プッシュ・イジェクト
『シルフは紅い羽で歌う』
略称、『あかうた』。
二年前の夏、昴の一学年上の先輩が自主制作した、アドベンチャーゲームのタイトル。
今の時代よりも百年ほど過去の時代、辺境の町ベスタにやって来た主人公の旅人が、その地で様々な人に出会い、時には戦い、時には恋に落ち、分岐して行くストーリーを楽しむ……というものだ。
「知り合いの何人かに遊んでもらって感想が聞きたい」と、昴は先輩からこのゲームを渡され、主人公の名前には律儀に『スバル・ゴダイ』と入力し、いくつかのルートをプレイ、クリアした。
その時の感想は確か、「物語の芯がしっかりしていて面白かった」ということをその先輩には告げたような気がする。
そしてそのままゲームのサンプルROMは棚の奥に並び、いつしか隠れて見えなくなった。
今もまだ自分の部屋のどこかに眠っているはずだ。
「ここが……架空の世界だってことが、あなたには分かっているんですか……?あなた自身も、その、架空の存在だっていうことも」
「ええ。どうやらそれは、限られた人物にだけ理解できることのようですが……。今この中に居るそちらの運転手の彼や、助手席とあなたの隣に居る私の部下も、そのことに関しては分かってはもらえないようです。まるで自分に関わりの無い話だから知る必要がない、といった様子ですね」
「今話していることも?」
「はい。記憶にも残らず、ただ頭の中を通り過ぎて行くようです。何故かは分かりませんが……」
隣の男は相変わらず表情を変えず座っている。
ゲーム的な正しいリアクションといえばそうかもしれない。
「すいません、まだちょっと信じられていないんですけど……」
「もちろん、構いませんよ。ですが、今あなたがこの場所に居るということは、まぎれも無い事実です。少しずつ理解していって頂ければよろしいかと」
「……分かりました。あの、ところで」
「何でしょうか?」
「俺が、ここに来た理由は何なんですか?」
昴はさっきからそのことを考えていたが、答が出て来なかった。
何か特別な理由でもなければ、今も夢か現実か分からないこの状況に自分が居ることはないはずだ。
しかし……分からない。
あのゲームに対して罵詈雑言を延々と書き連ねた文章をネットに上げるとか、「このクソゲーをお焚き上げして供養するのじゃああ!!」と燃え盛る火の中に投げ入れたとかしたならば、もしゲームの神様なるものが居たとして自分は怒りを買い、罰としてゲームの世界に連れて来られて数々の重い刑に処されることもあるのかもしれない。
しかし、このゲームに対して自分は悪いように思ったりしていない。自主制作ならではの拙さを感じたりはしたが、そんなことは作品自体の評価とは関係がない。
結局のところは、見当がつかない。
「ある方に、会って頂きたいのです」
ハルフォードはそう言うと、
「どなたかというのは、何となくお分かりになられるかもしれませんが」
今度はにこり、と笑った。