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「えっと、私の名前はテレシア・ドレイクって言います。ファミリーネームの方は、なんか好きじゃありませんが」
「そんなことはないよ。僕はアレク。アレクトラ・ローゼン」
彼女――テレシアは、アレクの名前を聞くと少し驚いたように
「ローゼンって、あのローゼンですか?」
「あのって言われて、僕はあまりピンとこないけど。愚者の一族って言う事なら、あってると思うよ」
テレシアは、「そうなのですか」とウンウンと首を上下に揺らして頷いている。
ローゼンといえば、一般的に元大貴族、トレイア王国の三大貴族の一つと言われていた。しかし、百年と少し前にローゼン貴族は、禁忌を犯したとしてトレイア王国から除名されることになった。
一族皆殺し。というわけでは無い。ただ、国から抹消されただけである。
「と、言うことはですね」
「そうだね。僕は【愚者スキル】を持っている」
テレシアは、少し真面目な顔つきになる。僕と正面から向き合おうと、僕の方に顔を向けたのだった。
そして、むっとした表情をする。
「それを私に言っていいのですか?」
「別に、隠すことではないし。僕は君に聞いてほしかった。誰でもない、君に」
「それは、どういう意味で――って」
その言葉を言い終わらないうちに、アレクは立ち上がると彼女の体を持ち上げて方に担いだ。
はたから見れば人さらいだろう。テレシアはあまり成長していない体つきをしているのだから、見る人が見れば本当に犯罪現場に見えてしまう。
しかし、テレシアは全く暴れなかった。それより、逆にアレクにしがみついているようにも見えた。
ギルド内は【英雄スキル】を持った彼に視線が言っている事もあって、こちらに人が一人さらわれる光景を見ているのは、少なかった。
例えば、この厨房を任されているテレシアの上司ら数名とか。
「あの、アレクさん」
「どうした?」
「ちょっと、早すぎませんか? 私、まだ全然お話してませんし、それに」
顔を真赤にして、テレシアはアレクを見た。
アレクは優しく微笑んで、テレシアの両方の瞳を覗いた。
「大丈夫。場所を変えるだけ。ここではこれ以上の話はできないしね。声は、漏れないようにするしさ」
「ふぇ、……い、いえ。あ……あの。この近くの通りに私の家がありますから、そこ行きましょう、そこなら、まぁ、安心できますし」
「両親とか、家族はいるの?」
「だ……大丈夫です。多分。今日はみんなで何処かに食べにってもらいますから」
「そうか」
テレシアを担いだアレクは、ゆっくりと正門とは別の出入り口からテレシアの誘導の元で出ていくことになった。
当然、アレクはカウンターの上に銀貨を2,3枚置いていた。支払いとしては、銀貨一枚も要らないだろうと思うが、仕事中のスタッフを盗む迷惑料として多めに置いたのだった。
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そこは、普通の一軒家である。住宅地の真ん中程度にある、2階建ての普通の家。
そこに彼女、テレシアは住んでいるという。
「す、少し待っていてくださいね」
と、テレシアはアレクから降りるとパタパタと駆け出し、家の中に入る。僅かに騒ぐ声が聞こえる。
待つこと数分。
彼女の家族と思われる三人が家から出てきて、アレクとその三人の中の一人の女性と目があってしまう。
わずかに微笑む彼女。そして、それを追ってテレシアは出てきた。
「今日は、帰ってこなくていいから。別に、深い意味はないけど、親孝行だから、親孝行!!」
「それに、どうしてぼくが含まれるのかな? お姉ちゃん」
「知らん。弟孝行だぁ。さっさと行ってきてよ!」
その精一杯に理由をはぐらかして外出させるテレシアを見て、なんだかほっこりとするアレクだった。
そして、彼ら三人が家から出てレストランにでも行ったのか、その姿が小さくなる頃。
「よし、アレクさん。家に上がっていいですよ」
「悪いね。ただお話するだけなのに、なんかお義母さんは勘違いしているような気がしなくもなかったけれど」
「お、話? だけですか?」
「まぁ、そう。僕はそのつもりだけど。ほら、【愚者スキル】のことについて、あまり人が多いところでは話せないし」
「そ、そうですね。ほら、私の両親も弟も、おしゃべりだから、そう、おしゃべりだからですね。念には念を入れたんです。そうです」
フン、と鼻を鳴らす彼女は、真っ赤になった顔を両手で仰ぎながら、
「でも、あの両親も、弟くんも、獣人ではなかったよね」
「あ、そうなんです。おばあさんが黒犬族で、おじいちゃんは人間なんです。そしてお母さんは人間の血が濃ゆかったんですけど、私は隔世遺伝ってやつで。クオーターなんですよ」
「そうなんだ。でも見たところ、テレシアってエルフの血も流れているよね。精霊が宿っているけど」
「…………」
うつむいたテレシア。そして、肩を落としながら彼女の家に入っていく。
「あ、ごめん。聞かれたくないこともあるよね」
「いえいえ、大丈夫ですよ。一目で見抜かれたことが少しびっくりしたのです」
「そうだね、それも含めて。僕の秘密を打ち明けるよ」
アレクも彼女に続いて、家の中に入った。そして、扉を締めて結界の式符を貼った。
それは、観測上この家の認識をずらすものである。
声を聞こえないようにするのもそうだが、人の感覚として、この家がここではないと認識させるもの。
師匠が作っていた試作品を完成させたものがそれだ。
テレシアはリビングにアレクを座らせて、キッチンからお茶を運んできた。
「そうですね。私もアレクさんが気になっていたので」
「今から話すことはあまり、他の人には話さないでほしい。三大スキルの一つの秘密は、ローゼンの秘密でもあるから」
「それを、今日あったばかりの私に話してもいいのですか?」
首を傾げるテレシアに、アレクは笑った。
「なんだか、テレシア。君に話したい気分だったんだよ。なんだろう。この気持は……一目惚れ……かな?」
「そう……ですか。複雑な気分ですが」
「まぁ、僕だってこれ以降君と会わない訳無いから。だってこれからもあの店には行くつもりだしね。
だから、今日以外も一緒にいたいと思ってる」
「なんですか? なんか、変な気分です。本当に。そんな事言われたこと無いからでしょうか。いえ、何でしょう。言葉でいい表すことが出来ない気持ちがいっぱいです」
無性にテレシアの頭をなでたい衝動にかられて、アレクの右手が勝手に動いていた。
「……ん」
上目遣いに、隣りに座っているテレシアが上気した頬を染めて僕を見つめる。
「簡単に言おう」
話題を変えようとしてアレクは唐突に【愚者スキル】についての話を始める。
いや、そもそも場所を移動したのはこの話をするためだったではないか。
「このスキルというのは、他のスキルを阻害する邪魔スキルそのものだ。だが、一つだけ有能な点があるとすれば、声が聴こえることか。
その声に従えば、全てが好機に変わる。全てが思い通りになる」
「それって」
テレシアは、アレクの目を見る目が変わる。
「私とのこんな状況も、そのスキルの声に従ったんですか」
察しが良いというか、なんというか。
「いや。これは何もない。僕が君とお話がしたかったのは事実で、全て僕の意志でやったことだ。
その、スキルから聞こえる声って言ってもね、思い通りに僕が扱えるわけじゃないし、それにとてつもなく不便な点はここからだ」
テレシアは、なんだか不審がる目でアレクを見る。
「このスキルのせいで、成長しなくなった。それは肉体的にも、能力的にも」
「どういうことですか?」
「まぁ、【愚者スキル】って言われる所以。僕は年取らないし、冒険者として活動しても一般人の、このスキルが発現したときから力は成長しない。
それに、スキルも一緒で。僕が【愚者スキル】が発現する前に持っていたスキルしか無いし、それもレベルは上がらない」
絶句しているテレシア。そして、やっと口を開いた。
「つまり、アレクさんは。見た目以上の年齢なんですね。そして、年齢詐欺で私を、若い私をたぶらかしているのですね。そうなんですね! そうと言ってください。……変態!!」
「あの……えっと。言っときますけど、僕がこのスキルを発現したのは、」
「言わないでください、わかってますから」
「なに、を」
「大丈夫です。私も腹をくくりました。年齢差があっても、ぜんぜん大丈夫ですよね。私だって、何十歳も年齢が離れた結婚なんてざらに見てきました。
まさか、私が体験することになろうとは夢にも思いませんでした。だから、大丈夫です。アレクさんが何歳でも私は受け入れますし、でもそれじゃあ、私が老けていくのをアレクさんがずっと見ていくことに……。
それは少し、困ったことになりそうですが、まぁその時考えればいいことです。私だってエルフの血が流れているので人間よりは長生きしますし。
それじゃぁ大丈夫ですね。こうやって、秘密を打ち明けてくれたアレクさんは私と結婚することで、いいですよね」
「えっと、発情期?」
「失礼な」
ぷいっとテレシアは、アレクから顔をそむけた。が横目でアレクを見る。
「でも、発情期ではないですが、大丈夫ですよ」
「あ、いや。話に戻るけど。僕がそのスキルが発現したのはつい最近。まだ一年も経っていないから、こんな形しておじいさんとかじゃないよ」
「つまり、結婚しても、年の差ではないと」
「結婚するとそうなるね。でも、どうして僕とテレシアが結婚する前提になっているの?」
「私の正体を見破ったからには、私の全てを背負ってもらわなければ」
「フフン」と鼻を鳴らす彼女に、僕は。
なんだか庇護欲に誘われた。
「簡単に説明して、ざっとこんなもんだから。もう少し突っ込んで説明しよう。僕も、師匠以外にこんな話を聞いてくれる人なんていなかったから嬉しい」
「そうですか、そうですか」
それから、夜が明けるまで話していた。
次の日の正午くらいになって時間に気付くまで。
家に結界を張っていたのを忘れていた。
そして、テレシアのお父さんに怒られた。「娘は、まだやる訳にはいかん」と。