第16羽 赤い、紅い、あかい
「わかった。――変身」
湿った火を汗のように滴らせながら、ゼンライガーの足が、一歩前に進む。
「だめよ!」
後ろからバニラが抱きして制止する。
力のこもっていない足は簡単に止まり、やはり力のない声で「わかってる」と小さくと応える。
「はあー」と息をはいて首を、否定するように何度かふったゼンライガーは、手にした剣をほこり一つ無い床に突き刺した。
「フクオカ! 帰るかッ?!」
顔をあげ、力を込めてゼンライガーが叫ぶ。
「帰ります!」
フクオカも叫び返す。
バニラから解き放たれたゼンライガーは、すばやくフクオカの拘束を解いた。
ゼンライガーの装甲から、ぽたぽたとこぼれる火をフクオカは指先ですくって眺めた。
火が、こんなに悲しいだなんて知らなかった。でも火なら燃やす尽くしてしまえばいいわ。こんな悲しみは跡形も無く焼き尽くしてしまえばいい。
フクオカはゼンライガーの手をそっと握って、カイザーを、次にジュズを見る。
ただ帰る――何も出来ないままただ帰るだけなの?
お兄様の悲しみだけを大きくして、このまま帰るだけ? そんなのは――。
「冗談じゃない」
フクオカの心に火が灯った。
「私、帰りません。」
「え?」「え?」
ゼンライガーとバニラがそろって声を上げる。
「安心して下さい。このまま大人しくは帰らないというだけです」
「ほう、ならばどうするというのだ、娘よ」
カイザーはうすく笑い、ジュズは握っている子供の手を、しっかりと握り直した。
「フクオカさん、貴方のような小娘に出来ることなぞ何一つありません。まだ愛のなんたるかも知らないような娘にはね。私はカイザー様とこの子を愛しています。あなたが后の一人となって、私達の家族にならないというのならば、あなたは生涯本物の愛を知ることはないでしょう」
「本物の愛? お兄様やソルジャー様との間にあった、確かにあったはずのものは偽物だったとでもいうの?」
「ええそうよ。貴方達、愚かな人が知らないだけでカイザー様は立派な方なのよ。この方が下さる愛こそ本物なの、私はこの人に会って始めて愛を知ったの!」
ジュズの言葉を聴いて、フクオカの火が激しく燃える。怒りが臨界点を超える。
私はヒーローじゃない。
そんなものの為には私は闘わない。
「私、最初からこうするつもりだったの、もしジュズ様がご自身の意思で、新しい生活を、新しい家庭を大事にしているのなら、こうしてやろうって決めていたの」
フクオカは唇に指先を当てて、紅をひくように動かした。
指先に残っていたゼンライガーの火が、左から右へ唇を照らし、暖めた。
そのまま指先を右側、顔の横まで移動させて――告げる。
「変身」
フクオカの唇が、うすいピンク色から、深い真紅に染まる。
「バニラさんが言うには、お兄様の変身で、変化の大半を、もっていかれたそうよ。もうバニラさん本人の変身を維持するだけで精いっぱい。容量の限界。だから私の分なんてもう無いかもしなれかった、だからね、これでも運が良かったほう。変わった姿も力もほんの少しだけ。アヤカシの前じゃ足手まといなのよ、私」
もうフクオカの言の葉に、ジュズはなんの反応も返せない。
聞こえても要るし理解もしている。身体になんの異常もない。
ただ信用できない。
信じることができない。
「私の変身でできることは一つだけ、嫌な気分だけど、そこのクソ大名と似たようなものよ。私の言葉を心の底からは信じることが出来ない、それだけよ。元々信用なんてないし、あっても無くてもそんなに変わらない能力よ。いい? ジュズさん、私達はもうここには来ないし、貴方達に危害を加えたりもしない。ところでその子、貴方の子供なのね。かわいい子ね」
ジュズは握っていた子供の手を離した。間違いなく自分の子だ。自分とカイザーの間に出来た子だ。カイザーは多くの后との間に子を授かっているが、全ての子供に愛情を注いでくれる。
后に向ける愛情同様に何処までも広大な愛をもつ人。その人の子供のはずだ。
可愛くて仕方ない、わが子のはずだ。――なのに。
「まぁま」
急に手を離されて不安になった子が、母親のスカートのすそをつかむ。
甘えればいつでも抱きしめてくれる母は、なぜか怯えた顔をしている。
子供が初めて見る表情だった。
「さようなら、もう会う事もないでしょう。私は貴方達を許しません」
フクオカの唇は、元の可愛いらしい色に戻っていた。ジュズは許しませんという言葉だけが信用できてしまって、なぜか酷くほっとした。
次回予告
凡人は凡人を理解するから凡人である。
凡人は超越者を理解しない。何もかもを己の理解できるスケールに落としこんで、理解した気になってしまうのだ。
それは理解とは異なる現象である
「第17羽 ライガーの女遊びと、帝の葉巻遊び」
帝。理解不能