31.追っかけくんと少女たちの夏の終わり
「伊摩先輩たち、翠と仲良く出来てるでしょうか?」
「どうだろう。多分、大丈夫だとは思うんだが」
伊摩たち三人が翠を連れて別行動を始めたので、隣太郎と亜緒は二人で夏祭り中の神社を見て回っていた。
久々のデートならぬ、同行ストーキング気分である。
「亜緒の方は、翠と仲良く出来そうだな。ありがたい」
「翠は明るいですから。それにトナリ先輩の幼馴染なら、悪い子じゃないって信用できます」
「ストーカーなのになあ」
相変わらずストーカー扱いなのに信用できるという矛盾に、隣太郎は苦笑を浮かべる。
亜緒の意地っ張りというか、素直になれない部分は相当だ。
仲良くなっているのは間違いないのに、なかなか先は遠いと隣太郎はしみじみ思った。
「お、亜緒。ベビーカステラがあるぞ。あっちはチョコバナナだ」
「それは魅力的ですけど、今は先輩にいただいた飴が口の中にあるので、他の物は食べられませんね」
そう言いながら、亜緒は口の中にある飴を下で転がし、カラコロと小さな音を立てる。
嬉しそうな顔をしているのは、飴が甘いからだろうか。それとも隣太郎から貰った飴だからだろうか。
後者なら嬉しいと、隣太郎は願った。
「やー、リン兄、いい表情してるなー」
「ちょ、せっかくいい雰囲気なんだから、ほどほどにしておいてあげなさいよ?」
にやけ顔でシャッターを切る翠を、伊摩はやや引いた表情で嗜めた。
現在、彼女たちは再び雑木林に戻り、隣太郎と亜緒の様子を窺っていた。
一人は窺うだけでは済んでいないが。
「もちろん亜緒の邪魔する気はないけど、リン兄のあんな顔見て、黙ってなんていられないよ!」
「ええ……? なんなの、この子?」
可愛い後輩ができたと思ったのに、とんだ変態だった。
伊摩が溜め息を吐く横で、瀬里と十和も苦笑を浮かべている。
「えー、でも伊摩さんも、リン兄に色々してるんでしょ? ストリップだっけ?」
「脱いでないわよ! ちょっと際どい格好の写真送ってるだけだっての!」
断じてストリップではないと豪語する伊摩だが、実際の行動が世間的にストリップよりマシだと思われるかどうかは、定かではない。
「あんまり変わんないと思うけど……リン兄がたまに部屋で頭抱えてたのって、そういうことだったんだ」
盗撮中に気になったことの答えが、思わぬところから判明した翠だった。
「翠ちゃん、もしよかったら私にもトナリくんの家、教えてくれない? あと翠ちゃんが撮影してる場所も」
「ちょっと瀬里。アンタ、何するつもりよ?」
瀬里の発言に嫌な予感を覚えた伊摩が問うと、瀬里は真っ赤な顔で俯きがちに答えた。
「べ、別にちょっと気になるだけだし。あ、十和先輩、望遠鏡って持ってません?」
「家にあるわよ?」
「絶対、気になってるだけじゃないでしょ!? 十和先輩も普通に貸そうとしてんじゃないわよ!」
恥じらう乙女のような表情で話す瀬里だが、その内容は乙女とはほど遠い。
ついに隣太郎の自宅まで、ストーカーの魔の手が迫ろうとしていた。
「瀬里さんはストーキングかー。十和さんは盗聴だっけ?」
「ええ、そうよ。翠ちゃんも興味ないかしら?」
「うーん、私は撮るのが好きだけど、映像と音声が揃ったら最強かも」
「その通りね! 素晴らしいわ、翠ちゃん」
楽しそうに盗聴について語る十和には、ついに伊摩は突っ込まなかった。
十和のこういう発言に構っていると、なかなか話が進まないというのは学習済みである。伊達にいち早く妹扱いされていたわけではないのだ。
「翠ちゃんは隣太郎くんの家って、行ったことあるのよね?」
「うん、まあ引っ越す前だけど」
「羨ましいわ。一度みんなで行ってみたいわね」
「なに仕掛ける気よ」
流石の伊摩も、今度はついに突っ込んでしまった。
明らかに十和は、隣太郎の自宅に何かを仕掛けようとしている。
「ったく、どいつもこいつも……」
「伊摩って、こういう話だと本当に自分のこと棚に上げるよね」
呆れ顔で首を振る伊摩だが、当人も瀬里たちから同じような顔をされていた。
ストーキングと盗聴、そして盗撮に対して露出癖が真っ当かというと、決してそんなことはないだろう。
ただし伊摩の中では「隣太郎もあたしの写真見れて、いい思いしてるからセーフ」という、凄まじく自分に都合のいい解釈がなされていた。
「みんな美人なのに、ホントに滅茶苦茶だよね。私が男だったとしても、多分リン兄のこと羨ましいとは思えない気がする」
「アンタも今日からその仲間よ。喜びなさい」
美人の仲間入りと言われた様ではあるが、全く嬉しくない翠だった。
さっきは雰囲気に流されて「仲良くなりたい!」と言ってしまったが、もしや早まったのではないだろうかと不安になる。
彼女は彼女で、自分の盗撮という犯行を軽く見ている節があった。
「あ、トナリくんたち移動しそう! みんな、早く追わないと!」
「瀬里ちゃん、なんだか楽しそうねえ」
「そ、そうですか? なんかこうしていると、みんなで尾行しているみたいで……」
浮かれ気味だったことを十和に指摘され、照れくさそうに答える瀬里だが、どこに照れる要素があるのかは相変わらず謎である。恥ずべき行為ではあるだろうが。
「瀬里さん! だったら今度、例の観測ポイントで一緒に見張ろうよ! お菓子とか持ち込んで」
「いいわね……! あんパンと牛乳っていうのも、雰囲気あるかも」
「それはアンタたちを取り締まる側の食べ物でしょ」
「伊摩ちゃんだって、訴えられたら取り締まられる側よ?」
恋する少女たちの会話だったはずが、ついに「観測ポイント」や「見張る」、さらには「取り締まり」という言葉まで飛び出していた。
恋バナで仲が深まるのは女子の定番だが、彼女たちの友情は隣太郎のプライベートを犠牲に成り立っているのだ。
「……なんか寒気がするな。汗が冷えたか?」
「大丈夫ですか、トナリ先輩。夏風邪でしょうか?」
自らの生活が犯罪に脅かされているとは露知らず、亜緒と二人で夏祭りを楽しんでいた隣太郎だったが、急に悪寒を覚えて呟いた。
おそらく原因は汗冷えではなく、冷や汗の方だろう。
人間には第六感というものがあるのだ。今回はなんの役にも立っていないが。
「いや、大丈夫だ。ところで亜緒、次はどうする?」
「そうですね……やっぱり綿菓子は定番ですから、押さえておきたいです」
現在、亜緒の手にはベビーカステラやりんご飴など、夏祭り感の溢れる様々な甘味が握られていた。
隣太郎に貰った飴を食べきってしまえば、ご覧の有り様である。
数分前までは「自分のあげた飴だから、こんなに喜ぶのかな」などと願っていた隣太郎だが、その後の亜緒の様子を見て「やっぱただのスイーツ好きだな、この子」と思い直していた。
気付かぬうちに、自らいい雰囲気をぶち壊していた亜緒は、甘くて美味しいとご満悦な表情である。
「綿菓子の店は、たしか向こうにあったな。じゃあ、行くか」
「はい、先輩……って、わっ!」
隣太郎の後に続いて歩き出した亜緒だったが、周囲の人の流れが変わって一瞬だけ隣太郎と分断されてしまった。
幸い本当に一瞬だったものの、本当にはぐれたら大変だろうと隣太郎は手を伸ば……そうとして、亜緒の両手が甘いもので塞がっていることに気付く。
どこまでも雰囲気を壊す甘味だった。
「あー、亜緒。荷物、どっちか俺に渡してくれないか?」
「え? あ、あげませんよ?」
「いや、取らないから。そうじゃなくて、手を空けてくれって言ってるんだ」
両手を塞ぐ甘味を死守しようとする亜緒に、隣太郎は苦笑しながら答えた。
言われた亜緒は、隣太郎から差し出された手の意味にようやく気付き、自分の勘違いと食い意地の張ったセリフに顔を赤らめる。
「す、すみません、変なこと言って。あの、じゃあこれ、お願いします……」
「ああ、それで……亜緒」
「は、はい……」
亜緒から荷物の半分を受け取った隣太郎は、もう片方の空いたままの手を改めて亜緒に向けて差し出す。
明言されなくとも彼の言いたいことを察した亜緒は、自らも手を伸ばし――。
「はい、リン兄の手ぇ差し出しポーズ撮ったー! そしてここまでだぁー!」
「うひゃあ!?」
唐突に飛び込んできた声と、自分に飛び付いてきた翠に驚いて、亜緒は手を伸ばせずじまいだった。
隣太郎も同様に驚いていたが、流石に亜緒よりは早く復帰して、翠に声をかける。
「す、翠、戻ってきたのか……あと、なんか変なこと言ってなかったか?」
「言ってません!」
「そ、そうか、言ってなかったか」
どう考えても翠は変なことを言っていたのだが、あまりに力強く否定されたので、隣太郎はうっかり納得してしまった。
「あーもう翠ったら、わざわざ飛び込まなくてもいいでしょうが」
「まあ、気持ちは分からないでもないけどね……」
翠に少し遅れて、伊摩たちもやって来た。
隣太郎と亜緒が手を繋ぐのを阻止するため、わざわざ飛び込んでいった翠に、揃って呆れ顔を向けている。
事情が分かっていない隣太郎には、はしゃぎすぎた翠を窘めているようにしか見えないが。
「ただいま、隣太郎くん」
「ああ、えっと、おかえりなさい、十和先輩。翠は大丈夫でしたか?」
「ええ、元気がよくて可愛いわよね。とっても楽しかったわよ?」
「それは良かった」
翠と一緒で楽しかったという十和の言葉に、隣太郎は小さく息を吐いた。
どうやら翠は、そこまで彼女たちに迷惑はかけていないらしい。
再会した翠は少し大人になったと思っていたのだが、さっきの様子を見ると少年のようだった昔のままではないかと、少し心配になったのだ。
「さー、亜緒! ここからは私と一緒だよ!」
「う、うん。分かったから、ちょっと離れて、翠。あの、重い……」
「重いとはなんだー!」
とはいえ、同い年で仲睦まじげにしている様子を見ると、隣太郎としても注意がしづらい。
正直、同い年の友人に振り回される亜緒というのも、なかなか魅力的だった。
「ちょっと元気すぎでしょ、あの子」
「伊摩。えっと、大丈夫だったか?」
自分の横に立った伊摩に、隣太郎はおずおずと声をかけた。
十和は楽しかったと言ってくれたが、彼女は可愛い年下が大好きな一面があるので、伊摩や瀬里と同じ感想とは限らない。
いつになく不安そうな顔をする隣太郎に、伊摩はニヤリと笑って見せた。
「十和先輩の言う通りよ。あたしから見ても、あの子は可愛い後輩って感じね。亜緒とはタイプが違うけど、どっちも好きよ?」
「そ、そうか。そう言ってくれると、助かる」
伊摩が翠のことを「好き」と言ってくれて安堵する隣太郎だが、同時に彼女の言葉に動揺も覚えてしまった。
海で十和にからかわれた時もそうだが、彼女たちのような女性に「好き」と言われるのは、亜緒に惚れている隣太郎であってもグッとくるものがある。
伊摩たちは犯行に夢中で気付いていないが、隣太郎は着実に亜緒以外の女子にも魅力を感じるようになっていた。
「私も翠ちゃん、好きだな。あの子と一緒だと、トナリくんがちょっと情けないところ見せてくれるしね」
「瀬里……勘弁してくれ。俺にも一応、兄貴分の見栄があるんだ」
「大丈夫。そういうのは、私もよく分かるから」
その見栄のせいで情けない姿を晒しているのだが、それは瀬里も同様である。
たしかにこれでは亜緒に見栄を張ってしまった瀬里を責められないと、隣太郎は彼女に呆れたことを深く反省した。
「リン兄ー! あっちで花火やるってー!」
「せっかくだから、いい場所で見ましょうか。トナリ先輩」
瀬里たちと話していると、亜緒と翠の一年生コンビが隣太郎に声をかけてくる。
どうやら、ちょっとした打ち上げ花火が見られるらしい。
大きな花火大会ではないので、それほど派手なものではないだろうが、彼女たちとの夏の締めくくりには相応しいだろうと、隣太郎は納得した。
「分かった、すぐに行く。みんなも行くか」
「そうね、行きましょ」
隣太郎の言葉に代表して伊摩が頷き返し、彼らは可愛い後輩たちの後を追いかけた。
夏の夜空に、色とりどりの花が咲く。
その様を見上げながら、隣太郎も少女たちも、そして周囲にいる無関係な人々も、誰もが笑顔を浮かべていた。
地区が主催した打ち上げ花火ということで、やはりその規模は大きくなかった。
有名な花火大会に比べれば、子供の遊びのようなものだろう。
しかし隣太郎には、今日この場所で見た花火が今までの人生で一番綺麗だと思えた。
「綺麗ですね」
「うん、キレー!」
隣太郎の横にいる一年生コンビも、感嘆の声を上げる。
「ちゃんとした花火大会と比べるとアレだけど……悪くないわね」
「そうね。私はこっちの方が、大きい大会よりずっと好きかな」
二年生コンビというべきか、伊摩と瀬里も同じく感動しているようだ。
「きっと、みんなで見てるから素敵なのよね。隣太郎くんも、そう思わない?」
空に咲く花畑から一瞬目を離し、十和が隣太郎に語りかけてくる。
その目を少しの間だけ見返し、もう一度空に視線を戻すと、隣太郎は口を開いた。
「そうですね。みんなで見られて、本当に良かった」
そこからしばらく誰も言葉を発することなく、ただ光る空を見上げ続けた。
隣太郎と、少女たちの夏が終わる。
そして、彼らの何かが変わる二学期が、すぐそこまでやって来ていた。




