09.追っかけくんと雨葦さんは街に繰り出す
ある日の第二書庫にて、隣太郎は必勝の自信を持って亜緒に声をかけた。
これまでストーキングと称して、亜緒が図書委員として活動する様子を眺めたり、手作りのデザートを持参して二人きりのランチタイムを過ごしたりしてきた。後者はストーキングでも何でもない気がするが。
それはともかくとして、今までの隣太郎は好きな相手に表面上は受け入れられず、ストーカーとして傍にいるしかなかったのである。
しかし今回はストーカーではなく、仲のいい先輩後輩として彼女と過ごせる。
隣太郎は自分の考えたプランを思い返し、改めて勝利を確信した。
「雨葦さん。駅前にパンケーキが自慢のカフェができたんだが、知ってるか?」
「はい、噂に聞いてます。私も興味はあるんですが、高級路線みたいで……」
彼女の言う通り、その店は結構な高級路線である。
流石に都会の本格的な高級店には及ぶべくもないが、一番人気のパンケーキが2,500円というのは、高校生にはつらい話だろう。
そこにドリンク代もかかるので、二人で行けば下手すると合計で万札が飛ぶ。
「実は全品半額のクーポンがあるんだ。よかったら俺」
「行きます」
久々の食い気味セリフであった。
相変わらずスイーツの話となると、思考停止気味な亜緒である。
たとえ半額になっても、高校生の懐事情では厳しいことに変わりはないのだが、その後の生活を節制すればどうにかなるので、この機会を逃したくないのだろう。
まあ、隣太郎としては彼女さえ嫌でなければ、支払いを持ってもいいのだが。
「じゃあ、いつにする? クーポンの使用期限は」
「今日にしましょう。図書室の当番は、他の方にお願いします」
すぐに食べたいです、と言わんばかりの高速回答。
こんな亜緒も可愛いとは思うのだが、いつかスイーツで釣られて悪い男にでも騙されないだろうかと、隣太郎は少し不安になった。そして悪い男とは、自分のことなのではないかと気付いた。
「それなら、今日の放課後にしようか。教室まで迎えに行くから、待っててくれ」
「分かりました。楽しみにしてますね、先輩」
今から高級パンケーキの味を想像しているのだろう。緩んだ顔で嬉しそうに返事をする亜緒を見て、この子に告白した時の警戒心の強さはどこに行ったんだろう、と隣太郎は密かに苦笑いを浮かべた。
「トナリくん。今日もこれから図書室に行くの?」
放課後になって教室を出ようとした隣太郎に、瀬里が声をかけてきた。
瀬里は隣太郎がストーカー犯罪に走るのを止めるために、彼の動向を探るという行為に手を染めており、ミイラ取りさんの末路をばっちり再現している。
今日も今日とて、隣太郎の行動に合わせて自分も図書室に行くのかを決めるため、当人にそれとなく確認を取っているのだ。
「いや、今日は駅前に用があるんだ。だから図書室には行かないな」
「そうなんだ。米峰くんと遊びに行くの?」
今日は隣太郎が犯罪を犯す心配がないと知り、安堵する瀬里。
昨日調べた新しい観察技術を試せないのが少し残念だが、また機会はあるだろうと思い直した。これで何故、ストーカーの自覚がないのだろうか。
「いや、今日は雨葦さん――例の後輩の子と一緒に出掛けるんだ」
「……は?」
瀬里の心中が安堵から一転、呆然の様相になった。
「え? それってデートってこと? もしかして、付き合い始めたの?」
「残念ながら、まだ振り向いてもらえてない」
「でも、デートするんでしょ? ストーカーはやめたってこと?」
「そういうわけじゃないんだが……いろいろあって、今回は受けて貰えた」
何だそれは、と瀬里は口に出さず叫んだ。
どこの世界に、ストーカーと楽しくお出掛けする女子高生がいるというのだ。
瀬里が少しだけ話した印象では、亜緒という少女はなかなか好感の持てる子だったのだが、今の話を聞いて改めて彼女に対する誤解が深まっていった。
まさか彼女が、スイーツのためならストーカー相手でも躊躇いなくデートする、脳内パンケーキ少女だとは思わないだろう。
「そ、そうなんだ。楽しんでこれるといいね、トナリくん」
「ああ、努力する」
――やっぱり、雨葦さんは怪しすぎる。私が見守らないと。
気心知れた同級生との会話の裏で、密かに決意を新たにする瀬里だった。
一方、三年生の教室でも、一人の危険人物が行動を開始していた。
「まさか笈掛くんが、外であの子と会うなんて……。どうやっても盗聴は無理ね」
第二書庫での会話を盗聴していた十和は、どうやって隣太郎と亜緒のデートの様子を窺うかで悩んでいた。
男女二人きりのデートとなれば、きっと甘いセリフのひとつやふたつ出るものだろう。隣太郎の口から出てくるそれを、十和としては是非とも聴いてみたいのだ。
できることなら自分に対して、生で言ってほしいところだが、現状の彼との関係性ではそれも望むべくもない。
それなら、せめて亜緒に対して言ったセリフであっても聴いてみたい。
しかし校外のカフェに、今から盗聴器は仕掛けられないだろう。
「こうなったら、直接近くで聴くしかないわね……」
――この機会は聴き逃すわけにはいかない。
彼女もまた、妙な決意を胸にしていた。
「お待ちしてました! 先輩!」
「ああ、お待たせ、雨葦さん。それじゃあ行こうか」
「はい! 行きましょう!」
瀬里との会話を終えた隣太郎が一年生の教室に向かうと、昼休み以上にハイテンションになっている亜緒に出迎えられた。
正直、隣太郎としてはこうして彼女に歓迎されるのは、悪い気分ではない。
スイーツに釣られたという実情を知っているとはいえ、まるで自分とのデートを楽しみにしてくれているように見えて、幸せな気持ちになれる。
「こういうの、いいよな。まるでデートみたいだ」
「……え? デ、デートですか?」
男女二人で校外に向かうべく、廊下を歩いている状況。周囲からデートに見られたとしても不思議ではないが、亜緒は何故か意表を突かれたような顔をしている。
どうやら高級パンケーキに夢中だったせいで、自分たちの現状がどう見えているか、考える余裕が全くなかったらしい。
一応、周囲に誤解されるのが嫌で、隣太郎と二人の時は第二書庫で昼食をとっていたはずなのだが。
「高校生の男女が、二人でカフェに行くというのは、世間一般的にはデートだと思われても不思議じゃないだろう?」
「そ、それは、そうかもしれませんけど……」
亜緒は返答に詰まった。
ここでデートと認めるのは、彼女としては非常に癪である。
今となっては隣太郎に対して不快な感情はほぼ持っていないと言えるが、だからといってストーカーを自称する変人を恋人として受け入れられるかと問われると、素直に頷きかねる。
しかしデート扱いされるのが嫌だからと、帰るのは論外だ。
お高くて普通なら亜緒の小遣いでは手が出ないパンケーキを、それでも相当な額とはいえ手が届くレベルにしてくれるクーポンがあるのだ。
ここは多少のプライドを捨ててでも、勝利を掴み取りに行く場面だろう。
だから彼女が選んだのは、妥協の末の折衷案だった。
「こ、これは決してデートとかじゃなくて……。えっと、そう! 同行ストーキングです!」
「同行ストーキング」
唐突に飛び出したパワーワードに、オウム返しする隣太郎。
亜緒としては素直にデートと認めるのは嫌なので、無理矢理にでもストーキング行為の範疇ということにしたいのだろう。
相当アホっぽい発言ではあるが、なけなしのプライドを守るための、涙ぐましい努力が窺える。
「さあ、行きますよ、先輩! しっかりストーキングして下さい!」
「……ああ、そうだな。ストーキングなら俺に任せておけ」
もはや一歩も引けず、真っ赤な顔で支離滅裂な発言をする亜緒。
そんな彼女の様子を見て苦笑しつつ、改めて愛しさをえる隣太郎だった。