28.追っかけくんは幼馴染と再会する
「やー、ホント久しぶりだよね、リン兄。そのうち会いに行こうとは思ってたけど、まさかこんなところで偶然会えるなんて! これって運命的じゃない?」
「あ、ああ、そうだな……。ていうか、帰ってくるなら先に連絡してくれても良かっただろ」
「だってリン兄、驚くかなーって。そっちの方が面白そうだったし」
隣太郎に正体がバレた少女・翠は、さっきまでとは打って変わった明るいテンションで、捲し立てるように隣太郎と話していた。
挨拶してすぐ店員に断わって、隣太郎たちがいた席へと移動してきており、現在は伊摩も含めた三人でテーブルを囲んでいる状況だ。
しばらく離れていたとはいえ、彼女のこういう部分には慣れているはずの隣太郎だが、予期せぬ再会に驚いているせいで押され気味になっている。
当然、翠とは初対面となる伊摩の動揺は、言わずもがなである。
「隣太郎、その子……アンタの知り合い、なのよね?」
いきなり雰囲気が変わった少女には驚いたが、それでも隣太郎と親しい間柄であることは、この短いやり取りの中でも十分に理解できた。
そもそも「リン兄」という、おそらく兄貴分的な呼び方からして、よほど親しくなければ出てこないだろう。
「ああ、彼女は喜久川 翠って言ってな……」
「リン兄の幼馴染でーす! ずっと前に引っ越したんですけど、最近戻ってきたんですよー。えーっと……リン兄の友達なら、二年生ですか?」
「そ、そうね……二年の東風原 伊摩よ。よろしく」
「私はリン兄の学校の一年に転入するんで、休み明けからは先輩ですね! よろしくお願いしますねー」
隣太郎の言葉を引き継ぎ、翠が自分で自己紹介を済ませる。
ここまでアクティブなタイプの少女は、これまで隣太郎の傍にいなかったので、思わず伊摩は勢いに押されそうになってしまう。
「あー……彼女は親同士が知り合いでな。家族ぐるみで出かけたり、忙しい時はどっちかの家に預けられたりしてたんだ」
「一緒にお風呂も入ったことあるんだよねー」
「お風呂!? 隣太郎、アンタ……!」
「小学校の低学年くらいの話だろうが。紛らわしい言い方をするなよ、翠」
「てへっ♪ ごめーん」
隣太郎は気にしていない様子だが、伊摩としては小学校低学年だからといって、一緒に風呂に入った事実が軽いものになるとは思えなかった。
それは彼女自身に、そこまで付き合いの長い友人がいないというのも理由ではあるが、何よりも翠が隠そうともしてない、隣太郎への好意的な態度が原因だろう。
それが恋愛感情なのか、単に兄同然の存在へと向ける家族的な信頼なのかは、会ったばかりの伊摩には判断が付かない。
少なくとも隣太郎の方は、さっきから見せている態度や亜緒に告白した事実からして、翠に対しては妹分としか見ていないようだが。
「やー、でもリン兄が、こんな綺麗な人と友達だなんてビックリしたよ。昔は私くらいしか女っ気なかったのにねー」
「そもそも翠に対して、男とか女とか気にしてなかったけどな」
「あー、酷くなーい?」
心外だとばかりに抗議する翠だが、隣太郎からすれば昔の翠は――おそらく現在も似たような感じだろうが、年齢もあって女性らしいとは言い難い活発な性格だったので、どちらかと言えば弟くらいのつもりで接していたものだ。
高校生になった彼女は、昔と違って女性だとハッキリ分かる外見をしているし、そもそも一緒に風呂に入っていたという経緯もあって、流石に漫画やアニメのように性別を誤解するといった展開にはならなかったが。
「ところで、翠は一人なのか?」
「あー、うん。まだ本当に帰ってきたばっかりだから、今日は懐かしの街を周って、写真でも撮ろうかと思ってたんだよね」
そう言って翠は、足下に置いていたバッグを指差した。
「本当に写真やってるのか。俺たちに話しかけるための口実だと思ってた」
「うん。引っ越した後で始めたんだよねー。結構上手いって言われるんだよ」
どこか誇らし気な様子で笑う翠を、隣太郎は意外そうに見ていた。
引っ越す前、自分の傍にいた頃の翠は、カメラに興味などなかったはずだ。
まあ年齢的にも、そういったものに興味を持つような段階ではなかったのだが。
それでも遊びと言えば、家の中より外で走り回るという子供だった彼女が、文化部に分類されるカメラを始めたというのは、隣太郎にとって意外だった。
「それで……えっと、リン兄たちの方は……もしかしてデート中とか?」
これまでの明るい振る舞いとは打って変わって、控えめに聞いてくる翠。
そんな彼女の様子を見て、隣太郎と伊摩はあることに気付いた。
ただし、その内容は二人でそれぞれ別のものだったが。
伊摩の方は、「やっぱりこの子も、隣太郎に脈ありっぽいわね」という内容。
幼少時代の二人を知らない伊摩には、どういう過程で翠がそこに至ったのかは分からないが、少なくとも現時点で異性としての好意を隣太郎に向けているのは間違いなさそうだ。
(どうしたもんかしらね……この子)
もちろん隣太郎を巡るライバルになるので、早いうちに排除してやろうなどという気持ちは、伊摩にはない。
そんなことをするなら、まず亜緒を真っ先に排除しているだろう。
伊摩が気にしているのは、遠からず翠が自分の失恋を知ることになるだろうという、似たような立場からの純粋な心配である。
隣太郎は基本的に亜緒への好意を周囲にも隠そうとしないので、おそらく翠にも何の気なしに打ち明けてしまうはずだ。
夏休み中はどうにかなっても、二学期になれば学校で亜緒と顔を合わせる機会もあるだろうから、どうやっても誤魔化し様がない。
(まあ、なるようになるか……というか、あたしが立ち入るもんでもないし)
同じく隣太郎に好意を持つ者としての同情心はあるが、会ったばかりの自分がそこまで踏み込むわけにもいかない。
そう思った伊摩は、翠と隣太郎の関係については見守る方針を決めた。
一方、隣太郎は翠の態度から、久々に会った兄貴分とゆっくり話したいが、女性と親しげにしているので遠慮しているのではないかと判断した。
それはそれで決して間違っていないし、この短時間で「コイツも俺に気がありそうだな」などと考えるほど隣太郎は自惚れ屋でもないので、妥当な判断と言えるだろう。
「伊摩……呼んでおいて悪いんだが」
「ん? ああ、分かったわよ。久々の再会みたいだし、あたしの事は気にしないで、ゆっくり話しなさい」
「悪いな、本当に」
隣太郎の言いたいことを察して、了承する伊摩。
形の上では隣太郎に呼び出されたのに、向こうの都合で帰らされたようになってしまうが、自撮り写真の問題が有耶無耶になりつつあるのは、伊摩にとっても好都合だった。
「えっと……リン兄?」
いまいち状況が掴めていない翠は、隣太郎と伊摩に疑問の視線を送る。
そんな彼女に、隣太郎は質問の答えを返した。
「とりあえず俺と伊摩はデートしてるわけじゃないし、別にそういう関係でもない。今日は少し用があって、二人で出かけてただけだ」
「……まあ、そうね。デートじゃないから、喜久川さんも気にしなくてもいいわよ」
「あ……そうなんですかー」
隣太郎の言葉に、伊摩は気付かれない程度に不満げな表情を浮かべる。
それに対して翠の方は、伊摩が恋人ではないと分かって安堵していた。
「それで……翠が良かったらなんだが、この後は俺も一緒に行動してもいいか?」
「え!? もちろんいいけど……東風原さんはどうするの?」
「あたしはお暇させてもらうわよ。幼馴染の再会を、邪魔する趣味なんてないもの」
「ええ?……やー、何かそれだと申し訳ないなあ」
「いいわよ、気にしなくて」
思わぬ申し出に恐縮する翠に、面倒見の良い笑みを向ける伊摩。
「アンタも後輩になるんだから、先輩の好意は素直に受け取っておきなさい」
「あ、ありがとうございます、東風原さん!」
「伊摩でいいわよ。アンタとは……翠とは長い付き合いになりそうな気がするしね」
どうしてそんな気がするのか、と問われれば確実に隣太郎との関係が原因なのだが、まだそこまでは伊摩も言及しない。
おそらく翠は、遠からず隣太郎と亜緒の関係を知ることになるので、その時に彼女の相談に乗ってあげられる人間が必要だろうと思ったのだ。
「分かりました。よろしくお願いしますね、伊摩さん!」
まだ何も知らされていない翠は、優しい先輩の厚意を素直に受け取った。
喫茶店を出たところで伊摩と別れ、隣太郎と翠は二人でぶらぶらと歩いていた。
翠は特定の目的地があるわけではなかったので、徒歩で行ける範囲を適当に歩き回るという形だ。
特別変わった見どころはないが、行く先々で昔の思い出話に花を咲かせるのは、翠にとってこの上なく楽しい時間だった。
気の向くままに歩きながら、隣太郎はふと気になったことを翠に尋ねた。
「そういえば翠は、どの辺に引っ越してきたんだ? 前に住んでたところか?」
「ううん。あそこのマンション、もう結構古かったから……。今度は南区の新しいマンションだよ」
「あー、あの駅前のヤツか?」
「そうそう、多分それかな」
以前は隣太郎と同じ地区に住んでいた翠だが、今度は別の地区になってしまったらしい。
とはいえ学校はおなじなわけだし、遠方に住んでいた数年間に比べれば、その気になったら会えるだけマシと言えるだろう。
「やー、それにしてもリン兄が、あんな綺麗な人と友達だなんて、本当ビックリだよねー」
「まだ言うのか、それ」
翠はからかうように、伊摩とのことを蒸し返した。
確かに隣太郎から見ても、伊摩は同年代の知り合いの中で飛びぬけて美人なので、そんな彼女と親しくしているのは色々と不思議な気分ではある。
「付き合ってるわけじゃないって言ったけどさー、実は伊摩さんのこと狙ってたりするんじゃないの? リン兄」
翠の窺うような視線には気付かず、隣太郎は自然な口調で答える。
「さっきも言ったが付き合ってないし、その気もない。そもそも俺は、もう別の子に告白してるからな」
「え……?」
思いがけない答えに、足を止めて立ち尽くす翠。
そんな彼女に、隣太郎は訝しげな目を向ける。
「どうした、翠? 疲れたなら、どこかで休憩でもするか?」
「あ、ううん、大丈夫……。それよりリン兄、本当に告白なんてしたの?」
「ああ、まあな」
「へえー……そう、なんだ」
何てことないようなリアクションをしながら、ぎこちない笑みを浮かべる翠。
その姿に多少の違和感を覚えた隣太郎だったが、節々で気を遣う言葉をかけても「平気」「何でもない」と返されたので、やむを得ず問題なしと受け止めた。
そして隣太郎の言葉にショックを受けた翠は、彼が告白した相手に振られてストーカー化しているという、わけの分からない状況になってるのを知らないままだった。
「リン兄、好きな人が出来たんだ……」
その日の夜――まだ住み慣れない自室で、翠は独り言ちた。
久々に兄と慕っていた人に会えて、彼と二人きりで過ごせた今日という一日は、翠にとって本当に幸せな時間だった。
彼に好きな人がいるという、残酷な事実を知らされなければ。
「やっと、また一緒にいられると思ったのに……」
言いながら翠は、壁にかけたコルクボードに目をやった。
そこには今よりもずっと幼い彼女と、その隣にいる隣太郎の写真が何枚も貼られていた。他に双方の家族が写っていたり、そもそも隣太郎と別れた後の友人と撮った写真もあるが、それでも隣太郎と二人で撮った写真が一番多い。
翠はずっと隣太郎のことが好きだった。
最初は兄として、しかし共に過ごす時間が増えていくうちに、いつしか彼を異性として意識するようになっていた。
それに気付いたのは、引っ越して少し経ってからの話だ。
それからは毎日のように、こうして彼との写真を眺めながら過ごしてきた。
「写真も……せっかく練習したのにな……」
翠がカメラを始めたのは、そうやって写真を眺めていたのが切っ掛けだった。
隣太郎と撮った写真を心の支えにしていた彼女は、いつか彼と再会した時に最高の写真を撮るために、自分がカメラを使えるようになろうと思ったのだ。
幸い父親のツテでそこそこ本格的なカメラが安く手に入り、意外に才能があったのか彼女の写真を評価する人間も数人いて、切っ掛けはどうあれ今ではカメラそのものに、すっかりハマっている。
しかし、それでも……やはり最初の原動力だった隣太郎への恋が叶わないとなれば、モチベーションは大きく下がる。
「リン兄と一緒に撮れないなら、もう写真なんて……」
本当は辞めたくなんてない。
今の翠は、間違いなくカメラそのものが好きなのだから。
しかし、いつか隣太郎と一緒に写真を撮る日を夢見てきた少女にとって、彼が自分以外の相手に恋をしているという事実は、あまりにショックだった。
「あ……そうだ」
そんな苦悩の末に、彼女は――。
「リン兄と一緒に撮れないなら、リン兄だけでも撮ればいいんだ……」
明らかに間違った方向に行こうとしていた。
「そうだよ、なんだ簡単なことじゃん……! よーし、そうと決まれば……」
どう考えても簡単に済ませてはいけない決意をした翠は、昼間にカメラを入れっぱなしだったバッグを掴んで立ち上がった。
外出着に着替えたりと準備をしながら、記憶にある隣太郎の自宅と、彼の部屋を撮影するのに最適な位置を想定する。少数ながらプロにも認められた才能が、間違った方向に発揮されようとしていた。
「ふふふ……待っててね、リン兄♪」
自室を出て行く翠の目に、もう憂いはなかった。




