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16.梔さんと灰谷さんは再会する

 隣太郎が 亜緒を名前で呼べるようになり、彼女からもあだ名で呼んでもらえるようになった、至福の昼休みから数時間。

 放課後に入ってすぐに隣太郎は、十和からの呼び出しに応えて写真部の部室に向かった。


 昼休みに霜馬を相手に語った通り、隣太郎には十和の呼び出しに素直に応える義務はない。あくまで隣太郎自身が、一応は写真部の部員だからという認識で付き合っているだけである。

 部長とはいえ十和も写真に興味があるわけではないので、何から何まで彼女に押し付けるのも気が引けると、隣太郎は考えていた。そもそも興味のない十和が部長を務める必要があること自体、どうかしているとは思うのだが。


 そんな事を考えつつ、隣太郎は写真部の部室の前に立った。

 一瞬だけ考え込むように動きを止めた後、目の前の扉をノックする。


「はい、どうぞ。笈掛くん」


 中から聞こえてきた声に、思わず隣太郎は苦笑してしまう。

 十和が自分を呼んだのだから、ノックをしたのが隣太郎だと考えて返事をするのは不思議ではないが、やはり底知れない感じがして心臓に悪い。

 とはいえ、ノックをしてしまった以上は逃げ出すわけにもいかない。


「失礼します」


 いつも通りの挨拶と共に、隣太郎は部室に足を踏み入れたのだった。




 隣太郎が部室を訪れた数十分後――。

 彼は十和と共に、学校から徒歩圏内にある公園へと足を運んでいた。

 予想通り十和の頼みは、顧問から「写真部が活動している様子を学校内外に見せてほしい」と言われたので、隣太郎にも付き合ってほしいという内容だった。


「でも先輩。写真部が実質機能してないって、うちの学校の人間なら割と知ってますよね?」

「ええ、そうね」

「……意味なくないですか? こんな下手な工作なんてしても」

「私もそう思うんだけど、先生方は諦めきれないみたいだし、仕方ないわね」


 園内を適当に歩き回りながら、隣太郎と十和は他愛ない会話を繰り広げていた。

 その内容は本当に大したものではないが、十和にとっては何よりも自分の胸を高ぶらせる隣太郎の声を、間近で長時間聞くことの出来るまたとない機会である。

 当然のように十和の鞄にはレコーダーが仕掛けられており、この会話を後からでも楽しめるように録音を実施していた。


「やっぱり私一人だと寂しいし、こうして笈掛くんだけでも一緒に来てくれて嬉しいわ。本当にありがとう」

「まあ、俺も写真部の部員ですからね。それにしても他の部員も、一人や二人くらい付き合ってくれてもいいのに」


 隣太郎の口から思わず漏れた言葉は、彼の本心だった。

 今まで今日のように十和から頼まれ事を何度かされているが、一度として他の部員が参加したことはなかった。

 幽霊部員なので活動に参加する必要はない、という名目で名前を貸しただけの部員であるのは、隣太郎も同じ立場なので分かっているのだが、それでも部長が一人で顧問の要望に応えているという状況で、誰も手を貸そうとしないのはいかがなものだろうか。


 そういう思いから隣太郎は愚痴を零したのだが、それを聞いた十和は何故か嬉しそうな――それでいてバツの悪そうな顔で笑っていた。


「ねえ、笈掛くん。私が呼んでるのが最初から貴方だけって言ったら、どう思う?」

「はい? それって、どういう……?」

「他の部員にも声をかけたっていうのが嘘で、本当は笈掛くんと二人きりになりたいから、先生の頼み事にかこつけて貴方を呼び出している……って言ったら、どう思うかしら?」

「ええっと……」


 十和の唐突な問いかけに、隣太郎は困惑していた。

 直前まで他の部員たちの不義理を嘆いていたというのに、実は彼ら彼女らは呼ばれてすらいない。隣太郎だけが、十和の意思で呼び出されていたとしたら?


「それは……顧問の先生からの要望があるのは、本当なんですよね?」

「ええ。今日も活動をしているように見せてほしいって頼まれたのは、本当よ」

「それなら……まあ、別にいいですよ」

「あら?」


 隣太郎の返事を聞いた十和は、素直に驚きを覚えた。

 正直、今の暴露は隣太郎に嫌われる可能性も考慮してのものだったのだ。

 いくらでも誤魔化せるように「仮定の話」という体を取っていたとはいえ、真に受けた隣太郎が怒り出す可能性も十分にあった。

 それが分かっていて、なおもこんな事を隣太郎に向けて言い出してしまったのは、十和の厄介な性質が理由なのだが……。


「俺は別に、十和先輩にこうして呼び出されるのが嫌なわけじゃないですから。ただ他の部員だって、たまには呼び出しに応えてもいいだろうと思っただけです」


 それもまた隣太郎の正直な気持ちだった。

 会話のイニシアチブを取られがちという点で十和に対して苦手意識はあるが、別に嫌悪感まで持っているわけではない。話していて疲れることはあっても、口も利きたくないとまでは決して思っていないのだ。

 むしろ部長としての職務を果たしているなら、部員として手を貸すのも吝かではないと思う程度には、隣太郎は十和という先輩のことを尊敬していた。たまに際どい発言をする悪癖だけは、どうにかしてほしいとは思っているが。


「そう……嬉しいわ。ありがとう、笈掛くん」


 隣太郎の言葉を聞いた十和は、とても嬉しそうに微笑んだ。

 元が美人なので笑うとさらに目を引くと隣太郎は思ったが、それはそれとしてどうしても気になって確認しておきたい事があった。


「というか、今のって本当の話ですか? それとも例え話ですか?」

「うふふ。さあ、どうかしら?」


 予想はしていたが、やはり十和ははぐらかしてきた。

 相変わらず捉えどころのない先輩に、隣太郎は苦笑を零すのだった。


「ハァ……まあ、いいですけど……。それより先輩、写真を撮るにしても何を被写体にします? こうやって話してても、写真部が活動してるようには見えないでしょうし、何かしら撮影しないと」

「そうね……とりあえず向こうの方に――あら?」


 隣太郎に促されて撮影の方針を決めようとした十和だったが、発言の途中で何かを見付けたらしく疑問の声を上げた。

 一体何を、と思った隣太郎が十和の視線を追うと、そこには見覚えのある、しかしここにはいないはずの友人の姿があった。


「こ、こんなところで会うなんて奇遇ね、トナリくん!」

「……梔? こんなところで、どうしたんだ?」


 そこにいたのは、隣太郎のクラスメイトである瀬里だった。

 いつも通学に使用しているリュックを背負い、明らかに学校帰りの装いで一人、公園にいたようだ。隣太郎が訝しむのも無理はないだろう。


「べ、別に……ちょっと気まぐれに、立ち寄ってみただけ。それよりトナリくん、あなたはここで何してるの?」

「ああ、俺は部活の先輩と、ちょっと野暮用でな」


 白々しい態度で隣太郎がここに来た目的を尋ねる瀬里だが、当然と言うべきか彼女はここまで隣太郎を尾行してきたので、聞くまでもなく理由を知っている。

 十和と二人で――あくまで瀬里の主観では楽しく散策している隣太郎に居ても立っても居られなくなった瀬里は、意を決して声をかけたのだった。


「あら、梔さんじゃない。お久しぶり」

「あ、灰谷先輩、先日ぶりですね。こんなところで、またお会いするなんて」

「ん? 君ら、知り合いなのか?」


 明らかに初対面ではない様子の女子二人を見て、隣太郎は疑問を口にした。

 瀬里にしろ十和にしろ隣太郎はプライベートの詳細など知らないが、この二人が知り合いだというのは何となく意外に感じる。


 そんな隣太郎の質問に先に答えたのは、瀬里の方だった。


「ええ、先輩とは少し前に偶然知り合ったの。いろいろ話してたら、音楽の趣味が合うって分かってね。先輩って()()()()()()んだけど、トナリくんは知ってた?」

「へえ、そうなんですか? 先輩」

「ええ、まあ……そうね」


 事情を知らない隣太郎は全く気付いていないが、瀬里の発言は十和の盗聴趣味を遠回しに指摘するものだった。当然その真意に気付いた十和は、笑顔の片隅でこめかみをひくつかせる。


 瀬里はカフェでの一件以降も隣太郎のストーキング続けているうちに、以前同席した先輩が彼の知り合いであるという事実に辿り着いていた。

 そうなると、あのカフェにいたのも偶然ではないかもしれないと疑った瀬里は、さらに十和を調べていく中で彼女が盗聴をしている事にも気付いたのである。

 もはやプロの探偵も顔負けの、尾行と調査技術であった。


「でも笈掛くん。梔さんだって凄いのよ? ()()()()()()()()の。目の付け所が違うって言うのかしらね」


 しかし十和も、瀬里に負けてはいなかった。

 度重なる盗聴の結果、隣太郎に異性の友人がいるという事実を掴んだ彼女は、その正体がカフェで同席した後輩であるという事実に、やはり辿り着いていたのだ。

 十和としては瀬里にちょっかいを出すつもりはなかったが、向こうから喧嘩を売ってくるというのなら話は別である。

 瀬里のストーキング――本人にとっては隣太郎を見守るための行為を知っていることを滲ませ、彼女に牽制を返すのだった。


「観察力……梔にそんな特技があったんだな」

「そ、そんな大したものじゃないけどね……」


 そんな二人が繰り広げる場外バトルに、やはり隣太郎は気付いていない。

 ただ純粋に「世間は狭いんだな」と考えるだけだった。


「うふふ」

「あはは」


 瀬里と十和は、笑顔を向け合っていた。

 隣太郎はやはり気付いていないが、その裏には様々な思いが渦巻いている。

 今の二人に副音声を付けるなら、「なんやワレ、やる気か?」「そっちこそなんやコラ、お?」という感じだろう。多分。


「二人とも仲良いんだな」

「え? あ、ああ、そうね。この間は、二人でパンケーキも……あ」

「パンケーキ?」


 隣太郎の言葉に何気なく返した瀬里は、自らの失言に気付いた。

 当人にはバレていないとはいえ、隣太郎を尾行して同じカフェに入ったのだから、出来る限り話題に出すべきではなかっただろう。


「奇遇だな。俺もこの間、パンケーキを食べに行ったぞ」

「そうなんだ……トナリくんも? ホント奇遇ね」

「本当だな。……あれ、先輩? どうかしたんですか?」


 瀬里とパンケーキについて話していた隣太郎は、いつの間にか十和の視線が自分に向けられていることに気付いた。それも少し見ただけでハッキリと分かるくらいに、何か言いたげな目だ。

 

「……さっきから気になってたんだけど、『トナリくん』って笈掛くんのあだ名よね? 貴方たち、仲が良いのね」

「え? ああ、まあ……」

「トナリくんとは、中学からの付き合いですからね」


 瀬里はそう言うが、隣太郎としては瀬里と親しくなったのは、高校に入ってからという認識である。中学時代は普通のクラスメイトの域を出なかったが、高校では見知った顔という事で交流が増えて、一気に距離が詰まったのだ。

 そもそも、あだ名で呼んでいるのは瀬里の方だけで、隣太郎は名字呼びである。


「いまさらだけど、俺はずっと君の呼び方、名字のままだったな」

「そういえばそうね……ちょっとトナリくん、冷たいんじゃないの?」

「いや、そう言われても……」


 瀬里にジト目を向けられた隣太郎だったが、よくよく考えてみれば他に同じ中学から来ている霜馬の事は、瀬里も名字で呼んでいる。瀬里の言葉を拝借するなら、彼女自身も冷たいという事になるのではないか。


 そんな二人を見て、十和は笑顔でパンッと手を合わせた。


「そうだわ。せっかく顔見知りなんだから、皆で呼び方を変えない?」

「呼び方を?……いいですね、それ」


 十和の提案に、瀬里はすぐさま同意を示した。

 十和が隣太郎に気がある事を知っている瀬里は、当然ながら彼女の真意――隣太郎から名前で呼ばれたいという望みに気付いている。本来なら隣太郎を狙う盗聴犯に手を貸すのは癪なのだが、それを曲げてでも協力するだけの理由が、瀬里にはあった。

 そう、彼女自身も隣太郎から名前で呼ばれたいのである。


「でしょ? じゃあ梔さんの事は、これから瀬里ちゃんって呼んでいいかしら?」

「もちろんいいですよ。それなら私は十和先輩って呼びますね」


 一見すると女子二人が友情を深める平和なシーンだが、その真相は互いの欲求を満たすためにライバル同士が共同戦線を張るような、手に汗握るシーンである。

 自分たちの利益が一致していると確信した二人は、笑顔で頷き合った後で、揃って隣太郎に視線を向けた。


「え、俺もか?」

「もちろん。私はトナリくんって呼んでるのに、梔なんて他人行儀でしょ?」

「そうね。私も一年近い付き合いなんだから、そろそろ名前で呼んでもいいと思うの」

「はあ……まあ、いいですけど」


 よもや亜緒に続いて、瀬里や十和まで名前で呼ぶ事になるとは。

 そう思うものの、隣太郎としては相手さえ良ければ、名前呼びに抵抗はない。


「じゃあ……瀬里」

「……!」

「それと……十和先輩」

「ん……っ」


 何気ない感じで女子二人の名前を呼んだ隣太郎だが、呼ばれた方はとても何気ないとは言えない様子だった。

 瀬里はビクリと肩を震わせているし、十和に至っては顔を赤らめてブルリと全身を震わせていた。同じ震えるのでも、肩と全身では大違いだろう。


(今夜はこれで決まりね……!)


 十和が心の中でガッツポーズを決めた事を、隣太郎は当然知らない。

 彼女の変態性の一端を知る瀬里は、どうせよからぬ事を考えているのだろうと、冷ややかな目を向けていた。

 しかし十和がそんな変態性を発揮していたのも時間にして数秒で、すぐにいつも通りの柔和な笑顔に戻る。そして何食わぬ顔で、隣太郎に語りかけた。


「あとは私が笈掛くんを、なんて呼ぶかね。トナリくんも可愛くていいけど、せっかくだから瀬里ちゃんとは違う方がいいかしら」


 しばしの間、考え込んでいた十和は、やがて名案とばかりに口を開いた。


「そうだわ。『リンくん』なんてどうかしら?」

「うっ……それは……」

「……あら? ダメだった?」


 十和としては本気でいい呼び方だと思っていたのだが、予想に反して隣太郎の反応は悪い。恥ずかしがっているというよりも、嫌な事を思い出したという顔だ。

 一連の流れを横で見ていた瀬里まで、引き攣った笑顔を見せている。


「その……中学の時、トナリくんのあだ名を決めたんですけど、その時にも『リン』っていうのが候補に挙がったんですよ」

「挙げた本人から、『可愛すぎてキモい』って言われたけどな……」


 今となっては笑い話だし、その事で霜馬に対して遺恨を残していたりはしないが、それでも隣太郎にとってはあまり歓迎できない呼ばれ方だった。


「とっても可愛いのに……。それを言った人は、センスが無いのね」


 お気に入りの呼び方を却下されてしまった十和は、残念そうに呟いた。

 まさか霜馬も、こんな事で美人の先輩からディスられる事になるとは、想像していなかっただろう。


「でも本人が嫌がる呼び方をするのは、良くないわよね。それなら……うん、やっぱり『隣太郎くん』にしましょうか」


 十和が笑顔で告げた事で、ようやく全員の呼び方が決まった。

 まるで何かを噛み締めるように、十和は二人の後輩を改めて呼ぶ。


「隣太郎くん、瀬里ちゃん。改めて、これからもよろしくね?」

「はい。えっと……十和先輩」

「よろしくお願いします。トナリくんも、ね?」

「ああ、瀬里もな」


 三人は互いに笑顔を向け合いながら、言葉を交わす。

 途中、瀬里と十和の間に火花を散らすような雰囲気はあったものの、蓋を開けてみれば意外なほどに和やかな空気で三人の顔合わせは済んだのだった。


 この数分後、隣太郎と十和はまだ写真を一枚も撮っていない事を思い出す。

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