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17.雨葦さんと東風原さんも再会する

 随分と歩き慣れた図書室への道順を辿りながら、隣太郎は頭を悩ませていた。

 悩みの内容とは、ずばり瀬里や十和、そして伊摩との関係性である。


 隣太郎はこれまでずっと亜緒と親しくなり、最終的には付き合う事を目的に行動してきた。

 そのために取った行動が彼女に対するストーキングだったのはアレだが、実際はそこまで悪質な行為には走っていないので、まあ問題ないだろう。

 結果として着実に彼女との仲は深まっているし、先日はついに彼女を名前で呼べるようになった。

 ここまでは大いに結構なのだが……


「他の女子が俺の事をどう思っているか、分からないんだよな……」


 言葉にすると実に思春期の男子らしい悩みに、思わず溜め息を零す。

 だが見栄や冗談ではなく、本当に亜緒以外の女子から好意的なものを感じているのだ。

 これが一対一の関係であれば甘酸っぱい青春物語になるのだが、自分には意中の相手が他にいる状況で、さらに複数人が絡んでいるとなると一気に厄介になる。

 その先に待っているのは、紛う事なき修羅場である。


「しかし、誰も告白してこないのに、こっちから振るわけにもいかんし」


 そこが最大の問題である。

 先日は亜緒だけでなく、当人たちから求められて瀬里や十和とも、名前で呼び合う関係になった。

 ぶっちゃけ伊摩も時間の問題だと、隣太郎は思っている。

 そんな風に、あからさまに気がある態度を見せてくる彼女たちなのだが、誰一人として告白には及んでこないのだ。

 実際に及ばれても困るとはいえ、現状維持というのも精神衛生上よろしくない。

 だからと言って自分の方から距離を取るのも、隣太郎には躊躇われる。


 好きな相手に拒絶される痛みは、()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。




「お、隣太郎じゃん」


 一人廊下を歩いていた伊摩は、同じく一人でいる隣太郎の姿を捉えた。

 歩きながら小さく唸っているが、何か困り事だろうか?

 気になった伊摩ではあるが、とりあえず接触してから考える事にする。


「うーん、どうかな。今日はもうちょっと攻めてみようかな?」


 呟きながら伊摩は、制服の胸元のボタンを一つだけ開ける。大胆ではあるがモデルという肩書があるので、こういうファッションと言い切れるだろう。

 髪は乱れていないと思うが一応手櫛で整えて、隣太郎に聞こえないように軽く喉の調子を確認すると、最後に意識して分かりやすい笑顔を作ってみる。

 隣太郎のような堅物――というか他に本命がいる相手には、とにかく分かりやすい感情表現が重要だと伊摩は考えていた。


『んー。そこはまだ、あたしも自分で良く分かってないんだけどね』


 以前、二人きりの帰り道で隣太郎にはそう言ったが、伊摩は自分の気持ちをそれなりに理解できるようになっていた。


 ――きっとこれは、恋の始まりだ。


 まだ彼との付き合いは短いし、明確に惚れたと言えるほどの劇的な何かがあったわけではないけど、どんな男よりも彼の事が気になっていた。

 だから、あれはきっと恋が芽生えた瞬間だったのだと思う。

 問題は、隣太郎には既に意中の相手がいるという点だが。


 あの帰り道での会話で、隣太郎が亜緒の事を本気で好きなのは理解していた。

 まだ付き合ってはいないし、それどころか何故か自称ストーカーになっているという謎の事態なのだが、それも結局は「亜緒と一緒にいて彼女と親しくなる」という目的からの行動である。とにかく言い方がおかしいのが問題なのだが。


 それはともかく、他に好きな相手のいる男を、伊摩は振り向かせなければならないのだ。

 いかに伊摩の容姿が整っているとはいえ、簡単にできる事ではないだろう。

 むしろ簡単にそうなる相手だったら、伊摩も惹かれていないはずだ。

 それでも――だからこそ、伊摩は一歩も引かずに前進する。


「出遅れたなら、その分攻めるのみよ……!」


 それがこの恋における、伊摩の基本スタンスであった。




「やっほー、隣太郎!」

「ん? おお、東風原さんか」


 背後から聞き慣れた声で呼ばれたので振り返ると、隣太郎が想像した通りの姿がそこにあった。

 正確には想像していたよりも、少し大胆な恰好をしている気がするが。


「今日は……何というか、セクシー路線の日なのか?」


 女性をあまり凝視するのはマナー違反だと理解しつつも、伊摩の開いた胸元に目が寄せられてしまう。

 おっぱいに貴賤はないと主張したい隣太郎ではあるが、別に大きいのが嫌いというわけではないのだ。ちなみに亜緒も、身長の割には大きい方である。

 伊摩の背中に流れる見事な金髪も、心なしか以前よりも艶がある様に見える。

 これは伊摩が隣太郎への好意を自覚した事により、無意識のうちに髪のケアに一層の手間を掛けるようになった成果である。

 基本派手めな彼女ではあるが、そこには恋する乙女としか言い様のない、いじらしい努力の跡があった。


「おっと、なになに? 隣太郎は伊摩ちゃんの色気に、やられちゃった感じ?」

「まあ、やられてはいないが、色っぽいとは思う」

「んんっ!? ふ、ふふっ、そっかそっか! 思っちゃたかー」


 隣太郎が自分に目を向けているのを感じて、上機嫌になる伊摩。

 しかも視線だけでなく、言葉でも意識している事を伝えてくるので、胸の高鳴りは急上昇中である。

 好きな相手が自分に魅力を感じてくれるというのは、実に幸せなのだと伊摩は理解を深めていた。


「そんな伊摩ちゃん大好きな隣太郎は、どこに行くのかなー?」

「大好きかどうかはともかく、行き先は図書室だ」


 どさくさに紛れて大好き認定されそうだった隣太郎だが、何とか回避する事に成功していた。

 冗談であっても、亜緒以外の相手に好きという言葉を使うのは、彼の矜持に反する。

 いかに伊摩が魅力的であろうと、ハニートラップには屈しない隣太郎であった。


「図書室? 本でも借りるの?」

「いや、借りるかもしれないが、亜緒が図書委員なんだ」

「……ふーん、そうなんだ」


 隣太郎の言葉の意味を読み取り、伊摩の笑顔が引いていく。

 はっきりとは言わなかったが、要するに亜緒に会うために図書室に行くという事だ。

 さっきまでは浮かれていたが、自分の恋が不利な状況である事を改めて思い出す。


「それ、あたしもついてっていい?」


 しかし、攻めの姿勢は止めない伊摩である。

 対等なライバルですらない亜緒に気後れして機会を譲るなど、自分にとって自殺行為でしかないと理解していた。


「え、東風原さんも来るのか?」

「まあ、たまには読書もいいでしょ?」


 一方、ついてくると言われた隣太郎は、内心で慌てる。

 何しろ自分に気があると思われる彼女をつれて、本命である亜緒に会いに行くのだ。

 伊摩の本心がどうかは分からないが、修羅場を想像してしまったのも無理はないだろう。


 とはいえ、図書室に行きたがる彼女を邪魔する権利など、隣太郎にはない。


「そうだな……一緒に来ても、別に問題ないぞ」

「ふふ、ありがと。じゃあ行くわよ、隣太郎」


 こうして隣太郎は他の女子を連れて、好きな女の子に会いに行く事になったのだった。

 事実だけ羅列すると、修羅場に向かって突き進む感じが半端ない。


「あ、それといい加減、よそよそしい呼び方はやめてよね」

「は?」

「アンタ、亜緒のこと名前で呼んでたでしょ? あたしも伊摩って呼んで」


 諦めて図書室に向かおうとした隣太郎だったが、ついでの様に言われた言葉に呆けた声しか返せなかった。

 伊摩の方もそれを狙っていたのか、割と強引に話を進めてくる。


「いや、それは」

「はい、伊摩。隣太郎、呼んで」

「……はい、伊摩」


 完全にペースを握られ、為す術もなく彼女の名を呼ぶ隣太郎。

 せめて恋愛でだけはペースを握られまいと、強く心に決めたのだった。




「そういえば、図書室って初めて来たわね」

「そうなのか? 転入前の案内とかは?」

「新入生ならともかく、二年からの転入生は最低限だったかな」


 もはや伊摩を拒めないと諦めの境地に達した隣太郎は、彼女を伴いながら当初の目的であった図書室に辿り着いた。

 早速、受付を見ると亜緒が仕事中だったので、とりあえず伊摩と小声で話しているところである。


「それにしてもアンタ、本当にいるだけなのね……」


 会話をしながらも端々で亜緒に視線を向けていると、伊摩からは呆れた視線と言葉を向けられる。

 随分な言われ様、と反論したいところだが、図書館に来て本を読むでも勉強するでもなく、ただ友人と話しているだけというのは、突っ込まれても仕方ないだろう。

 会話がしたいなら、どう考えても図書室は不適切な場所だ。


「いや、普段はここに来たら読んでるぞ。けど今日は君がいるからな」


 伊摩はどう考えても読書が目的ではないだろうし、一緒に来たのに放置して本に没頭するのも気が引ける。

 ちょっとした気遣いのつもりだったが、伊摩は満更でもなさそうな反応を見せた。


「む……何よ、気が利くじゃない。流石は伊摩ちゃん大好き隣太郎ね」

「シレっと君のこと大好きマンにするのは止めてくれ」


 どうも「伊摩ちゃん大好き~」のフレーズが気に入ったのか、ちょこちょこ会話に挟んでくる。

 迂闊に生返事もできない状況に、隣太郎は戦慄を覚えた。

 うっかり肯定の返事をしようものなら、何を言われるか分かったものではない。


「まったく……とにかく図書室を閉めるまでは、適当に時間を潰すぞ」

「そうなの? 亜緒のところには行かないんだ」

「最後に本を借りてく。まあ、恒例行事みたいなもんだ」


 伊摩から「意外」という反応をされるが、隣太郎としては亜緒の仕事の邪魔になったら元も子もない。

 あくまでこの時間は彼女を見守るだけに留め、最後に軽く会話をする。そうして薄っすらと時間を共有するのが、この行為の目的なのだ。


「手慣れ過ぎでしょ……まさにストーカーって感じね」


 伊摩から再度呆れた視線を食らうが、この点については隣太郎も気後れする事はない。

 むしろどこか誇らし気な様子で、はっきりと答えた。


「そりゃあ、まさしく俺は彼女のストーカーだからな」




 図書室の営業終了間近にいつも通り本を借りると、ストーキングは終了する。

 他の生徒がいなくなり、当番完了前の確認作業が終わると、亜緒が隣太郎たちに近付いて声を掛けてきた。


「トナリ先輩! その、今日は東風原先輩とご一緒だったんですね」

「お疲れ、亜緒。彼女とは、ここに来る途中で偶々会ってな」

「今日は暇だったから、ついて来ちゃった」


 世間話のような流れで同伴について訊いてきたが、亜緒の様子はどう見ても気軽な質問をしているように見えない。

 隣太郎が他の女を連れている状況を、気にしているのが丸分かりだった。


 伊摩の方は涼しい顔をしている。

 とにかく攻めの姿勢というのが、隣太郎に関しての彼女のスタンスだ。

 隣太郎から好かれているのに受け入れず、かといって距離を置くでもない中途半端な対応をする亜緒に、遠慮してやるつもりは全くない。


「隣太郎、あたしは亜緒と二人で話したい事があるから」

「……そうなのか? ならまあ、俺は先に帰るか」

「え?」


 唐突に伊摩と二人きりの話し合いが決定して、亜緒が狼狽えた声を上げる。

 しかし元より押しに弱い亜緒なので、伊摩の強引さに抗う事ができない。

 結局、反論する余地もなく後の予定が決まってしまった。


「じゃあ、またな。亜緒、伊摩」

「ええ、またね、隣太郎」

「え? あ、はい……トナリ先輩、また明日」


 別れの挨拶を交わすと、隣太郎は先に図書室から出て行った。

 彼としても思うところはあったのだが伊摩の性格的に、亜緒に対して陰湿な行為に及ぶとも思えない。

 なので今日のところは、素直に彼女たちを二人きりにする事にした。




「あの、東風原先輩」

「とりあえず、伊摩でいいわよ」


 何かを言おうとした亜緒を遮り、まず伊摩は呼び方を改めるように言った。

 基本的に伊摩は親しみを覚えた相手と名前で呼び合いたがるが、今回はむしろ――。


「腹を割って話しましょう? 亜緒」


 単なる親しみよりも、対等に、開けっ広げに伊摩は話し合いたかった。

 そのためには、堅苦しい呼び方など邪魔でしかない。


「もっと気安い呼び方で、思った事を正直に言い合いたいのよ、あたしは」

「……分かりました、伊摩先輩」


 ようやく会話を妨げる不純物がなくなった事に、伊摩は満足げに頷く。

 そして間髪入れずに、亜緒に本題を告げた。


「よろしい。……話っていうのは、分かってると思うけど隣太郎の事よ」

「トナリ先輩の……」


 想像はしていたが、やはりそうかと亜緒は身構えた。


「そう。ていうか、アンタも呼び方変えたのね。少しは進展したって事?」

「それは、伊摩先輩だって……」


 亜緒が気にしているのは、隣太郎の伊摩に対する呼び方である。

 さっきは気付いていても口を挟めなかったが、自分と同じように名前で呼び捨てされるようになっていた。


「あの、先輩方って……」

「付き合ってないわよ。()()()()()ね」

「……!」


 はっきりと想いを口にしたわけではないが、決定的な一言だった。

 十分に予想できた事とはいえ、亜緒は思わず目を見開いて驚く。


「もしそうだったら、ここには来てないわよ。アイツは相変わらず、アンタに夢中みたいね。今日もこうして、近くにいようとしてたんだから」

「そう、ですか……」


 伊摩から告げられた言葉に、亜緒は思わず息を吐き――。


「亜緒。アンタ、今安心した?」


 吐き出すつもりだった息が、一瞬で止まった。


「な、何を……」

「安心したなら、考えが甘いわよ」


 伊摩から向けられる体験した事のない感情に、亜緒は狼狽える。

 それは怒りとも違うし、単なる嫉妬とも違う。


「今のアイツがアンタの事を好きだからって、何もしないアンタをずっと好きでいてくれる保証なんて、どこにもないんだから」


 彼女の言葉は亜緒を焚き付けるようで、そして言い聞かせているようにも思えた。

 黙って聞いている事ができず、思わず亜緒は声を漏らす。


「どうしてあなたは、わざわざ私にそんな事を……」


 亜緒には、それが理解できなかった。


 亜緒は元から、自分に自信があるタイプではない。

 隣太郎は何故かそんな平凡な自分を好きになってくれたようだが、好きになった理由を聞いた今でも、それが本当に自分でなければいけない理由などないと思っている。

 だから彼の気持ちに、いまだに応えられないのだ。

 男性が苦手なんて気持ちは、とっくにどうでもよくなっているのに。隣太郎と付き合う事で、自分が取るに足らない人間であると、彼に知られて愛想を尽かされる事を、ずっと恐れている。


「どうして? そんなの決まってるじゃない」


 そんな亜緒の弱さを見透かしたように、伊摩は不敵な笑顔を浮かべた。

 挑発的な表情だが、まるで()()()()()()()()()()ような錯覚を覚えた。


「裏でこそこそやってアイツを落としたとして、あたしのプライドが許さないって言ってんの」


 それは、とても強い意志を感じる言葉だった。

 どこまでも強気で、堂々としていて、そして少しだけ不安な想いを秘めた言葉だ。


 亜緒はずっと伊摩の事を綺麗な先輩だと思っていたが、目の前にいる彼女はこの瞬間、世界の誰よりも綺麗なのではないかと感じていた。


「だから、亜緒。アンタも本気になりなさい。そうじゃないと、きっと後悔するわよ」


 伊摩が向けてくる感情は、怒りでもなければ、単なる嫉妬でもない。

 それは闘争心。亜緒と正面からぶつかり合いたいという、愚かなまでに真っ直ぐな気持ちだった。

 伊摩は本気になった亜緒に勝ちたい。そして負けるとしても、本気になった亜緒が相手でありたいのだ。


 自分では決して届かないと思っていた、誰よりも綺麗な先輩から対抗心を向けられているという事実は、亜緒の胸を酷く高鳴らせた。


「伊摩先輩」

「何?」


 自分を呼んだ亜緒の声に、さっきまでとは違う感情が込められているのを感じ取ったのか、伊摩は真っ直ぐに後輩の目を見つめ返した。


「ありがとうございます」


 自然と亜緒の口から、感謝の言葉が漏れた。

 本来、伊摩ほどの女性なら、自分など意に介さず隣太郎を射止められるのだ。

 だがそれも、亜緒が何もせず手をこまねいていたらの話である。


「私も、きっと変わります。トナリ先輩に変えてもらえる事を期待するんじゃなくて、自分で変わって見せます」


 隣太郎からずっと愛されれば、きっと自分に自信が持てると思っていた。

 だけど黙っていたら、きっと隣太郎は自分の傍からいなくなってしまう。

 だから亜緒は、変わらなければいけない。ずっと好きでいてもらえるように。


「へえ、言えるようになったじゃない。でも少し変わったくらいじゃ、すぐあたしに追い付かれるんだからね」


 伊摩から言われた言葉に、確かにそうだろうと亜緒は納得する。

 何せ相手が強敵過ぎる。その上、亜緒はまだ自分に自信が持てていない。


「大丈夫ですよ」


 だが、それでも亜緒が自信を持って言えることが、一つだけあった。



「だってあの人は、私のストーカーなんですから」

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