10.梔さんと灰谷さんは相席する
隣太郎が教室を出て行った直後、瀬里も行動を開始していた。
現段階で分かっているのは、隣太郎が想い人である後輩――雨葦 亜緒と一緒に駅前へ出掛けるということだけだ。
具体的にどこへ行くかが分からないと、先回りの仕様がない。
「あれ? おい、梔。今日は図書室じゃないのか? 最近、毎日行ってるだろ」
「今日は行かない。トナリくん、他で用があるらしいから」
「は? 何でトナリ? お、おい、お前まさか……」
声をかけてきた霜馬に対して、視線を向けることなく答える瀬里。
自分の返答に、霜馬が何やら慌てた様子を見せているが、そんなことを気にしている場合ではない。
今は一刻も早く、隣太郎の後を追わなければならない。バレないように。
「それじゃ、帰るから。また明日ね、米峰くん」
「お、おう。気を付けろよ、梔」
何にとは言わないが、気を付けた方がいいだろうと思い、霜馬は口にした。
実際、瀬里が気を付けるべき対象は多いだろう。追跡対象である隣太郎と亜緒。そして国家権力など。
そこまで友人から心配されているなどとは露知らぬ顔で、瀬里は軽く頷くと教室から出て行った。
後に残された霜馬は、何かを諦めたような顔で教室の天井を見上げ、静かに息を吐く。
「梔のヤツ、思った以上に妙なことになってるな……頑張れよ、トナリ」
いまや遠い存在になってしまった女友達と、その原因になったであろう腐れ縁の今後を憂いて、霜馬は深く小さく呟いた。
一方、三年生の教室を出た十和は、真っ直ぐ駅前へと向かっていた。
彼女は隣太郎たちの会話を盗聴していたので、二人の目的地が駅前にあるカフェだということを既に知っている。
瀬里と違ってバレずに彼らを追い掛ける技術がない以上、先回りしてカフェまで行った方が無難だと判断していた。
幸い隣太郎は一年生の教室で、亜緒と合流してから出掛けるはずなので、体力にそれほど自信のない十和でも十分に先回りが可能だろう。
「とは言っても、店内に仕掛けられるわけじゃないのよね……」
敢えて「何を」とは口にしなかったが、当然ながら盗聴器のことである。
隣太郎たちが案内されるテーブルに盗聴器を仕掛けて、外から声を聴ければ一番安全なのだが、今からそれをやるのは難しいだろう。
仮に仕掛けられたとしても、回収するのがさらに困難で、どうしようもない。
そうなると、十和に残された手はひとつ。
(……来たわね)
隣太郎と亜緒の入店を見届けて、すぐに入店して近くに座るしかない。
特に入店して席に着いた直後なら、お冷を貰ったりメニューの説明をされたりと、周囲に目を向ける余裕がないはずだ。
このタイミングで上手く近くの席を陣取れれば、こちらのものである。
(よし、行くわよ……!)
隣太郎たちが先に入店して、三十秒ほどが経過。
今がその時だと静かに気勢を上げて、十和はカフェへと踏み込んだ。
「いらっしゃいませー! 二名様ですか?」
「え?」
「……へ?」
ウェイトレスの発言に疑問を覚えて横を見ると、見知らぬ女子がいた。
自分と同じ学校の制服。そしてリボンの色からすると、隣太郎と同じ二年生。
すなわち隣太郎を狙う、もう一人の追跡者――梔 瀬里がそこにいた。
――どうしてこうなった。
カフェのテーブルに座りながら、瀬里と十和は同じ思いを抱いていた。
結局、無事に隣太郎たちの近くに座ることができた。二人がメニューを眺めるのに夢中になっている最中だったので、自分たちの入店がバレることもなかった。
直接向こうの顔は見えないが、こちらの顔も見えないし、辛うじて声だけは聞こえる。実に目的に沿った、最適な席と言えるだろう。
相席でさえなければだが。
わざわざ席を指定するまでもなく、残りの空きは一席しかなかったのだ。
お互いに都合がいい席なので譲るわけにもいかず、二人相席となってしまった。
「えっと、先輩ですよね? 私、二年の梔 瀬里っていいます」
「あら、これはご丁寧に。私は三年の灰谷 十和よ。よろしくね、梔さん」
「はい、よろしくお願いします。先輩」
とりあえず黙っているわけにもいかないので、互いに自己紹介をする。
ちなみに二人は初対面なので気付いていないが、互いに隣太郎や亜緒に正体がバレないよう、入店する前に軽い変装をしている。
瀬里は髪が長くないので大きく弄れなかったが、ヘアピンで分け目を変えた上で、持参していた伊達眼鏡を装着していた。
十和の方はいつもは低めのポニーテールを高い位置に結びなおし、トレードマークのスカーフは外して髪ゴムに変えている。
両者とも、よくよく観察されれば誤魔化せないだろうが、パッと見の印象は普段とかなり違うだろう。
「先輩、パンケーキがお好きなんですか?」
「そうね。普段はそんなに食べないんだけど、ここは凄く評判がいいから、気になってしまって」
「私もそんな感じですね。クラスメイトから話を聞いて、一度来てみようかと」
そんな風に和やかな会話を演じながら、二人揃って心中で冷や汗を流していた。
――値段が高過ぎる!
十和は一応、隣太郎たちの会話でこの店が高級路線だとは知っていた。
知っていたのだが、まさかここまでお値段も高級だとは思っていなかった。
隣太郎は半額券を持っているらしいが、あったとしても入店を躊躇うレベルだ。
瀬里も十和も、甘いものは決して嫌いではない。嫌いではないが、ここまで自腹を切ってパンケーキを食べたいとは思わない。
こういう店は、高校生が自腹で来るところではなく、特別な日に親なり恋人なりに連れてきてもらうような店ではないだろうか。
「ど、どれも美味しそうね……梔さんは決まった?」
「ままままだですね。つい目移りしちゃいます」
二人とも動揺を隠せていないが、何せ自分の懐事情で頭が一杯なので、互いに相手の様子がおかしいと気付ける余裕もない。
正直、十和としては先輩ぶって、支払いを持ってやりたい気持ちもあったのだが、メニュー表を開いた瞬間にそんな見栄は吹き飛んでいった。
そんな現実から逃避するように、二人はメニュー表を眺めつつ、隣太郎たちのいるテーブルへと意識を向けるのだった。
「雨葦さんは決まったか?」
「待って下さい。二つまでは絞れたんですが……」
瀬里たちとは別のテーブルにて、こちらも亜緒が大いに頭を悩ませていた。
半額券のある今日を逃したら、次にいつ来られるか分からない。下手をすれば、年単位で来店できない可能性すらあるのだ。
何を注文するべきか、慎重になるのも無理はないだろう。
「二つだな。どれとどれだ?」
「え? 先輩はもう決められたんじゃないんですか?」
亜緒が聞き返すと、隣太郎は首を振ってから答えた。
「君が悩むのは分かってたからな。片方は俺が頼んで分けるつもりだった」
「せ、先輩……。ありがとうございます」
もはや疑う余地もなく、デートの空気を醸し出す隣太郎と亜緒。
亜緒が自分を見る目が潤んでいることに気付いて、内心テンションが上がる隣太郎だが、よく考えると高級パンケーキを二種類も食べられる感動だと思い当たり、少し冷静になった。
「いいよ。前も言ったが、俺は君が好きなんだ。このくらいはするさ」
「あ、うう……」
冷静にはなったが、それはそれとして言っておきたかったので、隣太郎は改めて自分の気持ちを口にする。
他の席から「甘い、凄く甘いわ」という声が聞こえてきたが、ここのパンケーキはそんなに甘いのだろうか?と隣太郎は、照れて赤くなった亜緒を見ながら考えた。
無論、謎の奇声は隣太郎のセリフを聞いていた、どこぞの先輩のものである。
「先輩、その、私は……」
「雨葦さん、急がなくていい。君がその気になるまで、俺は付き纏うよ」
一転して、どこか思い詰めた表情になった亜緒に、隣太郎は少しおどけたような雰囲気で言った。
きっと今もまだ、亜緒の男に対する苦手意識は払拭できていない。
ここで明確に拒絶の言葉を言わせるより、ひとまず有耶無耶にしておいた方が、お互いに都合がいいだろう。
「……もう、台無しですよ、先輩……ふふっ」
そんな隣太郎の想いが伝わったのか、亜緒は今までで一番の笑顔を、隣太郎に向けていた。




