16 玉を愛でる妃と会いましょう
気疲れからか倒れた妃嬪は、宮女に支えられて自身の宮へと戻っていった。宵が手を貸そうとしたが、宦官であっても男に手を触れさせたくないと反発を受けたのだ。大切に扱われている妃嬪らしい。
そして翌日、助けてもらったお礼と挨拶に伺うという文が届き、その日の昼過ぎには会うことになったのだった。
客庁に通された少女は、緊張からか肩に力が入っており、ちょこんと座っている。方卓の向かいに座る鈴花は、可憐な少女をまじまじと見ていた。
「あの、昨日はありがとうございました。私は、翠陽泉といいます」
「ご丁寧にありがとうございます。私は玄鈴花ですわ」
翠家といえば、玉の鉱山を所有し加工技術が有名である。彼女は深みのある色合いの翡翠の耳飾りを付け、上半分だけ結い上げられた頭には柘榴石など鮮やかな玉の簪がささっていた。襦裙は淡い緑で統一しており、お淑やかで繊細な印象を受ける。
「あの、それで……こちら、よろしければ」
おずおずと差し出された漆塗りの箱には、翠家の家紋が螺鈿で押されていた。それを開けると光沢の美しい黒翡翠の帯飾りが入っていて、鈴花は思わず声を上げる。
「素敵。翡翠は緑が多いけれど、黒もいいですよね。こんな素晴らしいものをありがとうございます」
この国で黒衣は死を悼む時の服だが、装飾品として黒を取り入れることは一般的だ。簪や帯、帯飾りで使われる色だった。それでも黒翡翠は珍しい。
「玄妃様は華やかな色合いの襦裙を着られますから、お似合いになるかと思って」
そう言って柔らかな笑みを浮かべる陽泉は鈴花と同じ16で、下がり気味の眉と小さな口が可愛さを引き立てていた。守ってあげたい可愛さだ。
「ありがとうございます。翠妃様のお洒落な装いには敵いませんわ」
玉の翠家と言われるだけあって、装飾品を含めた襦裙の着こなしは素晴らしい。色の配置や材質、紋様と細部まで気が使われていて、陽泉の魅力を最大限引き立てていた。
「この玉は、邪気を払って気を静めると言われています。国は今大変な時ですし、玄妃様も心穏やかではいられないと思いまして」
「そうですね……」
邪気という言葉に、身代わりを立てて朝廷をたばかろうとしている鈴花はドキリとする。悪意はないが、後ろめたさはあるのだ。すでに宵を宦官と偽っているので、なおさらだった。
「今は陛下のお姿がありませんが、噂ではどこかの家で療養しているともありますし……」
だから気を強く持ちましょうと、気弱に見える陽泉に励まされてしまった。
(彼女も、陛下のことを想っているのかしら……)
身代わりを立てれば、皇帝を信じて待っている彼女の事を騙すことにもなる。その罪悪感に胸がチクリと痛むが、気を取られてはだめと、頭の隅に追いやって話を変えた。
「そうですね。信じて待ちましょう……それで、昨日は珀妃と何があったのですか?」
鈴花は一部始終を見ていたわけではない。郭昭から後宮の維持を引き受けたからには、問題は把握しておかなくてはならないのだ。
陽泉は顔を曇らせると、眉をハの字にして小さな口を開く。
「散歩をしていたら前から珀妃がいらっしゃって、どちらが道を譲るかで止まってしまったのです……」
「道を譲るって……」
昨日通っていた路は広くはないが狭くもない。互いが端に寄れば十分すれ違うことはできる。だが後宮というのはそんな簡単な場所ではない。
「私は譲ろうかと思ったのですが、宮女たちが中級妃に道を譲る必要はないと言って……」
時に侍女や宮女たち同士の対立も見られる。特に表面上妃嬪同士が争えない場合は、裏で宮女たちが罵りあっているのだ。特に少し話しただけでも、表情や話し方から優しく気が弱そうな人柄が伝わってくる。争いごとも苦手なのだろう。
(後宮は意地と見栄の張り合いをする場所……春明の言葉が身に染みるわ)
常に噂話の中に入り、後宮の闇もたくさん知っている春明の金言である。鈴花はその春明から出されたお茶を飲んで一息ついた。淀んだ後宮の闇を払ってくれる気がする。
「それでも、普通は中級妃である珀妃が譲るべきでしょう」
今、後宮にいる妃嬪の中で名家出身である三人は、上級妃である貴妃だ。後宮に入ると家の格や権力によって位付けがされ、定員もある。上から皇貴妃が1名、貴妃は3名であり、この二つが上級妃と呼ばれる。そして妃が6名、嬪が10名で中級妃、その下の貴人は定員はなく下級妃に位置付けられている。
下の者が上の者にたてつくことは、基本的には許されないのだが……。
「はい……でも家はあちらが強いからって」
「そっちが譲りなさいって?」
「はい。玉しか取り柄の無い翠家がと……」
翠家はあまり宮仕えをしない一族で、国の東に鉱山をいくつも持っておりその近くの街に邸を構えている。その街は職人や鍛冶屋も多く、また服飾関係も時代の最先端をいっていた。権力よりも美、翠家はそう評される一族なのだ。
「いい気なものですね。珀家が勢いづいたのはここ数代でしょうに」
もとは名前を聞いたこともないような小さな家だった。それが十数年のうちに要職に就く官吏が増え、今の当主はとうとう右丞相にまで上り詰めた。左丞相と権力争いをしていると噂されており、さらに上を目指す野心家なのだろう。
「でも、私の一族はそれほど力がありませんし……」
「今の珀家に対抗できるのは朱家と蒼家くらいでしょ?」
代々将軍を輩出してきた朱家と政治の頂点に立つ侍中や各部門の長である尚書を輩出している蒼家は、名家の中でも政治的な権力を持つ家だった。言わずもがな玄家は器用貧乏なので、張り合うことはできない。
「はい。ですので、ご自身が上級妃にふさわしいと、ことあるたびにつっかかっていらして」
「あの時が初めてじゃないんですね」
「私はよく外を歩くので、会うことが多いのかもしれませんが……」
どうやら顔を合わせる度に何か言われていたらしい。鈴花は眉間に皺をよせ、どうしたものかと考えを巡らせる。
(たぶん、こっちが何かを言っても逆効果よね……春明や宵に周辺を探らせてみようかしら)
あの敵視した、こちらを見下したような目を思い出すと腹が立ってくる。鈴花も負けたくないと思うのだ。
「ねぇ、これからはたまにお茶をしたり、遊んだりしましょうよ。生意気な珀妃になんか、負けてられないわよ」
「本当ですか? 実は退屈をしていて、毎日玉を見て磨くくらいしか楽しみがなかったんです」
ここにきて初めて陽泉の目が輝いた。そして毎日玉を見て磨くとは、さすが玉を愛する姫と呼ばれるだけある。
「なら、次は私の宮に遊びにきてくださいませ。実は玄妃様のお顔を見た時から、着飾りたいと思っておりましたの」
「……え?」
「ぜひいらしてくださいな。たくさん襦裙や装飾品がありますから」
「え、えぇ」
ずいっと陽泉が身を乗り出し、鈴花の手を取った。おしゃれの話になると途端に押しが強くなり、先ほどまでの弱弱しい雰囲気が消え去った。
(翠妃って、こんな人なんだ……)
玉の翠家は権力よりも美を愛し、特に玉の魅力に取りつかれた一族と称されている。そして女性は悉く好みの容姿の人を飾り立てる趣味があるとも。
鈴花は早まったかなと思いながらも、後宮でやっとできた繋がりに悪くないと思うのだった。