30.喜久川さんは仲間になりたい
夏祭り会場である神社に向かうまでの翠は、実に機嫌が良かった。
何故かといえば、幼い頃から想いを寄せていた隣太郎に、まだまだ付け入る隙があると判断したからだ。
隣太郎と再会した日から夏祭りの今日まで、翠は彼のことを観察してきた。
幼馴染とまた一緒に過ごせるようになった時のために、ずっと磨き続けてきたカメラの腕前を、どう考えても間違った方向に活かしてきたのだ。
ここ数日、妙な視線を感じるようになった隣太郎だが、まさか妹分が遠く離れた位置から自分を盗撮しているとは思いもしなかった。
望遠レンズを駆使した観測の末に翠が出した結論は、「隣太郎が誰かに告白したのは事実だが、その相手とは恋人らしい関係になっていない」というものである。
翠が観測していた約一週間、隣太郎は特定の女子と会うことはなかった。
交際している高校生が、大した用事もない夏休み中に一週間も会わないということがあるだろうか?
実際はあるのだろうが、男性と付き合った経験のない翠はそんな疑問を覚えた。
とりあえず隣太郎に彼女がいないというのは本当らしい。
告白した相手とも、別に付き合う一歩手前の関係というわけでもなさそうだ。
それを確信した時点で、失恋で病みかけていた翠の精神はかなり持ち直した。
隣太郎が自分に恋愛感情を持っていなかったことも、自分以外の女子にそんな感情を向けたことも確かにショックではあるが、まだ負けが決まったわけではない。
それなら好かれていても応えない誰かさんより先に、自分が幼馴染の心を手に入れてしまえばいいのだと、翠は持ち前のポジティブさを取り戻すことに成功した。
こうして翠は、隣太郎と親しい女子が一堂に会するという夏祭りに、意気揚々と参加したのだった。
「――で、なんでこうなるのー!?」
「騒がないの。アンタとは、一度ゆっくり話をしたかったのよ」
現状が不服であると隠しもしない翠に、伊摩は嗜めるような声をかけた。
まあ、翠が不満げなのも無理はないだろう。なにせ再会して間もない幼馴染と懐かしい夏祭りを楽しもうと思っていたのに、なぜかその幼馴染とは別行動にさせられているのだから。
「リン兄と一緒に回りたくて、お洒落してきたのに……」
「ご、ごめんね? 後でちゃんと、トナリくんとも回れるようにするから」
本気で残念がる翠の姿を見て、瀬里も流石に申し訳なくなってくる。
事の起こりは、夏祭り会場に入ってすぐに出てきた、伊摩たちの提案だった。
『あたしたちも翠と仲良くなりたいから、ちょっとこの子借りてくわよ』
『トナリくんは元から知り合いだし、亜緒ちゃんは学校でも会う機会はあると思うから、しばらく二人で回ってて』
『もちろん、いじめたりしないから心配しないでね?』
隣太郎も亜緒も、もちろん急に同行を求められた翠も唖然としている間に、そそくさと三人は翠を連れ出してしまった。
美少女三人による、堂々とした連れ去り事案である。
なお現在の彼女たちがいる場所は、祭りの出店からは少し離れた雑木林だ。
傍から見たら、後輩にヤキを入れる先輩たちという構図に見えるかもしれない。
「ごめんね? でも今からする話は、貴方にとっても大切なことだと思うの」
「私にとっても大切って……もしかして、リン兄の話?」
言い聞かせるような十和の言葉に、翠はそれまでと違う反応を示した。
十和は笑顔を浮かべながら頷き、翠の言葉を肯定する。
「そういえば、先輩たちって結局どういう集まりなんですか? リン兄はなんか言いたくなさそうで、はっきり教えてくれなかったし」
「アイツ、往生際が悪いわね……」
「ていうか、トナリくんも自分でよく分かってないんじゃないの?」
隣太郎が自分たちとの関係を翠に説明していないことに呆れる伊摩と、説明の仕様がないのではと彼をフォローする瀬里。
ちなみに隣太郎の心情としては、どちらも正しい。
伊摩たちに対して「自分に気があるのでは?」と前々から思っている隣太郎だが、同時に確証がないので動けないという側面もあった。
本来なら恋敵である亜緒とも仲良くしているので、なおさら不可解だろう。
「どういう集まりかって言うと、きっと翠ちゃんと同じ気持ちを持ってる女の子の集まりかしら」
「私と同じ……それって、リン兄のことを……」
答えに辿り着いた翠だが、彼女よりも先に伊摩の方がそれを口にした。
「率直に聞くわよ、翠。アンタ、隣太郎のこと好き?」
真剣な顔で、伊摩は翠を見つめる。
相変わらずどこまでも恋に真っ直ぐな友人に、瀬里と十和は苦笑いを浮かべた。
一方でそんな直球を投げつけられた翠も、伊摩に負けず劣らず真っ直ぐな気質の持ち主だった。
怒っているわけではなくとも妙に迫力のある伊摩の視線から少しも逃げず、真っ向から見つめ返したまま断言する。
「好きだよ。前にこっちにいた頃から、ずっとリン兄のことが好き」
一度、手遅れになった気分を味わったからだろうか。翠の言葉は迷いがないだけでなく、この上ない真剣さを醸し出していた。
ともすれば睨み合いとも表現できそうな強い気持ちの籠った視線のやり取りの末、伊摩はフッと表情を緩めて翠に笑いかけた。
「いいわね、正直で。あたしの後輩は、骨がある子ばっかりで嬉しいわ」
相変わらず恋愛のこととなると、少年漫画のようなノリになる伊摩であった。
「伊摩ちゃんはこういう話だと、相変わらず男前よねえ」
「ちょっと! 何よ、男前って!?」
「いやいや、さっきのセリフは男前すぎるでしょ。完全に漫画だったって」
苦笑した瀬里と十和にからかわれて、伊摩は憤慨する。
隣太郎への想いを問われて緊張していたはずの翠は、目の前で繰り広げられる平和なやり取りを見て、力が抜けていくのを感じていた。
「えーっと、それで……先輩たちもリン兄のことが好きってことでいいの?」
「うふふ、そうよ? 私たちも翠ちゃんと一緒で、隣太郎くんが大好きなの」
何一つ隠すことなく、十和が少しだけ赤くなった笑顔で言う。
瀬里は真っ赤な顔で頷いているし、隣の伊摩も「まあね」とやはり男前だ。
「うわー……リン兄、私と会わない間に何してたの? モテモテじゃん……」
翠が思わずそう呟いたのも無理はないだろう。
彼女の前にいる三人の女子は、タイプこそ違えど全員が美人・美少女だ。
隣太郎に会えない間に、それなりに可愛らしく成長したと自負している翠だが、彼女たちが相手では全くアドバンテージになる気がしない。
「まあ、あたしたちも隣太郎と色々あったのよ。アンタと一緒でね」
「はあ、色々……色々って何?」
疑問符を浮かべる翠だが、流石に伊摩たちもそこまで詳らかに語る気はない。
そもそも彼女たちの間でも、その辺りの事情は完全に共有されているわけではないのだ。
隣太郎との思い出は、彼と自分の間だけに留めたいという乙女心が、彼女たちにもあった。
「あれ? そうすると、もしかして亜緒も同じなの?」
ふと、ここにいないもう一人の少女――さきほど友人になったばかりの亜緒のことを思い出して、翠は疑問を口にした。
「ああ、亜緒ちゃんはねえ……」
「私たちと同じって言えなくもないけど、ちょっと違うかしらね?」
煮え切らない反応を見せる先輩たちに翠は首を傾げるが、やがて合点がいったように目を見開いた。
「もしかして……リン兄が告白したのって、亜緒なの?」
「まあ、そういうことよ」
自分が少なからず親密さを覚えた相手が恋敵――出し抜くべき「誰かさん」だった。
その事実に衝撃を受けた翠は、しばらく呆然としたままだった。
翠がフリーズ状態から復旧した後、彼女たちは夏祭りの出店を見て回っていた。
流石にせっかくめかし込んで来たのに、雑木林で恋バナして終わりというのはないだろうと、十和が提案したためだ。
十和にしても可愛い後輩たちとの夏祭りを楽しみにしていたので、いい加減に立ち話も焦れてきたというのもある。
「へー、伊摩さんってホントに漫画みたいな出会い方だったんだ。印象最悪からのスタートって、恋愛漫画っぽい」
「そうね。伊摩ちゃんって、クールに見えて結構情熱的だから」
「情熱的すぎて、少年漫画みたいなノリだけどね」
「うっさいわよ、瀬里」
金魚すくいをしながら、少女たちは語り合う。
伊摩と隣太郎の出会いについては瀬里も知っているので、翠に話すことについて特に抵抗はなかった。
印象最悪だったのは、ほとんど伊摩の言いがかりのせいだった点については、上手く誤魔化したが。
「瀬里さんはリン兄と中学から一緒なんだ。私は小学校からだから、私の勝ちだね!」
「いやいや、あなた引っ越したでしょ? それから会ってなかったみたいだし付き合いの長さなら、ぜんっぜん負けてないから」
「そういう意味だと、伊摩ちゃんが一番付き合いが短いかしら?」
「長さなんて関係ないわよ。重要なのは太さよ、太さ」
続いてたこ焼きを頬張りながら、瀬里のことについて語り合った。
ちなみに連れ出してしまったお詫びとして、翠の分は先輩三人の割り勘である。
「十和さんは写真部なんだ。リン兄も写真部なんて、びっくりしちゃった」
「まあ、幽霊部なんだけどね?」
「ちょうどいいから、アンタが部長になっちゃえば?」
「ちょ、ダメよ。私と隣太郎くんの思い出の部室が……」
今度は型抜きをしながら、十和の話をした。
十和と隣太郎の思い出の部室といっても、やったのは盗聴か隣太郎を言葉責めにするくらいなのだが、そこには触れない十和だった。
というか、それも十和にとっては隣太郎との大切な思い出なのである。
「やー、リン兄と一緒じゃなくて残念だと思ったけど、なんだかんだで楽しんじゃったなー」
「うふふ、私たちも翠ちゃんと一緒に遊べて、凄く楽しかったわ」
気が付けば、幼馴染と別行動にされた不満もすっかり忘れ、翠は夏祭りを先輩たちと楽しんでいた。
恋バナに花を咲かせるのも隣太郎と一緒では出来なかっただろうし、今となってはこれはこれで悪くないと思える。
最初は隣太郎への想いを吐露したのが切っ掛けだったが、翠はもう普通に敬語を使わず話すくらいに心を許しているし、伊摩たちもそれを気にした様子はない。
「そういえば……亜緒って、結局どういう感じなの? なんかリン兄のこと好きっぽく見えるけど、付き合ってないっていうか振ったんでしょ? それに先輩たちも、なんでリン兄だけじゃなくて亜緒とも仲良くしてるの?」
ひとしきり夏祭りを満喫したところで、いまさらながらに翠は疑問に思う。
こうして一緒に遊びながら話していると、隣を歩く先輩たちが本当に隣太郎を好きなことも、そして亜緒を可愛い後輩として大事に想っていることも分かった。
先輩同士で仲がいいのは、まあ分かる。同じ相手を好きな者同士、シンパシーのようなものがあるのだろう。それは翠もどこか感じていた。
しかし自分の好きな相手が、自分以外に好意を向けているのに、その好意を向けられている相手とも仲良く出来るというのは、翠には理解ができなかった。
伊摩たちにとっては本来、亜緒は排除すべき相手なのではないだろうか。
「そこは難しいとこなんだけど……まあ、あたしたちも亜緒のことが好きって感じなのかな、やっぱ」
「まあ、そうだよね。亜緒ちゃんって、なんだか小動物みたいで可愛いし」
「私たちの末の妹って感じかしら? 妹がいっぱいで嬉しいわね」
伊摩が話したのを皮切りに、各々が亜緒への想いを口にする。
「十和先輩、伊摩だけじゃなくて私も妹にする気なんですか……?」
「あら? 私は前からそのつもりだったわよ?」
「仮にあたしたちが姉妹だとしても、長女面されるのは気に入らないんだけど」
そのまま気の抜けた話を続ける彼女たちからは、亜緒に対する鬱屈とした思いは感じられなかった。
きっと亜緒は、本当に彼女たちから愛されているのだろうと、翠は思った。
「まあ、あたしたちが言いたいのは、短絡的に亜緒を嫌わないでってことよ。別に隣太郎のことを好きでいるのを、止めろって言ってるわけじゃないわよ」
いつの間にか言い合いは終わり、伊摩は翠の顔を見て真剣な顔で口を開いた。
「私たちだって、トナリくんのことを諦めてるわけじゃないしね。トナリくんと恋人になりたいって思ってるし、それは翠ちゃんだって同じだと思う」
「だけど、そのために亜緒ちゃんを傷付けたりするのは、出来れば止めてほしいの。もちろん翠ちゃんがそういう女の子だって思ってるわけじゃないわよ? でも恋したら、女の子って止まれない時もあるから」
瀬里と十和も、伊摩の言葉を引き継ぐ。
「まあ、だからね――隣太郎のことが好きな者同士、仲良くしようって言ってんの。アンタが今すぐにでも、アイツを独り占めしたいんだったら別だけどね?」
最後に、伊摩が笑顔でまとめた。
恋を諦めたわけでもない、だからといって恋敵を恨むわけでもない、とても強くて綺麗な笑顔だと翠は感じた。
それと同時に、彼女たちにこんなに愛される亜緒を、とても羨ましく思う。
「私も……私もなりたい。先輩たちと仲良くなりたい!」
「そ。じゃあ、改めてよろしくね? 翠」
本音を吐露した翠を、伊摩が歓迎する。
言葉は素っ気なかったが、たしかに受け入れられていると翠には理解ができた。
「よろしくね、翠ちゃん。私のことも、先輩として頼ってくれていいからね」
「うふふ、また可愛い妹が増えちゃったわね」
瀬里と十和も同様に、翠を歓迎してくれている。
冗談めいた言い方ではあるが、翠は本当に三人の姉ができたような気分だった。
「さて、散々連れ回して悪かったわね。そろそろ隣太郎たちのところに戻るわよ」
「はーい!」
翠の元気な返事を聞いて、伊摩は微笑ましい気分になる。
亜緒とはタイプが違うが、翠もまた可愛い後輩になりそうだ。
「…………ところで翠」
と、そこで何故か不安を覚えて、伊摩は歩き出そうとしていた足を止めた。
「上手く伝わるか分かんないけど……アンタって、隣太郎に変なことしたいとか、そういうのないわよね?」
そんなわけはないと思いながら、念のため伊摩は翠に尋ねる。
「え? あの……リン兄の隠し撮りって、変なことに含まれるかな……?」
伊摩が信じて質問したはずの後輩の口から、明らかにおかしい答えが返ってきた。
隣太郎の周囲に増えた女子が、またも妙な嗜好を持っているという事実に、伊摩は頭を抱えた。
自分もその変態の一人であるという点については、絶賛棚上げ中である。
こうして隣太郎を取り巻くちょっとおかしな女性陣に、新たな仲間が加わったのだった。




