第18羽 お兄様が私の気にしていることを案じていることを私は知っています。だから。
ひどい頭痛がする。どこから来たのだろう、ここは何処だろう。
久しぶりに日の光を浴びた気がする。
痛い。
殺さなければ、きっとパパに叱られる。
ちゃんとイイコにするから痛いことしないで、お願いパパ。
そのアヤカシは日の光から逃れるように消えた。
民家から悲鳴が聞こえて……やむ。
返り血を浴びて玄関から出て来るアヤカシ、白と黒の艶の無い、作り物めいた外観。まるで生き物をやめたような、生物から他のなにかに移行したような……。
血がぬらりと滴り、地肌があらわになってゆくアヤカシを目撃した男が、そんな感想を持つ。
男が悲鳴を発しようとしたが、アヤカシが、与えられた本能に従う方が早かった。
腹部を薄い板きれのような手刀で貫かれ、間接の可動域を無視した動きでぐりぐり回される。
肉と骨を掘削された男は、腹と口から大量の血を吹き出して、絶命した。
手についた血をアヤカシは啜る。恍惚とした表情を浮かべて。
「ぱぱぁぁぁぁいいごでじょじょぉぉぉ」
……遠方の大名を訪問。あるいは襲撃するにあたって、旅の支度をしているライガーは荷造りの手を止めた。
「バニラ、何か変だ。街が騒がしい」
ライガーは胸の奥が、ちりちりします。
「わかった、ちょっと変身してみる」
表衣を脱いだバニラが、フゥーと息を吐いて精神を集中する。
「変身」
その言葉を合図にバニラの姿が変貌する。
みどりを帯びた白い髪は、うすい茶色のようになり、肌は健康的な褐色から、絹のような白い肌に。
着物は身体に密着した戦闘服へと変わって、見た目の印象も、身体の性能も別物になった。
変身したバニラが耳を澄ます。
「多分悲鳴、二番街の方から」
「アヤカシ?」
フクオカは、二階から荷を降ろしてきたところだ。
「わからない、けどそうかも」
バニラは、右手首を左手で支えて、軽く手首をぐにぐにとストレッチする。
「うしっ! あたし、行ってくるね。ライガーはフクオカとお留守番。いいわね?」
「……わかった。気をつけろよ」
バニラは表に出ると屋根まで跳んで、見下ろすライガー達に軽くウィンクをして出発した。屋根から屋根に素早い身のこなしで跳躍していく。
「ねぇ、お兄様、本当はバニラさんと一緒に行きたかったのじゃありませんこと?」
「確かにそうだが、フクオカ一人にしてはおけない、この間のようなことがまたないとも限らないからな」
「なら簡単ですわ。私も行きます」
フクオカはライガーをじっと見る。ライガーは自身の瞳を通して、心の奥を覗かれた様な気がしてきまりがわるい。
フクオカの提案をライガーも頭の隅では考えていたが、それを口にするのはフクオカの身の安全よりも、バニラを護ることを優先すると言っているような気がしてはばかられた。
「いいのか? もしアヤカシが相手なら危険だぞ」
「足手まといになるのは百も承知、でももう気にしてません。いざとなったら守ってくれるのでしょ、お兄様」
「お前……わかった。必ず守る。それと、ありがとう」
ライガーは言葉にしなかった想いを見抜かれていたことに、気恥ずかしさを覚えながらも、それを汲んでくれたことを感謝した。
ライガーにやたら真っ直ぐな見つめ返されて、情熱的な瞳に、頬を染めて「どういたしまして」とフクオカも返すのだった。
――近い。血のにおいだ。
バニラはここだという位置までくると屋根から飛び降りて着地した。
「いない?」
気配があるのに姿が見えない、倒れた人、壊された建物。おびただしい血痕。ここで殺戮があったのは間違いない。
どこかに行った? いや違う。まだ近くにいる。こちらを伺っている気配。
「――?!」
背後の気配に振り返るが、誰も居はしない。
仮に、バニラがもっと注意深く“見る”ということが出来たなら、歩くことで生まれたわずかな土煙や、その見えない足に残った小さな血痕をみつけることが出来たが、バニラは己の視界に違和感を感じただけで、見ることは出来なかった。
それほどまでに“見る”ということは高度なことなのである。実生活でその事実に気づける者はほぼいない。それが出来るのは戦場を渡り歩いて壊れた人間か、視覚情報を認識に頼らず分析できる機械ぐらいのものだ。
故に。
バニラは背後から光学迷彩で姿を消したアヤカシが近づいているなど、想像もしなかったし、認識も出来なかった。
「――外装、覚醒!」
バニラが身体の各所に装甲をまとう。
変身中は常に体力を消耗していく、外装と呼んでいる装甲を発動させることで消費速度は破壊的に加速し、さらにエネルギーも消費する。エネルギーが尽きれば変身すら解ける。故に短期決戦、ここぞという時の切り札である、テレビヒーロー・ヴァジネーターの二段回変身。
それを再現したバニラの変身、同一のメリットとデメリットをもっていた。
繰り返しになるが、バニラはアヤカシに気づいていない。それでも切り札を切った。それがバニラを救った。
脳の入った頭蓋。きっと美味しいであろうデザート目掛けて突き出した手刀は、突如出現したヘルメットに阻まれた。
「いるのね? そこに?」
降りたバイザーが可視領域外のセンサーを使って、視覚情報を補う。
それでも見えない。バニラのいた世界で、科学の粋を集めてもで到達不可能な隠蔽力。
「姿なきアヤカシさん、人の言葉はわかるのかしら?」
「ギッ、ギッ」
バニラの向いた方向と、いくらかズレた位置から声がする。
そちらに構えをとりなおす。
「不思議かしら、なぜ防がれたのか?」
余裕そうに語ってはいるが実際のところ、防いだのは偶然である。狙われたのが装甲の無い位置であれば、変身中といえども重いダメージを負っていたはずである。
それでも啖呵を切る。見栄を張る。
あこがれが、そうであったように。
「冥土の土産に教えてあげる! におうのよ。あなた……悪党の匂いがね!!」
「ア……ク……?」
「ええ、悪よ!」
「ぴぃぎぎぎぎゃぎゃぎゃぎぁぁぁぁぁ!!」
闘いが、始まる!
火は冷たい。
火は凍る。
火はあたりを暗くする。
そうではない。
火は熱いのだ。燃やすのだ。
光を放ち、世界を照らすのだ。
「第19羽 滅殺」
故にライガーよ、変身するのだ。