15.雨葦さんは呼んでみたい
米峰 霜馬は、その光景を見ながら世の無常を大いに嘆いていた。
クラスメイトの瀬里は、隣太郎を追うのに夢中になっている。
現役読者モデルの伊摩は、何故か彼に大して親し気な様子を見せていた。
そして先輩である十和も、どうやら個人的に連絡を取る仲のようだ。
この上、隣太郎の意中の女子まで可愛かったら――。
そう思っていたのに。
「先輩、今日はその……学食に行かれてたんですね」
「ああ、俺はいつも通り弁当だが、友達の付き合いでな」
「そ、そうなんですね」
視界の端では、ストーカーを自称する風変わりな友人が、そのストーキング対象と談笑しているという、謎に包まれた光景が繰り広げられている。
「君も学食か? いつも弁当だと思ったが、そっちも友達の付き合いかな」
「そうですね……えっと、そんな感じです」
隣太郎の問い掛けに、何やら煮え切らない返答をする亜緒。
霜馬はそれを横で聞いていたが、亜緒の違和感に気付く余裕はなかった。
それ以上に、どうしようもなく見逃せない事実があったのだ。
「トナリ……お前は本当に、何をしたらこんな事になるんだよ……!」
それは腹の底から絞り出すような、深く重い叫びだった。
まさか亜緒までこんなに可愛いとは、霜馬も思っていなかった。いや、薄々そういう予感もあったのだが、現実になると思いたくなかったのだ。
美少女四人と親しくする男子高校生。お前は一体何者だと言いたかった。
やはり自分も、女子をストーキングするべきなのだろうか?
そんな、どう考えてもおかしい事を真剣に悩む程度には、霜馬は混乱していた。
「いきなり意味が分からんぞ、霜馬。何をしたと言われれば、ストーキングだが」
「やっぱりストーキングなのか」
「あの……何を仰られてるのか分かりませんが、落ち着いた方がいいと思います」
いよいよ自分もストーキングデビューをするべきかと考えていると、この場で一番冷静であろう後輩がストップをかけた。
ちなみに隣太郎は落ち着いてはいるが、基本ナチュラルにどこかおかしい。
「お、おお、スマン。取り乱してた」
「はい、分かります」
どうやら分かられてしまったらしい。
後輩からの視線に、尊敬の念が微塵も含まれていない事に気付いた霜馬だったが、数秒前の醜態はどうやっても取り繕い様がない。
とりあえず、この場は誤魔化すのが賢明だと判断していた。
「えっと……俺はトナリの友達で、米峰って名前ね」
「ご丁寧にありがとうございます。私は先輩の……えっと、雨葦です」
「トナリの雨葦ちゃんって? 彼女みたいな意味?」
「ち、違います! 先輩との関係が、上手く言い表せなかっただけです!」
どうやら適当に誤魔化した結果、うっかり恥ずかしい言い方になったらしい。
亜緒の慌てる愛らしい姿を見て、霜馬の心の闇がまた少し深くなった。
「と、ところで『トナリ』というのは、先輩のあだ名でしょうか?」
「そうだな、そんなに呼ぶヤツはいないが」
「隣太郎の『隣』の字を、そのまま読み替えただけだけどね」
あからさまに話を変える亜緒に、隣太郎も霜馬も素直に付き合う。
霜馬にとっては、直前の醜態を見逃してもらった恩があるので、当然である。
亜緒はそのまま口の中で何かを呟き、やがて決心したように口を開いた。
「では、その……トナリ先輩、ですね」
「…………」
「……あ、あれ?」
俯きながら口にした亜緒の言葉に、男二人は思わず黙り込む。
自分の発言で場が静まった事に気付いた亜緒が慌てるが、やがて二人揃って声を上げた。
「あまあ――」
「くっそ可愛いじゃねえかよおおおおお!!」
「おい、ちょっと黙れ」
台無しである。
好意を寄せる女子が、初めて自分をあだ名で呼んでくれた重要な場面。思えば今まで、ずっと「先輩」としか呼ばれていなかった。
その感激が、横にいる無関係な野郎の叫びで上塗りされてしまった。
隣太郎の言葉が荒くなるのも、無理はないだろう。
「何なんだよ。何でトナリばっか、可愛い子が寄ってくるんだよ。バスケやってたらモテるんじゃねえのかよ……」
友人からの制止も耳に入らず、嘆きの呪詛を漏らし続ける霜馬。
意外と不純な動機で部活に打ち込んでいることが、明らかになっていた。
「その、前にも言いましたが、もう知らない間柄でもないので……。あの、ダメでしょうか? トナリ先輩」
「いや、もちろん問題ないよ、雨葦さん」
「むぅ……」
亜緒に名前――というかあだ名を呼んでもらえるなど、拒む理由がない。
そう思って了承した隣太郎だったが、何故か亜緒は不満気な表情を見せた。
「ん? どうかしたか? 雨葦さん」
「その『雨葦さん』というのは、他人行儀じゃないですか?」
「え? いや、でもいいのか?」
どうやら亜緒は名字で呼ばれるのが嫌なようだが、隣太郎は自分の事をあくまで彼女のストーカーとして認識している。良くて単なる先輩といったところだろう。
少なくとも隣太郎の基準では、馴れ馴れしく呼べる関係とは言い難い。
しかし亜緒の方は、どうやらそう思っていないようだ。
「私だって下の名前由来の呼び方をするんですから、先輩も合わせて下さい」
女性を下の名前で呼ぶ事に慣れていない上に、自称ストーカーという事もあって、遠慮した様子を見せる隣太郎。
それでも引かずに求めてくる亜緒に、隣太郎は覚悟を決めた。
元より彼女と親しくなりたいというのは、隣太郎にとって本望である。
「そうか、君がいいなら」
彼女が呼んでほしいと言うなら、隣太郎に拒む理由はない。
「じゃあ――亜緒」
「……っ!?」
自分から頼んだものの、実際に呼ばれると予想以上の衝撃だったらしい。一瞬、ビクッとしたかと思うと、瞬く間に顔を赤くして亜緒は俯いた。
もはや誰がどう見ても、ストーカーに対する態度ではないだろう。
「…………」
一方で隣太郎も、亜緒が見せた愛らしい反応に心を奪われていた。
自分が亜緒の名前を呼んだ瞬間の情動も、想像以上に激しいものだった。
どちらも互いに直視できず、かといって完全に目を離す事もできない。
そんな青春の雰囲気が、そこにはあった。
そんな空間の片隅に、燻った様に項垂れる男の姿があった。
正確には最初からずっといたのだが、隣太郎と亜緒からは完全に忘れられていた。
「何でだよ……何でこのストーカー野郎に、こんな可愛い子が……」
亜緒の態度を見れば、その本心は隠すべくもないだろう。
どうしてあれで付き合っていないのか、霜馬には理解ができない。
男性に苦手意識があるという話だが、実は交際直前の空気感をばら撒くことで、自分を苦しめようとしているのではないかと、霜馬は飛躍した被害妄想すら覚えていた。
横目に二人の様子を窺うと、お互いにもう一度名前を呼ぼうとして、恥ずかしくてなかなか言い出せていないのが、手に取るように分かる。
二人して目を逸らしながら黙り込んでいるが、それは決して気まずい沈黙ではなかった。少なくとも当人たちにとっては。
やはりストーキングなのか? いやいや、ダメに決まっている。自分が同じ様に行動したところで、国家権力の世話になるビジョンしか見えなかった。
ちなみに野郎二人は当然ながら知らないが、亜緒が学食に来たのは何となく隣太郎に会える気がしたからである。
隣太郎のお手製スイーツですっかり餌付けされてしまった彼女は、最近ではおかしな先輩がいないことに違和感を覚えるようになっていたのだ。
その事実を霜馬が知っていたら、彼の絶望はより深いものになっていただろう。
「うう……くそっ、俺もモテてえ……!」
哀愁漂う男の慟哭が、騒がしいはずの食堂で妙に響いていた。
この後はヒロイン同士も絡ませていきます。
本作はヒロインたちの仲の良さも、ウリのつもりですので。
第16話は書き直しになりますので、少々お待ちください。




