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正義論集成

正義論 <本論>

作者: DJ克明

 私は正義とは「平等主義が根本におかれるべきものである」という考えをもっている。これが私の「正義」論である。これはあくまで「私の」正義論であって、「誰か」の正義論ではない。そうだ。「正義」の志は誰もが胸の内に秘めており、それぞれの異なる正義論があっていいし、実際、あるのだ。トランプであれ、イスラムの連中であれ、あれは我々だったら、どうみても「悪」に他ならないが、彼らの中ではあれが「正義」なのだ。


 困ったもなにも、「悪」の思想にも何割かは「善」がまじっているはずだ。悪人が自分の生き方が正しい、というある種の人間としての正当性を持っている限り、その正当性は「善」、つまりは私の言い方でいう「正義」に他ならない。


 あるいはこういう正義の捉え方もできる。つまりは「悪」という言葉が存在しているから、「善」という言葉もまた存在し、「悪」あっての「善」であると。よって、「悪」が存在しうる限り、ずっとそれに抵抗する「正義」は存在するし、またそれは無くなってはならぬべきものであるし、これは私の考える「正義論」であるということ。


 ところで、「悪」とはどんなものであろうか。私が考えるには悪は「差別主義が根本に置かれてあるもの」である。正義とは真逆のものなのだ。差別論を肯定する者は「まったき」悪なのであろうか。私が思うに、差別者がいくらかでも、そういう自分を「カッコいい」ものであると認識し得る次元において、それは、かなり幼稚な意味合いだが、それは一応「正義」に他ならないものと考え得る。


 そして、私もまた「正義」であり、私の正義の中の何割かは「悪」であると推測される。悪人も、また反対で、同様である。つまりは「善」と「悪」は相対的なのであろう。しかし、私は決して「差別主義者ではない」と言い続けるだろう。自分の中にそういうものがあることは認めるが。認めるのであれば、やはり相対的であるのか。


 認めるが、決して「差別を許すべきではない」という主張は変えたくないのである。ここで、私の「平等主義思想」が発覚するのである。善と悪の相対思想は醒める。私は敵は「悪」である。悪人だ。その意味で私は「善人」の味方だ。同じ「正義論」を志す者はいくらでも受け入れようと心から思っている。しかし、我々が「悪」と呼んでいる者たちが、私にとっては実は「正当性」を持っているという意味で、何割かが「正義」の志を抱いているという事実は、私にとっても、皆にとっても快いものであるはずだ。そこの部分は私自身の正義論にももちろん取り入れている。問題は相対性だ。やはりあれは醒める。正義と相対性とどちらかを取らねばならなくなった場合、私はあっさりと正義を取るであろう。人として、選択せねばならぬのだ。


 そうである。私は私の「正義論」をできることなら、皆に押し付けたいと考えているのである。そこも正義論の中に含めている。差別をする者には、現段階では差別をすることによって、それを止めさせている、そのことは私にも必要であると思っている。差別者を差別しないなら、何が平等主義であるか、それ以外どう止めさせられるのか。そこのところは「いじめ」の問題でも同じことだ。ハッキリと言って、私は「差別者」を差別している。差別していることは決して「平等主義」ではないけれども、しかし、「差別していること」は認めて、そこは矛盾しているのだが、その矛盾は肯定せられるべき矛盾ではないかと考えているのだ。私は「私も、私以外の誰でも、どこかで矛盾を背負って生きているものである」と信じている。それに怖がっていてはなにもできないのではないか。さて、相対性の問題だが、私は善と悪の相対性は認められない。悪を受け入れることは差別を受け入れることになるから。どうも、善と悪が同じ価値で捉えられることに、不可解さを感じるのである。「”正義と相対性“の相対性」なら理解できなくもない。しかし、難しい。私には解けない問題だ。この問題はまたさらなる新しい考え方が見つかったら、そのときに答えは出る。僕でなくても良い。誰かほかの人でもいいから、解いてほしい。


 差別者は現段階では差別をして止めさせる。あたりまえの話だ。それは平等主義の点で矛盾はしているけれども、それを認めて、しかもそこで「正義」を諦めてはいけないと考える。正義とは、別の言い方でいうならば、正義とは、自分はこれだけは譲れない、貫き通したい、或る思いなのではないか。私は諦めることはしない。できない。あがくだけ、あがき続けたいとそう考えているのです。とまあ、これが私の正義論です。皆さんも自分の胸の内にある「正義」を諦めないでください。それでは。

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