面目で、からかっているようには見えない。鈴花は宵を正面から見返すと表情を引き締めて頷いた。
「そりゃ、それだけじゃないけれど、玄家は鳳蓮国を……皇帝を支えるためにあるのだもの」
「その皇帝は、いなくなったやつじゃないとだめなわけ?」
「そうよ」
鈴花の顔に迷いはない。宵は「へぇ」と声を漏らし、顎をさすった。
「ま、俺には国への忠義は無いけど、乗りかかった船だし協力するぜ。それに、国のために頑張る小鈴が気に入ったしな」
「何よその理由は」
なんとも軽い調子で返され、鈴花は気が抜ける。宵は常に気楽な様子で、事態を軽く考えているように見えた。それを見ていると難題が山積みの現状も、幾分ましに思えてくるのだ。
「まぁ心配すんなよ。俺も皇位争いの時みたいに国が荒れるのは嫌だし、戦争もごめんだ」
皇位継承を巡った争いでは、一部ではあるが武力の衝突も起きた。その際民も巻き込まれ、田畑も荒れた。聞けば、その争いで宵は兄を亡くしたらしい。そしてもし皇帝の空位が長引き、国が荒れれば他国に攻められる可能性も宵は鈴花から伝えられていた。だから、宵にも迷いはない。
鈴花は力強く頷き、春明に目くばせをして分厚い教科書を卓子の上に置いた。その途端、宵の頬が引きつる。
「だから今日は、この国の法律を全て覚えてもらうわよ」
「お、お、鬼ぃぃぃ!」
夕日が落ち、灯篭の明かりがともった房室に宵の絶叫が響きわたった。