25.梔さんは雨葦さんに見栄を張る
伊摩と十和の姉妹プレイを目撃した翌日、隣太郎は亜緒を誘って図書館に向かっていた。
昨日は昨日で楽しかったが、本命である亜緒との関係を疎かにするわけにはいかないと、隣太郎が意を決して声をかけてみたところ、すんなりOKが出たのだ。
その後、どこに出かけようかと亜緒と話を詰めたところ、彼女がよく利用する図書館に行くという運びになったのである。
「確か貸切の個室があるんだよな? 飲食OKとかいう」
「ええ、多少の飲食は問題ありませんし、防音なので普通に会話も出来ますよ」
亜緒が言うには、これから行く図書館には貸切の個室が設けられているとの事だった。
飲食OK、会話もOK、しかも冷暖房も完備という、至れり尽くせりな空間である。
想い人の亜緒と出かけるなら、どこであっても天国と言いたい隣太郎ではあるものの、流石に炎天下を天国とは呼び難いので、そういう場所があるのは嬉しい。
気になるのは、それだけの設備なら人気があるのではないかという点だが……。
「それって予約とかしなくても、普通に使えるものなのか?」
「多分、大丈夫だと思います。今は夏休みなので夏期講習なんかもありますし、それにその個室って一人では借りれないんですよ」
亜緒の説明を聞いて、隣太郎は「なるほど」と首肯した。
いくら会話OKとは言っても、実際に友人と賑やかに過ごしたいなら、カラオケなり別の場所の方がいいだろう。
そうなると受験生や浪人生が勉強目的で利用するのが一番だろうが、そうなると今度は一人では借りられないという条件があるので、微妙に敷居が高い。
「だから誰も使っていないという事はないと思いますけど、一部屋くらいは空いてると思いますよ。そもそも今は夏休みですから、遊びに行く人の方が多いでしょうし」
「そういう事か、納得した。まあ飲食が禁止じゃないなら何よりだ。こうして土産も用意してきたことだしな」
そう言って隣太郎が手に持った包みを掲げると、明らかに亜緒の目の色が変わった。さっきまでは落ち着いた文学少女の色だったが、今はどう見ても糖分に目がないスイーツ少女の色をしている。
「ト、トナリ先輩……それって、もしかして……」
「ああ、多分君の想像してる通り、今日のおやつだ」
「わあっ! やったあ! 先輩、今日は何を持ってきたんですか!?」
隣太郎がネタ晴らしをしてやると、亜緒は飛び上がりそうな勢いで喜んだ。
些か反応が過剰過ぎだろうと思う隣太郎だが、そうは言っても自分の作ったお菓子で想い人がこれだけ喜んでくれるというのは悪い気はしないので、無邪気にはしゃぐ亜緒の可愛さを素直に堪能することにした。
せっかくなのでもっと可愛いところを見たくなって、少し意地悪なことも言ってしまう。
「そういうのは、食べる時のお楽しみってヤツだろう?」
「ええー? 意地悪言わないで下さいよぅ、先輩」
目先の糖分に釣られて、自分の言動がストーカーの満足度を上げているなどとは考られなくなっている亜緒は、普段の(本人的には)ツンケンした態度が嘘のように親しげだった。とはいえ、そこを突っ込むと亜緒がヘソを曲げてしまうと理解している隣太郎は、敢えて口に出したりはしない。ただ想い人は自分の隣で笑ってくれている幸せを、黙って享受するだけだった。
そんなストーカーと被害者による奇妙な会話を繰り広げながら二人が歩いていると、不意に亜緒が声を上げた。
「あれ? あそこにいるのって、瀬里先輩じゃないですか?」
言われた隣太郎が彼女の指し示す方に目をやると、確かに自身のクラスメイトである瀬里の姿があった。何やら物陰から今まさに出て来たばかりのような立ち位置で、隣太郎たちの方を見てギョッとした表情になっている。
「本当だ。瀬里、こんなところでどうしたんだ?」
「あ、やばっ……!? き、奇遇だね、二人とも! 私はちょっとお茶でもしようと思ってたんだけど……」
隣太郎に声をかけられた瀬里は、焦った表情でそう答える。
それもそのはず。彼女はお茶をしようとしていたわけではなく、夏休みでご無沙汰になっていた隣太郎のストーキングをしていたのだ。
久々のストーキングでテンションが上がった結果、対象に見つかってしまうという、普段なら絶対にしないようなミスを犯してしまった。男をストーキングすることで盛り上がるあたり、いかに彼女が手遅れなのかがよく分かる。
しかし友人がそんな変態だとは夢にも思わない隣太郎たちは、瀬里の不自然に慌てた様子にも疑問を覚えない。隣太郎は肝心なところで節穴だし、亜緒はスイーツのテンションで思考能力が低下気味なのも災いしていた。
それどころか亜緒は、瀬里の発言を聞いて何故か目を輝かせ始めた。
「わあっ……! それって一人カフェですか!?」
「え、ええ……まあ、そうだね」
唐突に憧れの目を向けられて戸惑う瀬里だが、ここまで来て「適当に吐いた嘘です」とは言えない。
先輩を疑うという発想が全くない亜緒は、瀬里の言葉を真に受けたまま、尊敬の眼差しと共に話を続ける。
「私も話題のカフェとか好きな時に行ってみたいんですけど、なかなか一人で行く勇気が持てないんですよね……。まだ子供って事でしょうか……?」
「あ、えっと……」
自重するような亜緒の言葉を聞いて、瀬里は狼狽えた。
そんな目を向けられても、実は瀬里だって一人でカフェに行ったことなんてないのだ。そもそも気軽にカフェに行けるほど、瀬里の懐は温かくない。
しかし後輩から尊敬されているという状況で、自分の発言を訂正する事など瀬里には出来ない。彼女には意外と見栄っ張りという、困った一面があるのだ。
「それじゃあ亜緒ちゃん、今度私と一緒に行ってみよっか! まずは何度か行って、雰囲気になれるといいかも」
「本当ですか!? よろしくお願いします、瀬里先輩!」
亜緒のキラキラした目を向けられて気分を良くしながら、瀬里は財布の中身を必死に思い出していた。少し前のパンケーキで結構な出費になった上、来週は海に行く予定もあるのだが、果たして所持金は持つのだろうか。
不安で仕方ないが、可愛い後輩からここまで慕われては、断れるはずもない。全くもって恐ろしい後輩であると、瀬里の中で亜緒の評価がまた意味の分からない方向に転んでいた。
「それで……二人はどこかに出かけるの?」
とりあえず懐事情は後で考えるとして、瀬里は話を変える。
「ああ、亜緒の行きつけの図書館にな」
「図書館?」
「はい。トナリ先輩から遊びに行こうと誘われたんですけど、来週は海にも行きますし、あまりお金を使うわけにもいかないので……」
恥ずかしげな亜緒の言葉に、瀬里は思わず「分かる」と返しそうになった。
連休中で懐事情が厳しいのは、自分だけではないのだと安心してしまう。
「えっと……お邪魔じゃなかったら、私もご一緒しちゃダメかな?」
「え? でも瀬里先輩、カフェに行くんじゃないんですか?」
隣太郎と二人で出かけることを羨ましく思った瀬里は、ダメ元で亜緒たちに同行の伺いを立ててみるが、当然のように亜緒からは疑問の目で見られた。
しかし瀬里としては、出来ることなら亜緒や隣太郎に同行したい。
懐の都合で一人カフェなんて問題外だし、ストーキングが見つかってしまった以上、今日の予定は完全に無くなってしまった。それなら隣太郎たちと一緒に過ごした方が、よほど有意義だと思ったのだ。
「私はいいですけど……トナリ先輩はどうですか?」
瀬里の事情は一切知らないものの、亜緒は彼女に親しみを覚えているので、特に拒もうとは思わなかった。
とはいえ元は隣太郎が自分を誘ってくれて出かけているので、彼の意思を無視して決めることは出来ない。
亜緒から話を向けられた隣太郎は、小さく肩を竦めながら頷き返した。
「別にいいぞ。知らない仲じゃないんだし」
「あ……ありがとう、トナリくん!」
正直、隣太郎としては想い人である亜緒と二人きりの時間は惜しかった。
しかし瀬里の嬉しそうな笑顔を見てしまっては、文句など言えそうにない。
「ああ……じゃあ、行こうか」
小さく苦笑した後、隣太郎は二人を促して移動を再開した。
隣太郎たちが図書館に着くと、首尾よく個室が空いていた。
使用許可を取った後、思い思いの本を持って個室に集合したが、読書を始めてから大して時間も経たないうちに亜緒が声を上げる。
「トナリ先輩、そろそろおやつの時間では?」
「……早くないか? もう少し読書を楽しんでからでもいいだろ?」
本来なら読書好きな亜緒が言うべきセリフだろうが、どうやら彼女の中では読書よりもスイーツの方が上位に位置しているらしい。
一応、彼女はわざわざ図書館まで来なくても自宅で普通に読書をしているので、決してエセ文学少女というわけではない。
呆れる隣太郎を余所に、亜緒は興奮気味に甘味の催促を続ける。
「だってトナリ先輩が何を作ったのか教えてくれないから、気になって仕方がないんです。とりあえず、その中身が何かだけでも教えて下さいよ」
「ハァ……まったく仕方ないな……」
わざとらしく溜息を吐いた後、隣太郎は持っていた包みを広げる。
食い気の強い亜緒に呆れているのは事実だが、自分が作ったお菓子に対してこれだけ夢中になってもらえるのは、素直に嬉しかった。
「あ……これって、もしかして……」
隣太郎が広げた包みの中身を見て、亜緒の表情が驚きに彩られる。
そこにあったのは、小さめに作られたドーナツだった。
「わあっ……ドーナツですか……!」
「ああ、君との付き合いも長くなってきたから、たまには初心に返ってみようと思ってな」
「いいですね! 前より、もっと美味しそうです……!」
嬉しそうな亜緒が言う通り、隣太郎の作ったドーナツは以前よりも確実にクオリティーが向上している。以前は一種類だった味も、今回は三種類あって見た目にも鮮やかになっていた。
「確かに美味しそう……。トナリくん、男の子なのに料理上手いんだね」
「いや、俺も覚えたのは最近でな……。そういう瀬里はどうなんだ?」
「え? わ、私?」
二人のやり取りを微笑ましい思いで眺めていた瀬里だったが、隣太郎から思わぬ質問を受けてしまい、ぎくりと表情を硬くする。
瀬里は本当に何も出来ないというわけではないものの、日常的に料理を作るような習慣はない。正直、目の前に広げられた隣太郎のドーナツを見れば、彼に料理の腕前で負けているのは自明の理だった。
「ま、まあ……嗜む程度にね?」
想い人と後輩に事実を告げることが出来ず、つい強がった発言をしてしまう。
そんな瀬里の様子を見て、何故か目を輝かせる人物がいた。
瀬里に対して、謎の信頼を向けている亜緒である。
「大人っぽいです……! 料理が出来る人って、憧れます!」
「そ、そう? 大したものじゃないよ?」
「いえ、そんなことないです!」
亜緒と瀬里の付き合いはまだ短いはずなのに、相当な信頼の強さだ。
一体いつの間にこれほどの信頼を得てしまったのか、瀬里自身も不思議だった。
そんな先輩の困惑には気付かないまま、亜緒はもじもじと恥ずかしそうにする。
「機会があれば、瀬里先輩のお菓子も食べてみたいなって……。も、もちろん催促しているわけじゃないですよ?」
亜緒はそういうが、隣太郎と瀬里には催促――というより食べたがっているのが丸分かりで、つい「作ってあげなければ」と思わずにはいられない。
そして後輩にこんな目で見られては、見栄を張らずにはいられないのが瀬里という少女の困ったところである。
「い、いいよー。そのうちご馳走してあげるね!」
「本当ですか!? す、すみません、なんか本当に催促してしまったみたいで……! でも嬉しいです、楽しみにしていますね!」
「あはははっ! いいのいいの、期待して待っててね!」
亜緒と瀬里の会話を見ながら、隣太郎は胸中で感心していた。
中学からの付き合いではあるものの、瀬里が後輩と交流している姿を見るのは亜緒相手が初めてだった。
予想以上に面倒見がいいし、どうやら料理もそれなりに出来るらしいので、もしかしたら自分が思っていたよりも瀬里は家庭的なのかもしれない。
隣太郎からそんな目で見られていることに、瀬里自身は気付いていなかった。
何故なら彼女は後輩からキラキラした憧れの目を向けられていて、完全にそれどころではなかったからである。
そんな瀬里は亜緒の視線から逃れるように目を逸らし、ふと気付いたようにポケットからスマホを取り出した。
「あっ、電話だ……。二人とも、ちょっと外すね」
「あ、はい、どうぞ」
「ごゆっくり」
唐突な宣言に気勢を削がれたものの、隣太郎も亜緒も止める理由はないので、何気ない態度で瀬里を送り出した。おそらく図書館の入口にでも向かったのだろう。
「瀬里先輩って大人っぽいですね、トナリ先輩」
「そうか? まあ、そうだな……」
瀬里がいなくなった後も彼女への憧れを口にする亜緒に、隣太郎は曖昧な感じで頷いた。
ぶっちゃけ隣太郎からすると、瀬里にしっかり者のイメージはあまりない。彼女は真面目ではあるが、割と抜けたところもあると思っていたのが正直なところだ。
しかしそんな瀬里への失礼な印象も、今日で上方修正するべきかもしれないと、隣太郎は反省していた。
瀬里に対して「申し訳ない」と心の中で謝罪の言葉を呟いていた隣太郎だったが、ふと自分のスマホが振動していることに気付き、取り出して画面を覗く。
そこに表示されていたのは、瀬里からのメッセージ通知だった。
「…………」
「どうかしましたか、トナリ先輩?」
「いや……何でもない」
思わず変な顔をしてしまったのだろう。不思議そうに自分を見てくる亜緒に対して、隣太郎は誤魔化すように返した。
隣太郎が眺める画面には、瀬里からのメッセージがまだ表示されている。
『亜緒ちゃんには強がっちゃったけど、本当はお菓子なんて作れないの! 助けてトナリくん!』
どうやら瀬里へのイメージは、大して間違っていなかったらしい。
呆れたように溜め息を吐きつつ、何となく安心してしまう隣太郎だった。
(まったく……仕方ないな、瀬里の奴は)
とりあえず亜緒には黙っておいてやろう。
腐れ縁ともいえる彼女に、隣太郎はとりあえず「分かった」とだけ返信した。




