4・水の精霊
ミウが毎日わたあめと戦っていることは、今やクラス中に知れ渡っていた。頑張れよ、と肩を叩かれたり、まだ勝てないの、と笑われたりする。しかし、一緒に行こうと言い出す人はいない。
「みんな怖いんだよ」
ルルがポニーテールの髪をかき上げて言った。
「ミウのお兄さんに来てもらったら? わたあめなんか一発でやっつけてくれるよ」
「私、兄には会ったことないの」
「そうなの? そっか……あたしも、パパとは二年くらい会ってないよ」
ミウの兄はこの学校の卒業生で、いわゆる問題児だった。花壇を消したり、水道の蛇口からウツボを出したり、奔放な振る舞いで先生や同級生を困らせていたらしい。あの頃はゆとり教育だったからね、と校長は言うが、そういう問題ではないだろう。
「卒業アルバム見たけど、なかなかかっこいいよね。目元なんかミウにそっくり」
あはは、と曖昧に笑いながら、ミウは兄の顔を思い出せなかった。卒業アルバムも見たことがない。
物心ついたころには、兄はもう家にいなかった。学校の校舎と体育館を十五回も壊したことと、星に釣竿を引っかけて流星雨を起こしたことと、どこかの町で掃除の仕事をしているところを見た人がいること。それくらいしか知らない。
「ねえ、リネンなんかほっときなよ。ワガママだし、嫌な奴じゃん」
「えっ」
「リネンは好きこのんでわたあめの中にいるんだよ。あたしたちのことなんかどうでもいいんだよ。今ごろきっと、わたあめ三昧のメタボ生活を送ってるよ」
ルルは声をひそめて言った。
「プリントだって先生が届ければいいんだよ。家が近いってだけで、ミウがそこまですることない」
言われてみればそうかもしれない。リネン君とは特に親しいわけでもなかった。勉強とスポーツが得意で、給食のご飯を五回もおかわりしていた男の子。それだけだ。
「私って、何も覚えてないのよね」
人の話も、どこまでが本当なのかわからない。尾ひれだけが宙に浮いているんじゃないかと思うこともある。
駅を出ると、雨が降り出した。お団子に結ったミウの髪に、雨粒がたまっていく。急いで傘を開き、リネン君の家に行った。
わたあめは雨に濡れても溶けず、悠然とそびえていた。白い表面を雨が滑り落ち、道に流れていく。誰かが捨てたらしい、壊れたビニール傘が飛んできて、わたあめの中に消えた。
「リネン君、こんにちは。ミウです」
返事がなければ帰ろうと思った。でもふいに、どこからともなく言葉が続いて出てきた。
「水野ミウです。好きなものは猫と図書館と星空。生まれ変わったら縞々の猫になって、屋根の上で暮らしたいです。リネン君のことは少しだけ覚えてます」
傘を持つ手が熱くなった。緊張しているせいだと思った。でも、話し終わってもまだ熱い。しゅうしゅうと音を立て、傘の柄が白く光り始める。
雨粒が霧になり、ミウを包み込んだ。きらきらと虹色の光が踊り、体を通り抜けていった。下腹部がきゅっと引き締まり、全身が暖かくなるのを感じた。
「リネン君! 出てきなさい!」
ミウの傘がひとりでに閉じ、雨をまとって伸びていく。槍のような形に、水色の宝石が散りばめられたステッキだ。先端近くには青バラがリボンで留めてある。
自分の背丈よりも大きなステッキを、ミウは片手で持ち、わたあめに向けた。