1-2 月夜の晩に
日間一四九位の誉を頂きました。
皆様の応援のお陰です。
「……ぶはっ!」
「ぷひゅっ!」
石造りの床の上でムサシと小次郎が、酸素を求めて大きく喘いでいると二人の鼻腔にほんのりと、お香の様な香りが漂って来る。
「ム……ムサシ、大丈夫か? どこか痛くしてないか? 火傷は?」
大きく深呼吸をしながらも小次郎がムサシを気遣うが、ムサシも呼吸をするのに精一杯で返答が出来ないでいた。
「ひゅっひゅっ」
小次郎はムサシを落ち着かせる為に、また自分を落ち着かせる為にムサシを抱き締める。
「大丈夫だムサシ、ゆっくりと呼吸しろ大丈夫……」
ムサシの呼吸が落ち着いて来て、小次郎にも若干の余裕が生まれて来るにしたがい、周りの状況が見えて来る。
十数人の白衣を纏った大人が、自分達を遠巻きに観察しているのが見えた。
「あの……救急の方ですか? 妹が苦しんでいるんです! 酸素の吸入をお願いします!」
小次郎が必死に助けを求めるが、周りの大人はどよめくばかりで動こうとしない。
苛立ち気味に声を荒げようと目付きを厳しくした時に、呼吸の落ち着いたムサシが小次郎の寝間着代わりに着用しているスエットの裾を引っ張る。
「大丈夫……ムサシは平気だよ」
ムサシのぐったりとした身体に 力が戻って来たのを感じた小次郎が 安堵の溜息と共に今居る場所の確認をする。
「すいません! ここは何処ですか? 火事は? 火事はどうなりました?」
周りを取り囲む白装束の大人達に疑問を投げかけるが、返答は返って来なかった。
「あの……外国の方ですか? 日本語の分かる方はいらっしゃいますか?」
ムサシを胸の中に庇いながら必死で声をかけるが、小次郎達を囲む大人達もこちらを観察しながらビクビクとしている様だった。
「召喚者よ案ずるな言葉は通じている」
白装束の者達を割って、歩み出たのは白装束の者達よりも頭三つ分程は抜き出た大男だった。
「あの……ここは何処ですか?」
小次郎は金髪碧眼の大男に見据えられ、若干気後れしながらもムサシを胸の中に庇いながら話を続けた。
「ここはマウレツェッペ王宮神殿である」
小次郎の胸の中のムサシがピクリと反応する。
「そして私が神殿騎士団団長のシュテッケン=ベアードである。ようこそ召喚者よ我々マウレツェッペ王国の民は貴殿らを歓迎する」
シュテッケンと名乗る大男は、今迄見た事も無い様な大きな手を差し出して、座り込んだままの小次郎を引き起こした。
「君達はこの世の理を外れた世界からこの地に召喚された客人だ。我らに出来うる限りの礼節を持って君達を迎えよう」
口の端を軽く歪め、ニヤリと笑う大男の雰囲気にすっかり飲まれた小次郎は、シュテッケンと名乗る大男に促されるままに、王宮の謁見の間に通される。
「あ、あの……僕達は寝間着のままこの場所に運ばれたので、靴すら履いて居ないんです。それに王様と謁見と言うのはどう言う事ですか? ここは日本とは違うのですか? それと……」
矢継ぎ早に質問を投げかける小次郎にシュテッケンは跪き、玉座の少し下の付近から視線を逸らさぬまま、小さな声で小次郎を制する。
「客人よもう直ぐ王が参られる、客人達はこの世の理から外れた者達なので、如何様な出で立ちであっても王に対しては無礼に当たらぬが、私は騎士団団長なのでそうもいかぬのだ……今しばらくは抑えて欲しい」
シュテッケンの硬い声色から、空気を察して小次郎は押し黙った。
玉座の近くにある大きな扉の傍で待機をしていた鎧姿の男が、何事か大きな声で叫ぶと良く磨かれた鉄製の扉が軋みながらゆっくりと開いて行き、中から王様らしき人物とお付きの人が数名静かに歩いて来て、玉座にどかりと座るとお付きの人が玉座の背後に控える様に跪いた。一連の動作には淀みが無く、何百回何千回と繰り返して来た様な所作に、違和感も感じられず、大掛かりなドッキリとも考えられなかった。
炎が逆巻く様な眉と、アイシャドーを入れた様な瞼の下から覗いた人を射殺す様な双眸に、小次郎は脊椎を鷲掴みにされた様にブルリと震えた。
「我らが誇り高き王ダンドルフにおきましては益々御健勝の……」
シュテッケンが隣で王を褒め称える言葉を長々とそして、しっかりとした滑舌で謁見の間全体に響き渡るような声で朗々と謳う。
一頻りシュテッケンの言葉を聞き終わると、王が隣で控えているこれまた偉そうな髭を蓄えた男に耳打ちをする。
「シュテッケンよ召喚の義の取り計らい、誠にご苦労であった! 召喚者の案内をその方に一任する。励まれよ」
シュテッケンはまた、ありがとうございますで済むような内容を長々と謳いだして謁見は終わりを迎えた。
小次郎達は来た時と同じ様に、シュテッケンを含め三人にだけになるまで、謁見の間で動きを止めて息を潜めていた。
「さあ、召喚者殿よ寝間着で召喚をされたと聞いたが、時は丁度夜である、寝床は用意させてある故一眠りされては如何かな? 起きてから貴君らの置かれている状況について詳しく説明させてもらおうか」
シュテッケンは来た時と同じ様に、小次郎達の方を振り向きもせずにずんずんと歩いて行く。
「誰ぞ! 誰ぞおらぬか? 召喚者殿の部屋を用意せよ!」
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小次郎達はシュテッケンに案内された部屋で、部屋の明かりを消し二つあるベッドの内の片方のベッドで一つの毛布に二人で包まっていた。
興奮と混乱で寝付けずにいた小次郎の胸の中で、小さく丸まっていたムサシが小次郎に話しかけてくる。
「お兄ちゃん、起きてる?」
小次郎は覚醒してはいたが、ムサシを寝かし付ける為に寝た振りを決め込む。
「お兄ちゃん、何処まで気づいた?」
不意にムサシが気になる事を言い出した。
「何処までって何がだよ……」
小次郎がムサシの問い掛けに反応して聞き返してしまう。
「色々ヒントが出ていたでしょ? 先ずマウレツェッペ、シュテッケン、王宮神殿、神殿騎士団……全部聞き覚えがあるはずだよ」
小次郎はムサシの指摘に考えてはいたが、解らない振りをしていた答えが頭の中に浮かぶ、その答えがもしそうであるならこの場所は……
「地下牢……」
「流石お兄ちゃん、マップ暗記はバッチリだ……」
「この場所が俺達がプレイしていたゲームに準えて作られているなら、俺達が特別に設えてもらって歓待を受けて、放り込まれたこの部屋は地下牢だ」
「ムサシの考えはちょっと違うんだな、この場所がゲームに準えて作られているんじゃなくて、私達のプレイしていたゲームが、この世界に準えて作られているんだよ、つまり、ここは日本どころか、地球じゃないんじゃないかな?」
「そんな馬鹿な事……」
「ムサシは確かめる方法を考えついたんだよ」
ムサシは二人で包まっていた毛布を抜け出して、部屋の入り口をドンドンとノックした。
「たのもー! たのもー! ムサシはオシッコがしたいんだよ! 緊急事態なんだよ!」
部屋の外鍵がガチャガチャと派手な音を立てて、扉が開くと見張りの兵士らしき男が外へ促す。
「あ……俺も行きたいです」
小次郎も慌てて毛布を剥ぎ取り、間に合わせで借りた靴を履く。
蝋燭に照らし出された薄暗い廊下を歩き、王宮の中庭の隅に案内されて簡素な屋外トイレを使えと指示される。流石に囚人用のおまるを強要されると、自分の立場がどの様な物かが小次郎達にバレてしまうので、使用人用のトイレなのだろう。
「ムサシはこんな野性味あふれるトイレは初めてだよ!」
嬉々としてトイレに入り用をたすムサシと、それとは対照的に中々出る物が出ない小次郎がトイレから出てきたのは、ほぼ同じタイミングだった。
「お兄ちゃん、今夜は月が綺麗だねえ」
小次郎はムサシが指を指す先に視線を移すと、白と赤の双子の様な満月がぽっかりと漆黒の夜空に浮かんでいた。