23.雨葦さんは砂糖でできている
無事に水着を買えた一行は、売り場を出たところで話し合いをしていた。
「やー、いいの買えたわね。隣太郎があんなにテンション高いのは、ちょっとアレだったけど」
「君ら、さっきから酷くないか? ちゃんとアドバイスしたつもりなんだが」
亜緒と瀬里だけでなく、全員分の水着について語れた隣太郎は、いつになくご満悦な表情であった。
お陰で伊摩には冷たい視線を送られてしまうのだが、彼女の方も意見を参考にしたのは事実なので、そこまで強くは言えない。
ちなみに十和の水着については、常識的な範囲で似合うものに落ち着けた。
あくまで隣太郎をからかうのが目的で、十和も本気でエロ水着に興味があったわけではないので、割とあっさり折れたのはありがたかった。
「ま、まあトナリ先輩がいなかったら、もっと悩んでたと思いますし」
「そうね……私たちだけじゃ、どんな水着がいいのか全然分からなかったかも」
後輩と友人にそう言われてしまうと、伊摩としても何も言えなくなる。
仮に隣太郎がいなかった場合、彼女たちに水着選びのアドバイスを求められていたのは、間違いなく伊摩だっただろう。
こうして自分の水着選びに集中できていたのも、その役目を隣太郎が全うしてくれたお陰だ。まあ、ちょっとキモかった事に変わりはないのだが。
「隣太郎くんに選んでもらった水着、本番で見るの楽しみにしててね?」
「……そういえば、そうでしたね。まあ、売り場で見るのと海で見るのとじゃ、また雰囲気が違うでしょうし、楽しみにしてますよ」
「アンタ、マジで水着の話だと反応違うわね……」
水着を選ぶ時は妙なテンションになっていた隣太郎だが、十和の言葉で海に行くという予定をようやく思い出した。
一瞬、女性四人と海に行くという事実に不安を覚えたが、それはそれとして海で着る水着は格別だろうと、再びテンションを上げた。
普段の様子と比べると、伊摩が呆れるのも無理はない高揚振りである。
「ところで伊摩、この後ってどうするの?」
「ん? そうね、時間的にお昼食べに行くのが無難じゃない?」
「そうですね。その、実は今朝は急いでて何も食べられなかったので、そろそろお腹が厳しくなってきました……」
現在の時刻は、正午の少し前といったところ。
これから混み合う事を考えると、この辺りで昼食の場所を確保しておくべきだろう。
「あー、私も伊摩に叩き起こされたから食べてないわ。そう言われると、お腹空いてきたかも……」
「アンタ、寝坊しなかったら普通に食べれたんだからね? あたしのせいにしないでくれる?」
どうやら亜緒や瀬里は、朝食抜きで既に空腹状態らしい。
ちなみに隣太郎を含む他の三人は、きっちり朝食を食べて来ている。
「じゃあ、どこか入りましょうか? みんな食べたいものとか、あるかしら?」
「『これは絶対ムリ』っていうのも、聞いておいた方がいいですね。アレルギーとか、色々あると思いますし」
十和と隣太郎が音頭を取って意見を集めるが、流石に同年代とはいえ五人もいるとなかなか上手い具合にまとまらない。
幸いな事に誰も深刻なアレルギー等はなかったのだが、それはそれで消去法で絞る事もできないので難しい。
「まとめるのは無理そうね……じゃあ、亜緒ちゃんに決めてもらいましょうか」
「えっ……ええ!? わ、私ですか!?」
「そうだな。ここは後輩の亜緒の意見を尊重しようか」
急に代表で行き先を決める事になって、慌てる亜緒。
先輩ばかりのこの状況で、なかなか強く言えない自分の意見を通してもらえるという心遣いなのは分かるのだが、それで素直に喜べるほど亜緒の神経は太くない。
「いいわね。こういうのは後輩に譲るのが、先輩ってもんよ」
「まあ、亜緒ちゃんが決めるなら、私もいいかな?」
動揺する亜緒を余所に、先輩たちは可愛い後輩に決定権を譲ってくる。
そんな亜緒の姿を愛らしいと眺めつつ、隣太郎は視界の隅に映った一枚のポスターに目を惹かれた。
「亜緒、スイーツバイキングってのもあるらしいぞ」
「え、スイーツバイキング? 本当ですか? トナリ先輩」
「ほら、あのポスター」
やたら食い付いた亜緒に、隣太郎はポスターを指差して教える。
どうやらスイーツの有名チェーンが経営するカフェがあり、そこでバイキングも楽しめるようになっているらしい。
「ちょっと隣太郎、マジでスイーツバイキングに行くわけ?」
「流石に朝抜いてスイーツだけっていうのは、私も厳しいかな」
「いやいや、単なる話の種だよ」
伊摩と瀬里に言われるまでもなく、隣太郎も本気で昼食代わりにスイーツと言っているわけではない。
あくまで自分に決定権が回って恐縮する亜緒を、リラックスさせようという意図である。
「そうね。私もスイーツだけはちょっと……結構お高いみたいだし」
「十和先輩もダメですか。ていうか、意外と金銭感覚は庶民的なんですね」
「隣太郎くんがどう思ってるかは分からないけど、私の家は割と普通よ? 少なくとも、このバイキングに入るのを躊躇うくらいのお小遣いしか貰ってないわね」
言葉の通り、十和は割と庶民派である。
灰谷家はそこそこ裕福なのだが、金銭的には堅実なので娘の遊興費も一般家庭と大して変わりがない。
以前のカフェと今日の水着代を考えると、今月はあまり余裕はないだろう。
十和としては、帰った後に水着の代金を必要な出費として親に負担してもらえるか、全力で交渉する必要がある。
その辺りの事情は、他のメンバーと大して変わらない。
「私もこのお値段だと、ちょっと不安かも。ただでさえ夏休み始まったばかりで、これからいくら使うか分からないし」
「あたしの場合は……値段よりカロリーよね。あんまりスタイル変わると、撮影の時に怒られそう」
瀬里は十和と同じく金銭面で、伊摩の場合はモデルとしての活動面で、それぞれ心配しているようだ。
隣太郎もスイーツだけで腹を膨らませる趣味はないので、繰り返しになるがあくまで冗談である。
「じゃあ、亜緒。緊張も解れたところで、ちゃんとした行き先を――」
「ここにします、先輩方」
「……亜緒?」
あまりに淀みのない声だったので、隣太郎たちは今の発言が亜緒のものだと気付くのに、少しばかり時間を要した。
何より「ここにしましょう」ではなく「ここにします」だったのが、亜緒のセリフとは思えない最大の理由だった。
「あ、亜緒ちゃん? 今はとりあえず、お昼ご飯の場所を決めないと……」
「そうね。おやつは後で、お茶と一緒に楽しめばいいんじゃないかな?」
「それがいいわ! 亜緒、まずはご飯からよ!」
「いえ、ここにします」
女性陣が亜緒を思いとどめようと口々に言葉を投げ掛けるが、肝心の亜緒は全く譲る気配がない。
隣太郎たちとしても一番の後輩に委ねると言った手前、強く否定するわけにもいかなかった。
「亜緒、君が甘いもの好きなのは重々承知してるが……」
「トナリ先輩、ここじゃダメなんですか……?」
自らを最後の砦と思い亜緒の説得を試みた隣太郎だったが、亜緒が悲しそうな表情を見せた途端に言葉を失った。
「い、いや、ダメじゃない。ダメじゃないぞ! いいじゃないか、スイーツバイキング!」
もはやヤケクソであった。
上目遣いで見つめてくる亜緒を拒む事など、隣太郎に出来るはずがなかったのだ。
「ちょっと隣太郎! アンタ、絆されてんじゃないわよ……!」
「このままだと本当にお昼、スイーツだけになっちゃうって……!」
「隣太郎くんが亜緒ちゃんに弱いのは分かるけど、私たちのお財布の事も考えてほしかったわ」
あっさり寝返った隣太郎を女性陣が小声で口々に責めるが、いまさら後には引けない隣太郎だった。
ここで隣太郎が撤回したら、亜緒にどんな顔をされるか分からない。
「仕方ないだろ……亜緒が決めていいって言ったんだから……!」
「ま、まあそうだけど……」
そこを言われると、伊摩たちも反論の余地がない。
結局、亜緒の意思を変えられないまま、一行はスイーツバイキングに突入する事になったのだった。
「こういうの、一度来てみたかったんです!」
「亜緒がそうやって喜んでくれるだけで、本当に嬉しいよ」
幸か不幸か、スイーツバイキングがやっているカフェは、まだあまり混んでいなかった。
無事に入店を済ませると、亜緒は陳列されたスイーツを見て目を輝かせる。
ちなみに隣太郎たちの財布は、全く無事ではなかった。
「亜緒って、こういうの好きそうなのに、来たことなかったんだ?」
「あ、はい、そうですね。デザートを頼むならともかく、スイーツだけだと両親や妹も嫌がるので……友達と来たくても、なかなか敷居が高いですし」
「まあ、高校生が気軽に入れる感じじゃないよね。値段も雰囲気も」
亜緒の両親は高齢というほどでもないが、流石にスイーツばかりは厳しい年代だし、さらに高い料金を払うのは躊躇いがあるだろう。
亜緒の妹も姉と違いスイーツ好きというわけではないので、なおさらだ。
「こういう時、伊摩ちゃんみたいに自分で働いてお金を稼いでるといいわよね。私もバイトとか、少しはやった方がいいのかしら……」
「あたしの場合、お金よりカロリーが問題なんだけど」
十和が伊摩に羨ましそうな目を向けるが、人それぞれ悩みは違うものである。
カロリーについては、伊摩だけの問題ではないのだが。
「気になるなら、伊摩は食べる量を控えればいいじゃない」
「嫌よ。せっかく高い料金払ったのに、ちまちま加減しながら食べるなんて!」
無茶苦茶な事を言う伊摩だが、言われた瀬里も気持ちは良く分かった。
いくら伊摩が働いているとはいえ、このバイキングの料金(2,500円)が安く感じるかどうかは、また別の話である。
そもそも高校生が片手間にやっている読者モデルなので、拘束時間が短い代わりに報酬も言うほど高くない。
「先輩方! ここまで来たら、悩むよりスイーツを楽しんだ方がいいですよ!」
「君は本当に別人のようなはしゃぎっぷりだな、亜緒」
もはや誰だか分からないほどのキャラの変わり様に、隣太郎だけでなく他の女性陣も呆れ半分、微笑ましさ半分という目を向けていた。
「亜緒ちゃん、本当に活き活きしてるわねえ。とっても可愛いわ」
「十和先輩。亜緒ちゃんのあの可愛さのせいで、私たちはここに引きずり込まれたんですよ。あれは魔性の可愛さです」
「ていうか、あっさり流された隣太郎のせいでしょ。少しは反省しなさいよね」
何故か最後には、隣太郎が責められていた。
隣太郎が亜緒の可愛さに屈して、バイキング行きに賛同してしまったのは事実だが、それなら伊摩たちはあの亜緒の可愛さに抗えたのかと、彼は言ってやりたかった。
「ふふ、こういう時に勇気付けてくれる、いい言葉があるんです」
「いい言葉? 何よ、それ」
「ん?……あっ、ちょ」
唐突に得意げな顔で語り出した亜緒に、隣太郎は嫌な予感を覚えた。
妙な事を言い出さないように思いとどまらせようとするが、先に伊摩から問い返された亜緒は、意気揚々と口を開いてしまった。
「ずばり、『甘いものは、美味しい!』です!」
「…………」
「…………?」
亜緒、渾身のドヤ顔である。
あまりに見事な得意顔に、隣太郎は「誰だ君は」と言ってやりたくなった。
伊摩たちの反応は、唖然としたり首を傾げたりと様々だ。
「あの……亜緒?」
「はい、何でしょう? 伊摩先輩」
「えっと……その言葉って、何?」
自慢の言葉(笑)について聞き返された亜緒は、不思議そうに首を傾げる。
ストーキングや盗聴で事情を知っている瀬里と十和が、羞恥で頭を抱えている隣太郎を冷ややかな目で見ていた。
「え? 以前、トナリ先輩が私を勇気付けてくれた時の言葉です」
「……ちょっと、隣太郎」
自分の方を振り返った伊摩から、隣太郎は思わず目を背けた。
顔を見なくても「アンタ、後輩になに適当なこと吹き込んでんのよ」という伊摩の想いが、はっきりと伝わってくるようである。
そして残念ながら目を背けた先にも、別の女性陣がいるのだ。
「トナリくんって昔から真面目なんだけど、たまに適当なこと言うのよね」
「あらあら、それは少し反省した方がいいわね?」
「いや、ちょっと待ってくれ。この状況って、俺が悪いのか?」
隣太郎としては、亜緒に自分の作ったお菓子を心ゆくまで食べてほしい一心で、適当に丸め込んだだけのつもりだったのだ。なるほど、丸め込んだのが問題だったのだろう。一瞬で自己解決した。
「そんな事より、さあ行きますよ! 先輩方!」
「もう何なんだ、君は……?」
いよいよ我慢が利かなくなったらしく、威勢よくスイーツが並ぶテーブルに突撃していく亜緒を、隣太郎は慌てて追いかけていった。
「もう! こうなったら、あたしたちも行くわよ! カロリー? そんなもん知らないわよ!」
「まあ、お金払っちゃったしね……どうせなら、お腹いっぱい食べないと」
「でもスタイル変わっちゃったら、水着が着られなくなったりしないかしら……? 流石にこれ以上の出費はまずいわね」
「縁起でもないこと言わないの、十和先輩! とりあえず食べてから考えるわ!」
伊摩たちもようやく開き直り、隣太郎と亜緒に続いていく。
こうして男女五人での楽しいお出掛けは、ほぼ全員(亜緒以外)が胸やけで行動不能という惨状で幕を閉じた。




