森のマッパ女
「あ、あの……落ち着きましたか?」
森の中のマッパ女は、粘菌によりボロボロにされた洋服の切れ端を器用につなぎ合わせ、見えてはいけない部分を上手に隠し、亀吉の爪で逃げられない様に固定された状態でコクコクと頷いた。
「情報の共有をお願いしたくて今回は追いかけました」
小次郎はマッパ女が夜襲を仕掛けた時に呟いた言葉から、自分達がこの世界に転移した方法は、マウレツェッペの神殿にあったサーバーにあると睨んでいた。また、サーバーがあれば元の世界に帰る事が出来る可能性も考えている。その為には神殿にあったサーバーが完全に起動できる状態が必要である事も、神殿に隠してあったサーバーの保存状態からアタリをつけていた。
「サーバーのパーツを集めているんですよね?」
マッパ女が横目で恨めしそうに睨む。
「サーバーの安置場所は、ゲーム内で魔法書をメモリ出来る場所、つまり、この世界に送られて来たきっかけの場所である神殿にあるんじゃないかと思って、マウレツェッペの神殿を探したらありました。そしてこのエルフの里にも魔法をメモリする場所があります」
「マザーツリーの地下神殿……」
仏頂面のマッパ女が面白く無さそうに呟いた。
「忍び込もうとして見つかったんですね?」
ギロリと小次郎を睨みつけ、憤慨したようにマッパ女は地面を殴りつけた。
「見つかったって何よ! あたしが苦労して忍び込んだ奥地にアンタ達が呑気にエルフの案内までつけて乗り込んで来た挙句、フィールドレイドボスのブルーアイズまで引き連れて来て、あたしが動揺して見つかっちゃったんでしょう! アンタ達のせいよ! 訳解かんないわよ! レイドボスをティムするってどういう事よ!」
ダン! ダン! と地面を両手で叩きながらマッパ女は抗議をしているが、途中から視線を明らかに逸しそっぽを向く小次郎に苛立ちを募らせる。
「人が話をしている時はこっちを見なさいよ! 日本人ならそう教わってるわよね!」
「あ……あの……」
小次郎がジェスチャーで胸元を上げ下げするポーズをとり、それにつられてマッパ女が自分の胸元に視線を移すと、とっかかりの乏しい胸元にささやかに巻かれていた布切れがぽとりと地面に落ちていた。
「ぎゃー!」
***************************************************
「あ……あの、落ち着きましたか?」
「お嫁に行けない……」
地面に突っ伏してさめざめと泣くマッパ女を、気の利いたセリフで慰めるスキルは高校生男子は当然持っていないので、小次郎はげっそりするほどに疲れきっていた。
「かとう……」
涙声で絞り出す様にマッパ女が呟いた。
「へ?」
間抜けな返答を返す小次郎に、マッパ女はきつく睨みつけながら大声で怒鳴りつける。
「だから、加藤よ! あたしの名前! マッパ女とか呼ばないで!」
「え? 僕一度もそんな呼び方してませんけど……そ、それにほら、妹で見慣れているから、気にする事ないですよ、ははは……はは……」
小次郎はとびきり言ってはいけない言葉を吐いた事に未だ気付いてはいない。
「い……妹……しょうがくせいの……」
加藤から殺気が膨らみ、地面に落ちている小枝をそっと掴み上げた所で、亀吉が背後から加藤を踏み潰した。
「ぐえ……」
「喧しい童子だ。耳障りだから食ってしまおう……エルフごときの毒にあてられ、土に還りかけていたその身を救われ、あろうことか回復魔法まで散々喰ろうとおいて殺気を向けるとは、ゴブリンにすら劣る」
「ひっ……」
加藤の上半身は楽に入りそうな大きな口が近付き、生暖かい呼気と、滴り落ちる涎が加藤の身体を這い回り、みしみしと音を立てて加藤の背骨が軋みだす。
「亀吉さん、その辺で……」
周りの空気すらも細かく振動する程の魔力で精製された巨大な剣が、空から飛来して亀吉の髭と加藤の前髪をぷつりと切断した。
「ぴ!」
「にゃ!」
亀吉の体重が抜けた足の下で「ヒューヒュー」と苦しそうな息使いの加藤が喘ぎ、顔を背けながら小さく呟いた。
「……り、がとう……」
「いえ、こちらもあの夜、忠告をして頂いてありがとうございます。それを活かせなくてすいませんでした」
小次郎は亀吉の足の下に敷かれている加藤に向かい、ぺこりと頭を下げた。
「それで相談なんですが、共同戦線を申し込みたいんですが、どうでしょう?」
亀吉の束縛から逃れた加藤は、地面にペタリと座り込み俯いている。
「共同戦線なんか……張れる訳ないでしょ……もし一人しか元の世界に帰れなかったらあなたはどうするの? 命の軽いこの世界で殺しあいでもするの? 元の世界の人と関わりを持つって事は最後にはそう言う事が有るって事なのよ……それならあたしは一人の方が良い……最初から敵の方が良い!」
加藤は下唇を噛み締め、小次郎と視線を合わせない様に地面の一点を睨みつけている。
「わかりました……じゃあ、情報の交換はどうでしょう? 今一番欲しいのは情報だと思うんですよ、後はお互い競争って事で……」
小次郎の提案に加藤は不承不承頷いた。
加藤の出した情報は次の通りだった。
一、自分はアサシン、シーフのダブルジョブ、プレイヤー名はトビカトウ
二、召喚の切っ掛けは、レベル五十の見慣れないスキルクリスタルを使用して
三、召喚された町は言わないが、そこの神官を締め上げて送還が出来るかも知れない事を吐かせた。
四、数百年前から召喚儀式は行われ、数人の召喚者が居たらしいが、今は失われた儀式、禁忌の儀式になっているらしい
対する小次郎の出した情報は次の通りだ。
一、自分はウィザード、プリースト、エンチャンターのトリプルジョブ、プレイヤー名は小次郎、妹は内緒。
二、召喚の切っ掛けは、レベル七十の魔法書のメモリーとその魔法の起動
三、マウレツェッペの神殿にある召喚アイテムと思しき物は、再起不能の状態にして来た。
四、召喚アイテムの保存方法は失われた知識らしく、保存状態は期待出来ない、マウレツェッペの召喚アイテムも起動したのが奇蹟の様な状態だった。
以上が情報交換をした結果だった。小次郎も加藤も出したくない有益な情報は懐に抱えているのは解っているが、表情に出さない様にポーカーフェイスに努めていた。
「兄妹……小次郎……でも……」
加藤がブツブツと呟きながら、記憶を手繰り寄せているのを見て小次郎は少しハラハラしたが、ジョブの入れ替わりの話はしていないので素知らぬ顔で流している。
「兎に角、今回の事は礼を言っておくわ……有難う。でも馴れ合うつもりは無いからそのつもりでいて」
加藤は相変わらず視線を合わせずに立ち上がり、その場を辞去しようとした時に、背中を向けた加藤に小次郎は最後の情報を渡した。
「それと、もう一つ情報を……これはサービスにしておきます」
加藤は後ろを振り向かずにその場で立ち止まる。
「僕と妹は一つの魔法で二人一緒に召喚されました。MMORPGでは滅多に無いと思われる、オフラインでの接触状態下での召喚になりますね、加藤さんの優しい気持ちも解りますが、悲観する事も無いと思いますよ」
加藤はピクリと肩を震わせながら振り向いて、小次郎と初めて視線を合わせた。
「そう……有益な情報ありがと……」
歩き始めた加藤に再度小次郎が声をかける。
「それともう一つ……落としましたよ……」
凹凸の寂しい加藤の胸元に巻かれていた布切れが、足下で風に吹かれて寂しげに靡いていた。
「し、しし知ってるわよ! わざとよ! 試したのよ!」
何かを試されていた小次郎と亀吉をその場に残し、アサシン特有のスキルで姿を消した加藤はその場を逃げる様に去って行った。
「マザーツリーの地下神殿は、僕達が一歩リードって事で良いんですかね……」
小次郎が誰ともなく呟くと、亀吉が面白く無さそうにプシュンと鼻を鳴らした。