第31羽 変神。神へと到る男
「入れ」
若いような、それでいて百年生きたような声。
扉を開けた鴉が、ライガーに入室を促す。
部屋の中には長髪の男が椅子に座っており、バニラが寝台で寝ている。
「貴様ァ! バニラに何をしたッ!」
ライガーが剣を抜き放つ。
男が、右手をあげる。
「よい」
男の目はライガーではなく、ライガーを止めようとする鳥達を見ていた。
「下がれ」
「はい」
恭しくお辞儀をして鳥達は扉を閉めた。
「まぁ落ち着け、バニラもそのうち起きる。死んじゃいない、殺してないからな。まーなんだ、ここまで大変だったなぁ、何か飲むか?」
立ち上がった男が、手に持ったグラスを見せる。先ほどまで何かを飲んでいたようだ。グラスには紅い水滴が残っている。
「貴様は帝か? 貴様がアヤカシを操っているのだな?」
「いかにも、余が帝。そしてアヤカシを操ることもある。そうでないこともある」
「俺は、貴様を殺す」
「無理だな」
背中を向けた帝が、棚から酒のボトルを取り出して、自分のグラスと、新しく出したグラスに注いだ。
帝は、グラスの置かれた丸テーブルにボトルを置き、椅子に座った。
ライガーが入室したときと、同じ姿勢で足を組む。
違うのはグラスが二個になったこと、グラスの中身が注がれたこと、グラスの他にボトルが増えたことだ。
「やらんのか? まぁいい」
そう言ってグラスの中身を飲む。
「ふー。美味いぞ。飲まんのか?」
ライガーは、帝のペースにのまれまいと精神を集中した。「奴の言葉に耳を貸すな。思考は単純化しろ。殺すこと。剣を振ることだけ考えろ」己の内だけで自身に言い聞かせる。
「はぁッッ!」
気合をのせて帝に斬りかかる。天井はさほど高くはない。大剣が天井を裂きながら帝の頭上に振りかかる。
ガキンと重い手ごたえ。刃で刃を受け止められた感触。
「不可視の刃か?」
「それだけではないぞ?」
笑みを浮かべた帝が消える。その姿が視認不能になる。
「こうして身体全て、着ているものやらなにやらまで隠蔽することも出来る。一部だけ透明にも出来るし便利なものさ」
透明が半透明になり、実体があらわになる。
「とまぁ、こんな具合に髪の毛で剣を操っていたのさ」
最初に見えていた長い髪は、まだ途中で、椅子から床に落ち、壁を伝って天井まで伸びていた。毛の先で器用に剣を持っていた。
「貴様、アヤカシだったのか?」
「愚かな。この余がそのような劣悪種に見えるとでも?」
「しかし、その面妖な業は」
帝は髪の毛から渡された剣をつかむと、その長い髪をばっさり切断した。若い容姿と相まって、おかっぱの娘のようであった。
「見よ。余の毛は黒々と残っておる。白くなることも灰になることもない。余は帝ぞ? 全ての頂点に立っておるのだ。それをお前ごときの物差しで計るでないわ」
「なるほどな、人間にもアヤカシにもなれない半端野郎か」
空気が凍てつく。
「殺すぞ」
帝の顔がぞわり、と蒼く染まる。体内の青い血液が血管を押し広げて加速する。衣服の上からわかるほど、膨張した筋肉が身体を一回り大きくみせた。
「余は超越者。人もアヤカシも等しくひれ伏すが道理。――みせてやる――」
帝は手にした剣を床にに突き刺した。
散らかった毛髪が刀身にからみついていく。
柄頭、そこに有る宝石が青く、輝きだす。あふれ出す光が部屋を染め上げる。
「――変神」
目の眩む光の中、ライガーが最初に目にしたのは刀身だ。黒い刀身が近くの光を食らったかのように、青ではない色を主張した。
黒い刀身を中心にして、部屋が視界に必要な闇を取り戻してゆく。
黒に食われた光。
黒に食われぬ鎧が顕現していた。
艶の無い蒼い装甲。武者風の拵えの兜と面。
騎士風の甲冑、透き通る外套はわずかに発光している。
肌の露出はなく、関節部は薄い装甲か伸縮性のある素材で覆われている。
荘厳に、美しく、雄雄しく。
その姿まるで万を敵を屠り、億の人々を救う、英雄のよう。
「すばらしい」
面の下の声が聞こえる。
「すばらしいぞ、この力!」
帝が剣を払う。
剣から放たれた剣気が冷気となって、天井を氷点下に然やした。
古い蛍光灯も、ライガーが放った大上段で出来た傷も、等しく氷の下、つららの上だ。
「はははっふははははっいひひひひひひひッハッハッハ」
傑作だといわんばかりに帝が笑う。
冷気を逃れた照明と、帝がその身から放つ淡い光の中で鎧の帝が笑う。
「ハーッハッハハ、はぁ。あー可笑しい。腹がよじれてしまうわい。おいライガーよふざけているのか?」
ふざけているのは貴様の方だ。ライガーの思考が言葉を形作ったときには帝が話し出している。
「ふざけた力だ。なんだコレは? 変化の力。なんとおぞましい力よ。せっせとアヤカシを増やしてきた余が阿呆のようではないか。これまで取り込んできたアヤカシや大名の力はなんだったのだ? このゼンライガーひとつでお釣りが来るわ」
「ゼン、ライ、ガー?」
「フハハ、余はライガーではないのでこの呼称は正確ではないがな」
冷気にあてられたのか、空のグラスに亀裂が入る。
寝かされているバニラが身じろぎをした。
「な、なぜお前が変身できるッ!」
「愚か、愚か、愚か。余が見せたことを! 言ったことを! 理解していないのだな。実に愚か、愚か極まったなライガーよ。しかし許す! 余は寛大だ。そして気分がいい。最高に、だ。だから、故に。今一度教えてやろう。いいかよく聞け。全ての頂点である余は、食った者の力を我が物に出来るのだ。アヤカシも大名も人もだ。バニラの血を飲んだ。お前の大事なバニラの腕に、傷があるのに気づかなかったのだな。いやよい。偉大なる余との対面だ。視野狭窄に陥るのも道理。かくして、余は変化を得た。得た変化で変身、否。神へと到ったのだ」
「俺が変身できないのは……」
「当然、バニラに変化が無いからだ。お前との間にあったものは失われた」
構えたライガーの切っ先が、わずかに下がる。
「さぁどうするライガーよ? これでも尚、余と闘うか?」
「当然だ。俺はバニラを取り戻すッ!」
「取り戻す? ハーッハッハッハ、つくづく愚かよな」
「なんだと?」
「これまでの問答で気づかないのか? 余にはバニラもお前も害する気はない、用事はあらかたすんだのだ」
「害する気はない?」
「然り」
帝は剣を床に突き刺すと、椅子にどかりと座った。椅子は見た目以上に頑強なのか、それとも実は壊れる寸前なのかは定かでないが、とにかく変身した帝を受け止めた。剣の刺さった床の周辺が凍る。
「連れて帰れ。大名の力もない、アヤカシでもないただの女だ、しかしその前に感想が聞きたい、余の姿はどうだ? この力をどう思う? お前も使っていた力だろう? 朝廷の連中はどうもいかん、完全に傀儡ではつまらんからな、自由意志を与えているというのに、おべんちゃらしか話さん。つまらんのだ余は」
「バニラの変化は彼女の願いだ、憧憬の具現化だ。だから単純に何かしらの姿形を変えるより、ヒーローというのを生み出すことに特化している。その力は凄まじい。怨念じみている。油断すれば食われる。しかし同時に純粋だ、彼女がそうであるように、真っ直ぐな力だ」
「ほう、なかなか解っているではないか。アヤカシの力はどうだ? 大名と何が違う?」
「……違わない、元人間だからとか、そういうことじゃない。人の理を超える力だ。力の使い方や、生物としてのあり方が違うだけで力そのものは同質だ」
「然り。然り。然り。よう解っておる。気に入った。余よりは愚かであるが、人にしては出来る方ではないか」
思わぬ展開に知らず知らず切っ先が下がる。もう中段を通り越し、下段の構えだ。
「どうだライガーよ。余の右腕となれ、世界の半分をくれてやろう」




