02.米峰くんは犯罪行為を食い止めたい
惚れた後輩女子である亜緒に告白とストーカー宣言をした翌日、隣太郎は普段と変わらぬ様子で登校していた。
変わらぬ様子とはいうものの、それはあくまで教室での姿を客観的に見た場合の話である。
実際の彼は、昨日亜緒から入手したIDを駆使して、早くもメッセージのやり取りを始めていた。
とはいえ、しつこく連絡して嫌われるのは隣太郎としても本意ではない。
まずは「よろしくな」という最初の挨拶、そして就寝タイミングを見計らった挨拶だけで昨日は済ませた。
一夜明けたが、女性の朝は忙しいだろうから無駄に連絡は入れず、後は授業の合間に一度だけ世間話を振った程度である。
亜緒からの返信は、意外と言うべきか全てきっちり返ってきている。
流石にノリノリの内容ではないものの、常識的な範囲のメッセージであれば無視はしないでいてくれるらしい。
なかなかチョロ可愛いな、と教室の自席でメッセージ画面を眺めながら、隣太郎は一人微笑んだ。
「なーに嬉しそうにしてんの?」
「ん? 霜馬か」
自席でスマホを眺めていた隣太郎に、一人の男子生徒が話しかけてきた。
同じクラスの男子で、隣太郎とは中学からの友人である米峰 霜馬だ。
赤みを帯びた短髪。派手ではないが、やや軽薄な態度の目立つ男である。
「お前がスマホ見ながらニヤけてるなんて、珍しいじゃん」
「ああ、ちょっと昨日から後輩の女子と連絡取っててな」
「後輩の女子!? え、何? お前、彼女できたの?」
隣太郎の言葉に驚きを隠せない霜馬だが、無理もないだろう。
彼が知る限り、隣太郎という男は今まで特定の女子に対して興味を示したことはなかった。
年頃の男子なので下ネタくらいは無難にこなすが、恋愛ごとに関しては無反応というのが霜馬の知る隣太郎だった。
そんな隣太郎が女子と連絡を取るようになるなど、ヤンキーがいきなり勉強を始めて難関大学に現役合格するが如くだろう。
映画化したら受けるかもしれない。
「いや、彼女じゃないんだ」
「何だよ、驚かせやがって。まだ友達か? それとも片想いってやつ?」
「いや実は昨日、告白して振られたんだがな。いろいろあって、彼女をストーキングすることにした」
「いろいろって何だよ!? また驚かせやがって!」
あまりに堂々とした友人の犯行予告に、霜馬は思わず叫んだ。
隣太郎が女子に告白したことも、既に振られたことも驚きだが、その相手をストーキングするというのは驚くどころの話ではない。
映画化どころか、法廷画になる可能性の方が高いだろう。
「ちょっと米峰くん、トナリくん。騒ぎ過ぎじゃない?」
「あ、ちょ、梔も何か言ってやってくれよ! この犯罪者予備軍に!」
「はあ? 犯罪者予備軍? 誰が?」
「そりゃあコイツしかいないでしょ! トナリだよ!」
騒ぐ二人を注意をするため会話に混ざってきた女子生徒――梔 瀬里に、霜馬は助けを求めた。
瀬里は真面目な委員長タイプの女子だ。というか実際にクラス委員長である。
基本的にルールはしっかり守るタイプなのだが、バランス感覚がいいので必要以上に締め付けるような真似はしない、まさにベストオブ委員長と言えるだろう。
隣太郎や霜馬とは同じ中学の出身なので何かと絡みがあり、プライベートで遊ぶほどではないが友人と呼べる関係だと当人たちは認識している。
ちなみに「トナリ」というのは、隣太郎のあだ名だ。
由来は言うまでもなく、「隣」の字を読み変えただけの手抜き工法。
隣太郎だと長いので短くしようと言い出した、霜馬による命名である。
最初はシンプルに「リン」という案もあったのだが、発案した霜馬本人が「可愛すぎてキモい」と笑い出したので、壮絶な殴り合いの末にトナリで収まったという過去があったりする。
「トナリくんが犯罪者? 何言ってんの?」
霜馬の発言を聞いた瀬里が、呆れたような声を出した。
瀬里もそうだが同じ中学出身者の中では、霜馬がお調子者、隣太郎は少し変わっているが真面目なタイプというイメージがある。
この二人が何かをやらかしたとしたら、大抵は霜馬が原因だと思うだろう。
「いやマジなんだって! おいトナリ。お前、今日から何するって?」
「だからストーキングだと言ってるだろう。次の昼休みは直接行くつもりだ」
「え? あの、トナリくん?」
「な? 俺の言ったとおりだろ!?」
瀬里が自分と同じ驚きを共有したと見て、霜馬は嬉しそうに笑った。
自分だって物凄く驚いたのだからお前も驚けという、あまりにみみっちい器の小ささであった。
そんな霜馬の笑顔に一瞬かなりムカついた瀬里だったが、それより隣太郎のストーカー発言の方が重要なので、捨て置くことにした。
「トナリくん! どういうこと? あなた、ストーキングって……」
「ああ、梔も気になるのか? 要するに振られた相手のストーキングを」
「略し過ぎ! まず振られたって何なの!?」
しれっとした顔で語る隣太郎に、瀬里は驚愕の声を上げる。
霜馬と同様、ストーキングもそうだが隣太郎が女の子に告白して振られたという事実が既に理解できなかった。
「振られたのは言葉通りだ。昨日の夕方、意中の後輩に告白してな。残念ながらお断りされてしまった」
「え? そ、そうなんだ……」
あまりに普通の調子で言う隣太郎だったが、一方で瀬里は隣太郎に対して無遠慮なことを聞いてしまったのではないかと、後悔していた。
あの隣太郎が自分から告白するくらいに、好きな女子ができたのだ。
その彼女に拒否されたとあれば、表面上はどうあれ心中ではまだ失恋の痛みを脱していないのかもしれない。
そう考えれば、ストーキング行為に走るというのも無理は……
「いや、ちょっと待って! だからストーキングってどういうこと!?」
よくよく考えると、やはり無理だらけだった。
振られた相手にストーキングなど、完全に犯罪者ではないか。
そうか、だから犯罪者呼ばわりされていたのか、と瀬里は納得した。
「ストーキングと言っても、ちゃんと相手には伝えてあるぞ。今日から君のストーキングをさせてもらうってな」
「ええ……?」
「ダメだ。やっぱ意味分からん」
隣太郎から伝えられた新事実に、霜馬も瀬里もさらに困惑を強めた。
相手に伝えてからストーキングというのは、もはや一種のプレイなのでは?
そう思わずにはいられないほど、不可解な状況になっていた。
「えっと、じゃあ聞き方変えるけど、その相手って誰なの?」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
瀬里に対して断りを入れると、隣太郎は胸ポケットから手帳を取り出した。
そして素早くページをめくり、読み上げ始める。
「名前は雨葦 亜緒。俺たちのひとつ下で、うちの高校の一年C組だ。出席番号は二番。誕生日と血液型も調査済みだが、プライバシー保護のためここで読み上げるのは止めておく。住所や家族構成も同様だが、とりあえず妹はいるらしい。それとたしか家では猫を飼っているそうだ。好きな食べ物はスイーツ全般で、最近は特にあるコンビニ限定の新作プリンがお気に入りだ。嫌いな食べ物は」
「ストップ! トナリくん、ストップ!」
「やべえな、コイツ……」
隣太郎の唐突な長セリフに、霜馬と瀬里は畏怖を覚える。
隣太郎は無口ではないが、それほど口数が多いというほどでもない。
少なくとも二人は、彼が一息でこんなに喋ったところは見たことがなかった。
冷静に中身を思い出すと、個人情報の取り扱いについては慎重さが窺える辺り、冷静さと狂気が同居しているようで空恐ろしくなった。
しかしそんな二人を、何故か当の隣太郎は呆れた目で見ていた。
「まったく、二人とも騒ぎ過ぎだ。この程度は、別に犯罪行為を犯さなくても調べられる。元々、告白に備えて世間話を持ち掛けたりしてたしな」
「んんー? そう言われると、そうかもしれないけど……」
「いや、あのワンブレスは普通じゃねえだろ」
霜馬が余計な茶々を入れてくるが、隣太郎はあえて無視した。
「それに俺がやった行為も、今のところは彼女から直接聞いたIDでメッセージのやり取りをしたくらいだ」
「直接聞いたの? 振られた相手なのに。あ、振られる前に聞いたの?」
「いや、振られた後だ。ストーキングに便利だから教えてくれって」
「それで教えてくれたの!? 何なの、その子!?」
実際は隣太郎が亜緒の動揺に付け込んで聞いたのだが、そんな事情は知らない瀬里にとって、まだ見ぬ亜緒という少女はとんだ変人なのだと誤解していた。
もしかしてこのストーキングというのも、亜緒の変態趣味のために隣太郎が上手く利用されているだけなのでは、というところまで瀬里の中では誤解が進化を遂げつつあった。
「とにかく、この件は特に問題はない。霜馬も梔も心配しないでくれ」
「あ、ちょ、トナリくん!」
軽い口調で言った後、瀬里の制止も聞かず隣太郎は教室を出て行った。
おそらく授業開始前に、トイレにでも行ったのだろう。
「……どうする? 梔」
困惑から覚めない二人だったが、先に霜馬が口を開いた。
「決まってるでしょ。トナリくんが道を踏み外さないようにしてあげないと」
そして瀬里が、妙に決意に満ちた表情で答えた。
そのまま自分も授業に備えるべく、自席に戻って行く。
一人残された霜馬は、そんな彼女の背中を見つめながら、ポツリと呟いた。
「何か、梔も妙な誤解しているような気がするなあ……」
隣太郎たちに降りかかる今後の波乱を予感する霜馬だが、おそらく自分には何もできないのだろうと、妙な確信を覚えていた。