1-1 廃版魔法
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ガサ……ガサゴソゴソ
闇夜の中で何かが動く気配がして、部屋の主人である小次郎が浅い眠りの中から覚醒する。
カチ……ブゥン……
小次郎は眠りから覚醒したばかりの寝惚けた耳で、聞き慣れた音を聞きつけ部屋の隅に置いてある二台のパソコンに意識を集中すると、カチャカチャとキーボードを操作する小さな人影は小次郎にとっては見慣れた人影だった。
小次郎はそっとベッドから這い出して、パソコンの前で夢中になってキーボードを操作している人影の背後から声をかける。
「おはようムサシ、早起きだね」
「ぴゃっ!」
小さな人影は突然背後から声をかけられて、短い奇声を上げながら飛び上がった。
「ちちちち違うのお兄ちゃん! これは忘れ物をしたから気になって眠れなくて」
驚き過ぎて腰が抜けたのか床にペッタリと座り込み、手をバタバタと振りながら言い訳を試みるムサシから、小次郎はパソコンのモニターに視線を移してムサシの操作していた画面を確認している。
「やっぱりゲームじゃないか……ムサシ成長期ってのは、夜に眠る時間がとても大事なんだよ? 今ムサシにとって一番大切なのは夜に寝る事なんだ……」
小次郎がムサシに対して抱いている心配事を、クドクドと説明し始めた。
小次郎は普段はあっさりとした性格なのだが、妹の成長を誰よりも願う兄の心境として多少、否かなり御説教はくどい物となってしまう。
「ま、待って! お兄ちゃん! これ、これを見て!」
ムサシが小次郎の御説教を遮る様に、モニターの一点を指差した。
小次郎はムサシが必死に指差すモニターの一点を注視すると、そこはムサシのアイテム倉庫の一覧だった。
「アイテムがどうしたんだ?」
小次郎がムサシに視線を移すと、ムサシが更にアイテム倉庫一覧の中を指差す。
「この魔法書覚えてる? お兄ちゃんとダンジョンのボスを倒した時のドロップなんだけど、公式ホームページにもwikiにも記載されていないから、昔の廃版魔法書かなって放って置いた奴」
小次郎は記憶を遡りムサシの言う会話をうっすらと思い出していたが、二十年も前から続いているオンラインゲームであるこのゲーム。廃版アイテムも十や二十ではきかない位存在している。
「だからってこんな夜中に……」
「お願いお兄ちゃん、この魔法書がメモリー出来るか試してみたいの!」
ムサシが小次郎の足下で土下座をする。
「お、おいムサシ……」
深夜の兄の部屋で土下座をする妹の図を、頭の中で想像して小次郎は溜息を吐く。
「はぁ……メモリーしたら眠れるんだな?」
小次郎はパソコンの前から身体をずらし、ムサシを椅子に座らせる。
「うん、お兄ちゃんありがとう! 神殿の女神像の前でクリックするだけだから」
ムサシは慣れた手付きでキャラクターを操作して、神殿の中に入って行く。
「えーと……女神像の前で……あれ?」
ムサシがアイテム一覧の中の魔法書をクリックした途端、魔法書が消失する。
「ムサシ魔法書が無くなったって事は、メモリーしたって事じゃないのか?」
「そか」
ムサシは慌ててキャラクターのステータス画面を開き、メモリー魔法一覧の画面を開くと、LV七十迄にメモリー出来る魔法全てが、特徴的なアイコンとなって整然と並んでいる。
「相変わらず凄い魔法一覧だな……」
ムサシがマウスのホイールをくるくると回し、高LV魔法を表示して行くと一番最後のメモリー魔法表示マスに一つだけ、色合いの違うアイコンが表示された。
「召喚の証って書いてあるな? モンスター召喚魔法の上位互換か?」
先程まで眠そうにムサシの相手をしていた小次郎まで、身を乗り出してモニターに見入っている。
「解らない時は使ってみるだけだよ、お兄ちゃん!」
小次郎は幼い妹に輝く様なドヤ顔を決められ、多少イラッとしながらも頷いた。
「待てムサシ、どんな物が召喚されるか解らないから、俺のキャラクターも立ち会うよ」
小次郎は自分のパソコンをスリーブモードから復帰させ、素早くゲームにログインをして、ムサシのキャラクターの傍らに自分のキャラクターを立たせた。
「良いぞムサシ」
二人共ほぼ同時に唾を飲み込む音が、静かな部屋にやけに大きく響き、若干遅れてムサシのやや小ぶりなマウスのクリック音がカチリとなった。
「……」
「……」
モニター上を注視する二人は微動だにせずに待ち構える。
「ムサシ……」
「あい……」
「寝るか……」
「あい……」
小次郎は深夜に幼い妹とパソコンの前で、何をやっているのだろうと自嘲気味な溜息を吐き、ログアウト作業に移ろうとした時に、傍らのムサシから声がかかった。
「お、お兄ちゃん……火が」
「火?」
小次郎はムサシの言葉に自分のパソコンのモニターを注視するが、モニター上には何も変化が見当たらない。
「イフリートか?」
火の上位モンスター、イフリートクラスのモンスターでも召喚してしまったかと一瞬色めき立つが、何の変化も見られない画面に先程と同じ様な虚しさを再度味わい、小次郎はムサシに抗議の視線を送る。
「あわわ……」
ムサシが震える指先で指し示す先には、キラキラと光るデコレーションが施されたムサシ専用パソコンがあるのだが、パソコンボックス全体が高級料理等で時折見るアルコールを飛ばす技法、フランベに良く似た青い炎を纏っていた。
「ムサシ! パソコンから離れろ!」
小次郎がムサシを庇う様に抱き抱えるが、ムサシの身体が硬直している。
「お兄ちゃん身体が動かないよ」
小次郎の身体もムサシの身体から感染したかの様に、触れている部分から順に硬直して行く。
「ムサシ、大丈夫だ! お兄ちゃんが付いている」
小次郎はポジティブな言葉をムサシに投げかけながら、現状を脱する術を考え続けるが身体の硬直は今や全身に移り、ムサシの苦痛を和らげる方法に思考はシフトして行った。
「お兄ちゃん」
辛うじて動く視線でムサシは小次郎を気遣い、自分は平気だと言わんばかりに全身に青い炎を纏わせたまま、気丈にも小次郎に微笑みかけた。
見る見るうちに青い炎は二人の全身を包み込み、二人はお互いを安心させる為の飛び切りの笑顔を投げかけた状態のまま、デジタルブロックノイズの様なキューブ状の粒子に変換されて、地球上からその存在を掻き消した。
同時に青い炎も消え去って、主人を無くした小次郎の部屋に残された二台のパソコンは白く細い煙が立ち上り、二枚のモニターは同時に光が失われ、静かに闇を写し出した。