就職に向けて動き出します 2
「さて、では阿藤首相の優秀なスタッフが来る前に、本題に入りたいと思うのですがよろしいでしょうか?」
「む、まぁ良いでしょう」
事実、さっきから師匠の結界に何度か魔法攻撃が繰り返されている。
いずれも師匠の結界を壊すまでには至らないけれど、なかなかのものだ。
アルビオンとはやはり違う様式の術式なので、師匠は嬉しそうに解析している。
結界のすぐ外、扉の向かうには既に武装した人間が複数いる。
それが警察の特殊部隊なのか、自衛官なのかは僕には分からないけど、気配から察するになかなかの練度だ。
よく考えたら僕らは首相を人質に、首相官邸に立て籠るテロリストみたいなもんだからね。
それでも、僅か数分で僕の素性を特定し、配置を完了させるなんて凄いね。
感心したよ。
「それで、あなたの要求はなんですか?」
首相は手近なソファに座った。
僕らも、それに倣いソファに腰掛ける。
「簡単な事ですよ。僕の友人たちをこの日本に住まわせてもらいたいだけです」
「ほお?」
首相の目が細くなる。
こちらの真意が読めないといった所か。
僕は敢えて全てを打ち明けてみることにした。
どうやら、僕が思っているよりも、この世界は色々とあるみたいだしな。
「僕がこの半年間、行方不明だったのはもうご存じなんですよね?」
「ええ」
「その間、僕はアルビオンという異世界に行っていました」
「なるほど、良かったら良い病院をご紹介しましょうか?」
「僕の正気を疑っていらっしゃる?」
「まさか、それなら既にお帰り願っていますよ」
力ずくでねというのを言外に匂わす。
確かにもし僕がただの精神疾患ならば既に排除されているだろう。
いや、ここまで浸入することすら出来ないだろう。
「それで、アルビオンで何をされていたんですか?」
「大魔王を討伐してきました」
「ほう、それはそれは。外務大臣の好きそうなお話ですね」
外務大臣?
どういうことだ?
何かの符丁か?
ひょっとして、外交戦略を練りたいって事なのか?
「外務大臣、ですか?」
「ええ、彼はそういったお話が大好きなんですよ」
「はぁ」
曖昧に頷いちゃったよ。
まぁ、分からないことは一旦置いといて話を続けるか。
「それでつい先日、日本に戻ってきたのですが、大魔王を倒した仲間も一緒に来てしまったんです」
「なるほど」
首相は目を閉じ、ソファに身を預けた。
ギシリとソファが軋む。
「加藤君」
「はい、なんでしょう?」
しばし瞑目した後、おもむろに首相が口を開いた。
「帰還者という言葉を知っていますか?」
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「リターナー?」
聞いたことないな。
あ、待てよもしかして………
「粘着テープなんか剥がすヤツですか?」
「ん?あ、あぁ、それはリムーバーかな?」
ふわっ、間違えた!恥ずかしい!
思わず頬が赤くなる。
「フフフ………ゴフッゴフッ」
首相もむせるほど笑わなくても良いじゃないか。
エギーユ達は会話の内容がよく分からないみたいでキョトンとしてる。
師匠以外は。
師匠、その生暖かい目は止めてください。
まだ全力で笑われた方が良いです。
「失敬、少し空気が乾燥しているようでね。むせてしまったよ」
目尻に涙を溜めながら首相がフォローを入れてくれた。
気遣いできる大人って素敵だな。
「なら、こちらをどうぞ」
僕は収納空間から、ポットと人数分の湯呑みを取り出す。
ポットの中身はアルビオンの薬草茶だ。
さっさと注いでそれぞれに手渡すと、僕が率先して飲んでみた。
毒は入ってませんよアピールだ。
その意思は通じたようで、首相もすぐに飲んでくれた。
「アルビオンで採取された薬草を乾燥させて煎じたものです。疲労回復なんかの効果もありますよ」
「ほう、これはなかなか………」
煎茶よりは少し苦いけど僕は好きだ。
まぁ、一時期は嫌でも飲んでなきゃいけなかったけどね。
首相も気に入ってくれたようで、一息に飲み干した。
「いや、美味しいお茶だったよ。ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
お茶を飲んだことによって、空気が多少は緩んだ気がする。
少なくとも敵対の意志が無いことだけは伝わっていると思いたい。
「さて、帰還者の事だったね」
「はい」
少しの沈黙。
どこまで情報を出して良いか吟味しているのかもしれない。
「実はね、あなたの様な異世界へ行って、無事に戻ってきた人は今までもいたんだ」
「え!?」
「これは、一部の官僚と我々閣僚経験者くらいにしか知らされていないんだがね。政府が確認できているだけで三十人程いるんです」
マジか!知らなかった。
いや、異世界がある事自体、アルビオンに行く前の僕は知らなかったんだ。
そりゃ、知らなくても仕方ないか。
「私達はあなた方の事を帰還者と呼んでいるんだ」
なるほど、異世界帰りの事を帰還者っていうんだな。
「あなたは『浦島太郎』のお話を知っていますか?」
「え?亀を助けて竜宮城に行くあれですか?」
「はい、その話です。浦島太郎は最後にどうなるかご存知ですか?」
「ええっと、玉手箱を開けておじいさんになる?」
ヒドイ話だと子供の頃に思ったもんだ。
確かに、約束を破って玉手箱を開けた浦島太郎も悪いけど、爺いにさせられるなんて気の毒だ。
「そうです。私の学生時代の友人にこの話を熱心に研究している男がいました」
「はあ」
「彼が言うにはですね、これは竜宮城という異世界に行って帰って来た男の話だと言うんです」
「なるほど、確かに海の中にある異世界に行ってますね」
「で、異世界に行った浦島太郎は何を得ましたか?」
ふむ、なんだ?
おじいさんになった以外で何かあったのか?
「さて、なんでしょう?」
「それはね、『老い』ですよ」
「はい?」
「今の若い人にはピンと来ないかもしれませんが、老人というのは知恵者や熟練者の事を指していました」
「はぁ」
「浦島太郎が持ち帰ったものは、金銀財宝などではなく、煙のように実体の無い知識や経験なんですよ」
「なるほど」
確かにそうだ。
異世界の知識というのは得難いものだ。
魔法一つとってもこっちで生活していたら絶対に手に入らなかったに違いない。
「我々、日本政府はあなたの様な異世界の知識を持つ帰還者を保護する準備は出来ています」
ふむ、保護ね。
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「保護、ですか」
「ええ、勿論そちらの客人のお嬢さん方も同様に保護させて頂きますよ」
なるほど、異世界から来た人間は客人か。
保護なんて言いながら、ただ監視下に置きたいのだろう。
僕でもそうするな。得体の知れないヤツを野放しになんて出来ないよな。
だけど、だ。
そう簡単に思惑に乗りたくはないな。
「一つお尋ねしたいのですが」
「なんだね?」
「僕達をだれから保護するというのですか?」
「は?」
首相は意表を突かれたようだ。
ポカンとした顔をしている。
「僕が行ったアルビオンという世界は、百年にも及ぶ大魔王の侵攻で滅亡の危機に瀕していました」
「………」
僕の話す意図を読みかねているのだろう、首相は無言で話の先を促す。
「国と言うのも名ばかりの集落がいくつかあるだけ。辛うじて大国と呼ばれる集落だけが国の体を保っていました。人口はアルビオン全土で一億も居なかったと思います」
「なるほど、大変な世界だったようですね」
「そうですね。それを見兼ねた女神サイリスが僕を含め、何人かの異世界人をアルビオンに呼び寄せました。勿論、本人には何の承諾も無しにね」
「女神、ですか」
どうやら、首相は神の存在を疑ってはいないようだ。
まぁ、魔法がある時点で各地にある神社の意味も、それまで僕が思っていたものと違っているのだろう。
「ええ。その際に僕はその女神の加護をうけました。学習能力の強化と、それを効率よく生かすために、敵である魔物や魔族を呼び寄せるというものです」
「ほう………それは、また」
「正直、何度も死にかけました。僕が今、生きてかえって来れたのも仲間のお陰です」
加護っていうより、もはや呪いだな。
最初に現れたゴブリンですらアルビオンに着いたばかりの僕にとっては強敵だった。
呆気なくぶちのめされ、生きたまま内臓を喰われている最中に、師匠がたまたま来てくれなかったらそこで終わりだったしね。
それから師匠の結界の中でしばらく修行して力をつけてから、魔王討伐に乗り出したんだった。
実際にこの最初の時点で死んでしまった勇者が殆どのようだ。
「その甲斐あって、僕は強くなりましたよ」
「ほう」
「世界を滅ぼせる相手と対等に戦える位にはね」
そこで首相は僕が言おうとしている意味を察したようだ。
目を細めてこちらを見る。
額には玉のような汗が浮かんでいる。
「僕が望むのは保護ではありません」
「う、うむ」
「僕の友人達がこの日本で自由に暮らせるようにして欲しいのです」
「それは?」
息を飲む首相。
僕はほんの少しだけ練った闘気を放出する。
大魔王に匹敵する威圧だ。
首相の動きが固まる。
「具体的に言うとですね」
「はい」
僕は一旦言葉を切り、仲間を見渡す。
「彼等に戸籍を下さい」