帰ったら無職でした 4
「へぇ、借金を返すためにタコ部屋に放り込まれていたのか、大変だったねぇ」
「そうなんですよぉ。あ、アイスココア下さい。師匠はどうします?」
あやふやな言い訳を繰り返した結果、何故か株やFXで数百万円溶かしてしまったから、タコ部屋に押し込まれていて連絡が取れなくなっていたと言うことになっていた。
う~ん、この言い訳でどこまで通用するんだろ?
「ま、任せる」
「なら、同じ物を」
「わかったよ。モーニングはどうする?」
「あ、お願いします」
「はい、了解。アイスココア二つだね。直ぐに持ってくるからね」
マスターは注文を取ると、厨房の方に戻っていった。
バイトの娘が注文の品を運んで来たのは本当にすぐだった。
ここヨネダのアイスココアは、上に大きなソフトクリームが渦を巻いている。
モーニングとしてトーストとゆで玉子も付いてきて、ドリンク代のみの料金だ。
もっとモーニングが豪華な喫茶店もあるらしいけど、僕にはこれくらいで丁度良い。
さて、師匠だ。
さっきから落ち着きがない。
「どうしたんですか、師匠?」
「ん、うむ。この『店舗』には何やら魔法の様な物が付与されておるのか?先程から何故か食欲が刺激されてならぬ」
どうやら、師匠はコーヒーやトーストの匂いでお腹が空いてしまったようだ。
「食べ物の匂いを嗅ぐと、そうなるのが自然ですよ」
「そうなのか?だが、今までそのような事は………」
そりゃ、生肉や生野菜じゃ良い匂いなんて事にはならないだろう。
「さ、師匠。温かいものは温かい内に、冷たいものは冷たい内にどうぞ」
「お、おう」
僕はまずココアの上に乗っているソフトクリームに手をつけた。
スプーンで掬い、口に運ぶ。
「久しぶりの甘味だぁ。美味しいなぁ」
五年ぶりのソフトクリームに、恍惚の表情になってしまった。
飢えていたんだなぁ………
「美味しいのか、その白いのが?」
師匠も僕の顔を見て、ソフトクリームを口に運ぶ。
「冷たい!甘い!なんじゃこれは!」
「ソフトクリームです。で、その下の液体がココアですよ」
「ソフトクリームにココアか」
僕の真似をして、ココアをストローで飲む。
またも、師匠の顔は驚愕に歪む。
「なんじゃ、これはなんの魔法なんじゃ、食す手が止まらぬではないか」
どうやら師匠もココアが気に入ってくれたようだ。
瞬く間にアイスココアの入ったグラスが空になる。
うん、氷は食べなくても良いんだよ?
「して、この入れ物に入っている物はなんじゃ?こちらの白いのが卵なのは分かるが、こっちのふかふかしているものがさっぱり分からぬ」
「それはトーストと言って、パンを焼いたものです。パンって言うのは小麦を一旦粉状にしたものを練ってから発酵させ、焼いたものですよ」
「ほお、食物に熱を加えるのか。お前がこっそり火焔で行っておった事だな?あれはいかんぞ、硬くなって食えたものじゃなかった」
「ハハハ」
自炊したことの無い大学生の料理スキルなんてそんなもんだ。
火加減を間違えて、何度か黒焦げにしていたのを師匠は見ていたのか。
好奇心旺盛な師匠の事、その口ぶりではきっと自分でも試してみたんだろう。
「これは大丈夫です。良かったらどうぞ」
「う、うむ。何とも食欲を刺激する薫りじゃ」
黒焦げ肉の悪いイメージがある師匠も、トーストの誘惑には勝てないらしい。
おそるおそるではあるが、口に運んだ。
「な、なんじゃこれは!表面はさくりとしているにも関わらず、中はしっとりフワフワじゃ。そして鼻に抜けるこの匂いは小麦か、小麦と何らかの油脂が混ざり合い、絶妙なハーモニーを醸し出している!これが『美味しい』と言うことか!」
トースト一つで大袈裟だな。
まぁ、気持ちは分からないでもないけどさ。
僕も久しぶりにチャンとした物を食べていて、正直手が止まらない。
残りはゆで玉子だけだ。
コンコンと殻全体に細かいヒビを入れていく。
「何をしている?そんな事をしたら中身がこぼれてしまうではないか」
咎めるように見てくる師匠を無視して、僕はゆで卵の殻を剥いていく。
中から出てきた白いプリプリとした白身に、師匠は驚いている。
「そうか、細胞を構成しているタンパク質はある温度を超えると不可逆的な変成をする。それは卵を熱した物なのじゃな!そ、それをどうするのじゃ?」
「こうします」
なんか小難しい事を言っている師匠に、僕はゆで玉子の食べ方を実演して見せる。
って言っても塩をかけて口に入れるだけだけどね。
二口で卵はキレイに無くなってしまった。
「お、美味しいのか?」
「えぇ、旨いです」
「そ、そうか、ならばワシも」
師匠も僕の真似をして殻を剥いていく。
元々器用な師匠だ。難なくキレイに剥けた。
「では、頂くとしよう」
塩をかけ、食べる。
「こ、これは!あのドロッとした卵が、熱を通すことによってプリプリとした歯応えを持つとは!そして、この黄身だ。まだ熱が通りきっていないためかしっとりとしている。この『料理』の骨子が熱を加えるというものならば、失敗だとされるのかもしれないが、絶妙に舌に蕩けるようなこの黄身はまさに至高、至極!な、なんでこの卵はこんなにも小さいんだぁっ!」
ゆで玉子一つでここまで言えるなんて、食レポの芸能人も真っ青だな。
しばらく自分の両手を見ていた師匠は、恥ずかしそうにこっちを見てきた。
「お、お代わりを下さい」
師匠、上目遣いは反則ですよ。
僕は速攻でマスターを呼んで、お代わりを注文した。
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僕は雑誌のラックから、『東海歩行者』を持ってきた。
名前の通り、近隣のおでかけ情報が載っている情報紙だ。
師匠がモーニングセットを食べている間に、見ていようと思ったんだ。
「はい、お待ちどうさま」
今回はマスターが品物を持ってきてくれた。
店内を見渡すと、お客さんもだいぶ引いてきているようだ。
「それにしても、加藤君がこんなに美人な彼女を連れてくるとは思わなかったよ」
仕事が一段落したからだろう、マスターが盛大な誤解を含んだ世間話をしてきた。
「はは、残念ながら付き合ってはないんですよ」
「へぇ、そうなんだ?その雑誌を見てデートに行く場所を決めるのかと思っていたよ」
『東海歩行者』の表紙を見ると、確かに「特集!秋にぴったりなデートスポット!」って書いてあるな。
紅葉狩りや温泉、遊園地なんかが載っているようだ。
「いや、何となく暇潰しになればと思って持ってきただけですよ」
「そうか」
マスターは師匠の方を見る。
師匠は今度はゆっくり一口一口を味わいながら食べている。
因みに僕の分は頼んでいない。
ここで食べ過ぎて昼のカレーに響くのが嫌なんだ。
「まぁ、久しぶりに来たんだ、ゆっくりしていってよ」
「はい、ありがとうございます」
追加注文分の伝票を置いてマスターを去っていった。
そう言えば、さすが父さんの友達だけあって、こっちの世界ではあまり見かけないような師匠の格好にも全く触れなかったな。
コスプレとか好きみたいだし、こういう格好の人を見慣れているのかもしれないけど。
それにしてもマスターに言われるまで、師匠と付き合うとかは考えた事もなかったなぁ。
確かに美人さんでアルビオンにいる間はずっと一緒にいたけど、状況が状況だっただけにそういった対象に見た事がなかった。
それはリアなんかも一緒だ。可愛いけど、大魔王を倒すための盟友って感じなんだ。
そんな事を思考の端に留めながら、僕はペラペラと『東海歩行者』をめくる。
ぶどう狩り、紅葉狩り、温泉とあり、なかなか楽しそうだ。
確かに可愛い彼女とこんな場所に行ったら楽しいに違いない。
ここ五年、こっちの世界での半年は生き抜く事に必死で、こういった遊びや娯楽なんかとは縁がなかったからなぁ。
「お、期間限定のアトラクションか」
見ると遊園地で期間限定の体験型アトラクションがやるらしい。
「へぇ『君も剣と魔法の世界で冒険しよう』か」
なにかのゲームとのコラボみたいだ。
それなりに大規模で、最新機器も使ってリアルに再現しているそうだ。
今の僕にはうんざりするようなアトラクションだな。
「ふぇ~、もう無くなっちゃったぁ」
師匠がかつて聞いたことのない情けない声を出した。
驚いて顔を上げると、モーニングセットを完食していた。
「トール、おかわりを………」
「もうそろそろうちの母親が昼食を用意している頃ですよ。帰ってそれを食べましょう」
再度のお代わり要求を押し止め、僕らは席を立った。