第10羽 狼煙火(のろしび)
生まれてからこのかた、この世は楽園だ。
獲物は豊富で、脆弱だ。
腕をとおして伝わる、やわらかい肉の感触。芳醇な血の香り。
心地よい悲鳴。
ヒトとは弱い生き物なのだ、他人の死を悼んでしまう生き物なのだ。オレにそんな感情はない。分身は道具だ。道具がいくら傷つこうとも一向に構わない。肉体的な性能と精神的な強さ。全てに勝るオレこそが地上最強の生物。
今日もこれからランチタイムだ。本日のメニューは子供二人に奇妙な女が一人。久しぶりに歯ごたえのある相手で楽しかった。それも終わり、そのはず、ビジョンは見えた。女は子供の死を悼み、苦しむ。逃げる力すら無くして絶望して死ぬ。予定は完璧。
なのに――。
「なんだオマエは」
子供の首を切り落とそうと振るった腕が止まっている。“予定”にない光景。
全身から湯気を放つ人間によって、腕が止められている。刃に等しい己の腕は鉄をも切り裂く。その腕がただの素手に受け止められている。
「はて、オレがどうなっているのか自身でも正確なところはわからない。ただ、お前がなんなのかはわかる」
「ナニ?」
「俺に、斃される者だッ!」
シっている。知っているぞ、これは、―― だ。
チガウ、違う、ヒトは脆弱なものだ。オレが レルことなど無いのだ。
思わず腕を、切り離して、距離をとったが断じて、恐怖など。恐れてなどいない。
そうだ。奴を観察しろ。未来は……オレがヤラレル未来は見えない。大丈夫。ダイジョウブのはずだ。
「――――兄貴、早くお兄様を追いかけて行きなさいよ。」
「いや無理だろ。視たろ? ライガーのあの速度。今から全速出してもおいつかねーよ」
「突然どうしたのかしら」
「決まってるだろ。近いんだよ、あのお姫様が」
「大名ね、だ・い・みょ・う」
……嗚呼、この“熱”はどこからきたのだろう。
決まっている。あの人がくれた熱だ。この熱が教えてくれる。
私はここよ。と。
この熱さがいう、闘え、抗えと。
この世の不条理を破壊しろと俺を攻め立てる。
――これは、その為のチカラであると。
「あれだ、剣が要る」
ライガーは背後から振り下ろされる、分身の一刀を掴むと、そのまま前方に投げ飛ばした。
幼い兄妹に目線の高さを合わせ、二人に逃げるように指示をした。流石お兄ちゃんだ、よく妹を守ったな。そんなようなことを言った。兄はしっかりうなずいて妹の手を引いていった。
「よしよし」
「キシャァァァ」
立ち上がったアヤカシがわめく。耳障りだ、すぐに黙らせる。
「こい!」
呼んだ。あれが要る。あれがないと変身できない。
アカヤシが自ら切り落とし、残していった腕からアヤカシが生えた。これで計、三体。
「ライガー様、あなた、生きて……」
バニラの目から涙があふれる。死んだと思い、毎日泣きはらしていたが今日の涙はそうではない。
これはあの日、彼の背中を見て流しそびれた涙だ。次から次へ湧きでてくる。
超高速で飛来した大剣が、やや減速して地面に突き刺さる。
分身二体の同時攻撃。両腕を使った、四方向同時攻撃。
ライガーは目を閉じ、柄尻の宝玉を握りこむ。
「……“変身”」
炎が、吹き上がる。
火の大蛇が剣を喰らい、炎の津波で溺死した。鋼の魔王は血を鉄に化え、白く煮えたぎる鉄は、血管を焦がしながら全身を駆け巡る。
……ぬるい、ぬるいぞ! もっとだ。
砕けた心が融解し、凝固する。
炎と鉄は鎧となり、剣となった。
「ふん!」
四つの斬撃を一薙ぎで吹き飛ばす。アヤカシどもの腕を斬り、砕き、押し返す。
なんだこれは。予定外の状況、これを打ち破るビジョンは……これだ。
「キサマ、この女がどうなってもいいのか?」
声をかけた方には、負傷した分身がいるだけだ。武者兜の男はいない。
「この女とはどの女だ?」
金属質の鎧を着たライガーが答える。その腕にはバニラを抱きかかえている。
「オマエ、いつのまに」
問いには答えず、ライガーは跳躍する。まるで鎧などつけていないような軽い動き。
空から飛来する影、見覚えのある人物が、優しく抱きかかえているのをガーベラは見逃さなかった。影が見た目に反してそっと着地した。
「え? お姫様? ぼろぼろじゃないか、ということは……」
「お兄様、変身、なさったのですね……」
ライガーは、遅れて到着した二人にバニラを預ける。
「ああ、バニラさんを頼む」
変身したライガーが、背中の大剣を手にする。水平よりやや下。切っ先が地面につかない程度に横に構えた大剣は炎色をしており、うねりを上げる焔のような刃文が出来ていた。
背中に光る羽衣が煌き、そしてそれは儀礼を行う騎士がつけるようなマントとなった。
「いってくる」
バニラのヘルメットは髪飾りに戻っていた。気絶して眠る、その表情は安心しきった穏やかかものだ。
ライガーが戻るとアヤカシは五体になっていた。よく見ると頭部がより人に近いのが一体、残り四体は同じに見えた。傷もなく完全な姿のようだ。
四体居るほうは以前、里に出没した奴と完全に同じだ。
人型頭部の奴が、人と同じ形の口を動かして、人と同じ言葉を喋る。
「どうだ五人だぞ、これならオマエも……」
「関係ない」
ライガーはそう答える。
そっけないライガーの態度に怒ったのだろうか、それとも何かを“視た”のか、まるで人のように表情を転換させるアヤカシ。
「クソッ、クソッ、そんなハズは、そんなハズは……」
およそ誰にもわからないことを、ぶつぶつ言っている。
ライガーはゆく。身体は羽のように軽い。質量は増しているはずなのにだ。筋肉が鋼になったような剛性感。
これが変身、これが俺。
「いけっ」
本体の命令に従って分身が迫る。超速度の動きが今はやけに遅く見える。
「はあぁッ!」
一体、二体、切り伏せる。
「ぜぁっ!」
三体、腹を貫いた。
四体目、自らの腹を差し出し三体目同様串刺しになる。
大剣に串刺しになったアヤカシが二体。まだ息はあるがライガーを攻撃するでもなくじっとしている。
ライガーは剣を手放す。
「これでオレの勝ちだぁぁ」
ライガーが剣から手を離したのを見て飛び込んできた、頭部が人型の奴。本体の攻撃をもろに受ける。鎧のつなぎ目、黒色の首に凶刃がとどく。
変身しているバニラ、その身体に密着する素材と、似たように見えるライガーの黒い首は無傷。バニラのそれと見た目は似ているが、モノが違った。
ライガーは首に当てられたアヤカシの腕を掴み、里でバニラがそうしたように持ち上げた。片手で持ち上げてはいるが安定している。アヤカシが頭上で暴れてもビクともしない、掴まれていないアカヤシの片腕が兜に当たっても、ライガーはなんの痛痒も感じなかった。
「燃えろ」
足元から、鎧の隙間から、ライガーの身体のいたるところから、煙も出さずに炎があがる。炎は瞬く間に全身を包み、高く燃え上がる。
炎は縦にばかり燃えあがり、ライガーの身体の幅より外には漏れ出さない。
里に生える木のような真っ直ぐな炎、螺旋を描き、いっそう激しく燃える。
分身が消滅したのをみて、ライガーは炎を止めた。本体は灰になって消えた。
変身をといたライガーは、胸の“熱”について考えた。暖かく、荒々しく、優しくて激しい。
バニラは「私はヒーローなのだから」と言っていた。
ヒーローとはなんなのか、あの日聞くこともしなかったそれを、彼女が起きたら聞こうとライガーは思った。
次回予告
白く甘い香りが、焼けた魂を癒す。
英雄が生まれ、名前が生まれ、意味が生まれる。
生まれたものがどこを歩み、何をなすか。
それはまだ、誰も知らない。
第11羽「ヒーローの名前」