01.追っかけくんは振られる
七月のある日。夕暮れに染まる図書室に、大小二つの影が伸びていた。
室内には影の主人たち以外の姿はなく、それはつまり年頃の男女が二人きりで向かい合っていることを意味している。
向かい合うこと数分、どちらも――その内情は異なるが緊張で心拍数を上げ、喉の渇きを覚えていた。
大きい方の影の主人――笈掛 隣太郎は、自分の勝利を確信していた。
目の前にいる少女、小さな影の主人である雨葦 亜緒に惚れ込んだ今年の四月から、隣太郎はずっと彼女に告白する今日を目標に行動してきのだから、当然だ。
亜緒は隣太郎とは学年が違うが、図書委員として受付にいることが多いので、図書室に行けば頻繁に会うことができる。
何度か本の貸し借りをすることで自分のことを印象付け、程よいタイミングを見計らって受付時に会話を持ちかけるようになった。
亜緒は大人しいタイプだが、決して不愛想というわけではない。
気弱さゆえに自分からは話しかけないだけで、話しかけられれば拙いながらも無視せずに受け答えしてくれる。
だから隣太郎は、まずおすすめの本を尋ねてみることにした。
頻繁に図書室で本の貸し借りをしていれば、貸出カードに書いてある自分の名前と同時に本好きであるという印象も覚えられるだろう。
そして亜緒が本好きなのは普段の様子を見れば明らかなので、インドア趣味にありがちな語りたがりの性質を引き出してやれば、スムーズに会話を成立させられる。
こうして隣太郎は、地道な努力によって意中の女子と会話ができるようになり、少しずつ会話の距離感を縮めることに成功していたのだ。
だから、この告白はきっと成功すると思っていた。
だが――。
「雨葦さん。俺は君が好きだ。結婚してほしい!」
「ごめんなさい。無理です」
成功を疑わなかったはずの告白は、見事に玉砕した。
さっきまで自信に満ちていた分、隣太郎の受けたショックは大きかった。
気まずそうに目線を逸らす亜緒の様子を、呆けた顔で見つめている。
その表情で固まったまま、隣太郎はどうして綿密に準備を整えたはずの自分の告白が失敗したのか、思考を巡らせていた。
親密具合が不足していたのだろうか。
しかし最近は亜緒のぎこちなさも取れてきて、決して華やかではないが笑顔も見せてくれるようになっていた。
ではシチュエーションが悪かった?
いやいや二人がよく話していたのは、この図書館だ。
ここ以上に告白に適した場所はないだろう。
夕暮れの中というのも、雰囲気作りとしては最上だったと自負している。
では一体何が問題で……と思ったところで、先ほどの告白のセリフに違和感があったことに、隣太郎は気付いた。
なるほど、これが原因だろうと、隣太郎は告白を仕切り直す。
「いや、すまない、雨葦さん。結婚というのは緊張でつい先走ってしまっただけだ。まずは普通に男女の交際から申し込みたい」
「ごめんなさい。やっぱり無理です」
即答であった。
何ならさっきの結婚と言い間違えた時よりも、食い気味だったくらいだ。
おそらく言い間違いなど関係なく普通に断られていたのだろうと、やや自信過剰になっていた隣太郎も流石に現状を理解し始めていた。
「その、差し支えなければ、ダメな理由を聞いてもいいだろうか? もし交際相手として不満な点があるというなら、可能な範囲で改善したいと思う」
「ごめんなさい。そもそも私は男の人とお付き合いする気はありません」
バッサリであった。
悪い点があれば改善して再チャレンジしようと意気込む隣太郎だったが、そもそも異性との交際の意思がないのであれば、隣太郎の側で何をしようと意味がない。
まさか性転換手術を受けて、女の子同士でお付き合いを申し込むわけにもいかないだろう。
隣太郎とて男を捨てたいわけではないし、それ以前に隣太郎にとって女の子同士というのは、参加するものではなく見て楽しむものなのだ。
性転換した男が混ざった百合など、隣太郎には認められなかった。
「あの、すみません。別に先輩個人に対して、含むところはないんです」
黙り込んでしまった隣太郎に対し、亜緒は申し訳なさそうに言った。
その言葉の通り、亜緒にとって隣太郎は特にマイナスの感情を抱く相手ではなかった。
よく図書室にやって来る、本好きの同志。本当にそのくらいの印象だ。
最近は本の貸し借りに際し多少ながら言葉を交わすようになっていたが、基本的に本の話しかしないので本の虫である亜緒にも話しやすく、それなりに会話を楽しんでいた。
その会話も、今となっては亜緒と親しくなるための手段だったと薄々気付いているが、そうであっても亜緒は特に気を悪くしなかった。
親しくなりたい相手に対して、共通の話題を用意するのは常套手段である。
自分のことばかり話されても口下手な亜緒は困るだけだし、碌な会話もなしに勢いだけで告白なんてされても、さらに困る。
そういった意味では、亜緒にとって隣太郎は割と好印象な男性なのだが……
「本当に大した理由じゃなくて申し訳ないんですけど……私、地味なタイプなので、男の人と関わったことってほとんどなくて」
「だから苦手意識が強い、ということかな?」
「はい、そうです」
今度はバッサリというわけでもなかった。
しかし明言はしていないものの、亜緒にとって男性への苦手意識というのは、別に過去のトラウマなどが関連するような深刻なものではない。
単に彼女にとって、それを努力して克服しなければいけないほど、隣太郎と――というより男性全般との交際に、魅力や必要性を感じていないだけなのだ。
亜緒としても、真剣に告白してくれたのに不誠実な態度で申し訳なく思うが、無理に取り繕って気を持たせるのも同じように失礼だと考えていた。
「だから、ごめんなさい。やっぱり私、先輩とは」
「じゃあ俺に慣れてほしい」
「……え?」
改めて断りを入れようとした亜緒だったが、言い切る前に隣太郎から食い気味に返されてしまった。
しかも自分が想定していた展開とは、真逆の返事だったような気がする。
「あの、先輩? 今のはどういう……?」
「俺に慣れてほしいと言ったんだ。俺個人に不満があるわけではなく、男性そのものが苦手なんだろう?」
「ええ、まあ……そうですね」
「じゃあその苦手を克服できれば、俺との交際も考えてもらえるだろう」
一応、正論であった。
今まで本の話しかしておらず、また隣太郎も本好きの亜緒を立てて聞き役に徹して会話をしていたので亜緒は知らなかったが、基本的に笈掛 隣太郎という男は無駄にポジティブなのだ。
前向きかつ行動的で、多少強引だったり傲慢な面もあるにはあるが、それなりに筋は通っているのが厄介な男。
それが亜緒の目の前にいる、隣太郎の本質であった。
対して亜緒はどうかといえば、真剣に交際を申し込んでいる相手に対して、面倒だからという程度の理由で考慮をすることもなく切り捨てている。
別に告白されたからといって応じる必要性はないが、相手が真剣なのに自分は適当に断ろうとしているというのは、亜緒としても良心が痛むところだった。
しかし、だからといって苦手克服なんて、やりたくもない努力を強要される謂れはないだろう。
隣太郎に悪気はなかったが、彼の言葉や態度は亜緒の苛立ちを強めることになってしまった。
「必要ありません。私は男性が苦手なままでも困りませんから」
「いや、しかしそのままじゃ、彼氏どころか男友達の一人も」
「だから、そういうのも含めて、必要ないって言ってるんです」
正論ぶって言い聞かせる隣太郎に、亜緒の語気が強くなっていった。
だが、それでも隣太郎は引き下がらない。
「いや、やっぱり俺は君と付き合いたい。だからまずは俺と」
「必要ないって言ってるじゃないですか! 相手が嫌がってるのに付きまとうなんて、そんなのただのストーカーですよ!?」
しつこく言い詰めてくる隣太郎に、つい亜緒は厳しい口調で言い返してしまった。
幼少期でも出したことがあるか分からない、激しい苛立ちを含んだ声だった。
「あっ、そ、その……」
叫んだことでクールダウンした亜緒は、自分が言い過ぎてしまったことに気付いて狼狽えた。
しつこいと思ったのは事実なので訂正するつもりはないが、年上の男性である隣太郎を怒らせたとなれば、身の危険すら考えられる。
恐る恐る隣太郎の様子を窺うと、彼は何やら俯いて黙り込んでいた。
やはり怒らせてしまったのだろうか? 亜緒は急に不安になった。
「せ、先輩。その、ごめんなさ」
「分かった」
「え?」
とりあえず謝罪をしようとしたら、その前に隣太郎が顔を上げた。
妙にすっきりした表情で亜緒を見て、そして口を開いた。
「君が今の俺をストーカーと呼ぶなら、俺は喜んで君のストーカーになる!」
あまりに真剣な顔で、あまりにも最悪な宣言をした。
「は? ちょ、先輩? 何を言ってるんですか?」
「言葉通りだ。俺は今日から君をストーキングすることにした」
「本当に何を言ってるんですか!?」
何年ぶりかの亜緒の叫びが、早くも第二回を迎えた。
亜緒にはわけが分からなかった。
何故こんな展開に? ストーキングって何? それって犯罪じゃないの?
そんな困惑が、亜緒の脳内で渦巻いていた。
ちなみにストーキングは、言うまでもなく犯罪である。
だが、そんな犯行予告をしたはずの被告・隣太郎は、悪びれる様子もなく亜緒の顔を見ながら堂々と宣言を続けた。
「覚悟するといい。俺は君の学校生活を陰に日向に見守り、そして君の気持ちをいつか射止めて見せる」
「ええ……?」
もはや亜緒には、困惑の声を漏らす以外のことができなかった。
そうこうしているうちに、隣太郎は亜緒に一歩近付き、ズボンのポケットから何かを取りだして、亜緒に差し出してきた。
「まずはストーキングに便利なので、IDを交換してくれ」
「え? ああ、はい」
隣太郎が差し出したのは、彼が愛用しているスマホだった。
動揺したままだった亜緒は、隣太郎に言われるがまま自分もスマホを取り出して、メッセージアプリのIDを交換する。
そして交換が終わった辺りで、はたと我に返った。
「え? あれ? 何で私、交換を」
「それじゃあ、明日からよろしくな。雨葦さん」
「え? あ、はい。さようなら、先輩……あれ?」
混乱を極める亜緒をよそに、隣太郎は必要以上に爽やかに帰って行った。
この時、亜緒はまだ自覚していなかった。
自分がとにかく押しに弱くて、特に男性から強引に迫られると断り切れない性格であることを。
そしてまだ気付いていなかった。
隣太郎というストーカー野郎が、とにかく押しが強くて自分とは相性最悪の相手であることを。
これは、とあるストーカー加害者と、その被害者の物語である。
二人の間に愛が芽生えるのか、それとも法の裁きが下るのか。
その答えは、まだ誰も知らない。
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