ex02.終わらないストーキング・ラブ・ストーリー
少女には、しばらく前から気になっている相手がいた。
一年生の頃から三年連続で同じクラスの女子――雨葦 亜緒だ。
もちろん少女が女性趣味というわけではなく、純粋な興味である。
「ねえ亜緒ちゃん」
「ん? どうしたの?」
自分の呼びかけに答えた亜緒の艶やかな笑顔を見て、「本当にこの子は綺麗になったな」と少女は密かに思った。
元から顔立ちの整った方ではあったが、一年の冬頃から亜緒はどんどん大人っぽくなっていき、今では校内でも美人と名高い存在になっていた。身長はそこそこしか伸びなかったものの、所作の節々に高校生らしからぬ品が感じられる。
一年の時から所属している図書委員では委員長を務めていて、図書室の受付で本を読み耽る姿に妙な色気があると、一部の男子たちの間で話題になっているほどだ。
「えっと……亜緒ちゃんって最近、彼氏とはどうなの? あ、旦那さんだっけ?」
高校三年生を相手に旦那のことを尋ねるというのは普通ではないが、一時期の亜緒は本当に結婚したと周囲に思われていたのだ。
それもこれも、どんどん綺麗になって異性から告白されるようになった彼女が、毎回「心に決めた夫がいますので」という断り文句を口にしていたのが原因である。普通なら一笑に付してもおかしくないような妄言ではあるが、亜緒の色気は尋常ではない人妻感を醸し出しており、周囲に「彼女なら既婚者でも不思議ではない」と思わせていた。
「あはは……まだ結婚はしてないかな。私はいつでもいいんだけど。でも来年は私も大学生になるから、また先輩と同じ学校に通えるのが楽しみなんだよね」
彼氏である「先輩」のことを思い出したのだろう、亜緒は頬を朱に染めて微笑む。油断してその笑顔を正面から見てしまった少女は、同性でありながら亜緒の魅力にやられてしまいそうになった。
「大学かあ……でも不安じゃない? 違う学校に通ってるから、彼氏さんが向こうでどんな生活してるのか分からないし」
「え、分かるよ? 先輩が大学でどんな感じなのか」
「えっと……それって彼氏さんから聞いてるってこと? でも亜緒ちゃんの彼氏さんを疑うわけじゃないけど、仮に浮気してても隠すでしょ、普通は」
亜緒には「疑うわけじゃない」などと言ったものの、少女は亜緒の彼氏を疑っていた。何故なら先輩とやらは高校在学中から、亜緒以外にも複数の女子と行動を共にしている姿を目撃されているのだ。
一年生の頃、その件について亜緒に尋ねた時は「先輩とはそういう関係じゃない」と返されて安心していたのだが、後になって亜緒は本当にその先輩と交際を始めてしまった。当時の少女はそこまで亜緒と親しかったわけではないので詳しく聞くことは出来なかったが、三年目の付き合いである今となっては完全に友人として認識しており、非常に心配だった。
しかし、そんな少女の不安を切り捨てるかのように、亜緒はやけに大人びた笑顔を浮かべて淀みなく答える。
「大丈夫、全部分かってるから」
「そ、そうなの? でも知らない女の人と仲良くなってたり……」
「あり得ないよ。それこそ知らない人なんて、絶対ない」
「そうなんだ……」
あまりにも亜緒がハッキリと断言するので、少女もそれ以上の追求を続けることが出来なかった。
今のところ亜緒は怒った様子を見せていないが、あまりにしつこく言うと気を悪くしてしまうかもしれない。
「亜緒、おっはよー!」
少女が会話を続けるかどうか悩み出したその時、元気な声と共に小柄なクラスメイトが亜緒にしがみついてきた。
「わっ!? もう、いきなり抱き付かないでよ、翠」
「えっへへ……ごめーん♪」
少女や亜緒と三年間同じクラスに所属している、喜久川 翠である。
一年生の夏頃から転入してきた彼女は、その明るい性格ですぐさまクラスに溶け込み、その中でも亜緒とは親友と呼べる間柄となっていた。
活発な性格で体育会系に見えるが、実際はカメラが趣味で写真部の部長を務めている。まあ、この学校の写真部は幽霊部員ばかりで、翠もコンクールなどを狙っているわけではないのだが。
「おはよう、翠ちゃん」
「あ、おはよー!」
少女の挨拶にも、翠は元気に答えてくれる。
人当たりの良い彼女のことを少女も好ましく思っているが、一方で翠には不穏な噂があり、亜緒に負けず劣らず気になる点があるのも事実だった。
その噂とは、自分たちが一年生の頃から流れているもので――亜緒の彼氏である「先輩」と親しい女子の一人が、目の前にいる翠であるという内容なのだ。
放課後になると、少女はかねてより考えていたことを実行に移した。
すなわち――亜緒の尾行である。
亜緒が放課後、頻繁に大学生の彼氏と会っているのは、校内でもそれなりに知られている話だ。
自分たちが今いる高校の前で、彼氏と待ち合わせをしている姿が他の生徒に目撃されており、その時の幸せそうな亜緒の様子を見て彼女への恋心を諦めたという男子は、決して少なくない。
一説によれば、恋愛の悩み相談のような活動をしている部にて「彼女は恋人と順風満帆なので、諦めた方がいい」と説かれた男子生徒もいるとか。そんな胡乱な部活が本当にあるのか、少女は半信半疑だったが。
それはともかくとして、亜緒と先輩の逢瀬については他にも色々な尾ひれがついており、少女としては一度その真偽を確かめてみたいと思っていたのだ。
(特に動きはない、か。それにしても相変わらず、本を読んでる時の亜緒ちゃんは綺麗だなあ……。男子が見惚れる気持ちも、少し分かるかも)
少女が本棚の陰から見つめる先で、亜緒は図書室の受付に座りながら、美しい所作で小説を読み耽っていた。
伏せた目や時折さらりと流れる黒髪は得も言われぬ魅力を醸し出していて、本当に同じ高校三年生なのかと少女は疑問を覚える。
図書室の中には本を読んでいると見せかけて、亜緒の姿をチラチラと横目で眺めている男子生徒も何人かいるようだ。見世物のようになるのは少し抵抗があるものの、同じ女性として素直に凄いと少女は思った。
少女が亜緒に興味を持っているのは、決して短くない付き合いの友人が彼氏に騙されているのでは……という心配があるのはもちろんだが、亜緒の魅力の秘訣を知りたいというのも理由の一つである。
正直に言えば、亜緒の顔立ちは確かに整ってはいるものの、少女だって決して器量で彼女に大きく劣っているとは思っていない。それでも亜緒が自分にはない不思議な魅力を持っているのは事実であり、それが何に由来するものなのかを知りたいのだ。
(別にたくさんの男子にモテたいわけじゃないけど……私だって捨てたもんじゃないと思うんだよね。亜緒ちゃんと私で、何が違うのかなあ)
少女の視線の先では、亜緒が男子の注目を集めながら読書を続けて、その隣にいる図書委員の女子が受付業務に従事するという光景が繰り返されている。
亜緒は受付としてはベテランであり、現在はあくまで不測の事態に対処するためのアドバイザー的な立ち位置なのだ。そもそも現在、図書室にいる生徒の一部は亜緒を見に来ているだけなので、来客が多い割に受付の仕事はそれほど忙しくなかった。
そんな繰り返しの光景に少女が少し飽きてきた頃、亜緒が呼んでいた本を閉じてポケットからスマホを取り出した。
画面を見た彼女は小さく――しかし傍目から見ても幸せそうに顔を綻ばせて、もう一人の受付の女子に何事かを告げて立ち上がる。そして脇に置いていた鞄を手に取り、受付を離れて図書室の出入り口に向かった。
おそらく彼氏からの連絡を受けて、これから会いに行くのだろう。彼女のこの行動も噂として、一部の生徒の間で囁かれている。
亜緒が図書室を出ようとした瞬間、それまで室内にいた男子の大半が退席を始める。その様子を眺めながら、受付に残された女子生徒は呆れた顔を浮かべていた。
隠れて亜緒を追いかける少女は、昇降口で靴を履き替えて校舎の外に出た。
校門に目を向けると一人の男性が立っていて、少女の前を行く亜緒に優しげな表情を向けている。
(アレが亜緒ちゃんの彼氏さんか……。亜緒ちゃんには悪いけど、別に普通の人って感じだなあ。たくさんの女の人に好かれるようには見えないや)
少女の目に映る亜緒の彼氏は、まさに「普通の大学生」という感じだった。
取り立ててイケメンというわけでもないが、恋人がいても不思議ではない程度には真っ当な見た目をしている。ただ複数の女子に囲まれているという噂を加味すると、首を傾げずにはいられなかった。
少女の視線の先では、そんな彼氏に対して亜緒が親しげに話しかけている。その表情は遠目に見ているだけでも彼氏への深い愛情が伝わってきて、クラスメイトとして亜緒を見慣れている少女でさえもドキリとさせられた。
(亜緒ちゃんって、彼氏さんの前だとあんな顔するんだ……。私もああいう優しそうな彼氏が出来たら、亜緒ちゃんみたいな顔するのかな?)
少女は高校三年生の今に至るまで、一度も彼氏が出来たことはない。
別に男子を意図的に避けてきたわけではないし、苦手意識があるというわけでもないのだが、たまたま幼少時から同性との付き合いが多く、そのまま特に親しい異性が出来ないまま年を重ねてきたのだ。
だから「男性と付き合っている自分」と言われてもピンと来ないが、いつか素敵な彼氏が出来たとしたら、亜緒のように幸せな笑顔を浮かべられるのだろうか。
そんなことを考えていた少女の耳に、聞き慣れた声が届いた。
「やー、いいねいいねー! リン兄も亜緒も、めっちゃいい顔してるよー!」
少女が声――とシャッター音のした方に目を向けると、クラスメイトである翠がカメラを構えて、楽しそうに亜緒たちを撮影していた。
「す、翠ちゃん……!?」
クラスメイトの信じ難い姿を目撃した少女は、思わず声を上げてしまった。
確かに翠のことも噂になっていたが、まさか本当に亜緒と彼氏の近くで目撃するとは思っていなかったのだ。
名前を呼ばれたことで少女の存在に気付いた翠は、不思議そうな表情で声をかけてきた。
「あれ、こんなとこでどうしたの?」
どうしたのかと聞きたいのは、少女の方である。
同性のクラスメイトと彼氏の逢瀬を隠し撮りするのは、明らかに尋常ではない。
今すぐ翠を問い質したい少女だったが、自分も亜緒を尾行している立場なので下手なことを言うわけにはいかない。
どう答えたものかと悩む少女を見て、翠は何かを察したように微笑んだ。
「あ、もしかしてリン兄たちを追いかけてるの? じゃあ一緒に行こうか!」
「え? ええっ!?」
まさかの「一緒に尾行しよう」という提案に、少女は驚きの声を上げる。
そんな彼女の手を取り、翠は意気揚々と亜緒たちの後を追いかけ始めた。
動揺のあまり翠の手を振りほどく事も出来ず、少女は友人に手を引かれて別の友人を尾行するという、奇妙な体験をしていた。
「このルートだと、今日の行き先はカフェかなー。あそこのパンケーキ、亜緒のお気に入りだし」
「パンケーキ? ああ、あそこの……美味しいよね。私も好きかな」
手慣れた様子で気配を消しながら街を歩く翠を見習いつつ、少女は亜緒たちの行き先について話し合っていた。
翠が言っているカフェというのは、少女が想像しているところで間違いないだろう。確かに以前行った時に食べたパンケーキは絶品だったし、学校で亜緒とその店について感想を言い合った覚えもある。
「む……今のもいい表情。やー、撮り逃しちゃった。残念残念」
「…………」
自分の手を引きながら、楽しそうに尾行をしている友人の姿を、少女は見つめる。
翠の様子は教室で見ている時と変わらず、明るく生き生きとしていた。
「あの……翠ちゃんって、亜緒ちゃんの彼氏さんと知り合いなの?」
恐る恐るといった態度で、少女はさっきから疑問に思っていたことを問いかけた。
翠は亜緒の彼氏のことを「リン兄」と呼んでいたし、その他の言動からも亜緒だけでなく彼に対しても親愛の情を持っていることが窺える。
そんな少女の問いに、翠は至って自然な調子で答えた。
「んー? リン兄とは幼馴染だよ。私、小学生の途中までこっちにいて別のとこへ引っ越したんだけど、その前からリン兄とは仲良かったんだよ」
「あ、そうだったんだ」
翠が一度引っ越して戻ってきたという事実を、少女は初めて知った。
だが幼馴染であるなら、亜緒の彼氏に対して親しげな態度なのも頷ける。隠れて盗撮をしているという点については、まったく頷けなかったが。
「そっか……幼馴染なんだ。てっきり三角関係なのかと……」
「あ、リン兄のことは好きだよ? 男の人として」
「えっ?」
当たり前のように三角関係を肯定されて、少女は呆けた声を出した。
そんな少女の様子には構わず、翠は当たり前のように自分の失恋について話し続ける。
「再会したら、自分の気持ちを伝えたかったのにさー。リン兄ってば、私じゃない子を好きになってるんだもん。妬いちゃうよね」
「え、えっと……」
これは、もしやドロドロの愛憎関係というヤツなのでは?
そんな昼ドラ染みた想像をしてしまった少女だったが、翠の表情はわずかな寂しさこそ滲ませているものの、亜緒やその彼氏に対する怒りは感じられなかった。
とはいえ翠が失恋をしたのは事実であり、そんな話を聞いてどういう反応をするべきかは判断しかねる。
少女が答えに迷っていると、横から知らない声がかけられた。
「――ほら、翠ちゃん。話してるうちに亜緒ちゃんたちが行っちゃうよ」
そちらに顔を向ければ、少し大人びた女性が呆れ顔を浮かべている。
「あ、瀬里さん」
「もう、対象から目を離すなんて、何やってるの。いくら会話に夢中でも――って、あれ? この子は……もしかして普通に遊んでた?」
瀬里と呼ばれた女性は、翠に対して小言めいたことを言っていたが、隣にいる少女が見知らぬ相手だと気付いて首を傾げた。
「え、えっと、私は……ああっ!?」
「え? な、何!? ダメだよ、大声出したら。対象に見つかっちゃうよ?」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃないですよ!」
とりあえず自己紹介をしようとした少女だったが、ふと亜緒たちの方に目を向けた瞬間、思わず声を上げてしまった。
それも無理はない。先を行く亜緒たちに、いつの間にか金髪の綺麗な女性が声をかけていたのだから。
「あ、あれって、もしかして逆ナンですか!?」
「あー……そうだね、逆ナンだね」
「確かに……逆ナンかな、アレは」
すわ一大事と慌てる少女だったが、翠と瀬里は落ち着いた態度のままだった。
少女は瀬里のことは全く知らないが、翠についてはさっき亜緒の彼氏に対する想いを聞いたばかりだ。それなのに美人の逆ナンを冷静に見ていられる心境が、少女には理解できなかった。
「な、なんでそんなに落ち着いてるんですか!?」
「いや、だって……大丈夫だよ、アレは」
「そんなの分からないじゃないですか! 会話が聞こえてるわけでもないのに!」
「あら、じゃあ聴いてみる?」
「へぇ?」
何故か興奮気味になってきた少女の前に、突如としてトランシーバーのような謎の機械を持った手が差し出された。
色白なその手を辿っていくと、淑やかな雰囲気の美人がいつの間にか真横に立っていることに気付く。
「あ、十和先輩」
「え? だ、誰ですか? これ、何なんです?」
「いいから聴いてみて。大丈夫、ただの盗聴器だから」
「ただの盗聴器!?」
そもそも盗聴器自体が普通ではないというツッコミを入れる余裕は、少女にはなかった。
十和と呼ばれた女性がスイッチを押すと、どうやら盗聴器の受信機らしい機械がノイズ混じりの声を発し始めた。
『いや、そんなこと言われても困るんだが』
『いいじゃないの、あたしの相手してくれたって。きっと後悔させないわよ?』
『絶対、後悔するだろ……』
聴こえてきた会話の内容は、どう考えても逆ナンだった。
「ほ、ほら! やっぱり逆ナンじゃないですか!」
「だから、そうだって言ったじゃん」
「なら、どうしてそんなに落ち着いてるの、翠ちゃんは!?」
あくまで冷静な態度を崩さない翠に、少女は食ってかかる。
自分がどうしてここまで熱くなっているのか、少女自身にもよく分かっていなかった。
友人である亜緒の彼氏が誑かされそうになっているので、亜緒が悲しむのではないかと危惧しているのか。それとも別の理由があるのか――。
そんな彼女に向けて、翠は「問題ない」と言わんばかりに首を振った。
翠が何を言おうとしているのか分からなかった少女だが、そこで盗聴先の会話の雰囲気が変わったことに気付く。
『何よ、もう……相変わらずつれないわね、アンタは』
『つれたら浮気になるだろうが。まったく……』
『そうですよ、伊摩先輩はいつもいつも……。十和先輩も、どうせ近くで聴いてるんですよね? すみませんけど、もう少し二人きりにしていただきたいので、伊摩先輩の引き取りをお願いします。』
『引き取りって、アンタね。人を何だと思って……ちょっと! 無視すんじゃないわよ!』
少女にとっては腑に落ちない発言も多かったが、どうやら逆ナンは失敗したようだ。
亜緒たちの方に視線を戻すと金髪の女性に構わず歩き出しており、残された女性が何故かこちらに近寄ってくるところだった。
翠や他の二人が特に反応を示さない――正確には呆れたような苦笑顔をしていたので、少女も特に身構えず金髪女子――伊摩と呼ばれた彼女を出迎えた。
間近で見ると、派手な金髪に赤いフレームの眼鏡が映える美人であることが分かったが、しきりに眼鏡を上げる仕草が却って慣れていない雰囲気を醸し出している。
「せっかく亜緒とお揃いの伊達眼鏡にしたのに、全然リアクションなかったわね、アイツ。別に眼鏡フェチってわけでもないのね」
「でも似合ってて可愛いわよ、伊摩ちゃん」
「うんうん、いい感じ! 一枚撮っとこうよ、ほらチーズ!」
言いながら翠がカメラを向けると、伊摩はサッとポーズを決めた。
即興にしては堂に入った、見栄えのするポーズである。
あまりに見事なモデルぶりに、思わず感心してしまう少女だった。
「ふう……褒められて悪い気はしないけど、やっぱり肝心なヤツの目を引けないのは問題よね」
翠がカメラのシャッターを切ると、すぐに眼鏡を外しながら愚痴を零す伊摩。
慣れない伊達眼鏡のせいで疲れたのか、鞄にしまった後で目の辺りをほぐすように押さえていた。
「もう、いっそのこと脱いだら?」
「前にそれやって、何日か着拒されたじゃないの」
瀬里が涼しい顔でとんでもないことを言うと、伊摩は顔を顰めながら答える。
「あ、そっか。そんな事もあったね」
「アレは流石にきつかったわ……泣いて縋ったら解除してくれたけど」
「振られてもリン兄の前では泣かなかったのに、そこは泣くんだね、伊摩さん」
「乙女心ねえ……」
振られただの泣いて縋るだのといった言葉が当たり前のように飛び交う中で、少女は状況が理解できずに立ち尽くしていた。少なくとも「乙女心」という一言で片付けていい問題ではないのは分かったが。
そんな彼女の存在に、ようやく伊摩が気付いた。
「ていうか、この子はどうしたのよ? 誰かの知り合い?」
「ああ、そういえば私も聞こうと思ってたんだっけ。翠ちゃんの友達でいいのかな?」
「あ、えっと……」
いきなり話を向けられて、少女は答えに詰まる。
すると少女の代わりに、翠が答えてくれた。
「そうだよー、私と亜緒のクラスメイト。なんか校門のところでリン兄たちを尾けてるみたいだったから、一緒に連れて来ちゃった」
答えてくれたのはいいが、言わなくていいところまで説明していた。
確かに少女は、亜緒たちを尾行していたが……。
少女が話を誤魔化す前に、伊摩が質問を飛ばしてきた。
「尾けてたって……アンタも隣太郎のことが好きなの?」
「え? あの、隣太郎って……亜緒ちゃんの彼氏さんのことですか?」
「そうだけど。アンタ、相手の名前も知らずに尾けてたわけ?」
そう言われても、少女は亜緒の彼氏――隣太郎とやらが目当てで二人を尾行していたわけではない。あくまで純然たる興味本位だ。
そして少女の興味は、目の前の四人にも向けられていた。
「あの……ここにいるみんな、揃って隣太郎さん?のことが好きなんですか?」
好奇心に負けた少女は、四人に質問を投げかけた。
翠の気持ちはさっきも聞いたが、他の三人も似たような境遇なのだろうか。
少なくとも伊摩は、なんらかの意図があって逆ナンのような真似をしていたはずだ。
少女の問いかけを受けて、四人は顔を見合わせた。
「まあ……そういうことね。あたしたちは四人とも、あの朴念仁が好きなのよ」
「そ、それって亜緒ちゃんを蹴落とすみたいな……?」
「うーん、ちょっと違うかな。トナリくんと恋人にはなりたいけど、別に亜緒ちゃんが邪魔ってわけでもないんだよね」
同じ男に惚れているのに、その彼女が邪魔ではないとは、どういう意味だろうか。
眉を顰める少女に、翠がいつもの調子で笑いかけた。
「私も先輩たちも、リン兄だけじゃなくて亜緒のことも好きなんだよ」
「そうねえ。最近はもう、みんなで隣太郎くんと付き合ってもいいかなって気がしてきたわ」
「やー、それはリン兄が受け入れてくれないと思うなあ……」
少女の前で、四人の女子が同じ男に対する想いを語っている。
そして彼女たちが語る「好きな相手」の中には、隣太郎の恋人である亜緒まで含まれていた。
「……わけ分かんないです」
あまりに常識を外れた理屈に対して、少女は率直な感想を漏らした。
そもそも同じ男を好きな人間が仲良くしていること自体、少女には理解し難い。
そんな少女の呟きに、十和が端的な言葉で答えた。
「要するに――愛ね」
それはあまりに陳腐で、それなのに少女の心に残る言葉だった。
「それで済ませちゃうんだ、十和先輩」
「雑にまとめたわね……」
「いいんじゃない? リン兄のことが好きなのは事実だし」
他の三人は呆れた顔をしているが、少女だけは真剣に十和の言葉を受け止めていた。
少女は隣太郎のことを、普通の男だと思っていた。
それは決して間違っていないが、しかし隣太郎は実際に亜緒も含めて五人もの女子に好かれているのだから、彼女たちにとっては特別な存在なのだろう。
(どんな人なんだろう……隣太郎さんって)
少女は自分の興味の対象が、亜緒から隣太郎に移っていることを自覚していた。
少なくとも隣太郎には、五人の女子を夢中にさせるだけの何かがあるはずだ。
その「何か」を知りたいと、少女は心から思った。
「さて、話はこのくらいにして、そろそろ行くわよ」
スマホで時間を確認した伊摩が、不意にそんな言葉を口にした。
「そうだね。トナリくんたちがカフェから出たら、合流しよっか」
「どこで遊ぼうかしら? 隣太郎くんのお家……は、少し嫌がるのよね」
「それは十和さんが、盗聴器を置いてくせいだと思うなー」
「や、アンタのカメラも大概でしょ」
どうやら彼女たちは、亜緒や隣太郎と合流するつもりらしい。
自分はどうするべきかと迷っている少女に、四人が揃って笑顔を向けてくる。
「アンタはどうする? このまま一緒に来る?」
伊摩が代表して、少女に声をかけてきた。
他の三人もその表情を見れば、少女を歓迎していることが分かる。
そんな彼女たちの顔を確認した少女は、自分の素直な気持ちを口にした。
「私は――」
この後、「彼女」がどうなったのかは、残念ながら語ることは出来ない。
一人の少年と少女たちの繰り広げる恋物語は、これにて閉幕である。
だが幕が下りた後も、彼と彼女たちの騒がしい日々は続くのだろう。
少女たちの愛が続く限り――奇妙な恋の話に、きっと終わりはない。
これにて本作は終了となります。
本編42話中の10話以上が書き直しとなり、途中で手が回らなくなった時期もありましたが、どうにか再び本作を完結へと導くことが出来ました。
最後の最後で、まさかの「六人目の少女」が登場。
彼女は本編36話の見舞い話に登場した、亜緒のクラスメイトです。
設定としては、好奇心の強い「知りたがり」の少女となっています。
仲間入りするとしたら、きっと情報収集にハマるはず。
ちなみに本作は現代舞台において、疑似的なハーレムラブコメを目指した作品となります。
それでいてヒロイン同士も仲が良いという、非常にご都合主義な設定です。
ドタバタラブコメが好きなので、実は「幼馴染(彼氏持ち)」よりも本作の方が、投稿小説を書き始める前に目指していたものに近かったりします。
三人称も難しかったですが、一人称にはない魅力がある表現だと思うので、いずれ別の作品でも挑戦してみたいですね。
長くなりましたが、これにてリメイク版も完結となります。
本作に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




