帰ったら無職でした 3
「よし、ズボンも履いたしリビングに戻るか」
未だに床で伸びている師匠にタオルケットを掛けると、僕は部屋を出ていった。
ウンウン唸っていたけど、まあ大丈夫だろう。
うん、ざまぁみろだなんてちっとも思ってないよ?
本当だよ?
アア、シンパイダナァ。
階段を降りると、なにやらリビングが騒がしい。
この声は、エギーユか?
一体、何をこんなに騒いでいるんだろう?
猿ぐつわもしておけば良かったな。
「う、うぉぉぉぉ!な、なんだこれはぁ!?」
「ん、んぐっ。え、何これ!?」
この二人がこんなに取り乱すなんて、一体何があったんだ?
床を壊さない程度に僕は急いだ。
本気で走ると簡単に音速を超えちゃうから注意が必要だ。
衝撃波で床どころか、家が全壊とかは流石に勘弁してほしいからね。
「おいおい、何を騒いでるんだ?」
「ん、んん~!」
「………トール」
僕がリビングに着くと、二人は口いっぱいに飯を頬張っていた。
テーブルの上には豆腐とワカメの味噌汁、母さんの自家製胡瓜のぬか漬け、目玉焼き、それから味付海苔が並んでいる。
我が家のオーソドックスな朝食だ。
エギーユはとにかくどんぶり飯を凄い勢いでかっこんでいる。
リアもナイフとフォークで器用に食べている。そのスピードはエギーユにも負けていない。
「おいおい、落ち着けよ」
「ばっ、コレが落ち着いていられるかよ!」
「本当です。ご母堂に出して頂いたお食事が素晴らしすぎて、手が止まりません」
言っておくが、母さんの料理の腕はそんなに高くない。
至って普通だ。
無論、不味くはないけど、正直こんなに感動を覚えるほど美味しいわけではない。
では、何故こんなにこの二人が感激しているかというと、それはアルビオンの食事事情にある。
前にも言ったが、アルビオンの技術は軍事面に全フリしてあり、文化面はほったらかしだ。
それは料理にも言える。
というよりも、料理なんて殆どしない。
基本的に生だ。
流石に身体を作るための栄養素なんてのは研究されていたけど、調理なんて発想すらなかったみたいだ。
精々、食べやすい大きさにカットするくらいで、味付けどころか加熱調理すらしていなかった。
転移させられたばっかの頃は泣きながら生肉を食べていたよ。
火焔魔法を覚えてからは、こっそり自分の分だけ焼いていたけどね。
そんな訳だから、今この二人はカルチャーショックを受けている最中だ。
柔らかく炊いた米なんて、アルビオンには無かったからな。
「あ、徹、あなたの分もちゃんとあるわよ。さっきの娘も呼んでいらっしゃい」
「あ、あぁ。ありがとう」
僕は再び自室に戻る。
背後では「これがトールの言っていた美味しいって事なんですね」なんてリアが言っているのが聞こえてきた。
エギーユは物も言わず、とにかく食べまくっているようだ。
おいおい、ちゃんと僕の分を残しておいてくれよ。
それにしても、家を壊さないように急ぐって難しいな。
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「プハァー、食った食った。こんなに食ったのは久しぶりだぁ」
エギーユがはち切れんばかりに膨れ上がったお腹を擦っている。
リアはと見ると、こちらも同様のようだ。
料理と言うものを食べたのが初めてだからな、こうなるのも仕方がない。
母さんも満足そうだし、許してやろう。
なんて思えるか!
くそっ、僕の分まで食い散らかしやがって!
どうやら、僕が師匠を呼びに行っている間に、エギーユとリアは初めての料理を満喫したようだ。
冷凍庫に入っていたご飯も余す事なくお腹に納めたみたいだ。
それもこれも師匠が先の勝負で負ったトラウマが思っていたよりも深く、一瞬ではあるけど幼児退行していたからだ。
まさか師匠の口から「ママのオッパイはあたちのモノなのになんでパパがすってるにょ」なんて聞くはめになるとは思わなかった。
実年例はこの際置いといて、見た目二十代後半の美女からでたその言葉は、僕の脳髄を激しく揺さぶった。
しばらくの間うずくまって、その場から動けなかったよ。
僕が起き上がれるようになった頃、師匠もようやく幼児退行から抜け出したようだ。
しかし、ここ一時間ほどの記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
助かったぁ。
安堵する僕を、師匠は怪訝な顔で見ている。
しかし、深く考えようとするとまた何かを思い出しそうで、思考にロックが掛かってしまうようだ。
色々と誤魔化す為に、僕は本棚から適当に教科書の類いを抜き出すと師匠に渡して、二人で階下に降りた。
そうしたら、ご飯が残っていないと言う酷い仕打ちを受けたんだ。
「エギーユ、お前は僕を怒らせた」
「な、ちょ、待って………あぎゃ!」
短距離転移でエギーユの目前まで移動すると、おもいっきり力を込めた一撃を額に入れた。
後に吹っ飛ばすなんて力の無駄遣いなんてしない。
エギーユの背後に不可視の力場を形成し、衝撃を全て額に集中させた必殺のデコピンだ。
いくつか防御の為の魔道具を使ったようだけど、そんなのは僕の怒りの前では無力だ。
そのままエギーユはその場に崩れ落ちたままピクリとも動かなくなった。
「食い物の恨みは恐ろしいのだよ」
「はひっ、すみません」
我関せずと呑気に食後のお茶を啜っていたリアを睨み付ける。
返事をする声が裏返っているね。
だけど安心して、僕も鬼じゃない。
よっぽどの事がない限り、女の子には手を上げたりはしない。
少し睨み付けるだけにしておこう。
「イヤッ、魔眼が発動していますよ。あ、ぁ………そろそろ#抵抗__レジスト__#するのも辛くなってきました………や、ヤメテー」
キッカリ五分で視線を反らす。
流石はクソ女神の所の聖女だ。キッチリ抵抗してきやがった。
「あ、あのね、徹」
ガックリと両手を床につき、肩で息をしているリアを冷たく見下ろしていると、母さんがおそるおそる声をかけてきた。
少し怯えているようだ。
「あ、騒がしくてごめんね母さん。どうにも異世界のノリが抜けなくて」
「い、良いのよ。大丈夫。そ、それでね徹、良かったら今からご飯炊くけどどうしようか?」
「いや、良いよ。まだモーニングもやっている時間だし、師匠とヨネダまで食べに行ってくるよ」
「そ、そう?じゃあ、昼ごはんは何かリクエストあるかしら?」
昼ごはんか、何が良いかな?
「ん~、じゃあ久しぶりにカレーが食べたいな」
「分かったわ、用意しておくね」
僕はまたもや自室に戻って財布を取ってくると、師匠と一緒に家を出た。
エギーユとリア?
なんかリビングで気持ち良さそうに寝ていたよ。
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「いらっしゃいませ~!」
カランコロンと鳴るドアベルも懐かしいな。
そんな事を考えながら、俺と師匠は一件の喫茶店に入る。
家の近所にある馴染みの店だ。
いつの間にか十時を回っていたから、モーニングをする人の波が一段落したらしく店の中は空いてきている。
新人のバイトだろうか、見たこともない娘に案内をしてもらい、空いている席に着く。
「なぁ、トールよ。ここはなんの建物なんじゃ?」
師匠は喫茶店の中を、まるで落ち着きなくあっちこっち見回している。
それと言うのも「店舗」と言うものを知らないからだ。
ジルオン公国は、いや、アルビオンにある国家全てがいわゆる社会主義的な国家なんだ。
だから、通貨も無ければ商店も無い。
全てが配給制なんだ。
これは大魔王オルキスの侵攻により、物資の流通がズタズタにされ、個人の力ではどうしようもなくなってしまったからだ。
ある生産拠点から、消費地までは国軍が護衛して運ばなければいけない。
なので、商店などもたちゆかなくなって潰れ、その代わりに配給所が設置された。
人々は国家の庇護なくては立ち行かない状態まで追い込まれていたとも言える。
その中で、師匠だけは集落を離れ、森の中で自給自足の生活をしていた。
何体かのゴーレムに狩りや畑の耕作をさせ、自身は魔法の研究に勤しんでいた。
クソ女神サイリスに転移させられたのは、そんな師匠の住む森の中だった。
ゴブリンに襲われて死にかけた所を、たまたま散歩に出ていた師匠に助けられたんだ。
魔獣の住む森で鍛えられた事もあり、師匠と僕の戦闘力はリアやエギーユと比べて頭一つ抜けている。
魔力だけなら、師匠が断トツなんだけどね。近接戦闘だと今なら僕の方に少し分があるかな?
まぁ、テーブルの上にあるメニュー表を不思議そうに見ている姿からは、そんな強さは微塵も感じないんだけどね。
「ここは喫茶店ですよ」
「喫茶店?なんじゃ、それは」
「えぇと、飲食を提供する店です」
「店?あの昔話のか?」
「えぇ、あの昔話のです」
アルビオンにも大魔王侵攻前には、確かに資本主義的な社会が形成されていたとする書物がある。
ただ、それは師匠の産まれる前の話であり、伝承の中にしかない。
「ほぉ、ならば『通貨』を使用して『商品』を得るのじゃな」
「その通りです。そこのメニュー表に書いてあるものがここの店が扱っている商品の一覧です」
師匠はメニュー表を舐めるように見ている。
写真に写っているものが、食べ物とはどうしても思えないらしい。
「あぁ、加藤君じゃないか!行方不明になったって聞いていたけど、どうしていたんだい?」
「あ、マスター」
ここのマスターは父さんの同級生だ。
どうやら、僕が行方不明になった相談もしていたらしく、とても心配してくれた。
僕は適当に誤魔化したけど、やっぱりちょっと心苦しいね。