13.東風原さんは見られたい
亜緒と別れた後、 隣太郎と 伊摩は何となく話す事もないまま歩いていた。
伊摩が浮かべた寂しげな表情は見逃した隣太郎だったが、彼女の雰囲気が少しおかしいということには気付いていた。とはいえ、気付いていたからといって直接尋ねることも出来ず、こうして黙って隣を歩いているのである。
「隣太郎」
しばらく沈黙が続いていたが、不意に伊摩が隣太郎を呼んだ。
「……どうした?」
隣太郎は窺うように伊摩へと視線をやるが、特に沈んだ様子は見受けられない。
「あたしの家、ここから十分くらい行ったところなんだけど、アンタは?」
「俺も同じ方向だな。もう少し距離はあるが」
「ふーん……結構近いのね」
どうやら行き先の確認のようなので素直に答えた隣太郎だったが、伊摩は何故かその返答を聞いてクスクスと笑い始める。
「……どうかしたか? 東風原さん」
「や、別に大したことじゃないんだけどね。あたしがもっと昔からここに住んでたら、アンタと幼馴染にでもなってたのかなって」
「家が近いからか? そんなに簡単なものでもないだろ」
話を聞く限り、隣太郎と伊摩の家は同じ地区内にあるものの、隣同士というほど近いわけでもない。
伊摩とはタイプがかなり違うし、果たして少し家が近いだけで親しくなれただろうかと、隣太郎は思った。
そんな隣太郎に対して、伊摩は不機嫌そうに眉を顰める。
「夢のないこと言うわね。こんな可愛い幼馴染で、何が不満だっていうのよ?」
「いや、だから君と幼馴染になる状況が想像できないって話だろ……」
「まあそうね。アンタ、ずっとあたしに興味なかったみたいだし」
「ん? あ、あー、それは……」
不意打ち気味に投げかけられた爆弾に、隣太郎は狼狽えてしまった。
確かに隣太郎は、伊摩に対して興味を持っていなかった。
転入生ということも、現役読者モデルだということも知らなかったし、初対面の時点で美人だとは思っていたが、まともに関心を持ったのは三回目に会った時だ。
なので伊摩の言った言葉は事実ではあるのだが、まさかそこに言及されるとは隣太郎も想像していなかった。伊摩だって隣太郎のことは大して興味なんて持っていなかっただろうし、有耶無耶に流されるものだとばかり思っていたのだ。
しかし伊摩は、敢えてそこに言及してきた。
その理由が隣太郎にはよく分からなかった。
「あんたは今まで……というか今でもずっと、あたしに興味なんてなかった。だからこうやって、あたしと普通に話せてる……でしょ?」
「……まあ、そうだな」
伊摩が真剣な顔で、隣太郎に語りかけてくる。
その言葉の通り、隣太郎は正確には現在に至っても、伊摩にそこまで興味があるわけではない。極論を言ってしまえば、好きな相手である亜緒以外の女性には、大して興味がないとすら言えた。
だからこそ二度にわたって揉めた相手である伊摩とも、ちょっとした切っ掛けでこうして後腐れなく会話が出来ているのだが。
「君は……それを確認して、どうしたいんだ?」
大して興味がないとは言っても、隣太郎だって別に伊摩のことを路傍の石とまでは思っていない。
こうやって気軽に話せるようになった以上、友人として付き合いを続けていくうちに、自然と打ち解けていくものだろう。それではいけないのだろうか。
隣太郎がそれを問うと、伊摩は考え込むような素振りと共に口を開いた。
「んー。そこはまだ、あたしも自分で良く分かってないんだけどね」
伊摩の指が、隣太郎の顔にビシッと向けられる。
マナー違反だと隣太郎は思ったが、それを咎められるような雰囲気でもない。
「隣太郎。アンタは亜緒だけじゃなくて、あたしのことも見なさい」
「……は? それは、どういう……?」
亜緒に向けている視線を、自分にも向けてほしい。伊摩のセリフは、そう言っているように隣太郎には聞こえた。
それでは、まるで……。
「別にアンタのことが好きとか、そういうわけじゃないのよ」
隣太郎の頭に浮かんだ考えを否定するように、伊摩は言った。
「ただ、そうね。アンタは他の男より話しやすいし、なんだか気に入った。そんな感じかしら」
「だから君にも目を向けろって?」
「そういうこと。……ダメ? さっきも言ったけど、亜緒から乗り換えろとか言ったりはしないわよ?」
「いや、ダメじゃないが……」
そもそも具体的に、どうやって目を向ければいいのかが隣太郎には分からない。亜緒から乗り換えなくてもいい――要するに恋愛感情を持たなくてもいいとは言われても、それならどういう相手として伊摩を見ればいいのだろうか。
「えっと……女友達とか、そういう認識でいればいいのか?」
「仲の良い女友達ね。それでいいわよ」
いつの間にか「仲の良い」という注文が増えてしまったが、それなら隣太郎にも何となく想像が出来た。
隣太郎の思い浮かべる「仲の良い女友達」といえば、やはり瀬里だろう。中学からの付き合いで、本格的に親しくなったのは高校に入ってからだが、確かに彼女のことは他の女子よりも多少関心を持っていると言える。
そもそも仲の良い相手というのは、交流を深めていくうちに自然とそうなるものだと隣太郎は思ったが、まあそれを伊摩と論じても仕方がないだろう。
「……分かった。いや、よく分からない部分もあるが、努力はしてみる」
「ええ、それでいいわ。よろしくね、隣太郎」
隣太郎の言葉を受けて、伊摩は満足げに頷いた。
その屈託のない笑顔は非常に魅力的で、自分は知らなかったとはいえ、なるほど確かに男子の間で評判になるわけだと隣太郎は納得する。
一方で伊摩は、どう見ても相当な朴念仁である隣太郎に自分を意識させられたことを実感して、大いに満足していた。
伊摩にとって隣太郎は短い付き合いだが、魅力的な異性に見えていた。
亜緒に対する真っ直ぐな好意も、伊摩に邪な目を向けたり必要以上に気後れしないところも、伊摩がこれまで接してきた男性とは違うように感じた。
その理由が意中の相手以外には興味が薄いせいだったとしても、決めた相手以外には浮ついた態度を見せないという美点だと思える。
「早速だけど隣太郎、今日のこの服、どう思う?」
「ん……ふ、服か? そうだな……」
なので伊摩は、とりあえず隣太郎を誘惑してみることにした。
別に亜緒から彼を奪いたいとか、そういうわけではない。
そもそも隣太郎と亜緒は付き合っていないどころか、亜緒が隣太郎の告白を断ったという関係だ。
だったら自分が隣太郎を誘惑しても、誰に文句を言われる筋合いもないだろうと、伊摩は考えていた。
決して略奪なんてものをしたいわけではないが、隣太郎が自分に夢中になったところを想像すると、何故か胸が高揚するのを伊摩は感じていた。
「ほれほれ、どうなのよ? 現役読モの撮影衣装よ?」
そう言いながら、伊摩はスカートの裾を軽く持ち上げた。
途端に隣太郎が気まずそうに顔を逸らしたのを見て、気分を良くする。
「あら、隣太郎ってば、スカートが捲れたくらいで意識しちゃって。意外と可愛いとこあるのね、アンタ」
「ぐっ……」
明らかに調子に乗った伊摩の様子に、隣太郎は歯噛みした。
自覚は薄いが、十和相手でもそうだったように、彼は相手にイニシアチブを握られるのが好きではないのだ。
どうにか現状を打破しようと思った彼は、ヤケクソ気味に口を開いた。
「そうだな……凄く可愛いと思う。実に魅力的だ」
「え? あ、そ、そう? そんなストレートに褒められるとは思わなかったわ」
思いのほか隣太郎が直接的に褒めてきたので、伊摩は面食らってしまった。
しかし一度勢いの付いた隣太郎は、そのまま服の感想を言い続ける。
「スカートは結構短くて……まあ、何というか少し遊んでいるような印象を受けるが、そういうコンセプトだと思えば背伸びしている感があって可愛いな。君は目を惹くタイプの美人だから、大人しい衣装だとバランスが悪いだろうし、そういう服の方が似合うのは確かだな」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! そこまででいいわ!」
「ん、なんだ。こんなものでいいのか?」
「び、美人とか、いきなりぶっこんで来るじゃないの……。アンタ、意外とたらしっぽいところもあるのね」
「たらしって……」
素直に褒めたのに酷い言われ様だと、隣太郎は嘆いた。
しかし伊摩の方はそれどころではない。隣太郎にストレートに褒められて、自分の胸が今までにないくらいに高鳴っているのを、否応なしに理解してしまった。
これまで撮影現場や学校で、異性から容姿を褒められることは珍しくなかった。
伊摩はナルシストではないが、自分の容姿が整っている方であると客観的に理解している。その容姿を磨くための努力もしており、単に生まれ持ったものに胡坐をかいているわけではないという自負もあった。
だから自分の容姿を褒められても、嬉しくはあっても恥ずかしいという感覚は久しく覚えていなかったのだが、隣太郎が相手の場合だけは違った。
(な、なんか隣太郎に褒められると、凄く……気持ちいい)
それは伊摩にとって、新しい感覚だった。
嬉しいとか誇らしいとか、これまで褒められた時に感じていたものとは、明確に違う感覚。励みになるのではなく、もっと欲しいと心の底から渇望してしまうような未知の気持ち。
隣太郎の褒め言葉――もっと言うなら彼から意識されているという実感は、伊摩にとって経験したことのない劇薬だった。
「り、隣太郎、それじゃ今度は――」
「東風原さん、そろそろじゃないか? 君の家」
「え?」
隣太郎に言われた伊摩が周囲の様子を見ると、確かに自分の家の近くだった。転入生とはいえ三か月ほど暮らしているので、すでに近所の見覚えくらいはある。
「そ、そうね、確かにこの辺ね」
「そうか。それじゃ、俺はもう少し先だから、また学校で」
「あ……」
思わず隣太郎を呼び止めようとした伊摩だが、どう考えてもまだ自宅に招いたり出来るような関係ではないし、短い付き合いでも隣太郎が誘いに乗らないだろうということは理解できる。
そういう軽い男は嫌だとずっと思ってきたはずなのに、今は無性に隣太郎がもっと軽いタイプなら良かったと思ってしまった。
「そうね、また学校で会いましょ」
「ああ、じゃあな」
何気ない振りで伊摩が返すと、隣太郎は自分の家に向かって歩き出した。
その背中を伊摩が見つめていても、前を向いている彼は当然気付けない。
たとえ伊摩の目に、これまでとは違う火が灯っていたとしても。
東風原さんが変なものに目覚めました。