『進路相談室』
「……」
半信半疑なまま、俺は指定されたエレベーター横まで向かった。
直ぐにそうする気になったのは、さっきの女の声で行くよう指示された場所に、「まさか」という思いがわいたからだった。
とうに忘れ去っていたような、過去の記憶が、さっきの奇妙な館内放送で、俺の中に突然蘇った。
俺は子供の頃、かかりつけだったこの病院で、あるはずのない光景を、何度か目にした。
当時、子供だった俺がそのことを周囲の人間に話しても、誰もそれを信じようとはしなかった出来事。
そう、『あれ』を見たのは、確かに患者用のあの赤いエレベーターの横だった。
俺が指示されたその場所に着くと、見覚えの無いものがそこにあった。
「本当にあったのか」
俺は驚きを隠しきれぬまま、その在るはずのない部屋へと続くであろう『在るはずのない扉』を見つめた。
扉自体は、この病院の他の場所にあるものと、同じような古びた簡素なものだった。
だが、たったひとつだけ違うのは、この扉だけが蛍光灯が切れかけた薄暗い廊下の奥で、ほの青く光っていることだ。
しかも、扉に貼り付けられているプレートに『進路相談室』と書かれているのが、有り得ないような猛烈な違和感をかもし出している。
―ここは病院だろ? 学校じゃあるまいし、いったい何の冗談なんだ、これは。
子供だった頃に、俺は一階の売店に立ち寄る度に、この何もないはずのエレベーター横の空間に、すり抜けるように入っていく人影を何人も見た。
俺は恐れる気持ちも忘れ去り、突き動かされるように扉を開いた。
先に待つものが、何なのかもまるで分からぬままに。
そこは小児科病棟のプレイルームが、そのままそこに移動してきたかのような内装になっている部屋だった。
壁にはファンシーなパステルカラーの、動物達が描かれた黄色い壁紙が貼られ、丸っこいぬいぐるみがそこかしこに雑然と置かれている。
唯一の違和感といえば、この部屋には窓がひとつも無いことか。
部屋の真ん中付近には、部屋の内装には似つかわしくない、何処の会社の会議室にもありそうな、簡素な長机がひとつ置いてあり、その両側にはこれまた簡素なパイプ椅子がふたつ。
その片方に腰掛けていた、女が顔を上げて、こちらを見ながら声を掛けてきた。
「斉木さんですねー。どうもー」
くりっとした大きな目が印象的な、長い黒髪を後ろでバレッタでまとめた、はっきりした顔立ちの、なかなかの美人だった。
服装は外側は白衣で、中に派手な花柄があしらわれたワンピースを身に着け、足はかかとの低いミュールを履いていた。
年は俺とそうは変わらないように見える。
「どうぞー。じゃあ、そちらの椅子に掛けて下さいねー」
女がパイプ椅子を指し示したので、はからずもこの部屋を訪れる事になった、俺はひとまずその言葉に従った。




