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11.追っかけくんと少女たちはパンケーキる

「そういえば先輩。よく半額クーポンなんて手に入りましたね」


 お目当てのパンケーキ二種を注文し終えて、ほくほく顔だった亜緒が、思い出したように隣太郎に尋ねた。

 開店したばかりの店で、プロモーションのために割引券を配るというのは珍しい話ではないが、半額となると収益も下がるので気軽に配られるものではないだろう。

 おそらく限定された人間にのみ配られた、貴重な一枚ではないかと亜緒は想像したのだ。


「ああ、うちの母親がこの店のオーナーと友人らしくてな」

「なるほど、それで。友人価格というやつですか」


 やはり親しい人間限定だったらしい。亜緒は納得を表すように頷いた。

 それでも何枚も配られるものではないだろうに、良く手に入ったものだ。

 そう思いながら、亜緒は言葉を続けた。


「だけど子供の分までクーポンをくれるなんて、よほど親しい関係なんですね」

「いや、たしかに仲はいいが、今回は結構無理を言ってくれたみたいだ」

「え? それって大丈夫なんですか?」


 隣太郎の話を聞いて、亜緒は急に不安になった。

 ここまでの流れで、隣太郎が自分の母親に頼み込んでクーポンを手に入れたのだろうという事は、何となく亜緒にも想像が付いている。

 亜緒自身が隣太郎に頼んだわけではないとはいえ、それは間違いなく亜緒のために行動したのだろう。

 結果として彼の母親の人間関係が悪化していたとしたら、非常に申し訳ない。


「心配しなくても、そんな変なことにはなってないよ」

「そ、そうですか。良かったです」


 隣太郎の言葉を聞いて、安堵の表情を浮かべる亜緒。

 しかし、すぐに気が早かったと思い知らされることになる。


「まあ、俺の土下座については、随分ネタにされたみたいだが」

「土下座!?」


 とんでもないことを言い出した隣太郎に、亜緒が目を見開く。

 土下座など、普通の親子関係で出てくるものなのだろうか。少なくとも雨葦家では、親も子も土下座をしたという記憶はない。親が子にしていたら相当だが。


「え、ちょ、土下座って何ですか、先輩!」

「いや、俺も自分が結構な無茶を言ってることは分かってたから、変に理屈を捏ねるより初手土下座で、一気に畳みかけようかと思ってな」

「初手土下座」


 ここまでの会話で、笈掛家でも土下座が日常的でないことは分かった。

 しかし、そうなると唐突に息子から土下座をされた、笈掛母の心境はいかなるものだったのだろうか。

 最終的には友人との話のネタにしているようなので、そこまでショッキングな光景ではなかったのだろうかと、亜緒はまだ見ぬ笈掛母の心労を慮った。


「まあ、今回だけの話だ。おっと、来たみたいだぞ。雨葦さん」

「え? あ、うわぁ!」


 土下座トークに夢中で気付かなかったが、注文したパンケーキが届いていた。

 ウェイトレスが配膳を終えて下がると、テーブルに並んだ華やかなパンケーキを見て、亜緒が目を輝かせる。


「じゃあ、食べようか。それとも、写真でも撮るか?」

「あ、そうですね。せっかくですから、少しだけ……」


 そう言いながら、亜緒はスマホを取り出してテーブルの上を撮影する。

 普段はあまりそういうことをしない亜緒だが、このパンケーキは高級路線なだけあって見た目も綺麗で、つい写真に残したくなってしまった。

 この店は最近できたばかりということもあり、非常識な用途に使用しない限りは、商品の撮影は自由と店内に明記されている。

 お陰で亜緒もマナー違反を気にすることなく、存分に撮影をすることができた。


「ほら、俺の方も撮っていいぞ」

「はい、ありがとうございます。先輩」


 隣太郎から勧められたので、彼の方のパンケーキも写真を残す。

 値段を考えると、次に来れるのはいつになるか分からないので、こうして思い出を残しておくのは重要だろう。


「初デートの記念写真というやつかな」

「そうで……いえ、違います。初同行ストーキング記念です!」

「……一応、記念なんだな」


 からかおうとした隣太郎だが、亜緒の回答に面食らう。

 お題目は意味不明だが、それでも亜緒が「記念」と言ってくれるとは思っていなかった。

 そもそも最初は「初デート」という言葉に、うっかり頷きかけていたのだが。


「そっ……ま、まあ、先輩とも、もう知らない仲ではないですからね。ストーキングとはいえ、一緒にお出掛けした記念があっても、いいと思います」

「そうだな。まったく、その通りだ」

「……先輩はこういう時に余裕の態度なのが、いつもながら腹立たしいですね」


 撮影を終えて、まずは一緒に運ばれてきた紅茶を味わいながら、亜緒がジト目を隣太郎に向ける。

 思い返せば、目の前の先輩が慌てる姿など、亜緒は見たことがない。

 いつも澄ました顔をしているか、苦笑しているか、それか亜緒に暖かい目を向けて小さく笑っているかだ。

 好かれているのは自分だというのに、何故か自分の方が照れたり慌てたりしている。


「そんなことはない。君に受け入れてもらえる度に、いつも小躍りしたいくらいに喜んでるよ」


 あまり表には出ないけど、と隣太郎は付け加えながら微笑んだ。


(そういうのが、狡いって言うんですよ……)


 たしかに表情にはあまり出ないが、それでも隣太郎という人間は、小さな表情から余りあるほどに気持ちが伝わってくる。

 そういうものを自分にだけ向けてくるのは狡いと、亜緒は心中で呟いた。

 男性が苦手なんて言い訳が、一体いつまで持つのだろうか。


 きっと近いうちに、自分のつまらない意地なんて全部吹き飛ばされる。


 そんなことを亜緒は心のどこかで確信していた。




 一方、別のテーブルでは。


「……美味しいわね、梔さん」

「……ええ、本当に美味しいですね、先輩」


 瀬里と十和が、二人で一皿のパンケーキを分け合っていた。

 メニュー表を見て悩みに悩んだ結果、懐へのダメージを最小限に抑えるためには、こうするしかないという結論に至ったのだ。


 ちなみに注文したのは、最安値のプレーンパンケーキ(2,000円)――ではなく、次に安いチョコレートパンケーキ(2,180円)である。

 味が付いていないわけではないが、いくら何でもここまで来てプレーンはないだろうと、二人の意見が一致した結果だ。


 流石にドリンクまで分け合うのはマナー違反なので、二人揃って一番安い紅茶を頼んでいる。

 幸いなのは周囲の学生客も、自分たちと似たような注文の仕方をしていることだろう。値段を考えれば、むしろ高校生にはこちらの方が自然ですらある。

 それでも二人は、自分たちと隣太郎たちのテーブルを見比べて、微妙な気分になるのを止められなかった。


 まあ、それ以外にも瀬里と十和が、微妙な気分になる要素があるのだが。


(あれ、どう見てもデートじゃない。付き合ってないって、どういうこと?)

(はぁー、あのセリフいいわあ。私も生で言われたい……)


 互いに同じテーブルに目を向けているとは気付かないまま、二人は胸中で呟いていた


 別々の言葉を思い浮かべながら、二人の気持ちは一つだった。

 パンケーキは美味しい。たしかに美味しいが、この差は一体何だろうか。

 片や男女で互いのパンケーキをおすそ分けして、片や女同士で一つのパンケーキを分け合いながら、おすそ分けの様子を盗み見ている。


「いいなあ……」

「いいわね……」


 お互いに「何が」とは言わないまま、揃って羨望の言葉を漏らす。


 こうして懐と精神に多大なダメージを受けた二人は、これ以上のデート追跡はいろいろと耐えられないので、完食後は素直に帰ることにしたのだった。




「どうだった? 雨葦さん」

「凄く美味しかったです! 本当にありがとうございました。先輩!」


 パンケーキを心行くまで堪能し店を出た後、隣太郎と亜緒はお互いに感想を言い合いながら、帰り道を歩いていた。

 隣太郎は亜緒を自宅まで送ろうかと提案したのだが、断られてしまったので途中まで一緒に行っている。

 流石に彼氏でもないのに送られるのは、亜緒としては気が引けるらしい。

 ちなみに店の支払いも亜緒が遠慮したので、普通に割り勘になった。


「あれ? 何だか人だかりができてますね」

「本当だな」


 亜緒の言葉に反応して目を向けると、たしかに進路上に人だかりができていた。

 隣太郎たちが通れないほどではないが、中がどうなっているか分からないくらいには人が集まっている。


「何でしょう? この辺でイベントの予定なんてありましたっけ?」

「さあ、俺も特に覚えてないな」


 言いながら、二人は人だかりの横を通る。

 軽く目を向けて、中の様子が分かればよし。分からなくても、別に困らない。

 その程度の認識だったのだが……。


「あれ? あの中にいるのって……」

「お知り合いですか? 先輩」

「あー! 隣太郎!」


 人だかりの中央から、何故か隣太郎の名前が上がった。

 そして、どよめく人たちをかき分けて、隣太郎の予想通りの人物が出てくる。


「東風原さんじゃないか。どうしたんだ? こんなところで」


 最近、ようやく隣太郎と親しくなった少女――東風原 伊摩だった。

 学校帰りの時間のはずなのに、妙に気合の入った服装をしている。


「あたしは撮影中なの。今回は夕方のストリートで、ってテーマだから」

「撮影?」

「そう。あれ? あたし読モやってるって言ってなかったっけ?」

「聞いた覚えはないな」

「あの……」


 隣太郎が思わぬところで会った友人と話し込んでいると、横から躊躇いがちな声がかけられた。

 当然、声の主は隣太郎の想い人である、亜緒しかいない。


「先輩、この方は……?」

「ん? ちょっと隣太郎。アンタ、女の子と一緒なの?」


 お互いを見て、眉を顰め合う亜緒と伊摩。

 そんな二人の様子に、隣太郎は事態が予想外にややこしいことになりそうだと、今更ながらに気付いたのだった。

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