5・魔法少女ミウ
ステッキをかざすと、体に熱がみなぎった。わたあめに向かって、溶けろ、と念じる。
途端に先端から銀のシャワーが飛び出し、わたあめの外壁にぶつかっていった。
「リネン君! 出てきなさい!」
ミウが叫ぶと、ついに外壁に穴があいた。糸がほどけるように、中の組織も壊れ始める。
わたあめは左右に揺れ、両隣の家に腕を伸ばした。どちらも窓を閉め切っており、屋根の上には鳥も虫もいない。空に手を伸ばしても、雨雲は滑って逃げてしまう。わたあめのきしむ音が悲鳴のように響いた。
穴のあいたところから、アリがぞろぞろと出てきた。続いてスズメが三羽、猫が一匹飛び出してきた。べっとりと砂糖に覆われ、疲れ切った顔をしている。猫はミウの足に体をこすりつけて砂糖を落とし、小さく鳴いて走り去った。
壊れた傘が一つ、ゲーム機が一台、小型ドローンが四台。ハングライダーに、ヘリコプターまで出てくる。骨組みや羽が折れ曲がり、砂糖を噛みながら逃げていく。
そしてついに、人間の形をしたものが這い出してきた。全身が砂糖にまみれて真っ白で、まつ毛も眉毛もわたあめの糸に絡まれている。人相どころか年齢もわからない。ただ、ミウよりもだいぶ大きい。
「リネン君……?」
「ミウ! ここにいたのか!」
その人はぶるぶると首を振り、砂糖を弾き飛ばした。黒々とした髪と眉、緊張感の漂う瞳、くっきりとした鼻筋をした男だ。体にはまだ砂糖がついているけれど、上下とも赤いジャージを着ているようだ。
「ミウ、帰ろう。わたあめはもうたくさんだ。白米とアサリの味噌汁を食べよう」
「あ、あの……」
赤いジャージの男はミウの胸元にすがりつき、懇願するように言った。またたく間に雨が全身の砂糖を流していく。
「これがリネン君ですか」
振り向くと、街路樹の下にマユキ先輩が立っていた。あまりに小さいので見落とすところだった。大きな葉のかげで雨を避けている。
「先輩! 帰ってきたんですね。お友達は?」
「みんな助かりました。リネン君も助かって良かったです」
「これ、リネン君じゃないわ」
赤いジャージの男はミウの腕をつかみ、早く行こう、と言った。緊迫した声と表情に、ミウは一瞬気圧される。
「ミウ、俺だよ。覚えてるだろ」
「わかりません」
「わからないってことないだろ。俺だよ」
「だって本当にわからないんだもの。リネン君のことも、兄のことも、あなたのことも全部わからない」
黒い瞳がミウを見つめる。心がかき混ぜられ、とろけていく。思い出せない。何も覚えていない。この男を見たことがあるようなないような、それすらわからない。
にせもの、とマユキ先輩が叫んだ。その声がヒバリのさえずりのように響き、ミウははっとした。
「リネン君のにせもの! お兄さんのにせもの! ミウから離れなさい!」
そうだ、にせものだ。ミウはこんな男を探していたのではない。わたあめを倒して、リネン君を助けるために来たのだ。
「そこをどいて! でないとあなたも倒す」
ミウがステッキを向けると、男はショックを受けたように目を見開いた。それでもミウの腕を離そうとしない。
その時、ステッキの先から青バラがほどけ、男の手に絡みついた。痛い、と男は叫び、ミウから離れた。
「ミウ! 俺がリネンじゃないからって、お前の兄じゃないからって、それが何だっていうんだ! もっと大事なことがあるだろう!」
青バラは銀の鎖に変わり、男の腕を縛り上げた。そしてわたあめの中に引き戻し、上下左右に振り回した。みし、みし、と音がする。絡まった糸のような組織がいくつも落ちてきて、わたあめが壊れていく。
助けてくれ、と叫ぶ男の声が遠くなり、ぱっと空が明るくなった。雨雲が遠ざかり、広い空から太陽が光を投げす。
「やった! 出られる」
「何日ぶり……いや何年ぶりだろう」
「外の空気はうまいぜ!」
あちこちに穴があき、たくさんの人が飛び出してきた。スーツケースを抱えた男や、制服姿の少年少女たち、お年寄りや赤ちゃんまでいる。
「こ、こんなにいたの……」
人が飛び出した穴から、タヌキやイタチ、カメやカラスやヘビも出てきた。わたあめの糸をひきながら、みんな散り散りに空や茂みや家々の間に去っていく。
わたあめは手を伸ばしてつかまえようとする。その手もだんだんに細くなり、切れて落ちてしまう。苦しげに体を揺らし、きゅう、きゅう、ときしむ。
小さくなっていくわたあめを見つめて、マユキ先輩がつぶやいた。
「中、何もないですね」
からん、とわたあめが何かを吐き出す。スコップだった。