12.追っかけくんは恋してる
「お待たせ、隣太郎。と、えーっと、亜緒だっけ?」
仕事を終えてフリーになった伊摩がやってきて、隣太郎たちに声をかけた。
「ああ、お疲れ様。東風原さん」
「お、お疲れ様です……」
相手が仕事上りという事で、とりあえず労っておく隣太郎たち。
亜緒の方は、いまだに状況が良く分かっていなかったが。
カフェでのデートならぬ同行ストーキングを終えた後、連れ立って帰り道を歩いていた隣太郎と亜緒は、その途中で人だかりに遭遇した。
進行方向だったので近付いてみれば、その中心には彼女――東風原 伊摩がいて、見知った顔である隣太郎に声をかけてきたのだ。
隣太郎はさっき軽く説明されるまで知らなかったが、伊摩は転校してくる前から読者モデルをやっていたらしい。
元々、それほど遠くには住んでいなかったのだが、親の仕事の都合に加えて所属している事務所の支部がこちらにあったので、伊摩としても引っ越しは都合が良かったとか。
「そういえば、モデルをされてる先輩がいるという噂は、聞いたことがありますね」
「そうなのか」
「むしろ同じ学年の先輩の方が、知っているべきだと思いますが」
「まあ、クラスも違うし、そんなものだろう」
亜緒からジト目で見られつつ、隣太郎は軽く流す。
元々、モデルにも転入生にも興味がなかった上に、彼女が転入した時期は図書室通いを始めた頃だったという理由もあるのだが、流石に伊摩がいるこの場で口にださないだけの分別は、隣太郎にもある。
「それは別にいいんだけど。結局、アンタたちってどういう関係なの?」
隣太郎と亜緒の会話に、痺れを切らした伊摩が口を挟む。
今日は放課後に制服でここまで来たようだが、撮影で着た服はギャラから天引きという形で買い取れるらしく、今着ている服も急いでいたので買い取って、そのまま隣太郎たちと合流していた。
「放課後に二人で出掛けるくらいだし、やっぱ付き合ってるの?」
「つ、付き合ってません。ただの先輩後輩です」
当然出てくる恋人疑惑を、亜緒がきっぱりと否定する。
最近は絆されてきた感のある彼女だが、やはりそこは看過できないようだ。
しかし隣太郎にも、彼女との関係で譲れない部分はあった。
「ただの、というか俺が告白したんだがな。受け入れてもらえなかった」
「はあ?」
「ちょ、先輩! 何でそれ言っちゃうんですか!?」
「隠す必要なんてないからな」
慌てる亜緒だが、対する隣太郎はどこ吹く風だ。
隣太郎は伊摩に対する発言を選ぶ分別はあるが、あくまで彼女に興味がなかったことを敢えて口にしなかっただけで、亜緒との関係を隠す必要性は感じていない。
「俺が君を好きという気持ちは、都合で引っ込めたり隠すものじゃない」
「せ、先輩……」
「何この恋愛ドラマ……?」
ストーカーからの甘い言葉に赤面する亜緒と、軽く引いた様子を見せる伊摩。
こんな恥ずかしいセリフを素面で言う男がいるのかと、伊摩は驚愕していた。
モデルとして男性と接する機会も多い伊摩の認識としては、普通なら質の悪いナンパを疑うような口説き文句なのだが、短い付き合いとはいえ隣太郎がそういう悪ふざけをする人間でないことは、何となく理解している。
しかしそうなると、彼は本気でこんなセリフを言っていることになる。
そして、それ以前に伊摩には気になることがあった。
「ていうか、アンタ振られたのよね? 何で一緒に出掛けてるわけ?」
「ああ、それか」
もっともな疑問を投げてきた伊摩に対して、隣太郎は事も無げに答えた。
「雨葦さんは、俺個人が嫌いとかじゃなくて、男子全般に苦手意識があるらしくてな。それなら、こうして行動を共にしていれば、慣れてもらえるんじゃないかと」
厳密には嫌がる亜緒に付き纏うストーカーだったはずなのだが、想像以上に亜緒がチョロかったため、コソコソする必要がなくなってしまった。
「ふーん……亜緒は、それでいいわけ?」
「え? えっと……まあ、特に嫌なことをされるわけでもありませんし……」
嫌ではないのなら、付き合ってしまえばいいのでないかと伊摩は思ったが、亜緒にとっては簡単に受け入れられるものでもないらしい。
伊摩としては積極的に二人を付き合わせたいわけではないので、それ以上のお節介はしないことにした。
「そう、まあいいけど。それにしてもアンタ、随分この子にお熱なのね」
「ああ、それは……そうだな。歩きながら話すか」
言いながら隣太郎は、亜緒と伊摩を促した。
「実のところ、大した切っ掛けじゃなかったんだ」
女子二人に歩調を合わせながら、隣太郎は語った。
四月のある日、廊下で重そうな本を何冊も運んでいる少女に出くわした。
見かねて目的地である図書室まで運ぶのを手伝ってやると、控えめだがとても優しい笑顔で「ありがとうございました、先輩」と礼を言われた。
その笑顔が忘れられなかった隣太郎は、その後も図書室に通うようになり、笑顔の素敵な彼女との小さな交流を重ねていった。
「本当にただ笑顔が可愛くて、最初はそれだけだったな」
彼女は本が好きだとすぐに分かったので、本を借りるところから始めた。
以前に廊下で手助けした経緯があったせいか、男子が苦手な亜緒でも隣太郎に対してはそこまで警戒心が強くなかったのは、幸いと言えるだろう。
本を借りるのを繰り返して顔を覚えてもらい、そこから本に関する話題で少しずつ会話をするようになり、彼女の人となりを知り――。
「俺が雨葦さんを好きになった経緯なんて、たったそれだけだ」
そして、それなりに仲良くなったところを見計らって、自分の想いを告げた。
結果はこの場にいる全員が知る通り、見事に玉砕したわけだが。
「へえー、聞いてみると本当に普通ね。や、馬鹿にしてるわけじゃないけど」
「ううぅ……」
「亜緒? 何でそんなに赤くなってんの?」
「いえ、その……先輩が私を、その、好きになった理由って、初めてお聞きしたので」
最初に告白された時、隣太郎はそこまで話さなかった。その後はストーカー発言で有耶無耶になっていたので、今この時まで亜緒は自分が好かれた理由を知らなかったのだ。
今更になって改めて聞くと、恥ずかしくて仕方がなかった。
「アンタ、そういうの話してなかったの?」
「そう言われると、話してなかった気がする……」
盲点だった、とでも言いたそうな顔をしている隣太郎に、伊摩は呆れた目を向けた。
この男は真っ直ぐで好意を伝えるのに淀みがないのに、変なところで間が悪いというか、抜けているというか……。
もっとしっかり言葉を尽くしていれば、告白の結果も変わっていたのではないだろうか。
そんな風に思った伊摩だが、決して口には出さなかった。
それを言うと、自分にとって非常に面白くない展開になるような気がしたのだ。
「あのっ! 先輩方、私はこっちの方ですので、この辺で失礼します……」
伊摩が思考を重ねていると、さっきまで照れていた亜緒が声を上げた。
どうやら帰り道が別れるので、この恥ずかしい雰囲気から逃げ出そうとしているらしい。
「そういえば、雨葦さんは向こうだったか。まだ明るいとはいえ、気を付けてな」
隣太郎としては亜緒を家まで送りたいところだが、恋人でもないのに送ってもらうのは忍びないと事前に断わられているので、素直に送り出すことにした。
「はい。あの、先輩。今日は本当に、ありがとうございました」
「ああ、俺も楽しかったよ。こちらこそありがとう」
隣太郎からお礼を返されて、はにかんだような笑顔を浮かべる亜緒。
いつか見たような笑顔に、隣太郎の胸が再び熱くなる。
「……はいっ。あの、東風原先輩も、お仕事お疲れ様でした」
「ありがと。今度またゆっくり話しましょう?」
「はい、是非」
その言葉を締めに、亜緒は隣太郎たちと別の道に向かう。
そのまま少し歩いたところで振り返り、二人の先輩に向けて名残惜しそうに手を振った。
「嬉しそうね、あの子」
「ああ、誘って良かった」
短く言葉を交わしながら、隣太郎と伊摩も手を振り返す。
この時、自分の後ろで手を振る伊摩が、寂しげな表情を浮かべていることに、亜緒だけを見ていた隣太郎は気付かなかった。
次回、東風原さんが覚醒。