38.梔さんはお姉ちゃん
十和から衝撃の告白を受けた、その翌日。
亜緒は放課後に瀬里と話をしようと、第二書庫に呼び出していた。
わざわざこの場所を指定したのは、亜緒が瀬里と初めて会ったのが図書室なのでそこにしたかったが、流石に会話をするのには向かないと考えたためだ。
第二書庫は実質的に亜緒のプライベートスペースと化しているので、人目を忍んで会話をするのにも都合がいい。
「瀬里先輩なら大丈夫だよね」
瀬里の来訪を待ちながら、亜緒は不安を募らせていた。
十和から受けた衝撃の告白。それは彼女が盗聴という行為に手を染めているだけでなく、他の女性陣もなんらかの行為を隣太郎に対して働いているというものだ。
言われた直後は、瀬里たちへの信頼が揺らいだ亜緒だったが、落ち着いて考えれば十和の狂言――というと人聞きが悪いが、まあ悪ふざけのようなものだった可能性もある。
十和は素敵な先輩だと亜緒は思っているが、そういう悪戯好きな一面があるのも事実だ。
きっと盗聴の件も含めて、自分は十和にからかわれているのだろうと、亜緒は思った。というか、思いたかった。
「亜緒ちゃん、お待たせ」
亜緒の思考が袋小路に陥りそうになっていると、ようやく瀬里がやって来た。
普段通りの頼れる先輩という感じの笑顔に、亜緒は安心感を覚える。
瀬里がそんな風に見えている時点で、亜緒の目はかなり曇っているのだが。
「瀬里先輩。お呼び立てして、すみません」
「いいよ、全然。他ならぬ亜緒ちゃんのお願いだもの」
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」
亜緒と瀬里は二人揃って、落ち着いた様子で挨拶を交わす。
「それで伊摩から聞いたんだけど、私たちに相談したいことがあるんだよね? 私で助けになるかは分からないけど、とりあえず聞かせてもらえる?」
今日の瀬里は、いつも以上に気合が入っていた。
自分を姉のように慕ってくれている亜緒が、相談事を持ちかけてきたのだ。
これで奮起しなければ、彼女の姉は名乗れないだろう。実際に名乗ったことは一度もないが。
瀬里は伊摩から「亜緒が相談を持ちかける」と聞いた他に、十和からも昨日、亜緒の相談に乗ったことを聞かされていた。
十和に相談したはずの亜緒が、瀬里にも話を持ちかけてくるということは、十和のところでは問題が解決せずに瀬里を頼ってきたということだ。少なくとも瀬里は、十和の話を聞いてそう判断した。
十和が解決できない悩みでも瀬里なら解決できると、亜緒が頼ってくれている。
その認識が、瀬里をいつも以上にお姉さんぶらせているのだ。
「はい、ありがとうございます。それで、相談したい事というのは、トナリ先輩の事なんですが……」
――恋の悩み!
亜緒から出てきた話題に、瀬里は心の中で目を見開いた。
実に女子高生らしい、そして姉に相談するに相応しい悩みだと、瀬里は納得する。
「十和先輩からも聞いてるんだけど、昨日先輩にも相談したんだよね? 私のところにも来たってことは、先輩は解決できなかったのかな」
「あ、十和先輩からも聞いてるんですね。その……先に十和先輩を頼ったみたいですけど、最初から順番に話を聞いていただきたいと思ってたんです。どうか、お気を悪くなさらないで下さい」
「もちろん、そんな風に思ったりしないよ。むしろ十和先輩にも解決できなかった悩みを私に相談してくれるなんて、光栄に思ってるくらいかな」
申し訳なさそうな亜緒に、瀬里は殊勝な態度で応じる。
瀬里の言った言葉は、偽りない彼女の本心である。
瀬里は十和のことを学年の違う友人と見なしているが、交流を持つようになった経緯や、亜緒の姉としての立ち位置を巡って、多少の対抗意識も持っている。
ここで姉としてリードしたいと、瀬里は大いに奮起していた。
ちなみに翠も瀬里にとって可愛い後輩ではあるのだが、彼女とはお互いに隣太郎のストーキング仲間という認識が強かったりする。
いまさら瀬里が彼女に対して姉ぶった態度をとるのは、かなり厳しいだろう。
「えっと、瀬里先輩は、私とトナリ先輩のことは聞いてるんでしたっけ?」
「トナリくんが亜緒ちゃんに告白したことでしょ? 本人から聞いてるよ」
「……予想はしてましたけど、ホントに皆さんに話してるんですね、トナリ先輩。えっと、それで悩みというのは――」
そのまま亜緒は、瀬里に自分の悩みを話した。
内容は十和にしたものと同様で、亜緒自身も後から隣太郎を好きになったが、自分に自信が持てなくて気持ちを伝えられないこと。そして瀬里も含めて、隣太郎の周囲にいる女性が自分よりもずっと素敵に思えて、どうしようもなく劣等感を覚えてしまうということだ。
加えて亜緒は、十和と相談した結果として、彼女たちのことも好きで決して切り捨てられないと理解したことも、瀬里に伝えた。
「なるほど……大体は十和先輩と話して、解決してる感じなんだね」
「そうですね。先輩方へのコンプレックスと言いますか、そういう部分は気にしても仕方ないと、吹っ切ることは出来たと思います。それでも瀬里先輩たちにも、お話を聞いてみたくて……」
亜緒の説明を聞いて、瀬里は切実に思った。「十和先輩、グッジョブ!」と。
想像以上に亜緒の悩みがガチ過ぎて、最初に瀬里のところに来ていたら期待に応えられたか自信がない。もう少しソフトな恋の悩みが来ると思っていた。
今回は亜緒が十和に相談して得た答えを補強する意味合いが強いので、恋愛経験なんて隣太郎に対してだけの上に、自分でも気持ちに気付いていなかったような瀬里でも、なんとか先輩の面目を保てるだろう。
「うーん、でも私も十和先輩と似たようなことしか言えそうにないかな……せっかく亜緒ちゃんに頼られてるのに、こんなんじゃ格好悪いけど」
「そ、そんなことありません! そもそも私がウジウジと悩んでるのが、いけないんですから!」
話ながら瀬里は「ここだ!」と膝を打った。もちろん心の中で。
「そんなことないよ。亜緒ちゃんが、トナリくんや私たちとのことで悩んでいたって、それは自然なことで全然『ウジウジ』なんてしてないんだよ」
「そ、そうでしょうか……?」
「うん、それにね……私はたしかにトナリくんのことが好きだけど、もし亜緒ちゃんや伊摩たちの誰かがトナリくんと付き合うことになっても、『なんであの子が!』みたいにはならないと思う。『私が付き合いたかった』とは思うかもしれないけどね」
大筋は一般論で固めつつ、さらに瀬里は自分なりのアドバイスも加える。
どうにか頼れる先輩として振舞えたと、胸を撫で下ろした。やはり心の中で。
お姉さんぶる方に意識が向き過ぎているが、亜緒に言った言葉は紛れもない瀬里の本心である。
瀬里は隣太郎が好きだし、出来れば彼氏彼女の関係になりたいと思っている。
しかし亜緒や伊摩たちのことも、友人として大切に思っているのだ。
彼女たちが相手であれば、たとえ隣太郎が自分以外を選んでも納得できるだろうと、瀬里は本気で考えていた。
「私も……まだ、ハッキリとそうは思えないかもしれませんけど。だけど、そう思えたらいいなって思います」
「まあ、なかなか難しいよねえ。恋の悩みだもん」
「ですね。女の子にとっては、何より深刻なことですから」
おどけるように言う瀬里に、亜緒も同じように返した。
恋に悩む後輩と、その後輩を優しく導く先輩の姿が、そこにはあった。
「ありがとうございます。やっぱり、瀬里先輩にも相談して正解でした」
「そう? 亜緒ちゃんの助けになれたなら、私も嬉しいな」
「それで、その……実はもう一つ悩みというか、ご相談したいことがあるんですけど……」
「え、そうなの? せっかくだし、このまま聞いちゃうよ?」
まさに円満解決、と瀬里が満足していると、少し申し訳なさそうな様子で、亜緒が別件の相談事があると告げてきた。
後輩の恋の悩みを華麗に解決できて気が緩んでいた瀬里は、思わぬ追加オーダーに面食らうが、すぐにもう一つの悩みも聞いてあげようと思い直した。
なにせ恋の悩みを解決したのだ。他の悩みだって、先輩らしく解決してあげようと、瀬里は意気込んでいた。有り体に言うと、ちょっと調子に乗っていた。
そんな瀬里の内心は知らないまま、亜緒はおずおずと口を開いた。
「あの……実は十和先輩から、トナリ先輩の……と、盗聴をしていると言われまして。しかも他の皆さんも、トナリ先輩に何かよからぬことをしてるような口振りで……」
「……はぇ?」
想像もしていなかった亜緒の言葉に、鼻高々ガールと化していた瀬里は、自称・頼れる先輩の表情のまま固まった。
混乱した頭で先程の亜緒の言葉を反芻して、その意味を理解する。
そして余計に混乱した。
――ちょっと! なに勝手にバラしてるの、あの声フェチ先輩!?
瀬里の胸中は、混乱を極めていた。
まさか十和が自分の盗聴趣味をバラすとは。しかも瀬里たちまで巻き込んで。
「いえ、その、私も突拍子もない話だとは思ってるんです。十和先輩はハッキリ言ったわけじゃなくて、匂わせるような言い方でしたし。後になって考えれば、十和先輩が盗聴してるという話からして、冗談だったんじゃないかと思うんですけど」
しどろもどろに発言する亜緒を見て、瀬里は少しだけ心を落ち着かせた。
どうやら十和は、瀬里たちの凶状について明言したわけではないらしい。
これなら誤魔化せるのでは――と考えたところで、瀬里は頭を振った。
――ここで誤魔化しても、どこかでバレるに決まってるじゃない!
たとえこの場は誤魔化せても、伊摩や翠も同じように出来るとは限らない。
こんなことを瀬里が考えていると伊摩に知られたら、「や、アンタが一番ヤバいから」と呆れた顔をされるだろうが、瀬里にその自覚はない。
第一、運よく全員が誤魔化せたとしても、これまでのように好き勝手に隣太郎をストーキングできなくなるのは、間違いないだろう。
そうなると、答えは一つ――開き直りである。
「冗談じゃないよ! 亜緒ちゃん!」
「そ、そうですよね! 瀬里先輩たちがトナリ先輩に変なことしてるなんて……そんな嘘を吐くなんて、まったく冗談じゃないですよね!?」
「ううん、違うの! 十和先輩の言ったことが、冗談なんかじゃないの!」
「ええ!?」
今度は亜緒が、混乱を極める番だった。
信頼を寄せていたはずの瀬里が、自分もやらかしていますと白状してきたのだ。
しかも妙に堂々と。本当に冗談であってほしかったのに。
しかし開き直った瀬里は、混乱する亜緒の肩を掴んで、無情にも語りかける。
「亜緒ちゃん、聞いて。私、ストーカーなの」
「え? あの、ストーカーはトナリ先輩では?」
「あんな、ちょっと好きなものをあげたら懐いちゃう、チョロい女の子に餌付けしてるようなのとは違うよ。私は好きな男の子を、陰からコソコソ見守るのが好きなの。トナリくんと亜緒ちゃんが一緒にいるところも、いつも覗いてるんだよ」
「あの、チョロい女の子って、もしかして私のことですか?」
なんだか馬鹿にされたような気がして冷静になった亜緒だが、瀬里は止まらない。
「大体、盗聴とか盗撮なんて邪道だよ。やっぱり好きな人は、自分の足で追いかけて、自分の目で見守るべきだと思うの。それに比べると、卑猥な写真を送り付けるなんて、ホントに意味が分からない! なのに、なんであんなに偉そうなの!?」
「ちょっと、瀬里先輩!? 盗撮とか写真を送り付けるって、なんのことですか!? それ、他の人がやってるんですか!?」
理性というストッパーが外れた瀬里は、内に秘めていたストーキングへのこだわりを赤裸々に捲し立てる。
ついでに他の女性陣の凶状もバラし、十和以上の情報漏洩力を発揮していた。
そして伊摩が度々、自分の行為を棚に上げることについて、やはり鬱憤が溜まっていたらしい。
しばらくストーキングの暴露話を続けていた瀬里だったが、勢いよく話して疲れたのか、ほどなくして落ち着いた様子に戻る。
「ふう……なんか言いたいこと言ったら、スッキリした……あ」
「…………」
落ち着いたところで瀬里は、可愛い後輩からジト目を向けられていることに気付いた。
しかし気付いたところで、さっきまでの発言は決してなかったことにはならない。
「私の話は、ここまでだね! あとは翠ちゃんに話を聞くのかな!?」
「え? あ、はい」
窮地に陥った瀬里が選んだ答えは、やはり開き直りだった。
この場はどうやっても取り繕えないので、とりあえず逃げることにした。
大丈夫。亜緒は優しい後輩だから、自分に冷たくしたりはしないはずだ。現に盗聴の話を聞かされても、十和に愛想を尽かしたりしていないじゃないか。
そう思いながら――というか神に祈りながら、瀬里は第二書庫を後にする。
取り残された亜緒は、ソファに座ったまま自分の頭を抱えた。
皮肉にもそれは、彼女の想い人が夜な夜なやっている仕草に酷似していた。




