6・夢のあと
ミウはステッキで、マユキ先輩はスコップでわたあめを掘っていった。穴はどんどん広がっていく。わたあめは縮み続け、もう雲や鳥を捕まえることもできない。自分で自分を飲み込むように、溶けて消えてしまった。
何もない、まっさらな土地に、男の子が一人立っている。
「リネン君……?」
すらりと背が高く、茶色い髪はゆるく波打ち、色白で目が大きい。この顔だ、とミウは思い出す。いつも一番後ろの席で、みんなの背中を静かに見つめていた。教室を出る時、最後まで残って電気を消していた。給食を五回おかわりして、まだ足りないよ、と笑っていた。これがリネン君だ。
「ここは……?」
リネン君はぼんやりした目で辺りを見回し、まぶしそうにミウを見た。まつ毛から砂糖がさらさら落ちる。
「家……だったところよ」
ミウは足下を見て言った。何も残っていない。家の骨組みさえもない。全てわたあめになって消えてしまった。
ありがとう、とリネン君は言った。明るく、よく通る声だ。
「ずっと動けなかった。誰にも届かなかった。もう出られないかと思ったけど、きみが助けてくれたんだね」
「私も、もう勝てないかと思った。でもこのステッキのおかげで」
ミウは右手を見て、はっとした。ステッキが消えている。マユキ先輩ももうスコップを持っていない。代わりに白米のおにぎりを両手いっぱいに抱えている。
どうぞ、とマユキ先輩は言った。
「北海道から連れてきました。イクラとタラコとカツオのおにぎりです。みんな無事だったので、リネン君にあげます」
「あ、ありがとう……」
リネン君はマユキ先輩の持ってきたおにぎりを受け取り、全部食べた。十個以上あったけれど、あっという間に食べ尽くしてしまった。
「外って明るいね。雲はあんなに高いところにあるし、人や動物もたくさんいるんだね」
「どうして家がわたあめになっちゃったの?」
ミウが聞くと、リネン君は少し笑い、わからない、と言った。
「でもいいんだ、もう自由になれたから。将棋クラブにも行けるし、海で泳げるし、好きな時に好きなものを食べて眠れる」
「良かった。学校にも行けるね」
「学校には行かないよ」
リネン君は笑顔のまま言った。
「これからもずっと、行くつもりはない。僕には必要ないんだ」
「え……?」
「学校は必要ない。人と話すのも、授業を聞くのも、クラス全員で走ったり歌ったりするのも、僕は好きじゃないから」
どうして、と言いかけてやめた。リネン君の顔があまりにも自然で、どんな言葉も似つかわしくなかった。
ミウはうつむく。胸の中にもやもやとわたあめが広がっていくようだ。
心とは裏腹に、手は勝手に動いていた。ポケットから手紙を出し、リネン君に差し出す。
「あの、これ……」
「アサちゃんと西川くんだね。あの二人、よくくれるんだ」
リネン君は手紙を受け取り、ズボンのポケットに入れた。
なんてあっけないのだろう。
わたあめを倒した。リネン君を助けた。手紙も渡した。これで終わりだ。このまま何もなかったように日々は過ぎ、お互いに忘れていく。いつもそうだ。ミウはいつも、通り過ぎて忘れていくだけだった。
だめです、とマユキ先輩が突然叫んだ。ミウは振り向いた。いつの間にか、マユキ先輩の手にはまたスコップが握られている。
「僕だって学校には行きたくありません。ご飯も食べたくありません。字も書きたくありません。寝たくないし起きたくもないです。でもだめなんです。それじゃだめなんです」
リネン君の顔がこわばった。一歩、二歩と後ずさる。マユキ先輩はスコップを振り上げる。
「やめて!」
そう言いながら、ミウもステッキを構えていた。大きくて尖った槍のようなステッキに、青バラと水色の宝石が輝く。
「リネン君、逃げて!」
光が雨のように舞った。二人は引き寄せられるようにリネン君に向かっていく。このままでは刺してしまう。それでも止められない。手が勝手にリネン君を狙う。だめ、だめ、と思いながらミウは走った。マユキ先輩も無表情で走り続ける。
リネン君は逃げなかった。少し寂しそうに笑い、二人を見つめた。
「ありがとう。来てくれて」
ステッキの先端がリネン君に届く、わずか手前で視界が白く閉ざされた。
白い木立のようなものがもくもくと生えてきて、リネン君を包み込む。一瞬で景色を覆い尽くすほどの大きさになり、ミウたちの手からステッキとスコップを奪って飲み込んだ。
マユキ先輩がミウを後ろに引っ張り、二人で尻餅をついた。あと一歩遅れたら、二人とも飲み込まれていた。
何もなかった土地に、わたあめが生えていた。長い腕で、雲をむしって食べて大きくなる。リネン君の姿は見えない。声も聞こえない。
これで良かった。初めからこれで良かったのだ。
ステッキの残した光が、まだ小さく漂っている。わたあめの白い色を映し、雪のようにまたたいていた。
次回で完結です。