5 アイリスとひなたの修行
約束通りクランホームで落ち合った後、門前で3人揃って「「「いってきます」」」を決めて、アイリスはひなたと共に自分の修業先である治療院に向かった。
本来この世界に形を持たない精霊だが、この世界を見守るために動物の姿をとることができるスキルを持っており、お出かけするときはアイリスの頭の上がひなたの定位置なのだが、
(姿消してもらってごめんね、ひなた)
エレメンタルスキルを得られるところなのだから精霊が治療院にいて何か問題があるとは思わないけれど、一応姿を見せるのは相手先の許可をもらってからにしようとアイリスは思っていた。
治療院の建物はクランホームがある住宅地から中央広場に向かう道の少し手前の大通りに面した場所の1ブロックを占めて建っていた。
幅の広い扉は閉じており、その横には長椅子と治療を受けにきたのであろう人たちが座っていた。老人と子連れの母親が多く、治療は子供が優先されるのか扉の近くに集まっている。
(この扉って患者さん用の玄関で働く人にはお勝手口があるんじゃないのかな)
子供の自分には大きすぎる扉の前で立ち止まってしまったアイリスに、並んでいた女性から声がかけられた。
「お嬢ちゃんどうしたの。体に悪いところがあるの? それとも家族のお薬でももらいに来たのかしら?」
かけられた声は優しくアイリスのことを心配してくれている気持ちに促されて彼女に答えた。
「いえ、私ここで働きながら修行するようにと商業ギルドで紹介されまして、それでこの扉は患者さん用で働く人用の玄関は別にあるのかしらと思って、ちょっと建物一回りして探そうかなって……」
話してる間に扉の一番近くにいた女性が扉を開けて大きな声で中に呼びかけた。
「ちょっと! 見習い先生が来てるわよ! 誰か案内してあげて!」
(ええ〜、私が先生? 見習いらしくひっそりと入ろうと思ってたらなんで大騒ぎ!?)
アイリスは開いた扉の奥を覗き見ると扉を入った正面が受付となっていて、そこから開院の準備をしていた職員が1人こちらに向かってくるのが目に入った。
アイリスは改めて緊張してくる自分を感じ、何はともあれ挨拶をきちんとしようと集中して建物の中に入った。
「可愛らしいお嬢さんだこと、あなたのお名前と精霊の名前と属性を教えてくださる?」
応対に出てきた職員はアイリスの祖母と同じくらいの年齢だろうか、白い割烹着のような服を着た婦人でその声に厳しさがあるのをアイリスは感じた。
アイリスは自分の精霊のひなたを召喚しながら、それが以前家で仕事をしている両親から感じたものと同じだと思い出していた。
「はい、私の名前はアイリス。この子はひなた、属性は火と闇です。商業ギルドから紹介を受け修行に来ました」
職員は頷いてアイリスに最初の授業をおこなった。
「よくできました。そしてこれはあなたもできるようにならなければいけない手続きの一つです。それはこちらから名前を呼んではならず相手に名乗らせなくてはいけない、治療法を取り違えたりお薬を渡し間違えたりしないようにする大事な手続きです。よろしいですか?」
「はい、わかりました」
アイリスの返答に彼女は反応しなかった。アイリスはお辞儀を忘れてたと思い、
「教えてくれてありがとうございます」
とお辞儀をしたがやはり彼女は微動だにしなかった。
(えっ、どういうことなの? まだ足りないことがあるの? お礼に職員さんの名前をつけないと駄目のかしら……ああっ、そういうことか!)
「職員さんのお名前を教えてください」
アイリスが名前を聞くと彼女はにっこりと笑って答えた。
「私の名前はモニカ、この治療院で看護婦長を任されています。ようこそ治療院へ、歓迎するわアイリス」
「はい!」
モニカの返答にえも言われぬ達成感をアイリスは感じた。
(仕事ってこんな風にやっていくものなんだ!)
モニカがアイリスに告げた一日のスケジュールは午前と午後の診療時間中は洗濯、昼食は火と闇を扱う医師である修行の先生と同席、診療を終えた後魔術の勉強とのことだった。
(患者さんを治療してみせろなんて言われても困るけど、ずっとお洗濯って疲れるだけで治療方法とか学べないのかな?)
エレメンタルスキルは教えてもらえそうだけど治療院だからこそ学べるようなキャラクタースキルは学べないのではないかとアイリスは考え、それは顔に出ていた。
「不満そうね。いえ叱ってるんじゃないのよ、ただあなたが医師でも看護師でもないのに診察に同席させるわけにはいかないのよ」
「それはわかってます」
「それとこの治療院では綺麗な布はたくさん必要なの、洗濯は大事な仕事で手が足りない時は近所の人に応援を頼むことだってあるのよ。魔術の授業で余裕があれば医療についても学べるから頑張りなさい」
アイリスが洗濯と聞いて思い浮かべた道具の名は洗濯板という。
板に凸凹を波打つように刻んだそれに洗剤を溶かした水で濡らした洗濯物を押し付けながらこすると汚れが落ちるというアレだ。
子供の力で綺麗にできるのか心配だったアイリスは、仕事場となる洗濯場でファンタジーな洗濯事情を知った。
樽に水と洗濯物と魔石を入れて魔石に精霊力を流すと洗濯物が綺麗になり、樽についている魔石に精霊力を流すと樽の中の水分が全て抜けて洗濯物も乾き、洗濯物をたたむと経験値が入るのだ。
こうしてアイリスの初仕事が始まったのだが……
(確かに聞いたよ、クエストは簡単だけどNPCは魅力的って。でもクエストに魅力がないとは聞いてないよ)
ひなたに精霊力を流してくれるよう指示するのに初めは四苦八苦していたが、ひなたが
(こつをつかんだ)
と言って【精密操作】を取得してからはアイリスが
「青の魔石お願い」「こっちの石お願い」
など、一言お願いするだけで実行してくれるのですぐに飽きてしまった。
このクエストはプレイヤーが精霊に魔術の行使をどのようにして頼むのかを習得するのが目的のため、ミニゲームなどで置き換えることはできずどうしても反復練習なってしまうのだが、取得できた後も続けさせるのはいかがなものだろうとアイリスは不満に思う。
一応洗っている時の洗濯物の振る舞いなどで見た目を飽きさせないようにはしているけれど、運営としては金をかけて作り込みたいクエストではないため作業だと思って終われせてくれと思うのだった。
そもそも仕事にやりがいを感じてもさすがに娯楽だとは思っていない開発スタッフに、仕事を娯楽として作ることなどできるはずはないのだ。
いい加減面倒くさくなってきたアイリスは作業の効率化を試みた。
まずはひなたへの魔石に力を注ぐように指示する方法を変えて、樽を叩いたら水の中の魔石を使い樽に付いている魔石に触ったらそれを使うようにひなたに頼んだ。
次に作業は流し込む精霊力の多さに比例して作業スピードが早くなるため、精霊力の回復スピードと同期するタイミングを計った。
最後にタイミングを見つけたアイリスはその流れを維持するため、洗濯物の動きに合わせて即興で歌い出した。
♪ぽっちゃんぽっちゃん濡〜らして
ぎゅっぎゅぎゅっぎゅし〜ぼって
パンと広がり乾いちゃえ♪
アイリスの歌に合わせて頭上のひなたも囀り出した。
♪ばっしゃんばっしゃん放り込み
じょばーじょばーと水を抜き
服が綺麗になりました♪
アイリスが歌に合わせてドラムのように樽を叩き出すと樽から蒼色に輝く魚が跳ね始めた。
♪ぴーぴよひなたが歌うたい
ぴっちょん魚が舞い上がり
みんな洗濯大好きだ♪
「随分と楽しそうね」
モニカが昼休みになったことを知らせにやってきた。
「あのう、この水のお魚さんってやっぱり精霊なのでしょうか?」
アイリスが歌うのを止めたら跳ねるのは止めたが樽から顔を出している蒼い魚について聞いてみた。
「ええ、どんな属性かわかるかしら」
「水と光だと思います」
「正解、次にアイリスが契約する精霊はこの子かもね」
アイリスが次の精霊契約ができるようになるのはレベル20からになる。
モニカについてきたアイリスは診察室の一つに入り魔術を教えてくれる先生を紹介された。
「お連れしました、先生。食事の準備はできていますかしら」
「今日の昼食も美味しそうだよ、モニカ。さてお嬢さん、自己紹介してくれるかしら」
ここでも聞かれました。
「はい、私はアイリス精霊はひなた属性は火と闇です。先生のお名前を教えてください」
「私はハンナ、この治療院で医師をしています。さあ、スープが冷めないうちに頂きましょう」
昼食はサンドイッチでレタストマト玉ねぎハムを挟んだものとコンソメスープで、それを大人二人が話すのを聞きながら頂いた。
話の内容は食べている間は、ハンナが自分の仕事について語りモニカがその一部を補足した。
曰く、ハンナ先生は現在27歳既婚夫婦共働き、医術を学び始めたのが15歳からで医師として認められたのは20歳とのこと。
「精霊に力を借りて単に傷を治すとか病気を治すのだったら1年も経たずにできるようになります。でもここで大勢の患者さんを診るためには精霊力を効率よく使わないと足りないのよ。できれば自然に治るのを待ちたいし、薬で済むならそれに越したことはない。診察が終わる頃精霊力が尽きてしまったら急患に対応できない。だから医師は人体について学び、病気や怪我について学び、治療法を研究し磨いていく」
アイリスがいるここはゲームの世界でハンナが語る治療法などは現実では役に立たない。でもハンナ先生たちの話には学ぶところがたくさんあると思った。
3人が食べ終えるとモニカが食器を片付けて診察室を出て行き、ハンナ先生はアイリスに残りの昼休みの時間で授業を始めた。
「それじゃあ授業をしましょう。アイリスは火の精霊と闇の属性についてどのくらい知ってる?」
「全然知りません。燃える火はわかりますけど火の精霊となると全然です。光と闇もわかりません」
『エレメンタル・ガーデン』の精霊は他のファンタジーで聞く精霊とは違うようにアイリスは思っていた。
「大変結構。アイリスはわからないから私のところに来て学ぶの、半端な知識がない分素直に精霊を受け入れてくれそうね。それで火の精霊だけど燃えているというアイリスの解釈は半分正解かしら、赤い光を発して熱を生む火、それは火と光で火と闇が足りない」
ここでハンナ先生は食後のお茶を一口飲み、つられてアイリスも一口飲んだ。
「温かいわね。これも火なの、火とは熱を発する現象のこと。それが光の属性と闇の属性に分かれているの。続いて光と闇についてだけど、今のアイリスの力量だと光は見える闇は見えないと思っていていいわ。これは土水火風全てに当てはまるから」
「ハンナ先生、見える見えないと言われてもよくわかりません。ひなたはここにいますよ」
そう言ってアイリスは頭の上からひなたを手に取り胸の前に持ってきた。
ひなたは属性が火と闇だけれどこうして見ることができているのに見えないとはどういうことだろう?
「本来精霊に姿形はないのよ、その姿が精霊の本質を表しているわけではないから惑わされないで。それでさっき食べた昼食だけど、燃やして黒ずみにするのが火と光で、食べてお腹の中で燃やして栄養にするのが火と闇。火と光が焼却で火と闇は命」
火と闇は命。その言葉はアイリスの心に素直にはまり、精霊樹の下でひなたを手に取った時のことを思い出させた。
(私ひなたをこの手で受け取った時命を感じた。そうか、あれが精霊としてのひなたなんだ)
あの時の感動を思い出してひなたを見ると、ひなたはピィーと鳴きながら身震いをして体から緋の粉を散らした。
「レベルアップしたわね。後は午後の診察が終わってからにしましょう、お疲れ様」
「はい! ありがとうございました、ハンナ先生」