祈りの一割
居間に母が居る。ぼけたような茶色いスウェットを着て、カップ酒をあおっている男がいる。彼を『義父』と呼んでしまっていいのかは、わからない。母とはどこで出会ったのか、いつから付き合っているのか、籍を入れているのかさえ、未だに明らかにされていない。『セイジさんよ』と紹介されたような気がする。誠司と書くのだろうか。「誠」とつくのに全然誠実じゃない。セイジはまるでくらげのようだ。明確に輪郭をもたず、曖昧にそこにいる。その横で煙草をふかす母も、部屋の隅で携帯をいじる私もくらげだ。
私たちが漂う和室には、じりじりと西日が照り付けている。背骨のない私たちは少しずつ水を奪われて、もうきっと永くない。
母ひとり、子ひとり。兄弟もなく、ずっと母と二人で暮らしてきた。セイジは三人目の男だ。母が最初に男を連れてきたときは、まだ小学生で、それなりに好奇心も持てたし、それなりになつくこともできた。でももう無理だ。それは私が育ちすぎたという事に他ならない。高校生というのは矛盾に満ちている。大人が思うほど純粋な存在ではなく、じょうずな大人の対応が出来るのかと言えばそんなことは決してない。
原始生物であるくらげの母は、膣を通じて男と対話する。そういう母をまざまざと見せつけられるにつけ、母の中に息づく「女」の性が、じりじりと距離を詰めてくる。友達と声を潜めて語る秘密の話とは段違いの、露骨さと切実さがある。その膣を通って生まれてきた私には、この状態をどう処理したらよいのかわからない。いつかは私も、母と同じようなくらげに成り下がるのかもしれない。
放課後になり、友人と別れて帰路へ着いた。電車が規則的な音を立てて、すぐ脇を通り過ぎていった。小学生の列が商店街を横切る。自転車に乗った人が、ゆっくりと遠ざかる。進む世界が、今から私も家に帰るのだと私に突きつけている。
あそこは母の家だ。生活のために働いて、外の社会に疲れた母が、雌をさらけだす場所だ。私の居場所はない。背骨もなければ、明確な推進力もない。向かう先もない。こだわりもない。
浮かんで、揺らめいて、いるだけだ。
帰宅したら、ねっとりと不快な匂いに混じって、女の喘ぐ声が耳に飛び込んできた。かっと目の前が真っ赤に染まり、私は足音をたかくして狭い廊下を大股に進んだ。茶色くくすんだふすまを跳ね開けると、肉体がふたつ折り重なっていた。バッタの脚のように曲げられた男の太い脚の間に、母が座って背中をしならせている。その後頭部を、思い切り鞄で殴りつけた。
「くらげ!」
ギャッと叫んで目の前に転がった女に馬乗りになり、髪の毛を引っ張り上げて平手を打った。
「くらげ!」
背後からどつかれた。突き飛ばされ、倒れた拍子に顔が和室に擦れた。脇腹を何発も蹴りつけられ、こみ上げた胃液を、醜い蛙のような声で吐いた。ここに居たら殺されるような気がした。セイジの罵声に背中を刺されながら暗い廊下を転げるようにして、玄関の戸から身体を押し出した。
面倒くさかった。母やセイジとの付き合いだけが、というわけではない。男と女が付き合えばそういうことになるなんて知らなかったわけじゃない。夜中にああいうのを耳にしてこなかったわけではないのに、さしたるきっかけもないのにあんなふうに乱れる自分の神経をひどく持て余している。
冬の冷気が剥き出しの太ももを刺し、身体が芯から冷え込んできた。繁華街を漂いながら、このまま家に帰れないな、制服のままで警察に見つかったら面倒なことになるな、と考えた。漫画喫茶に入ろうとして、一銭も持っていないことに気が付いた。私は軽く絶望し、すぐ横の花壇に腰を下ろした。
午後十一時だった。補導は嫌だなとぼんやり考えていたら、見知らぬ男に声をかけられた。ねずみのような色のスーツを着ていて、仕事の帰りのようだった。何となく話を聞く気になった。男は横の自販機で紅茶を買ってくれた。寒いからどこか店に入らないかと言われて、言われるがままファストフード店へ入る。そこで少し腹ごしらえのようなことをして、男は少し表情を硬くした。「少しだけだから」と焦ったように繰り返して、私の身体を、奥まったところにある別な建物へと押し込んだ。その扉の先で何が起こるかは承知していた。
エントランスには大きなパネルがあった。満室、空き室、と光を放つパネルにおびき寄せて、冴えない男は何かぶつぶつ言っている。私がくらげならこいつは蛾だ。
不意に、さっき見た性行為が脳裏をよぎった。吐き気を催した私は、その場から逃げようと思った。踵を返し、一歩踏み出した瞬間、髪を引っ張られた。「逃げんなよ」頬を張られた。そのままエレベーターに押し込まれそうになって、私は声の間切り叫んで扉の外へ転がり出た。
暗い路地を全力で走り抜け、大通りへ出る。人波へ溶け込む。明るい駅前まで来て、ようやく私は立ち止まる勇気を得た。すっかり息が上がっていた。巧く撒いたようだった。駅ビルのガラス張りの柱に目をやって、ぎょっとした。顔が腫れ上がり、髪の毛はばさばさと振り乱されていた。誰にやられたのか定かではない青い打撲傷が、首筋からこめかみまで散らばっていた。もともとあまり治安がいいとは言えない街である。日付が変われば酔っ払いが倒れていることなど日常茶飯事で、だから私がそんな酷い形相をしていても、悪目立ちしなかったのだろう。一度はぎょっと眉をひそめる人々も、誰ひとり声をかけてはこなかった。
「ねえ」
呼ばれて上げた目線の先に、初老の女性が立っていた。黒いロングスカートに白いブラウス。白髪の目立つ髪を一つにゆるくまとめた、清潔感のある女性。私は声もなく彼女を見つめた。それはひどく長い時間のように思えた。女性の背後を、酔った中年の男性が数名、大声で何か言いながら歩いていった。繁華街の下卑た喧騒の中で、彼女の周りの空気だけが静謐であった。どうしたの、と問われても、私は言葉をどこかへなくしたかのように、何も話せなかった。
「うちにくる?」
誘われるがままに、私は頷き歩き出した。
駅からやや離れたところにある女性の家は、細い路地に面していた。ビルとビルの間に窮屈に押し込まれ、よく気を付けていなければ間違いなく見過ごしてしまうような、主張のない二階建てだ。隅々まで掃除された家の中は、明かりをつけても暗い。だがそれは、「夜は暗いもの」という世のことわりにかなって、私は美しい闇だと思った。女性は長座布団と厚手の毛布を数枚持たせてくれた。深い事情はひとつも訊ねなかった。知らない間に眠ってしまったようで、目が覚めるとすでに空が白んでいた。
おにぎりとたくあんを頂き、私はその足で学校へ行った。
夕方、私は自宅のある団地へ行った。コンクリート階段の踊り場には、砂埃と蛾の死骸が溜まっている。母は私を一瞥しただけで、何も言わなかった。私は、自分がくらげであるという確信をますます強めた。母は私をつなぎ止めておこうとしない。私はどこにも、つながれない。所属しない。帰属しない。漂うまま、流されるまま。
次の日、私はまた女性の家を訪れた。
女性は、よく何かに対して祈っていた。両手の指を組み合わせ、瞑想するときのように無言で目を閉じる。家の中に仏像や十字架のたぐいは一切なかった。仏壇さえなかった。「仏壇は」とは訊けなかった。それは、女性が世界と断絶している崖の、一番するどく切り立ったところのような気がした。
彼女は、おりにふれ、祈っていた――温かい食事の前後や、昼寝の前や、テレビが消えた無音の時間や、そんな日常の飾らない隙間に、両手を組み合わせて目を閉じるのだ。「九割は世界のため、一割は自分のため」と言いながら。私はやがて、そんな彼女をシスターと呼ぶようになった。
彼女の祈りが薄っぺらな偶像崇拝だったとしたら、逆に私は不信感をつのらせたのだろうが、そうではなかったから、私はシスターの祈りが好きだったし、尊敬していた。
「九割は世界のため、一割は自分のため」
それがあまりにも地に足をつけた教義だったからかもしれない。そこには偽善も嘘もない。
「シスターはどうして祈るようになったの?」
「人生、いろいろ、あったのよ」
「離婚とか?」
「そうね。そういうものも、経験したわ」
「私のところも母子家庭なんです。偶然だな」
私は、シスターに身の上話をした。黙って聞いていたシスターが、私の話を聞き終えると、ゆっくりと口を開いた。
「メイちゃんも、祈りなさい。九割は誰かのために。一割は自分のために」
自分のことを大切に思っていいんだなんて、言ってくれる大人はいないと思っていた。自分ですら、自分のことをくらげだと思っていたくらいだ。私も、人間らしい幸せを追い求めていいのだ。そう言ってもらえたように思え、私は一粒だけ涙をこぼした。
*
大きな物音がした。またか、とため息をつくと、芽衣は立ち上がって低年齢児の寝室へ向かった。予想通り、八歳の少年が壁を蹴りつけていた。後ろから身体を抱いて止めさせると、少年は芽衣の腕を振り切って唾を吐きつけた。試し行動だと芽衣は思った。この子は気を引いてもらいたくてやっているのだ。芽衣は叱らず、まっすぐに向き合うことにした。
社会福祉科で児童心理を学ぶ中で、かつての芽衣が犯した「あの罪」も、「試し行動」だったのではと思った。悪いことはわかっていた。あんなことをして、シスターに見つかる可能性があることもしっかり認識していた。別にシスターを信用していなかったわけではないのだ。その真たる部分は、もっと深い闇の底に沈んでいる。その闇の向こうにいるのは母だ。母にもっと私を見てほしかった。一緒に何かしたかった。私はいつも、声を振り絞って叫んでいたのだ。
そんな自分だからこそ、同じような境遇の子供たちのために役に立てることがあると思い、この仕事を志したのだ。しっかりと足を地につけて、生きていくこと。それがシスターの思いにこたえることであり、弔いであり、贖罪だ。
*
ある日、セイジが帰宅した私を呼び止めた。家に居着かないのは何でだ、未成年のくせに、というようなことを言われたが、呂律が回らぬ酔っ払いの口調では、何を言われれたのか定かではない。「どこにしけ込んでいやがる、男の家か」私は否定した。それでも、セイジは引かなかった。なおも何か喚いていたが、私は無視して家を出た。
シスターは留守だった。私のためにか夕方家を施錠しない彼女は、おそらく近くの商店街に出ているのだろう。どこかで雇われているという話を聞いたことがあるが、私はシスターが何に従事しているのか知らない。
背後で物音がして、振り向くとセイジが立っていた。薄汚いスウェットによれたダウンジャケットを羽織ったセイジは、
「ここがお前の男の家かよ」
「違うって言ってるでしょ」
セイジは舌打ちをして、たたきにクロックスを乱雑に脱ぎ散らかした。ずかずかと歩み寄りながら何かわめいて、目だけがぎらぎらと私を射ていた。何度目かの押し問答のあと、セイジは、
「ならここで俺とやれんのか」
私は口をつぐんだ。セイジはさらに一歩、距離を詰めてきた。
「無理なんだな。ここはお前の男の家なんだろう。だからかよ、えっ?」
「クソジジイ」
瞬間、横っ面に衝撃が走った。二、三歩よろめいた私の襟元が掴まれ、ぐいっと捩じ上げられた。呼吸が苦しくなる。嫌々と首を振っても力が緩まず、私は観念して抵抗をやめた。
セイジは、脂ぎった猛獣のようだった。湿り気をおびた生温かい吐息が間近で肌にかかる。唇をかすめた時には気持ち悪さで背筋がぞくりと震えた。緊張で竦み上がった性器は水気を帯びるどころではなく、擦れ、裂け、血を滲ませた。
セックスどころか生殖ですらない、ヒトの細胞がなせる最低の行為だ。
事を済ませると、セイジは何も言わずに、縮毛に覆われた脚をズボンに通した。起き上がる気力もなかったが、奴が完璧に姿を消すまで見届けなければ落ち着かない。私はのろのろと体を起こし、セイジの背中を追いかけた。セイジはちらりと私の方に目をやって、無言で後ろ手に扉を閉めた。ほっと胸をなでおろして、玄関のたたきに目を落として絶句した。背中に氷を入れられたかと思った。
隅に、シスターの靴があった。
暗い台所の壁には、ガスと黴と食用油の匂いがしみ込んでいた。シスターは、台所の陰にいた。シスターは私を見て怯えた表情をした。ぼろぼろと涙をこぼし、組んだ指をさらに深く組み合わせ、震える手で祈っていた。祈りの一割がシスター自身のためだというなら、もう九割はどこへ向かっているんだろう。
その九割の行方を思い、私は震えだした。痙攣する頬を両手でおさえた。足から力が抜ける。
シスターが、まさか自分のために祈っているのだなんて信じたくなかった。
私は居た堪れずにその場に倒れこみ、冷たい床に伏せた。耳を覆ってあらんかぎりの大声を振り絞り慟哭する。
いっそのこと、怒鳴ってほしかった。怒って、気持ちをぶつけてほしかった。
なぜ、私なんかのために祈るのだ。
私のため、自分以外に祈ってくれる人がいるなんて信じたくなかったそんなことが許されるはずがないだって私はくらげなのだ背骨を持たぬ単細胞生物で、団地に巣食う雌雄のくらげから分化した生殖能力もない、下等な、
すっかり力の入らなくなった足をひきずり、私は家を出た。
セイジはあれから、私の動向について何も言わなくなった。私を征服して気が済んだのだのだろう。もともと私に敵意も興味も持たぬ母は、いつも通りに漂っていた。臍の緒と膣を通じて、流され漂う母とつながっているだけの私だ。セイジには膣を明け渡したおかげで、以前ほどの嫌悪感は持たなくなっていた。生殖器や発生器を介すばかりのつながりならば、何もヒト科の生物である必要もない。くらげでお似合いだ。
早く家を出たいと思った。
数日後の放課後、私はシスターの家に戻った。西日の差す家の中は、がらんとしていた。その空虚が、シスターの身に何かが起きたということを私に静かに教えていた。何が起こったのか、確かめるすべはなかった。思えば私は、シスターのちゃんとした名前も、家族関係も、何も知らない。
茶の間へ上がると、グレーのスーツを着た男性が、木製のローテーブルを囲むように立ち、何か話をしていた。ひとりが私に気づいて話しかけてきた。
「佐藤八重子さんの身内の方ですか?」
首を振る。
「私は、ここでよく……佐藤、さんに、お世話になっていたものです。佐藤芽衣です」
「ああ、そうですか。ちょうど、これを佐藤さんから預かっていたので」
白い手袋をはめた彼が、一冊の本を手渡した。表紙に黄色い付箋で、「佐藤芽衣ちゃんへ」とつけられていた。ずっしりと厚みのある古びた本だ。ページはきいろく焼けていて、表紙は立派な革。私は受け取ったきり、それを開いてみることができなかった。私の知るシスターの最後は、とんでもない不孝者の私のために祈っていた、あの姿なのだ。書かれていることを、受け止める勇気はなかった。
心筋梗塞だった。その日、たまたまガス屋さんが集金に来て、シスターが机に突っ伏して動かなくなっているのを見つけた。(この本を書いていたのか、と私は何となく察した)今は警察の検分も済んで、身寄りのない彼女は顔見知りの寺院に入り、永代供養仏となる見通しである。
私はそこまで聞いて、もう堪えられなくなった。家を飛び出してきてしまった。葬儀の日程も何も聞いていなかった。そもそも参列する資格が自分にあるとは思えなかった。
私は立ち止まり、道路の片隅で手を組み合わせた。じっと目を閉じ、心を静め祈った。九割はシスターの冥福を、一割は自分の心の安寧を。
*
少年を寝かしつけてリビングスペースを覗くと、一人の少女が参考書をにらんでいた。「千絵ちゃん、勉強?」声をかけると、千絵は顔を上げた。
「先生、私、産業短大受けることにした。やっぱり、保育士、あきらめられなくて」
社会福祉や保育に特化した職業訓練・資格重視の短期大学だ。学費が非常に安いうえ、地方ならば求人も多い。安泰な就職が約束される進学先なので、ここのような児童養護施設の子供たちは、実に半数以上が進学していく。
私もそこを出たのだと言ったら、千絵は目を丸くした。
「そこで、社会福祉士の受験資格を取ったの」
あの頃は大変だった。眠い目を血が出るほど擦って勉強し、三割の国試合格者の中に何とか滑り込んだのだ。別段、シスターの本にそうせよと書いてあったというわけではない。あれから十年近くが経つが、私はまだあの本を開けていない。
「早く寝なさいね」
千絵は頷いて、参考書を片付け始めた。
朝の五時だ。もうすぐ夜勤が終わる。私はロッカーから、シスターの本を取り出した。表紙に手を当てただけで、じんわりと目の奥が熱くなった。廊下に出ると、突き当りに面した縦長の窓から、白み始めた空が見えた。遠くに新宿のビル街が霞んでいる。
シスター。私は自分の人生を、最悪だと思ってきましたが、シスターの存在が、言葉が、命が、私に生きる意味を考えさせてくれました。シスター、裏切るようなことをして、ごめんなさい。あんな形で別れることになるんなら、あんな最低なことをするんじゃなかった。もっと、素直に、貴方に甘えるべきでした。
あなた亡き後、自分なりに考え、進路を決めて、ここまで来ました。でも、時々とても不安になる。シスター、私が歩んできた道は、間違いではなかったですか。答えてくれなくていいですから、たまにこうして、聞いてもいいですか?
貴方が示す道を歩むことで私は貴方を弔って、償って、やがては貴方を超えていこうと思います。
私はそっと革の表紙を開いた。
――芽衣ちゃん。
これを読んでいるということは、もう私はあの家に帰ることがなかったということね。最後に、大事なことを言います。貴方の母親を産んだのはわたしです。
一瞬、意味がわからなくて、同じ文字列を何度も行ったり来たりした。
――驚きましたか。随分若いと思うかしら。あなたのお母さんを産んだ時、十四歳でしたから。
大変だったんです。相手の男の人はどこかへ行ってしまって、乳飲み子を抱えて生きていくだけで必死でした。昼も夜も、いくつも仕事をかけもって、あなたの母さんには、寂しい思いをたくさんさせました。
やがて、あなたの母さんは、私のもとから出ていきました。私は仕方がなかったとはいえずっと仕事ばかりで、ちゃんとあの子を見てやれていなかったの。だから、追いすがるような筋合いはなかった。だから、祈って暮らしていたの。一割は自分のため、九割は、道代のためね。
街であなたを見かけたとき、心臓が止まるかと思いました。まだ一緒にいた頃の道代にそっくり。あなたに家のことを聞いて、ああこの子は道代の娘に違いない、って確信しました。
目の前が霞んだ。すべてが一本の線でつながった。ああ、だから。だから、あなたは。
糸が切れたようにその場に跪いた。両手の指を組み合わせ、窓を見上げた。ちょうどその時、遠くにそびえるビル群の向こうから、何本もの細い光が差した。あふれる涙に朝日が乱反射して、眩しくて何も見えない。きっと見えていないだけだ。見えていないけれどシスター、もしかして今、私の目の前におられるんでしょうか。
世界に、明るい光が満ちる。
――芽衣。私の孫娘よ。
自分の信じた道を行きなさい。しっかりと、心を使って、砕いて、全身全霊をもって愛し、尽くしなさい。九割は誰かのために。そして、かならず、一割は自分のために。
貴方のことが大事です。あなたが充実した、笑顔あふれる人生を歩めるよう祈っています。あなたにずっと、会いたいと思っていました。
本がばさりと落ち、ページが開く。黄ばんだページに、あたらしい朝の光が差す。
夜が、明けていた。
了