21.東風原さんは灰谷さんと語る
駅前にて無事に全員集合した隣太郎たちは、簡単な自己紹介を終えた後、最初の目的地へと移動を開始していた。
今日のメンバーは大半が顔見知りだが、一部のみ初対面の組み合わせもあったので、念のための自己紹介といったところだ。
そうはいっても伊摩と十和は初対面とは思えない雰囲気だし、亜緒と瀬里に至っては自己紹介の段階で以前に会った事があると判明して、思ったより世間は狭いなと隣太郎は感じていた。
実際は女性陣が揃って隣太郎目当てで、一方的に知っているだけの関係も少なくなかったのだが。
「なあ、伊摩。本当にこの面子で行くのか?」
「何よ、隣太郎。今更怖じ気づいたわけ? 行くって決めたんだから、シャキッとしなさいよ」
隣太郎が目的地について再確認すると、伊摩は呆れたような声で答えた。
確かに一度行くと決めた事について、後からぐちぐちと言うのは情けないと、隣太郎も思う。
だが、それも時と場合――そして目的地によるのだ。
「いや、しかし……水着を買いに行くというのは、ちょっと」
そう、彼らが向かっているのは、大型ショッピングモールの水着売り場だった。
「十和先輩、あたしと一緒に回りません?」
水着売り場に到着した直後、伊摩は十和に対して提案した。
誘いを受けた十和は、いつもの笑顔で口を開く。
「ええ、喜んで。せっかくだから、伊摩ちゃんのセンスで選んでほしいわ」
どうやら十和も、伊摩と売り場を回る事に異論はないらしい。
ちなみに駅前での自己紹介の際、伊摩と十和以外の女性陣も互いに名前で呼び合う事で合意している。
「なら、私は亜緒ちゃんとね」
「はい。よろしくお願いします、瀬里先輩」
伊摩と十和が組むという事で、当然残った亜緒と瀬里がペアになる。
隣太郎も残ってはいるが、女性の水着を買うのに付きっきりになるのは厳しいので、ペアから外してくれるのは、ありがたい。
今回、水着を買いに行くと言い出したのは、当然というか伊摩だった。
デートであれば隣太郎もプランを立てようと努力するところだが、今日は女子四人とのお出掛けという名目である。
それなら行き先は女性陣が決めるべきだろうと任せていたら、いつの間にか水着売り場行きが決定していたのだ。
最初に任せると言ってしまった手前、後から隣太郎が苦言を呈しても、一切受け入れてもらえなかった。
「えっと、俺はどうするべきだろう?」
ペアからあぶれた自分の扱いを確認すべく、隣太郎は伊摩に声を掛けた。
男の身で水着売り場をうろつくのは気が引けるが、かといって本気で放置されると少し悲しい。
できれば何らかの役目を割り振ってほしかった。
「隣太郎は、そうね……とりあえず、瀬里たちの方について行って」
「向こうでいいのか?」
何となく伊摩は「自分についてこい」と言うような気がしていたので、隣太郎は反射的に問い返した。
隣太郎としても、敢えて誰かについて行くなら亜緒が望ましいところだが。
「あの二人はナンパとか、上手く対応できそうにないしね。とりあえず、しばらくは向こうについて行って、後であたしたちの方にも顔出してよ」
伊摩の言い分に、隣太郎は「なるほど」と思った。
亜緒は男が得意ではないし、瀬里も同じく慣れているようには見えない。
一方で伊摩はそういう手合いの対処も慣れていそうだし、十和は慣れとかそういう問題ではなく、普通にナンパ男をやり込めそうな雰囲気がある。
隣太郎がどちらかのガードに付くなら、亜緒と瀬里のペアが適切だろう。
「分かった。しばらく見て問題なさそうなら、伊摩たちの方にも行く」
「オッケー。よろしくね、隣太郎」
伊摩の提案に納得した隣太郎は、亜緒たちの方に合流する事にした。
横で話を聞いていた十和にも、念のため一声かけておく。
「十和先輩も、後で合流しましょう」
「ええ、ちゃんと貴方に選んでもらう水着を、ピックアップしておくわ」
軽く挨拶したつもりが、いつの間にか隣太郎が水着を選ぶ流れになっていた。
「いいですね、それ。隣太郎、あたしの水着もちゃんと選んでよね」
「伊摩もか……お手柔らかに頼む」
この二人の水着を選ぶとなると、色々な意味で気が抜けない。
そう思いながら、隣太郎は亜緒たちの方に向かって行った。
「それで、伊摩ちゃん。隣太郎君をわざわざ向こうに行かせたのは、私とゆっくりお話しするためって事でいいのかしら?」
隣太郎が立ち去った後、水着売り場で二人きりになった伊摩に対して、十和が声を掛けた。
そんな彼女に、伊摩も笑顔で言葉を返す。
「さっすが、十和先輩。聴こえてなくても、全部お見通しってわけですか」
「ふふ……そうね。私の後輩は、みんな素直で可愛いんですもの」
伊摩のあからさまな挑発に対しても、十和はこれといった反応を見せない。
この手の問答は既に瀬里で体験済みだし、何より伊摩はその瀬里の友人なので、彼女から自分の情報を得ている可能性が高いと、十和は考えていた。
「まあ、瀬里と亜緒はそんな感じですよね。隣太郎も、あれで割と単純だし」
「あら? 伊摩ちゃんだって、みんなに負けないくらい可愛いと思うわよ?」
あくまで自分は別という体で話す伊摩を、十和は他の後輩と同類だと評した。
言葉だけなら後輩を可愛がる先輩そのものだが、実態は痛烈な皮肉である。
伊摩は眉を小さく顰めつつ、笑顔を崩さずに十和を見返した。
しばしの間、二人の周囲に緊迫した空気が漂い――。
「ハァ……」
「あら?」
突如、空気を弛緩させるような溜息を吐いた伊摩を見て、十和は首を傾げた。
しかも伊摩の表情を見れば、随分と呆れた目を向けられている事に気付く。
こめかみを抑える仕草をした後、伊摩は十和に向かって口を開いた。
「十和先輩。ムダに含みがあるように見せるのは、悪い癖だと思いますよ?」
「あらあら、バレちゃった?」
伊摩からのジト目をものともせず、十和は悪戯がバレた子供のような、多少の照れを含んだ笑顔を見せる。
というか、実際に悪戯がバレた子供も同然である。
「さっきも言ったけど、私の後輩はみんな可愛いんだもの。つい悪戯したくなっても、仕方ないと思うの」
伊摩に「悪い癖」と咎められても、十和は気にした様子がない。
伊摩が指摘した通り、十和の思わせ振りな言動は大半がフェイクである。
盗聴によって得た情報と本人の勘の良さで、人より読みが鋭いのは確かなのだが、別にその読みで他者を出し抜いたりしようとは思っていない。
単にそれらしいことを言って、相手が動揺しているのを見るのが楽しいだけという、傍迷惑な趣味の持ち主なのである。
伊摩がそれに気付けたのは、ひとえに読者モデルとして働く中で、大人や年上と少なからずコミュニケーションを取ってきた賜物と言えるだろう。
「まあ、趣味が悪いとか、そういうのは置いといてですね……」
「あら、まだ何かあるのかしら?」
自身の悪癖について「置いておく」と言われた十和は、怪訝そうな顔を伊摩に向ける。
てっきり伊摩は自分のそういう部分を糾弾して、他の後輩――特に隣太郎へのからかいを止めさせようとしていると、十和は思っていたのだが。
不思議そうな顔をしている十和に、伊摩は一転してニヤリと笑い掛ける。
「そういう事ばっかしてるから、隣太郎から苦手意識持たれるんじゃないですか?」
「うっ……それは……」
伊摩の口から放たれた予想外の言葉に、十和の表情は一気に凍り付いた。
自覚はあったが、自分以外の人間からも「隣太郎から苦手に思われている」と指摘されると、柄にもなく落ち込んでしまいそうだった。
自身の動揺を抑えるため、十和は必死に言い訳しようとする。
「だ、だって隣太郎くん、特に可愛いし。声も素敵で、話してると楽しくなってきちゃうし。私が呼ぶと来てくれて、そういうところも、その……好きだし」
結局のところ、十和は隣太郎の事が大好きなのだ。
好きだから悪戯したくなって、つい楽しくなって悪ノリしてしまう。
そんな小学生男子じみた精神性が、十和の本質だった。
隣太郎たちは「底知れない」と恐れているが、意外に底は浅いのである。
急に子供の様に不貞腐れた表情になった十和を見て、伊摩は再度溜息を吐いた。
何となく想像はしていたが、彼女は彼女で思った以上に拗れている、と。
「私もアイツが好きだから、あの澄まし顔を崩してやりたい気持ちは、分からないでもないですけど」
「そうよね! いつもクールな隣太郎くんが慌ててる姿って、とっても可愛いわよね!?」
伊摩の漏らした言葉を聞いて、我が意を得たとばかりに詰め寄る十和。
急に活き活きとしたその顔を見て、伊摩は改めて「子供か、この人」と思ってしまった。
先程までのどこか超然とした年上の雰囲気は、もはや欠片も残っていない。
「先輩がそれで楽しいならいいですけど、それやってたら最終的に隣太郎と付き合うとか、絶対ムリだと思いますよ」
伊摩からの無慈悲な追撃に、十和は再度固まる。
ただでさえ隣太郎には、亜緒という意中の相手がいるのだ。
そんな彼に苦手意識を持たれるような接し方をしたところで、恋愛感情を持たれる可能性は絶望的に低いだろう。
小学生男子が好きな女子をいじめて、最終的にその子と付き合えるかどうか。少し考えてみれば、かなり望み薄だと分かる。
「そ、それは嫌よ。私だって、隣太郎くんに好かれたいわ……」
伊摩からの指摘を受けて、十和は涙目になりながら言った。
最初は隣太郎の声が好きで、彼と話せれば恋人関係でなくてもいいと思っていた十和だが、やはり恋愛的な意味での好意も持っているのだから、できる事なら恋人として付き合いたい。
彼に甘い言葉を囁かれるのは、自分でありたいと十和は思っていた。
「じゃあ、どうすればいいのか分かりますよね? そのままでも隣太郎には嫌われないかもしれませんけど、最後は亜緒に取られるのがオチですよ?」
敢えて「自分に」と言わないのは、伊摩も現状を正しく理解しているからだ。
まだ伊摩自身も、隣太郎の心を射止めていないという自覚があるので、つい弱気な発言が出てしまった。
亜緒に何だかんだ言っておいて、自分もまだ弱いと、伊摩は胸中で自嘲した。
それでも彼女が亜緒を焚き付けてその気にさせたのは、あの時言った通り単なるプライドの問題である。
たとえ亜緒の背中を押した事で不利になったとしても、何もしない中途半端な後輩に為す術もなく負ける様な、惨めな恋にしたくなかったのだ。
「あたしはこれから隣太郎を振り向かせるために頑張りますから、先輩もそうしたらどうです?」
だから伊摩は亜緒だけでなく瀬里も、そして十和も背中を押してやる。
自分の感情を理解できないまま、気付いた時には終わっている恋なんて、他人の人生だろうと伊摩は認めたくなかった。
真っ直ぐぶつかって、破れるならそれでいい。それが伊摩の恋愛観だ。
「そうね……私も、ちゃんと隣太郎くんと仲良くなれるように、頑張るわ」
そんな伊摩の思いを受け止めて、十和は力強く宣言した。
先程までの気弱な様子は影を潜め、決意に満ちた目をしている。
自分の想いが伝わったと分かり、伊摩は満足げに頷いた。
また一人、手強いライバルが増えてしまった事になるが、後悔はない。
「そしたら、盗聴なんて止めて、隣太郎と普通に話しましょう? 先輩」
「え? それは嫌よ? それとこれとは、別の話だわ」
――この先輩相手に本気で恋を語った事を、伊摩は一瞬で後悔した。
「……ちょっと、十和先輩?」
「私に対する隣太郎くんの話し方だけだと、やっぱりワンパターンなのよ。同い年とか年下が相手とか、いろんなパターンの声を聴いた方が捗るわ」
いよいよ冷たい視線を向けてきた伊摩をものともせず、十和は滔々と語る。
自分の想いを変態性によって踏みにじられた伊摩は、いよいよ怒鳴りだしそうな自分を押しとどめて、深く溜息を吐いた。「コイツもか……」と。
友人である瀬里も、隣太郎への好意は自覚したものの、何だかんだと言い訳をしてストーキング自体は止めなかった。
あの男には、妙な女を惹き付けるフェロモンでもあるのだろうかと、伊摩は本気で考え始める。
もしそうだとしたら、自分にもまだ見ぬ変態性が眠っているのかもしれない。
「伊摩ちゃんも一度、隣太郎くんにちょっかいを出してみれば、いいんじゃないかしら? そうしたら私や瀬里ちゃんの気持ちも、分かってもらえると思うわ」
「や、先輩たちみたいな変態と一緒にされても……」
絶好調の十和は、あまつさえ伊摩まで変態道に引きずり込もうとしてくる。
瀬里にどうにか普通の恋愛をさせたい伊摩としては、そんなキワモノの道に堕とされるのは、まっぴらごめんだった。
しかし十和は、伊摩の呆れた様子を気にせず、笑顔で道を語り続ける。
「そうね、伊摩ちゃんなら……隣太郎くんにちょっとエッチな写真を送ってみるなんて、どうかしら?」
「……ハァ?」
十和から出てきた突拍子もない提案に、伊摩は素っ頓狂な声を上げる。
そして阿呆な事を言う先輩に、苦言を呈そうとした。
何を言っているのだ、この先輩は。そんなのは完全に痴女ではないかと。
「…………」
しかし何故かその苦言は、伊摩の口から飛び出していなかった。
口を開く前に、伊摩はうっかり自分がそれを実行した場面を想像してしまったのだ。
――隣太郎に見てもらうために、少し過激な服に身を包む伊摩。
恥ずかしがりながらも服をはだけ、写真を撮る伊摩。
その写真を送り付けられて驚く隣太郎。
自室で一人、文句を言いながらも、隣太郎は写真から目を離せず……。
「あら? 気に入ってもらえたみたいね?」
「ハッ!? や、違う! そんな事ないですし!?」
新たな扉を開きかけていた伊摩だったが、十和の声で正気に戻る。
自分がナニを想像していたのか思い出し、伊摩の顔は一気に赤くなった。
そんな伊摩を見て、十和は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「うふふ、やっぱり伊摩ちゃんも可愛いわ。試しに一度やってみましょう?」
「やりません! やらないってば!!」
堕ちかけの伊摩が、微笑む十和悪魔に向けて声を上げる。
気を抜いたらうっかり実行してしまいそうな自分に、伊摩も気付いていた。
「何だか盛り上がってるな、二人とも」
「あら、隣太郎くん。あっちはいいの?」
伊摩と十和が言い合っていると、まさか自分に関する内容だとは思ってもいない隣太郎が声をかけてきた。
亜緒たちの水着選びが一段落したので、ガラの悪そうな客がいないのを確認した後、伊摩たちの方に合流したのだ。
ちなみに亜緒と瀬里は、試着室にて水着から私服に着替え中である。
その辺りを説明した後、隣太郎は二人が水着を手に持っていない事に気付いた。
「二人とも水着は?」
「あ、えっと……」
隣太郎から怪訝そうな目を向けられて、伊摩は口ごもった。
十和との会話がヒートアップして、肝心の水着選びをすっかり忘れていたのだ。
狼狽える伊摩を尻目に、十和は笑顔で口を開く。
伊摩の目には、彼女の目が怪しく光ったように見えていた。
「この辺なんて、どうかしら? 隣太郎くんの意見も聞きたいわ」
そう言って十和が掲げたのは、下品ではないがそれなりに際どい水着数点だった。
先に宣言していた通り隣太郎に選ばせるべく、ちゃっかり目星を付けていたらしい。
「ねえ、隣太郎くん。貴方の好みはどれかしら?」
「い、いや、これはちょっと……大胆過ぎませんか?」
ぐいぐいと迫る十和に、隣太郎は焦った声を出す。
十和が着たら確かに似合うとは思うのだが、自分がこんな際どい水着を勧めたという事態になるのは、隣太郎にとって危険極まりない。
そんな二人の様子を横で見ていた伊摩は、いよいよ目を吊り上げて十和に詰め寄った。
「アンタ、マジでいい加減にしなさいよね!?」
「お、落ち着け、伊摩! 相手は先輩だから!」
急にブチ切れた伊摩を、隣太郎は慌てて宥める。
そんな二人を見て楽しそうに笑う十和に、隣太郎も「いい加減にしてくれ」と言わんばかりに抗議の目を向けた。
こんな調子だと、また伊摩が怒りだして――。
「うふふ、ごめんね、伊摩ちゃん。はしゃぎ過ぎちゃったみたい」
「――ったく、もう! 十和先輩は本当、調子いいんだから!」
しかし思ったよりもあっさりと、十和は伊摩に謝罪する。
伊摩の方も怒ってはいるが、本気で苛ついているというより、世話の焼ける姉に対する態度の様に隣太郎には見えた。
隣太郎にはよく分からないが、自分がいない間に随分と二人の距離は縮まったようだ。
この夜、伊摩から一枚の画像が送られてきて、隣太郎は大いに動揺する事になるのだが……。
この時の彼は、当然そんな事はまだ知らない。




